十五話


 数時間後。

 あの奴隷を突き落とす機会を虎視眈々と伺っていたというのに、結果的にとはいえまったく隙を見せなくて。時間ばかりが経っていくのに、少々焦り始めたころ。

「おっ、山小屋発見!」

 トウヤさんが出した明るい声が、私の耳に入りました。見ると、目の前には少し開けた土地があり、一軒の山小屋が建っています。トウヤさんは早速扉を開けて、山小屋の中を覗きました。

「結構設備も整ってるな。さすがに個室はないみたいだけど、雨風を凌ぐのには十分だ」
「そのようだな。おそらく、先ほどの町とロンデ村を行き来する旅人や、行商人のためのものなのだろう」

 山小屋自体は小さいけれど、かまどもしっかりついています。しかし、毛布はありません。あったのかもしれませんけど、誰かが持って行ったのか、盗んだかでもしたのでしょう。別に珍しいことではないようですが、少しは公共のものということを考えてください。人のものを盗むなど、泥棒のすることですよ。

 ……ああ、だからあの奴隷はトウヤさんを横から盗むようなことをしたのですか。やっぱり、始末しておくほうが世のためにもなりますね。

「じゃあ、今日はここに泊まるとするか。まだ日は高いし、保存食は使わないでとっておこうぜ」
「あ、山菜取りだ」
「おう」

 トウヤさんの提案に、セナは楽しそうに笑います。何がそんなに面白いんだか。とはいえ、これ以上あの奴隷とトウヤさんを二人っきりにしておくわけにはいきません。なぜって、汚されてしまいますもの。

「では、食材の調達と食事の用意で、メンバーを二手に分けましょう。私とトウヤさんで山菜を取りに行きますから、セナさんとゴーズさんは食事の用意と室内の清掃をしておいてください」
「ええっ!? ボクもトウヤと山菜取りに行きたい!」

 まあ、よく尻尾を振ること振ること。これ以上、トウヤさんが貴方を自分の傍に置いておくとでも思ったのですか? 奴隷は奴隷らしく、おとなしく命令に従っていてくださいな。

「……まあ、そうだな。セナは今回は、ゴーズと一緒に部屋の準備をしておいてくれ。俺はミミィさんと一緒に、山菜を調達してくるわ」
「う……はぁ〜い」

 それ見たことですか。仮にも――考えるだけでおぞましいですが――恋人の貴方を放ったらかして他の女と行くってことは、やっぱり奴隷なんかを彼女にしたくはないっていうことですよ。

 不満そうな顔をしているセナの前で、トウヤさんはゴーズさんから鉈を借りると、私を連れて外へ出ました。

 


「よっしゃ。じゃあ、とっとと山菜四人分をいただいて、ゴーズとセナにおいしく料理してもらうとしますか!」

 山へと分け入り、トウヤさんは鉈を大きく一振いします。私としてはあの奴隷と侍が作ったものを口にするなど心底嫌で仕方がないのですが、ここは我慢をするとしましょう。この時期からすると、セリなんかがよく採れます。ついでにドクゼリも混ぜ込んで、目障りな侍と邪魔な奴隷を二人仲良くあの世へ送ってしまいましょう。

「では、私はあちら側を探してきます。トウヤさんはそちら側を」
「いやいや、待った待った。どうせだし、二人で一緒に行動しようぜ。一人でいるときに魔物に襲われでもしたら、さすがに危険度が半端ないからな」
「…………」

 お気持ちは非常に嬉しいのですが、なんでこんな時に紳士的な心意気を発揮してくれてるんですか! トウヤさんの腕は一流ものですし、これでは毒草を混ぜ込めないじゃないですか!

 ……とはいえ、ここで断っても不自然ですし、空気も悪くなるだけです。笑顔の仮面を張り付けて、トウヤさんの心意気を受けました。

「そうですね。それでは、よろしくお願いいたします」
「うーす」

 間延びした声で、トウヤさんは答えました。さっそく山に分け入って、山菜を採りはじめます。

「ところでミミィさんは、山菜取りの経験は?」
「かじった程度なら。書物等で見たことはあるのですが、あまり詳しくはありませんね」
「そっか。まあ、何かまずいもん取りかけたらその都度俺が教えるから、これだと思うものがあったら遠慮なく取っていってくれ」
「分かりました」

 山菜シーズンではないとはいえど、まったく見つからないわけではありません。確かにあまりないのですが、それでも四人分を探し出します。

 が。

「これ、ユキザサですよね」
「そうっぽいな。ちょっと、芽の先を割ってみ?」
「芽の先ですか? 割りましたが……」
「あー、それは残念ながらユキザサじゃないな。バケイソウっつー毒草だ。中につぼみがあるやつがアズキナなんだ」
「アズキナ?」
「ユキザサの別名だよ。北の地方なんかでそう呼ばれてる」

 紛らわしい草の、特に紛らわしく成長しているものを取っていくにもかかわらず。

「これ、セリですか?」
「うん、セリだね。こっちにもあるな」
「結構ありますね。……これもセリですよね?」
「そう……じゃない! ここに根茎があるだろ。それはドクゼリだ。セリ独特の匂いもしないから、それは見分けやすいはずだぜ」
「……すみません、先ほどから毒のあるものばかりを……」

 いえ、ドクゼリに関しては分かっていたのですが。

「まあ、気にするな気にするな。最初は誰だって素人なんだしな」

 トウヤさんは、一つ残らず正確に見分けては次々選り分けてしまいます。

「やはり、山菜や毒草の特徴はすべて把握しているのですか?」
「そりゃ、うっかり食ったら死ぬ恐れもあるからな。そういえばゴーズのやつ、前にニリンソウと間違えてトリカブト食ったっつってたな。よく生きてたもんだぜ」
「……それ、ものすごく毒性強いですよね……」
「あのゴーズをして『地獄の苦しみを味わった』と言わしめたからな……つか、あいつの生命力はどうなってるんだ?」

 苦笑いをしながら片手で額を押さえるトウヤさんが、少し可愛く思えました。そんなトウヤさんの隙を突いて、素早くドクゼリを採取……

「ああ、だからそれはドクゼリだって! 根茎を見てくれ根茎をっ!」
「わ、す、すみませんっ! 先ほど教えていただいたばかりなのに!」

 ……隙のない男の人でした。


――――――――――――――――――――――――


「うーっす、たっだいまー」
「あ、トウヤ!」

 扉が開くや否や、大好きな男の子が顔を見せた。背中には山菜の籠が背負われており、必要な分だけ入っている。

「……ただいま戻りました」

 続いて、大嫌いな女が顔を見せた。左手には鉈が持たれていて、ミミィは暗い顔をしている。

 ……その程度で疲れちゃったの? なっさけな〜い。

「だめだ。時機を逸しているせいか、セリとアズキナぐらいしかねえわ」
「あずきな?」
「ユキザサの別名だよ。ミミィさんにも聞かれたけど、この地方ではそんなに有名じゃないのかね?」

 まあアレは北のほうだしなー、なんて言いながら、トウヤは山菜のかごを下ろした。中の山菜を全部広げて、一つ一つチェックしていく。

「これはオッケー、これもオッケー、これも問題ないな。まあ大体毒草は全部弾いてきたし、大丈夫か」
「毒草? 毒草って、ボーゼリとか?」
「オオゼリな。見分け方は分かるか?」
「……分かんない」
「根茎があるのがオオゼリだ。あと、これの匂いを嗅いでみ?」
「……あ。人参みたいな匂いがする」
「だろ? 匂いがするのがセリ。なんの匂いもしないのがオオゼリ。別名ドクゼリ。あと、葉っぱの先っぽが尖っているのがドクゼリだ。間違えると死ぬから気をつけろよ?」
「や、やだよ」
「はは、まあ、次はセナを連れて行くからさ。そのときにまた教えてやるよ」

 それだけ言って、トウヤは再びチェックに戻る。全部終えると、トウヤは大きく伸びをした。

「おっけ、毒草なーし。じゃ、料理係、頼む」
「あ、うん……」

 山菜を束ねて、渡してくる。山菜を料理したことはないけれど、野菜スープみたいな感じで作っちゃえばいいのかな?

「……ゴーズさん、何作る?」
「さあ。拙者はいつも、煮込んで塩を振って終了だからな。牛や豚の魔物が出ればそれと共に雑煮にするが、今回はそれもなかったことだし」
「……スープとおひたしでいっか」

 奴隷時代に何かを作ったことはないのか、と言われても。さすがに料理はシェフとかいう人の担当だから、奴隷はせいぜい手伝い作業。汚い手で触れるな、って言う人もいるから、あんまり料理関係はやらないのだ。

 ろくに手も洗わせてもらえなかったから、実際汚かったんだけど。

 おかげさまで、料理をやったのは旅に出てから。

 ――あああ、そういえばミミィに教えてもらったんだっけ! なんだろう、今はそれだけであったま来る!!

「トウヤ、今度料理教えて!」
「は? 俺なんかより、ミミィさんに教わったほうがいいんじゃないか? つーか、教わってたんじゃなかったっけ?」

 だからそれが嫌なんだってば!

「なにをいきなり興奮しているのだ? さっさと手を洗って始めるぞ」
「……う」

 うぅぅ、今は悔しいけど仕方がないか。


――――――――――――――――――――――――


 ――忌々しい。

 大変健康的な夕食を食べながら、私が思うことはそれでした。

 せっかくトウヤさんに媚を売っている汚い奴隷を排除してやろうと思ったのに、階段から突き落とせばゴーズに助けられ、ならば山で突き落とそうとすればセナ本人が前衛に行って事なきを得、だったら毒草を紛れ込ませて退治しようと試みれば、トウヤさんにその毒草を次々と選り分けられてしまい。今のところ、作戦はことごとく失敗しています。

 時や場所をわきまえているのが問題なのか、それともあの奴隷の運がいいのか。

 もっとも、運だけはよさそうですけどね。そうでなければ、今頃連れ戻されて馬車馬のように働かされているか見せしめで処刑されているかのいずれかでしょう。それもなく、ここに来るまでにも私の攻撃をことごとく躱し。まったく、生半可な運ではありません。

「ごちそうさまでした」

 あの奴隷と侍が作った食事を食べるという屈辱にも甘んじ、私は続く戦略を練ります。ですが、全く収穫がなかったかといえば、そういうわけでもなく。今度はそちら側から攻めましょう。

「セナさん、ちょっといいかしら」
「なに?」

 食器を洗っているトウヤさんを見てから、食休み中のセナに声をかけます。振り返ってきたその顔からは、特に警戒は感じません。

 おかしい。他人に見られたかどうかはともかく、直接私に突き落とされたのは知っているはずなのに。何の警戒も見せないのは、逆に不自然で不気味です。

「少し、二人だけで話したいことがあるんだけど」
「……ふぅん?」

 と、その顔から、表情が消えます。トウヤさんも食器を洗っている手を止めて、さらには瞑想中だったゴーズさんまでもが、こちらを見ている気がします。

 奴隷の顔に、笑みの表情が戻りました。もっとも、それは友好的なものではなく、挑戦的といえる笑み。……いい度胸だ。

「なるほどね。そろそろ来るとは思ったけど、正面から話をしたいんでしょ?」
「ええ。場所を変えていただけます?」
「いいよ。外でいいよね?」

 何か言いかけたトウヤさんに、一回だけ頷いて。奴隷は、あっさりとついてくる。

 ……はっきり言って、気味が悪い。

 扉を開けて、外に出て。移動しようとした先で、セナはストップをかけてきた。

「ここでいいでしょ。わざわざ、暗いところになんか行かなくても」
「いいえ。あまり、人には聞かれたくない話だからね」
「だからといって、明かりが届かない所は、魔物が出る可能性だって上がるんだよ。話をするにも、落ち着かないじゃん」
「魔物ね。仮に出たって、二人いれば、どうとでもなりますよ」
「そんな考えは危険だって、トウヤもゴーズさんも言ってるよ。大体魔物が出たとしたって、ミミィさん、協力する気なんかないくせに」
「…………」
「それに、さ――」

 トウヤさんの前では絶対見せることはないだろう、皮肉気な笑み。唇の端を釣り上げて、挑発的に奴隷は笑う。

「また突き落とされても、たまんないじゃん」

 やっぱり、気付いていたか。無駄だとは知りつつ、はぐらかしてみる。

「あれは、事故よ。突き落としたくて突き落としたわけじゃないわ」
「敬語が消えてるね、ミミィさん。奴隷なんか、気に食わないんでしょ? とっととその剥がれかけた仮面、取っちゃいなよ」

 そのために、呼んだんでしょ? そう告げる奴隷からは、貴族相手だというのに一歩も引いた感情を見せない。内心で軽く舌を打って、私は余計な飾りを捨てることにしました。

「……そうね。その割には、よくついてきたじゃない。殺される可能性は考えなかったの?」
「殺されるつもりなんかないからね。それに、さっさと納得して退いてもらいたいんだよ、こっちとしてはさ。丸一日中、殺気をぶつけられちゃたまらない」
「失礼ね。この前で失敗したから、諦めたわよ」

 この奴隷が、そこまで殺気を読み取る能力なんかあるわけがない。ハッタリと判断して、流しにかかる。

「そう? まあ、ボクには分からないからいいや」
「虚偽で相手を陥れようとするのはよくないわね」
「突き落とした奴が何言うのさ。それに……殺気でボクはごまかせても、ゴーズさんは誤魔化せないよ」
「…………ッ」

 そういえば、あの侍はその手の能力がかなり高い。この奴隷、あの侍まで味方につけていたんだったか。

「……それで? ボクを殺したい理由は何さ?」

 殺したい理由、か。分かっているくせに、よく言うわ。

「簡単よ。トウヤさんから、離れてくれない?」
「なんで? 別にミミィさん、トウヤのこと、好きじゃないんだよね?」
「分からない? 平民と奴隷が、一緒になるわけには行かないのよ」
「知ってるよ」

 あっさりといえば、あっさりと。この奴隷は、頷いた。

「でも、トウヤはいいって言ってくれた」
「貴方はね。でも、ゴーズさんは? それに、トウヤさんのご家族には、どう説明するつもり? あの人も、奴隷と付き合ったばっかりに、路頭に迷うかもしれないのよ?」
「路頭に迷う? 行き場を失うってこと?」
「あら、学のない奴隷ごときには難しい言葉だったかもね。そういうことよ」

 くすっ、と、一回笑ってやる。だが、奴隷は怯む様子もなく、その余裕も崩さない。

「トウヤはね、そういうのは気にしない人なんだよ」
「仮にそうだったとしても、ご家族や故郷の方はそうは思わないでしょう? 貴方、責任取れるわけ?」
「ああ、そうか。ミミィは知らないんだっけ。気にしないって言うよりは、そんなの関係ないんだよ。トウヤにとっては、家族も故郷も、全然ね」
「…………?」

 意味が分からない。あの侍は天涯孤独だと聞いたけど、トウヤさんもそういうことなのだろうか。聞き返すと、セナは嘲るような笑みを浮かべる。

「さあ。本人に聞いてみたら? 意外とあっさり教えてくれるかもよ?」

 くす、と。返してくるのは、余裕の笑み。

 こんの、アマァ……!

「じゃあ、直接本人に聞いてみるわ。あと、さっさと貴方を振るようにも伝えておくわよ」
「出来るの? 確かに、ボクじゃ不釣合いだと思うけど、人から言われたぐらいじゃ、トウヤは動かないよ」
「そうかしら? なら、どうして彼は、今日私と一緒に山菜を摘みに行ったんだと思う? 仮にも、恋人の貴方をほったらかして」
「――なんだって?」

 ……奴隷の表情が、動いた。

「面倒なことになったって、トウヤさんは愚痴ってたわよ。もう一度言うけど、恋人の――ええ、仮にも恋人の貴方をほったらかして、他の女と二人きり。これって、立派な浮気行為じゃないかしら?」
「……それは……」
「貴方、奴隷という身分を売って近付きでもしたんじゃない? となると、彼が覚えているのは、同情ね」
「……黙れ」
「彼の優しさに付け込んで。あの人を苦しめて、いい迷惑だと思わない?」
「黙れ……!」

 崩れ去った余裕は、もう戻らない。どう解釈しようとも、トウヤさんはセナではなく、この私と二人きりで行動した。それに、この奴隷が食べたのは、トウヤさんと、この私が摘んできたもの。料理したのはこの奴隷だけど、言い方はどうとでも変えられる。

「どうせ恋人になったのだって、貴方から告白したんでしょう?」
「黙れ、っつってんだろうがぁっ!!」

 宵闇を切り裂く、あまりにも淑女らしからぬ声。こんな場所で大声を上げるとは、なんと、はしたない。

「今更、余計なことしてこの場をかき回さないでよ! お前だって本当は、トウヤのこと好きだったんだろ!? だってのに、告白されたのに振ったんだろ!? だったら、もう黙っててよっ!!」
「ッ!?」

 バレていた!? はしたない大声も上げるくせに、作法も何もなってないくせに、それでも女だということはあるっていうのか。

「はっ、笑わせないでくださいよ。私は彼の幸せを願って、身分差から身を引いただけ。貴方と一緒にしないでちょうだい、自分勝手な奴隷さん」
「――――っ!!」

 耳を押さえて、悲鳴を上げる。

 ふふ、一丁上がり。

 ちょっとばかり対策したって、所詮は奴隷。

 震える奴隷の横をすり抜け、私は山小屋へと帰ります。

 ……さて。

 予想以上の戦果も上がったことですし、ついでにトウヤさんを取り返しに行きますか。

 

 

 

 

 
 
 
 
 
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