第四十一幕

勝負の感慨


「感謝なさい。商売の邪魔にならない程度には、手加減してあげるから」
「…………」

世界樹の迷宮地下十八階・モリビトの里――その郊外、カレンを除く「紆余曲折」の訓練場で、二人の人間が睨みあっていた。

一人は目の覚めるような金髪に、大海を思わせるような青い瞳をした中年の女性。もう一人は淡い紫のかかった銀髪に、燃え上がるような紅の隻眼を持つ少女。およそ近接戦には向かない距離で睨みあっている理由は、彼女たちの腕に嵌められているものを見ればお分かりだろう。

腕に嵌めた篭手を媒介とし、炎や氷、雷といった万物を自在に操る錬金術師――アルケミスト。それが、彼女たちの生業だった。

睨み合う二人の均衡は、女性のほうが崩した。おもむろに口火を切り、女性は少女に言葉をぶつける。

「それとも、完全に押し流してしまうのもいいかもしれないわね。びしょ濡れになって木に叩きつけられた無様な姿を見れば、さすがに他の人も幻滅するでしょうしね」
「過保護なおばさんは口が回るね。あんた絶対ヒステリー起こしたらおんなじことぐちぐち言ってるタイプでしょ?」
「……言いましたわね」

少女の反撃に、女性はぴくりと口元を引きつらせた。地獄の底から響くような声で低く唸る。

「言いましたわね、奴隷ごときが! そこまでナメた口を叩いたのなら、覚悟は出来ているのでしょうね!!」
「親の七光りで立場受け継いだだけの貴族が言うじゃんかよ!」

そう、二人の立場は、まさに天と地ほどの差があった。

女性――ローラ・セガールは、三女とはいえ貴族の家系だ。対する少女、ヒオリ・ロードライトは、生まれたときから虐げられてきた奴隷の娘。身分を越えた応酬は、お互いの神経をクリティカルに逆撫でした。

ちなみに、ではどうしてヒオリがここまで貴族に歯向かえるのかというと、己を縛る鋼の鎖を打ち砕いたからである。活路を見出し、奴隷の生活から脱走し、一人の少年と出会い、共闘し、彼女は激戦の末に奴隷身分から脱出していた。だが、奴隷時代に捺された刻印は、未だに多くの人に「ヒオリは奴隷だ」という考えを抱かせる存在となっている。眼帯で隠してはいるものの、ローラもどうやらその口らしい。

――まあ、貴族生まれの貴族育ちとなれば、そうなるなと言う方が無理なのかもしれないが。


「…………」
「…………」

怒りが臨界点を越えてしまうと、人は感情を面に出さなくなるのかもしれない。能面のような無表情で、ヒオリもローラも、互いだけを静かに見つめる。

空気が音もなく張り詰め、両者はゆっくりと篭手を向ける。銀とステンレスのその篭手に、言葉もなく魔力を流し、両者は最初の術式を解き放――


「――お?」
「え?」

――つ直前、新たな来訪者が現れた。

 

 

 

「ベルド……?」
「サクラ? それにクランベリーまで……どうしたのよ、一体?」

戦闘が始まる半瞬前、来訪者達はやってきた。その姿を見て、ヒオリとローラは同時に呟く。

「どうしたって、そりゃこっちのセリフだ。なんで『異国の月』のローラおばさまがわざわざこんなところにいらっしゃるんで?」
「ベルド……サクラとクランベリー連れてきて言われても、説得力ない」
「お、そうか? あ、そりゃそうだな」

へらへら笑って軽薄な口を叩くベルドに、ヒオリがこめかみを押さえて突っ込みを入れた。対するベルドはハッハッハと意味無く豪快に笑い飛ばす。そんなベルドをヒオリごと無視し、ローラは二人――言うまでも無くサクラとクランベリーだ――に声をかけた。

「どうしたのよ、こんなところで?」
「ああ、ちょっとベルドの実力を試したくてね。そこにいる奴隷に惚れたって言うし、そのために命を賭けてまで戦ったことがあるみたいだから、その信念を見てみたくなったのよ」
「信念? そんなのあるわけないでしょ。男なんてみんな変態なんだから、どうせこの奴隷が媚でも売ったに決まってるわ」
「……ああ?」

その女尊男卑的思考に、ベルドの眉がぴくりと動く。

「でけえ口叩くじゃねえか。そーいやスチュワート家ってのは、何故かやたらと女ばっか生まれる家だったな。おかげでそういう思考まで生まれたわけか。へーえ」

つっ、と口元に笑みを浮かべ、ベルドは楽しそうに笑ってみせる。

この男、実は自分を攻撃してきたり見下してきたりする相手が好きなのである。そしてさらにたちの悪いことに、そいつを叩きのめして屈辱と苦悶に歪む顔を見るのも大好きなのだ。

と――


「……なら、俺はどうなる?」
「え?」

突如として響いた声に、ローラは視線を百八十度回転させた。その先には、どこかで鉢合わせでもしたのだろうか、沢山の人間が立っていた。

キョウスケ、レンム、カレン、ゲリュオ、ツァーリ――つまるところ、『異国の月』と『紆余曲折』の面々が大集合していたわけである。

その光景にはさすがに驚いたのか、ローラだけでなく全員の動きが止まる。だが、苦笑いをするキョウスケを見て、いち早く元に戻ったローラが口火を切った。

「あなたは別よ。言い寄ってくる男なら掃いて捨てるほどいたけど、その私が認めた男なんだから」
「……そうか」
「……けっ」

頷いたのはキョウスケ、吐き捨てたのはベルドだ。甘い言葉がどうのというより、おばさんのノロケ話というのに嫌気が差したらしい。

「まあ、いい。今度はこっちが聞く番だ――何があった、お前ら?」
「ああ、そうだ。ちょうど良かったわ」

気を取り直して聞き直したベルドに、ローラがぽんと手を叩く。

そして――


「――ねえ、この奴隷の持ち主って、貴方?」


――ベルドの眉が、跳ね上がった。

 

「……ああ」

何があったのかを大体察し、ベルドは唸るように答えた。だがそれが通じているのかいないのか、ローラはベルドに続けていく。

「そう。なら話は早いわ。この奴隷、いくらでなら売ってくれる?」
「……ああ?」

もう不機嫌を隠そうともしない口調で、ベルドはローラに聞き返した。『紆余曲折』の頼もしい仲間で、さらに自分の恋人である大事な少女を、売るつもりなんて毛頭ない。そもそも、彼女はもう平民なのだ。奴隷の押印は残ってしまったが、それでも元の持ち主の太鼓判つきの平民である。だから、売るなんて話は問題外だ。

「……悪いけど、ヒオリは売りもんじゃねえぞ。そもそも俺に売る権利はねえ、かなぐり捨てた。あったとしたって、誰にも売るつもりなんかねえ」

そのことを告げるベルドに、ローラは哀れむような目を向けた。

「そう……相当、この奴隷に骨抜きにされたようね」
「そんなのボクはやってない!」
「ああ、やられてなんかねえな。こいつの裸自体、数えるほどしか見たことねーぜ」
「数えるほどはあるんじゃねーか」

金切り声で叫ぶヒオリの隣でさりげなく不穏当な発言をするベルドに、ゲリュオが思わず突っ込んだ。それを見て、ローラが大きなため息をつく。

「『紆余曲折』って、もしかしてロリコンの変態の集まりなの?」
「なわけねーだろ」
「せやな。確かにエルビウム卿の初恋の女性も年上――」
「うわああ黙れ思い出させるなあぁぁ!!」

暴走した後に聞き出されてしまった過去の傷を思い出し、ベルドは叫ぶ。確かに年上だった。確かに年上だったのだが――

「いやはや、ピュアな恋やの」
「ぎゃああああああーーーーーーーーーーーーーー!!」

もんどり打って絶叫を上げるベルドに、同じ男だから分かるのかキョウスケが同情の目を向ける。相当でかいダメージを受けたのか、地面にうつぶせになったままぴくりとも動かない。しばらくの間、いたたまれなくなるような沈黙が辺りに満ち、ベルドは涙を呑んで立ち上がった。


「……ええい、過ぎたことは忘れよう。とにかく――」
「そして、俺は気づいたんだ。これは、恋なのだと――」
「死ねっ!」

バキッ

「おごっ!」

前線ソードマン手加減抜きの拳がカースメーカーの顔面に炸裂し、ツァーリの顎が見事にブレる。その目から星が飛んだような気もするが、見るのが怖いのでそこは無視。


「――とにかく、何があったのかは大体分かった」

ツァーリを殴り飛ばし――その目が再びヒオリとローラを捉えた時には、先ほどまでの冗談ムードはもはや欠片も残っていない。空気が完全に真面目なものへと切り替わり、ツァーリが後ろで立ち上がる横でベルドはヒオリに静かに告げる。

「――遠慮はいらねえ。存分にやれ、ヒオリ」
「え、あ――」
「待たせたな、サクラ。――さあ、始めようか!」
「分かったわ。言っておくけど、手加減なんてしないからね」
「どうぞ、ご自由に」

ベルドは笑って、剣を構える。その横で、ヒオリとローラも篭手を向けあい、戦闘態勢へと入った。


――と。

「ゲリュオ君」
「なんだ?」

その横で、キョウスケがゲリュオに声をかける。

「こんな空気になってしまったわけだが――実は、君と初めて話したときから、君の実力が気になっていた。折角の機会だ、模擬戦を頼めるか?」
「……どうぞ、構いません。――おい、カレン」
「……なんですか?」
「お前もキョウスケとセットで来い」

どうせ一回くらいは家族と一緒に戦ってみたいんだろうが。そう言うゲリュオに、カレンは一瞬きょとんとした目を向ける。だがそれも一瞬の下、カレンは大きく跳躍してキョウスケの隣に着地した。

ゲリュオさんってたまに優しいですよね。そんなことを言うカレンに、ゲリュオは冷たく笑う。どうやら、何も分かっていないらしい。

たまには家族と戦ってみたいだろうという心情を汲み取った? 家族との関係を考慮した? そんなわけがないだろう。

――単に、気に食わない奴を叩き潰す布石を打っただけだ。

 

 

 

「……はぁっ!」
「――っ!」

裂帛の気合と同時、真っ先に仕掛けたのはサクラだった。カッツバルゲルを水平に構え、踏み込みながらの一撃を放つ。対するベルドは半身をずらして躱し、すれ違いざまサクラに一撃を加える。さすがにサクラもまともに食らうことは無かったが、若干体勢を崩し気味になった。体勢を立て直したサクラは再びベルドに剣を向けるが、ベルドはサクラのほうなど見てはいない。

「――おい、クランベリー」
「……なに?」

まさか自分が話しかけられるとは思わなかったのか、クランベリーは呆気に取られたような顔で問い返す。対するベルドは、クランベリーに突きつけていた剣をサクラのほうへ水平に移動させ、その言葉を告げた。

「お前もまとめてかかって来い。こいつ一人じゃ、正直つまらん」
「なっ――」

その言葉を聞いて、クランベリーは一瞬で激昂した。だがそれを押しとどめ、不敵に笑う。

「――いい度胸じゃない。後悔するなよ、落ち零れ!!」
「へっ!」

そして、同時――ヒオリがレンムにも勝負を挑み、『紆余曲折』と『異国の月』、ギルド同士の総力戦が幕を開けた。

 

 

 

翌日。

「――なに? そろそろ訓練を終える?」
「ええ」

カレンを除く「紆余曲折」の一行は、アルカナの屋敷を訪れていた。いつも通り茶を飲んでいたアルカナに、こいついつ仕事してんだとベルドが軽く首をかしげる。

修行を止めることは今まで特に考えてはいなかったが、言われてみればツァーリの言うとおりだった。浅緑剣も夜影刀も手に入れ、新たな力にも目覚め、何よりも異国の月を圧倒的大差で叩き潰した今、もうここで得るようなこともあまりない。

――って

「やられたシーンすら省略!?」
「あん?」

単身サクラ(と後から参戦してきたクランベリー)をぶちのめしたベルドが、ヒオリの突っ込みにわざとらしい台詞を返した。確かに、「異国の月」ごときにてこずっているようでは、はっきり言って先に進んでもヴィズルにはおろかウルスにさえも勝てないだろうが……

「いくらなんでも、扱いひどくない?」
「別に構わん」
「いいのかなぁ……」

ベルドに続いてゲリュオにまでも斬られてしまい、ヒオリは引きつった笑みを浮かべる。ちなみにカレンがここにいないのは、当然ゲリュオにぶちのめされてしまったからだ。

まあ、それはともかく――

「そういうわけですので、明日にでも下層に向かいたいと思いますが」
「まあ、待て」

意気込んだベルドを、アルカナは片手を出して静止した。

「確かに、君らの修行は終わったかもしれん。だが、それが確固たるものなのか、我々としても試してみたい」
「はあ。まあ、かまいませんけど」

アルカナの言うことも最もだ。今の彼らは、彼ら自身にそこまでの自覚はないのだが、アルカナやウルスにとっては希望の星だ。そう簡単に死なれても困るし、アルカナ自身、上がった実力を見てみたいというのもあるだろう。

そんなことを考える彼らの前で、アルカナは静かに、それを告げた。

「故に、君らには――」


「――我々の出す、最後の試練を受けてもらおう」

 

 

 

 

 

 

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