第一

彼らがばったり出会ったとき


 
ういーん、というちょっと間の抜けた音が部屋の中に響いている。固い物同士をぶつけるような音もしている。その音をなんとはなしに聞きながら、塚本桐夜はせっせと部屋の掃除をしていた。別に年末年始の大掃除、というわけではない。単純に日曜日でいい天気だから自分の部屋を掃除しているだけの話だ。時は三月上旬。冬もそろそろ終わり、開けた窓からうららかな風が吹き込んでくる――が、のどかな気分になれない事情がある。

「あー、めんどくせえ……」

あらかた掃除の終わった部屋に再び掃除機をかけながら、桐夜はもう幾度目かになる言葉をぼやいた。掃除ってのは、他にやるべきことがあると無性にやりたくなるっていうのに、何故始めたらここまで面倒くさくなる。知っている奴がいたら教えて欲しい。

……まあ、それでも止めないのはわざわざ一階の物置から三階の自分の部屋の前まで掃除機を持ってきておいて、それで中途半端に終えるというのも、何か癪だからである。
 

「ふう」

とりあえず、掃除は終わった。ちゃんと機能しているのかどうかすら危ういボロ掃除機を持ち上げて、桐夜はのっそりと下に戻る。

現実逃避しても仕方ないし片付けたら勉強でもするかー、とか思いながら掃除機を片付けようと物置の扉を開け――

「……………………」

――絶句した。そりゃ、無理も無い。繰り返して言うが、無理も無い。そりゃそうだ。
 
 
暗がりの中に女の子が突っ立っていりゃあ、誰だって絶句する。
 
 
「はあ!?」

素っ頓狂な声を上げた桐夜に対し、女の子はびくりと肩を震わせる。大体年齢は十五、六か。雪国で育ったんじゃないかと疑う白い肌に、吸い込まれそうな漆黒の瞳。肩までの髪は、瞳と同じ色だ。わりと可愛らしい顔立ちをしている。紫外線云々が騒がれているこんな都会に白い肌は貴重なものだが、それより問題は服だった。ローブ、というべきかワンピースというべきか。まるで縄文時代の女の人のような服だ。というかここまで来ると貴重を通り越して異様である。服の色もなんか灰色一色だし。
 

「……………………」
「……………………」
 

沈黙。
 

「え、えーっと、さ……」

沈黙は気まずいので、とりあえず出てきた疑問を口に出す。知り合ったばかりの女に対しちゃ一番最初に聞くのは名前だろうと雑談の中で自分の友人が言っていたのを思い出す。そうとは限らないんじゃないかというのが、桐夜の意見ではあったのだが。

「……君、どっから入って来たの?」

……あったのだが、さすがに名前より先にこんなこと聞くとは思わなかった。
 
 
 
 
 
 
 

「で? なんたっていきなり俺ん家の物置なんかに現れたわけ?」

冷蔵庫に入っていた葡萄のジュースを出しつつ、桐夜は改めて聞いてみる。喉が渇いていたのかなんなのかは知らないが、女の子はゴクリゴクリと飲み干していく。少しは遠慮しろよと突っ込みたい気持ちはあるが、ぐっとこらえる。とりあえずこの不可思議な事態を説明してもらうのが先だ。女の子はジュースを飲み終えると、バツが悪そうな顔をした。

「……えーっと、私自身どこから話して言いか分からな」
「最初からだ」

塚本桐夜、音速の切り返し。出鼻をくじかれた女の子はきょとんとするが、すぐに気を取り直したらしい。ゆっくりと口を開き――

「じゃあ、最初から話しますけど……その前に一つ聞いていいですか?」
「何?」
「どうやって話せばいいんでしょうか?」

 
――沈黙、二度目。
 

「…………は?」

無理も無いと思うが――桐夜は思わず聞き返した。
 
「どう話せばいいって……何が? 要するに、話せないってこと?」
「……はい」

桐夜は頭を抱え込んだ。そりゃそうだ。人の家に不法侵入しておいてその事情を話せないとはどういう了見か。でも実際問題として、入ってきたのは確かである。桐夜が掃除していたとき、玄関の鍵は閉まっていた。両親は今出かけていて、二階のリビングの鍵もかかっていた。掃除をしている最中のため、自室の窓こそ開いてはいたが、桐夜がいたから絶対に気付く。ほかに出入り口は多分無い。
 
つまり――仰々しい表現をすればほぼ完全密室状態のこの部屋に突如沸いて出たとしか言いようが無い。
 
「……話したくなくてもとりあえず話しやがれ。冗談抜きで110番通報するぞ」
「ひゃくとおばん?」
「……お前、まさか110番知らない?」
「はい」
「要するに警察に突き出すぞっつってんだ!」
 
あっけらかんと答えたその子に、桐夜はあわやキレかける。しかし、話はそれでは終わらなかった。
 
「……けいさつ?」
「……警察も、知らないの?」
「……はい」
「お前、どこで生まれ育ったんだよ!」

ブチキレ二度目。本当にどんな生活してきたんだ。つーかどんな箱入り娘だ。

「……ま、まあいい。とりあえず、どうやって家に入ってきたんだ?」

桐夜は大きく深呼吸をして、話を原点に戻す。こいつの生まれ育ちなんかどうだっていいだろうと思いつつ。

「……いえ、ですから、それは……」
「あー、話せないんだっけ?」
「……すみません」

ため息一つ。ひょっとして、物凄い厄介事が転がり込んできてしまったのではないだろうか。桐夜はしばらく考えてから、こう提案する。

「なあ」
「はい?」
「仮定の話をしてみるのはどうだ?」
「……仮定?」
「何かに例えて話をするんだよ。そしたら突拍子も無いことでも話せるだろ?」

我ながらいいアイデアだと思う。女の子は、えーと、とか、そうですね、とかを二、三回繰り返してから、やっとまともに話し出した。
 
「じゃあ、例えばですよ? この世界には死者達は別の世界に行くって概念がありますよね?」
「要するに、黄泉国のことか?」
「はい。それで、黄泉国には死者とかそれを管理する鬼とか死神とかがいるとします」
「まあ、よくある話だな」
「それで、黄泉国の鬼が逃げ出した、と仮定します」
「ふむ」
「それで、私はそれを追ってここまで来た、と言えばお分かりでしょうか」

推測。つまりこいつは警察の新入生かなんかで、脱獄した凶悪犯あたりを追っている。自分に言えなかったのは一般市民に凶悪犯が脱獄したという恐怖を植えつけないための配慮である――とすると警察を知らないふりをするのはどうしてかは知らないが、そこまで深く推理する必要はないだろう。

「……なるほど、ね」

と、納得しかけて――

「ちょっと待てや! それじゃ俺の家にいきなり出てきた説明が付かねえだろうが!」
「仮定の話でいいっていったのはあなたじゃないですか!」

重要なことが抜けている事に気付いた。怒鳴り声を上げた桐夜に、女の子も負けじと怒鳴り返してくる。いや確かに仮定の話でいいって言ったのは合ってるが。

「現実問題として出入り口のない部屋にふっと現れただろうが! そりゃ仮定じゃなくて現実として存在してんだろ!」
「……っ、それは――!」

一瞬言葉に詰まった女の子は、凄いことを口にした。

「じゃあ、瞬間移動したってことで!」
「はあ?」
「仮定の話ですよ!」
「……分かっ、た」

だから説明になってないだろうが、と怒鳴りたくなるがぐっとこらえて、桐夜はそう言い返す。女の子は「分かればいいですよ」とかムカつく台詞を残すが、我慢我慢と自分の中に言い聞かせる。男は忍耐だ。

「……んで、お前はどうすんだ、これから」
「どうするって……それはもちろん、鬼を捕まえに行きますよ。そもそもそれを追って来たんですから」
「なるほどね。手伝おっか?」

仮定の話だろうが、と突っ込もうかと思ったが止めて、代わりに一丁仕返しでもしてやろうと言い返す。
 
「いえ、結構です」
 
その返事は想定内だったのだが、手伝おうかと言ったときにふっとよぎったその顔にはなんとなく見覚えがあって。
 
「……おい」
「はい?」
「……なんだ……なんか困ったことがあったら、来いよ」
 
どことなく放っておけなくって、柄にもないことを言ってしまった。
 
 
 
 
 
 

「……黄泉国、ねえ……」

私立、裁可高等学校。あの女の子との一件があった翌日の、朝九時三十分。数学の授業を右から左へ聞き流しながら、桐夜は大きくため息をついた。二百年以上の伝統を持つこの学校は、元々小さな寺子屋の一つだったそうだ。その影響かつまるところ男子校で、前後左右はおろか斜め隣まで男という色気のかけらも無い地獄のブラックホール状態が出来上がっているのである。学校という最大のチャンスの場所で女の子と出会う機会が全く無いわけだから、昨日出会った女の子に名前のひとつでも聞いておかなかったのは間違いだった気がする。

「…………」

無意識のうちにその子との接点を探している自分自身に気づいて、桐夜はふっと苦笑を漏らす。

「ま、いまさら悔やんでもしょうがねぇか」

裁可高校は、小テストとレポートのラッシュである。これが全国でも上位の部類に入る進学校だというのならまだ分かるが(全国で上位の部類に入る進学校が小テストとレポートのラッシュなのかどうかは知らないが)、これといった取り柄もない学校がなんでこうなんだ。どうせ覚えもしないレポートを適当にインターネットと図書館で探して、その場しのぎで小テストの対策をする毎日がどれだけ退屈かってことをこの学校の教師分かってんのか?

口に出した瞬間教師どもに締め上げられそうなことを思い、桐夜は再びため息をつく。

「……もと! 塚本!」
「え?」

そんな想像にふけっていたからだろうか。桐夜は思わず、先生の言葉に素で返してしまう。その途端桐夜を指名していた先生の顔に怒りが浮かんだ。

「お前はまたぼーっとしてたのか! 窓の外に黒板は無いぞ!」
「うっ、は、はい! すみません!」
「もういい! 問の四、お前解け!」
「は、はい! えーっと――」

誰にでもなく問おう。インテグラルって何だ。
 
 
 
 
 

「う、うあー……」

あの後先生に集中砲火を食らって(ついでに彼限定で宿題まで出されて)いつもの数倍疲れた塚本桐夜は、ぐでーっと机に突っ伏していた。

「お前またぼーっとしてたのか。この前の期末考査の数学の成績お前赤点だったろうが」

突っ伏していた顔を上げると、見慣れた――というよりは、見飽きた顔の友人が笑いながら目の前に立っていた。何年もの付き合いがある、いわゆる腐れ縁という奴だろう。
 
――あんま、まじまじと見たいツラでもないんだがな……。
 
 
何の用だと問うと、いや別に用は無いんだけどさという返事が返ってくる。そのまま、しばらくの沈黙。

「……なんか体勢的に土下座されてるみたいだな」

いきなり訳の分からんことをほざいてきた。

「土下座されたら少し優越感味わえるよな」

知るか。

「なあ、稲垣……」

土下座の話題になりそうだったので、桐夜は素早く話題を変える。

「なんだ?」
「お前、黄泉国って信じるか?」
「はあ?」

心配したのかからかいにきたのか分からない友人――稲垣壮太は、桐夜の問いを聞いて素っ頓狂な声を上げた。うさんくさそうな顔をされて、桐夜は慌てて弁明する。

「いや、なんとなく聞いただけなんだが……どう思うよ?」
「あー……なんだ?」

稲垣はしばらく考えて

「うーんと、何だ? 死後の世界を信じるか否かだろ?」
「ああ」
「俺は信じるぜ」
「……え?」

桐夜は最初、その返事が信じられなかった。なぜなら稲垣は、超がつくほど現実主義、悪く言えば冷徹な性格をしているからだ。

……まあ、女の子の話は例外として。ちなみに知り合ったばかりの女に対しちゃ一番最初に聞くのは名前だろうと雑談の中で言っていた桐夜の友人とはこいつである。

「それがいわゆる黄泉の世界とか常世とかっていうのかどうかは分からないけど、実際そういうのはあるんだと思うぜ。だってそういう概念があったから日本神話なんてものが生まれたんじゃないのか?」

はっきり言って、こいつらしくなかった。でも、まったくありえない話ではない。
 
そうだ、こいつは――
 

そこで、考えるのを中断する。あまり二人の間では触れない話題だった。ともすれば俺がこんな話題を吹っかけたのもまずかったかなと桐夜は思わず眉根を寄せる。だが稲垣は全く意に介していないようで、そのまま話を進めてきた。

「概念っつたって俺としては昔の人が何かを見間違えたとしか考えられないんだがな……」
「だったらこの科学全盛の時代だ。とっくに『それが何か』の目星ぐらいはつけられていてもいいんじゃないのか?」
「――なるほど」
 
言っていることは一応理にかなってはいる。
 
「……なんの根拠も無く信じているってわけじゃないんだな」
「ああ」

そうか、といったところで、チャイムが鳴った。次いで、稲垣の焦った声がする。
 
「やば、もう次の授業が始まるな」
「そういえば次の授業って何だったっけ?」
「……塚本、俺のこの格好を見て分からんか?」
「あ?」
 
稲垣壮太――ジャージ姿。
 
「体育だ。さっさとお前も着替えて急げよ」
 
塚本桐夜、遅刻決定。

 
 
 
 
 
 
「うあー、やっと終わったぁ」
 
六限すべての授業を終えて、ぐったりと机に突っ伏す。今日は部活は無いので、そのまま直帰である。

「塚本、帰ろうぜ」

友人稲垣が寄ってくる。いつもならさっさと帰宅しているところだが、今日は違う。

「今日はいいや。購買行かなきゃいけないからお前先帰ってて」
「そんぐらいなら付き合うけど?」
「いや、それとは別に用事があるんだ」
「あー……分かった」

悪いな、と稲垣を見送り、むくっと立ち上がる。稲垣が撤収するのを見届けて、桐夜はかばんを手に取った。

「……ん?」

突如、背中に気配を感る。振り向くも、誰もいない。教室に残るクラスメイト達ならいるがこんなダイレクトな気配はしないだろう。というか、こんなダイレクトに気配がしているのであれば、とっくに慣れていなければおかしい。

「気のせい、か?」
 
首をかしげながら、桐夜は教室を後にした。
 
 
  
  
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