九章


 
 オーロラが消える。少年の目の輝きが戻る。敵も味方も、全てを魅了するオーロラの光は消え果てて、ただそこには廉崎京という名の少年が残る。

「…………」

 地に転がった市長の体を、京は無表情に見下ろしていた。対する市長は、小さく唸り声を上げるだけ。時折ぴくりと動くようだが、先の一撃は体内から凍らせて爆発させたのだ、さすがにもう戦えまい。

 とはいえ、手負いの獣ほど怖いものはないという。京はせめて気絶だけはさせようと、かつて田中にやったように、こめかみに蹴りを放とうとする。

「……待、て……」

 と、市長が弱々しい声で告げた。聞く耳持たぬ、と蹴り飛ばしてもよかったのだが、どうしてか京には出来なかった。自分と同じ願いを持った男の話を、聞いてやりたくなったのかもしれない。

 足を下ろした京に、市長は一つの願いを託す。

「……息子、に……息子に、その力を……オーロラを、見せてやってくれないか……」
「…………」

 市長の息子は、オーロラを夢見ていたという。病に感染し、既に手遅れとなった体。そんな市長の息子が憧れを持っていたものが、美しいオーロラだったという。

 正直に言って、その願いを引き受けるには責任が大きすぎた。それに京のあの力は、自由自在に引き出せるものではない。最後に交わす約束としては、果たせない可能性が大きすぎた。

「……分かった。引き受けよう」

 だけど、それでも。

 自分はかつて、何もしてやることが出来なかった。妹が最後に望んだものがなんだったかも知らぬまま、みすみす殺させてしまっていた。だが、市長の息子は、まだ生きている。そして最後に望むものも分かっているなら、引き受けない道理はない。

 なんとなくだが、分かるのだ。最後の一撃を放ったとき、市長は自らに降ろした悪魔の力も使っていた。召喚術とは本来、術者の内に呼び出されるもの。同化するといってもいいかもしれない。そこへ容赦のないオーロラの一撃を食ってしまったものだから、その悪魔にも凄まじいダメージが行ったはずだ。目の前の男にある力は、加速度的に薄れつつある。身の危険を感じたのか、重傷を負った男は既に用無しになってしまったのか、悪魔はもう、己の世界へ引き上げているのだろう。

 己の力も全て砕かれ、望みをかなえることも出来なくなってしまった男。砕いたのは自分でありながら、市長と京は同じだった。そんな彼に願いを引き受けない選択など、最初から存在していない。

 市長が頷くのを見ると、京は奈央のほうへと向かった。こうなった市長がまた牙をむいてくることはちょっと考えにくかったから、もう気絶させるのは止めにした。甘い考えの気もするが、まずは奈央のほうが先である。

「携帯電話。どこにありますか」

 急所は逸れていたようだったが、あまりもたもたしている時間もない。急いで救急車を呼びたかったが、京は携帯電話を持っていない。そのため、奈央の携帯電話を借りようとは思ったのだが……答えはどうやら、ズボンの前ポケットなのだそうで。

「…………」
「…………」
「…………し、失礼します」

 今は非常時今は非常時今は非常時と言い聞かせながら、奈央のポケットに手を突っ込む。しかし焦っているからか、なかなか携帯電話は見つからない。自分の顔が加速度的に熱を持つのを感じながら、京は携帯電話を探す。一応奈央もやむを得ないことは分かっているだろうが、どうにもこの辺男は弱い。セクハラで訴えられようものなら、確実に命はないだろう。

「あ、ありました! すいません、大変失礼しました!」

 実際は十秒と経っていないはずなのに、猛烈に長く感じた時間。どうにかこうにか、京は携帯電話を探り当てる。

 柔らかかった、といえばぶっ飛ばされそうな気もするが、今は生憎それどころではない。病院と警察に通報をしながら簡単な応急手当を終えて、京は救急車の到着を待った。

 

 

 病室の扉をノックして、廉崎京は一拍置いた。中から「はい」という声が聞こえ、京は失礼しますと扉を開ける。病室の中にいた男の子は、京の顔を見て戸惑ったような表情になった。

「え、と……」
「やあ、はじめまして。俺、君のお父さんの友達で、京っていうんだ。君の名前は?」
「かずき」
「かずき君か。よろしくな」

 中にいたその子は、大体小学校一年生か二年生程度。このくらいの子供なら外で遊びまわったり、友達とゲームでもするのだろうが、この子にはそれが感じられない。

 無理もないか。父親の話を聞くまでもなく、このやせ細った体では外に出るのも難しいだろう。下半身はベッドに埋もれているが、上半身を見るだけでも痛いほどにそれが伝わってくる。

 あまり、無駄な時間をかけるわけにも行かない。京は見切りをつけると、見舞い品を机に置く。スナック菓子が幾つかと、日持ちのする飴玉だ。この子の好みや年齢は、入院している病院と共に父親から聞いている。

「あんまり、長くいても辛いかな」
「ううん、大丈夫だよ」
「はは、看護婦さんからこれだけしか会っちゃ駄目って言われてるんだ。許してくれな」

 京は医学には詳しくないが、手遅れだということは聞いている。いろんな補助具がつけられているあたり、本当に重い病気なのだろう。自分の妹は病気でこそなかったが、どうして神様は命を奪うまでにひどいことをするのだろう。

「お父さんは、この市のリーダーなんだよね」
「うん。今はちょっと、大きなお仕事をしているみたい」
「……そっか」

 この子と父親は、市長は、もう二度と会えないだろう。だからこの子には、こんな伝わり方をしている。京はそれだけ言って流すと、ここに来た目的を口に出す。

「お父さんから聞いてるよ。オーロラ、好きなんだっけ」
「うん。ずっと、見たかったんだ」
「そうか」

 果たして、出すことは出来るだろうか。練習しても、やっぱり上手くいかなかった。難しい顔をした京に、少年は少しだけ興奮したように続けてくる。

「でもね、でもね。この前、オーロラ見れたんだよ」
「見れた? オーロラが?」
「この前の夜遅くね、たまたま目が覚めちゃったんだけど、あっちのほうで見れたんだ。青くて、白くて、すっごく綺麗だったんだ。京さんも、見れた?」
「……ああ、もちろんだ」

 あの光を、見ていたのか。蒼く、白く、色を変えて輝くオーロラの光。それは間違いなく、自分が市長とやりあっていたときに爆発させた、あの力のことだろう。このくらいの小さな子供が、あの時間に目を覚ましたのはそれこそ僥倖だと言わざるを得ない。しかも、手遅れになるほど重くなった病気にかかっているなら、その確率は更に低いものだっただろう。

 小さな奇跡に感謝しつつ、京は少年に笑って続ける。

「あのオーロラはね。かずき君のお父さんが起こしたんだよ」
「ほんと?」
「ああ。君のお父さんが頑張って、あんな奇跡を起こしたんだ。俺だって目の前で見てたんだから、間違いはないよ」

 嘘は言っていない。確かに彼の父親は頑張ったのだ。こっちにしてみれば守ると誓った少女が殺されかける瀬戸際だったが、そんなことはこの少年には関係ない。

「またいつか、君のお父さんはオーロラを見せてくれるよ。本で見るよりも、すっごく綺麗なものをな」
「うん」

 無邪気に頷く少年に、京も小さく笑みを漏らす。少年の手を握り締めると、京はそれじゃあと立ち上がった。

「そろそろ、行くな。看護婦さんにドカーンと雷を落とされるとたまんないし」

 笑ってくれた市長の息子に手を振って、京は病室を後にする。

 神様はやはり意地悪だった。それでも、重い病気にかかってしまった少年の、最後の願いは聞いてくれた。なら、もう自分がここにいる意味は無い。京は荷物を纏めるために、神楽川神社へと戻っていく。

 まだ、この街からは立ち去らない。京よりも怪我がひどかった奈央は、明日までは会うことは出来なかった。共に戦った戦友に何も言わずに消えるほど、京は恥知らずではないのだから。

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