終章


 
 病室の扉をノックして、廉崎京は一拍置いた。中から「どうぞ」という声が聞こえ、京は失礼しますと扉を開ける。

「調子はどうですか?」
「結構いいと思いますよ。あと一週間もすれば、術者として復帰できるそうです」
「そうですか」

 部屋の先にいた少女――神楽川奈央は、とりあえず元気そうだった。京の応急手当の手際もよかったらしく、特に後遺症も残らないまま、奈央は順調に回復していた。このまま休息していれば一週間ほどで復帰できるらしいとの色よい返事を聞いて、京は小さな笑みを浮かべる。

「まあ、一週間で復帰できるなら、いいんじゃないですか? 打ち所悪かったら死んでましたし」
「…………」

 だが、そんな京のことを、奈央はジト目で睨んできた。え、俺何か悪い事した!? 妙な冷や汗をかく京に、奈央は同じくらいじとーっとした声で呟いてきた。

「本当に、その後死んじゃうかと思いました」
「え」
「誰かさんが衝撃波をぼんぼん飛ばすし、誰かさんが当たり一面を極寒の大地に変えてくるし、私の横を何回衝撃と吹雪が掠めていったと思っているんですか」
「うっ」

 そういえば、最初に横たえこそしたものの、その後は最早相手のことしか考えてなかった。漫画だったら冷や汗が滝のように流れているであろうこの状況で、さらに奈央は容赦なく追撃をかけてくる。

「おまけにその後、本当に死んじゃったんですよ」
「……え?」
「まだ私、処女なのに。誰かさんに思いっきりまさぐられて、誰かさんに傷物にされて弄ばれて、女性としてはもう殺されてしまいました」
「あれは携帯電話を探すためです! やらなけりゃ冗談抜きで死んでいたでしょうが、俺携帯電話持ってないんですよ!」

 必死になって弁明する京がおかしかったのか、奈央はくすっと笑みを漏らす。だが、その表情はふと、真剣なものへと変化する。

「そういえば、京さん。市長の、息子さんのことですが……」
「……ええ」
「……今朝方、息を引き取ったと。そう、伺いました」
「今朝方? そんな、昨日は普通に……」
「それが、その夜に容態が急変したそうで……」
「そう、ですか……」

 その言葉に、京も神妙に頷いた。対称的に、奈央は柔らかい笑みを浮かべて続ける。

「それでも、最後はオーロラを見ることが出来たって、満足して亡くなっていったそうですよ」

 そのことだけは、聞いている。死ぬ間際の少年に起きた、一つの奇跡。

 京は左手を上向けて、その手に冷気を集めてみた。しかしその手に集うのは冷たい風と氷のみで、オーロラの光は現れない。あれは京自身、何かの箍が外れたときにしか出てこないような力だった。

「まあ、今更俺たちが言っても、仕方が無いでしょうね。ところでこれ、お見舞いです」

 小さな苦笑を漏らして、京は奈央に持ってきたものを手渡した。ゼリーやらなにやらの詰め合わせ。奈央の好みを知らなかった京は、無難なものを選んで持ってきたのだ。

「いいんですか?」
「駄目だって言われたら、それの処分どうするんですか。そんな詰め合わせのセットにして食べる趣味は俺にはありませんよ」

 軽口を飛ばし、近くの机に見舞い品を置く。しばらく取り留めのないことを話すと、京はよしと言って立ち上がった。

「それじゃあ、俺はそろそろ失礼します」
「どちらへ向かわれるのですか?」
「さあ。元々当てのない旅ですし。どっかの盆地にでも行ってみますか」

 京は荷物を全てまとめ、部屋も掃除して引き払ってきた。事件はもう解決し、神楽川神社から報酬も貰った。最後に奈央の見舞いをして、京はまたどこへともなく放浪していく。

 だが、それを聞いた奈央は、小さく笑って続けてきた。

「行く当て、ないんですか?」
「そうですね。今更家に帰るつもりはありませんし、多分帰れないでしょうから」

 大きなリュックを肩に背負い、京は別れの挨拶を告げる。

「それでは、お世話になりました。またどこかで会ったなら、その時はよろしくお願いします」
「京」
「……え?」

 奈央の返事は、たった一言。呼ばれた名前がちょっと意外で、京は思わず聞き返した。奈央は笑みを悪戯っぽいものに変えると、京のことを指差してくる。

「まさかこのまま、どこかへ行ってしまうなんてことはありませんよね?」
「……は?」

 どこかへ行くと言ったばかりなのに、聞いていなかったのか。そんなことをふと思うが、この状況でその部分だけ聞き逃すのは無茶苦茶なのにも程がある。言っている意味が分からなくて聞き返す京に、奈央はそのまま続けてきた。

「もしも行く当てがないのなら、神楽川神社へ滞在してください」
「はいっ!?」

 そしてその発言は、京の予想の斜め上をぶっ放していた。思わず素っ頓狂な声で聞き返した京に、奈央は笑ったまま手を叩く。

「はい、それじゃあ決まりですね!」
「い、いやいやいや、今のは返事じゃなくて!」
「じゃあ、いなくなるんだ?」
「そ、そりゃあ……」
「私のこと、守ってくれるって言いましたよね?」
「……まあ、それは……」

 事実市長とやりあったとき、そんな事を言ったような言わなかったような。いや、正直に暴露すると言っていた。

「神楽川の家って、戦闘能力が高い術者ってあんまりいないんですよ。実は近々、他の術者の家から護衛を雇うはずだったのですが、お引き受けしてくださいません?」
「…………」

 にこやかな笑みのその裏に、有無を言わさぬ響きがある。後退りしたくなった京だったが、奈央はやっぱり追撃をかける。

「守ってくれるのなら、せめて怪我が回復するまではいてくださいますよね? それに、女の子の一番大事なところを揉みしだいておきながら、責任も取らずにハイさようならなんて酷いことは言いませんよね?」

 だからあれは非常事態だ――そう叫びたいのだが、奈央の放つ妙なオーラに返事が出来ない。悔し紛れに呻く京だったが、無論奈央はそんなことを気にしてくれるわけもなく、逆に最後の一押しをする。

「ね、京?」
「……ううん……」

 再び呻き声が漏れて、知らぬうちに苦笑も漏れた。天井を見上げて、逆に顔を小さく伏せて。そして、京は顔を上げる。目の前にいる少女・神楽川奈央は、廉崎京の妹に似た、愛らしい笑みを浮かべていた。

「……かつて俺は、守ることが出来なかったんですよ? 俺が殺されて、自分も致命傷を負って、やっぱりこんな力不足の奴を雇うんじゃなかったって、後悔しても遅いんですからね?」
「――――っ!」

 奈央の顔が、どことなく輝いたようにも見えた。京はごとりと荷物を置くと、奈央に条件を確認する。

「住居保障の三食付き、危険手当はその時々に応じてお願いします」
「かしこまりました。では、その条件で、貴方を護衛として雇いましょう」
「分かりました。お引き受けします」

 苦笑に近い表情を浮かべ、京は奈央に手を差し出す。あの時と、どこか同じ空気になる。そして今、彼女は自分のことをそう呼んで、戦いの時、自分は彼女をそう呼んだ。

 ならば、この後に続くその言葉は、これに変えるべきだろう。

「それでは、改めまして――よろしくお願いするよ、奈央」
「期待していますよ、京」

 しっかりと一度握手を交わし――廉崎京は神楽川奈央と、再び雇用の契約を結んだ。

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