第三十八幕

戦士再誕


「冗談だろ……?」

ゲリュオは半ば呆然としてぼやいた。必殺を期して繰り出した一撃、それも直撃したはずなのに、全くダメージが入っていないのだ。

「どうした? 効かぬのが疑問か?」
「…………」

人間の声に対し、ゲリュオは無言。会話を行ってしまえば、迂闊な情報を与えてしまう恐れがあるからだ。まさかそんな間抜けな間違いをすることも無いとは思うが、念には念を入れておくに越したことは無い。その間に、敵は上段から刀を振り下ろした。

斬馬。振り下ろして放つ一撃を、ゲリュオは難なく回避する。


だが。


「――――!?」

貫突。空間を分断して、青白く光る銀色の刃がゲリュオめがけて襲い掛かる。とっさに身を捻って躱すも完全には躱しきれず、左腕に浅い傷が入った。

「ちっ――」

ゲリュオは小さく舌打ちする。戦いが長引いてしまうなら、少しの傷でも出血は命取りだ。腕についた血を反対側の篭手で荒々しく拭い、ゲリュオは再び刀を構える。

「ふっ!」

踏み込みから放たれる袈裟斬り。相手の人間はそれを己の刀で受け止めると、ゼロ距離から何かの塊を飛ばしてくる。だがそれより早く、ゲリュオの卸し焔が炸裂した。

「ぐっ!」
「ぐおぉっ!」

両者の呻き声が地下広場で二重奏を響かせ、ゲリュオは転倒し、相手の人間はそうではなかった。だが、だからといってゲリュオのほうが戦闘能力に劣るというのは少々早計であろう。転がった勢いを殺さずに逆利用して立ち上がり、飛んで来た何かの塊を最低限の頭の動きだけで回避する。そうしながら、ゲリュオは相手の様子を観察していた。

体の一部が焦げたのか、肩口から細い煙を出して構える相手の姿。その姿を見て、ゲリュオは答えを閃いた。

何故ツバメ返しが通らなかったのか。なぜ卸し焔が通ったのか。両者の違いを考えてみれば、答えは一目瞭然である。

卸し焔とは、己の体内エネルギー、すなわち「気」を発火させた炎を纏わせて斬り裂く魔力攻撃だ。つまり、ツバメ返しには「気」が込められておらず、卸し焔はそうではない。であるなら、あれにダメージを通すにはどうすればいいか。踏み袈裟だろうとツバメ返しだろうと、「気」を纏わせて叩き込めばいいのである。

無論、だからといってそう簡単に勝たせてくれるような相手でもない。相手は本来上段技である斬馬と青眼技である貫突を、構えの交代時間すら無しに放ってみせた。それはすなわち、その流れるような動作が既に当たり前のものであり、切り替えなどといった無駄な時間など使う必要すらないということだ。

両者の距離は七メートル。しかも、相手はあのわけの分からない弾丸による遠距離攻撃もお手の物というおまけつき。こっちからも遠距離攻撃は仕掛けられないでもないのだが、牽制に放った炎の矢は謎の盾で防がれていた。さらなる「気」を込めれば威力を上げることも出来なくは無いのだが、それだったらいっそのこと近接戦で決めてしまったほうが効率的である。


故に――


ゲリュオは意識を集中する。敵の攻撃の軌道を、タイミングを、コンビネーションの組み立てを、一つ残らず把握して、反撃の隙を見つけ出すために。

七メートルの距離。自分の攻撃は届かず、相手の攻撃だけは届くというおまけつき。だからそれがなんなのだ。先ほどまでの戦局が勝機ゼロであるならば、今は極めて少ない数値――ゼロがゼロでなくなったならば、選ぶべき道は決まっている。対処方法が見つかったのならば、後は攻撃をかいくぐって自分の刀を届かせるのみ!

「っ!」

無音の気合と共に、ゲリュオは力強く地面を蹴る。同時に相手の刀が襲い掛かってくるが、かろうじて突進の勢いを殺さずに受け流すことに成功した。

「ほう、来るか!」
「当たり前だ!」

相手の声に答えながら飛来してきた弾丸を跳ね返し、ゲリュオはさらに一歩を詰める。着地を決めたその位置は、相手の正面およそ二メートル――


――完全に、八葉七福の殺傷圏内!


「はあぁぁっ!!」

卸し焔。ゲリュオの刀が、燃え盛る気炎を宿して襲い掛かる。対する人間は、刀で受け止めることはせずに、一旦飛び退いて距離をとった。

「まだまだぁっ!」

ゲリュオは即座に追撃をかける。片手で八葉七福を振りかぶりながら、もう片方の手は「気」を鋭く練り上げる。セルティスに止めを刺した、鋭く渦巻く炎の槍――

――火炎、螺旋槍。

ゲリュオは左腕を横薙ぎに振るう。射出された火炎の槍は、その内に巨大な熱量を秘めて、相手めがけて襲いかかる。爆音と閃光を響かせながら、槍が何かに激突した。

それは、最初にゲリュオの炎の矢を無効化した、謎の弾丸と同じ物質で作り出された巨大な盾。弱い術ならば完全に無効化するが、さすがにあの威力を持った槍を一発で無効化することは出来ないようだ。数秒の間もつれ合った後、勝ったのは盾のほうだった。

だが。

「卸し焔ぁ!」

二発目の卸し焔。炎と盾のもつれ合いの内、ゲリュオは完全に距離を詰めていた。「気」を糧として燃え上がる紅蓮の炎は、先の螺旋槍で打撃を受けた盾を両断するには十分だ。刹那の抵抗も無くその盾を両断し、断面の間をすり抜けるように距離を詰める。このとき、ゲリュオは既に刺突体勢。


――貫突。居合いの構えから繰り出される強力な刺突技は、全ての防御を打ち破られた相手に対処できるものではない。白刃が閃光を放って突き刺さり――点火。


爆発。その音を最後にして、拍子抜けするほどあっさりと、夜影刀の守護者は焼滅した。

 

 

「…………」

その消え方があまりにもあっさりしすぎていたせいか、ゲリュオはしばらくの間戦闘態勢を解かなかった。だが十秒が過ぎ、一分が過ぎると、ゲリュオは徐々に戦闘態勢を解除していく。

それでも警戒は怠らない。気を抜いた瞬間に襲ってくる可能性も無いわけではないと踏んでいたからだ。

「…………?」

と、辺りを見渡していたゲリュオの目に、何かが入ってきた。あの人間が立っていた場所に、何かが落ちている。暗闇に埋もれそうにはなっているものの、それでも先ほどまでは無かったものだ。

「……黒装束……?」

ゲリュオは歩み寄って、それを持ち上げる。それはゲリュオの言う通り、黒装束であった。頭巾は無いが、それでも闇に溶け込むこの色合いはまず間違いなく黒装束だ。しかし、なんでこんなところにこんなものが落ちてるんだ? そんなことを考えて首を捻った時。

「…………!!」

今更ながらに、それに気付いた。それは、ただの黒装束なんかではない。強力な魔術防御が施されているのであろう、伝わっている「気」の波動は、和国においてほぼ最強の侍であるはずのゲリュオでさえもたじろぐほどだった。

ゲリュオは黒装束を地面に置き、掌で丹念に撫で回す。その行為が進めば進むほど、ゲリュオの顔は苦くなっていった。

「ううむ……」

思わずそんな唸りも漏れる。彼の知る限り、能う限りの呪的防御が施されている。それだけではなく、今まで見たこともないような呪式も織り込まれていた。

ざっと調べた限り――材料は気を通しやすい最高級の絹。それも恐らく、糸を紡ぐ時点から気を込め続けたのであろう、途轍もなく強大な力を感じさせる。古代の人間が手間暇を惜しみなく注ぎ込んだ、それはその産物だろう。芸術品とも言えるほどの美しく強大な防具だった。

ちなみに全くどうでもいいが、売ればとてつもなく高価な代物になることも一瞬で分かる。これ一着で別邸が買える――どころではない。別邸どころか豪邸が建つ。

「…………」

ゲリュオは内心頭を抱えた。ベルドたちと随分長い間行動していたせいで、どうも余計なことを考えてしまうようになってしまった。朱に交われば赤くなる――そんな言葉を、ゲリュオは今まさに身をもって体験していた。

「まあ、いい」

ゲリュオは一つ呟き、黒装束を放置して歩き出す。得体の知れないものに袖を通す気はないし、そうでなくても服を着替ている間は隙が出来る。先ほどの謎の人間がまだ隠れている可能性が高い以上、無謀な真似は出来なかった。

広場を潜り抜け、通路を進む。突き当りの角を曲がり、その先にあったさらに大きな広場へ――

「――うおっ!?」

――弾き飛ばされた。とっさに足を踏ん張り、多少バランスを崩したもののすぐに体勢を立て直す。目を凝らすと、その先には蒼く輝く刀が見える。この地下通路に入る前に感じた気配がますます大きくなってきていることと、先の人間の言動を併せて考えると、恐らくあれが夜影刀だ。

とはいえ、これではあの刀に近づけない。あれだけ強い斥力が働いていては、三歩と進まないうちに踏ん張りきれなくなるだろう。となると、どうにかする方法は――

「あったな……」

幸か不幸かその方法を考えついてしまい、ゲリュオは力なく呟いた。考えるだけで気が滅入る話だったが、それ以外の方法も思いつかない。夜影刀を諦めるなんて選択肢はもってのほかだ。

夜影刀の守護者に行ったのと同じ原理で、ゲリュオは体中に「気」を纏わせる。その「気」を調整し、外向きに働く力を作る。同じものを作って相殺する――最も力を使うものの、同時に最も確実な方法を用い、ゲリュオは夜影刀を目指して歩き出した。

 

 

「くっ……」

夜影刀の柄を握り、ゲリュオは呻いた。当たり前だが、発生源に近づけば近づくほど襲い来る斥力は強くなる。今やゲリュオは、斥力を防ぐための「気」のバリアに、ほとんど全力を振り絞っていた。

それでもなお、残り少ない力を「気」に変えて、握る夜影刀に注ぎ込む。それを己の一部と成し、ウルスを倒し、どこまでも強く在り続けるために。

「っく、は……」

夜影刀から放たれる斥力が衰える様子は無い。あの守護者から放たれた言葉を思い出し、ゲリュオの顔は苦さを増した。


――ある人が握ると、まるでその人を認めたかのように斥力の放出が止まることがある。


その人間の言葉が正しいなら、夜影刀は未だにゲリュオを認めていない。もっと強い「気」を示さなくては駄目か――? そう思うも、これ以上「気」を注ぎ込んでしまえば、斥力からの防御に回す分が足りなくなる。

だが。

「…………!!」

ゲリュオは迷い無く、「気」を注ぎ込んだ。即座に溢れ出る斥力が全身を打ちつけ、握る柄からゲリュオを引き剥がそうと迫ってくる。足元をすくわれ、既にゲリュオと夜影刀を結びつけるものは柄を握った右手一本。再び「気」を纏わせ、この斥力から防御して体勢を立て直さなければ、手を離した瞬間に軽く十メートル以上の弾道飛行を堪能させられ、ほぼ確実にゲリュオは死ぬ。

しかも、こうしたとしても、夜影刀が認めてくれる保証は無い。数分後には、右腕を引きちぎられた自分の死骸が転がっているだけかもしれない。それでもなお、ゲリュオは一歩も退こうとはしなかった。ここで夜影刀に認められなければ、自分は先には進めない。

「っぎ、く……」

無茶をかけられた腕が苦痛に叫ぶ。骨と肉が悲鳴を上げ、それでもゲリュオはあらん限りの力を込めて柄を握る。その時、ゲリュオは再び力を望んだ。それまでの、人生のどの瞬間よりも切実に。

「俺は……俺は……っ……」

強くなりたい。

「何よりも、そして誰よりも――」

強くなりたい。


だから――


「――力を貸してくれ、夜影刀ォ――――――ッ!!」

 

 

幾千年の昔から、「彼」はそこに在り続けていた。

己に挑む人間は、いつの時代も多かった。

その理由は、大小さまざま。

ただ自分を売り物にし、大金を儲けたい盗賊から、復讐のため、その手に力を求めた者。時には、世界征服という分不相応な夢まで持っていた者もいた。

今挑みに来た者も、またその類だった。最強、という抽象的な夢のため、己の力を求める者――それが、今回の挑戦者だった。

馬鹿げている、と「彼」は意識の中でそう思った。多少己の「力」を発揮させてやれば、すぐにそんな馬鹿げた夢が無謀であることに気付き、逃げ出していくだろうと、そう思っていた。


――だが、男は諦めなかった。はっきりとした意思さえない自分にも、それはこの上なく明瞭に伝わってきた。

柄を握る男の顔は、今や紙のように白くなっている。自分に注ぎ込まれてくる「気」の量は恐ろしく膨大で、このままではすぐに力尽きてしまうだろう。だが、それでもなお、男は柄を手放そうとしなかった。誰かに操られてでもいない限り、普通は限界を感じた時点で手を引くだろう。それを圧して敢行しても、「気」が尽きた所で意識を失い、手を離す。

だが、男はそのどちらにも当てはまることはなさそうだった。その目は「気」をほぼ完全に失った今でも決して光を失わず、男の手に込められた力も弱まらない。

この分では、この男の「気」などはすぐに尽きる。それでもなお無理矢理に力を振り絞ろうとするのなら、次に消費されるものは生命力――そして、命そのものだ。

壮絶な決意に、「彼」は少なからぬ驚きを覚えた。込められ流し込まれてくる「気」は、文字通りに男の生命を糧にして燃え上がっているのだ。このままでは、男はこの若さで老衰死しかねない。

(ほう……)

たゆたう意識の中で、「彼」は驚嘆した。そして再び、その目を見る。

瞳に宿る輝きを見て、答えは決まった。全く同時に、男が叫ぶ。


「――力を貸してくれ、夜影刀ォ――――――ッ!!」

(…………いいだろう)


決して光を失わない、黒く輝くその瞳。「夢」という名の賭博に挑み――

――己の命すらもチップに出来る、その瞳!


(この力……貴様の夢に、使ってみろ!)


そして――数千年の時を経て、「彼」は己を振るうに値する人間を、認めた。

 

 

「壁を建てよ! 西ベルリンへの流通を全て封じるのだ!」
「うぅぅわあああぁぁぁぁぁーーーーーーーーーっ!!」

世界樹の迷宮地下十八階、モリビトの里――その修行場で、ツァーリの封の呪言・下肢とヒオリの精神抵抗が激突する。実際に相手に魔術をぶつけ、またぶつけられ、ひたすら実戦を繰り返して修行を行っていた。いささか乱暴かつ向こう見ずな方法ではあるし、自分の実力に絶対の自身が無ければ出来ない話でもあるが、彼らの実力からすれば、それが分不相応な自信ではないことはよく分かった。両者の実力が元から相当高レベルだと、基礎の基礎を教わるよりこうしたほうが手っ取り早い。さらに、攻撃側と防御側の能力バランスも、現在の状況はほとんどベストの状態だといっても過言ではなかった。


攻撃側のレベルが高ければ、どういう方法で打ち込んだって魔術は効果を発揮してしまう。かといって防御側のレベルが高すぎても、いわゆる「一部だけ効果を表す」ことがなくなってしまい、コツが掴みにくくなってしまう。つまり、「防御側のレベルが攻撃側のレベルよりも若干高い」というのが一番ベストな組み合わせなのだ。

そして彼らは、うまい具合にこの状況下に当てはまっていた。元はツァーリのほうが強かったのだが、あの槍使いの少女から行われた修行を機に、両者の力関係は逆転していた。とはいえ、まだまだ圧倒的な差などは生じてはいないし、それを許すほどツァーリの実力も低くは無い。

故に両者の力関係は、現在ちょうどこういう修行を行うには最適なバランスを保っており、そうであるならこういった修行を行わないほうが愚策である。


というわけで――


「ふう……今回はボクの勝ちみたいだね」
「ううむ、先ほどは随分効果を表したんやが……どこがまずいんやろうな?」

両者の精神力と意志力が超絶的な次元でぶつかり合い、今回はヒオリ側が勝った。額についた汗を軽く拭い、えへへと可愛らしく笑ってみせる。対するツァーリは顎に手を当てて唸り、前回と今回の術式の差に思いを馳せた。

「やはり、最初の念を込める段階かの?」
「うーん、かもしれないね。さっきは最初にガーンと来たから随分抵抗は難しかったけど、今回はそうでもなかったからね。やっぱり魔術は『分かっちゃう』と抵抗がしやすいんじゃないかな?」
「む、かもしれんの。確かにわしにもそういった覚えがある。となると、最初から全力を振り絞ったほうがええんかいの?」
「そうだろうね。でも、下手をすると全部魔力使っちゃうでしょ? その辺は調整しないとまずいだろうね」
「せやな……とりあえず、もう一発かましてみていいか?」
「うん、望む所だよ」

会話と考察を終えた両者は、再び意志を練り上げた。

 

 

「ぬーーーーっ、くくっ!!」

一方その頃、ベルドは大地に突き刺さった剣を引き抜こうと苦闘していた。修行初日、通過儀礼としてアルカナに挑まされた、浅緑剣グランス・リヴァイバーである。七大器の一つとしての誉れ高い宝剣は、剣士としてそう簡単に諦められる代物ではなかった。

「くっそ、駄目か! どうすりゃいいんだ、これ!?」

ゼイゼイと荒い息を吐きながら、ベルドは剣の傍に座り込む。隣に刺さっている宝剣を見やり――ふと、アルカナから話された伝説を思い出す。

かつてこの地を訪れた英雄が振るっていたと伝えられる、伝説の宝剣。まるで剣士の墓標のように突き刺さり、引き抜いた者は次代の英雄であるとも噂される、緑色の刃を持った至高の剣――。

「要するに、俺は英雄にはなれないってことだろうな……」

分かりきっていた事実を再び実感し、ベルドは小さく苦笑する。


英雄。それは男なら、誰もが一度は抱く夢。それでも、本当になれる者は所詮たったの一握り。自分がなれる可能性は果てしなく低く、それをいつまでも信じ続けていられるほど世の中は甘くは出来ていない。

ベルドも、自分が英雄などといった大それたものになれるなど、いつまでも信じてはいなかった。もしもなれたとしたのなら、例えばリーシュ戦一つを取ってみても、あんな姑息で卑怯なだまし討ちに近い戦法など使わなくても勝てただろう。ヒオリにだってあそこまで恐怖を抱かせることはなかったはずだ。

ため息をついて、ベルドは笑う。

「あーくそっ、今日のところは諦めるか。まだ修行も残ってるし、そろそろあいつらのところに戻ってやんなきゃいけねーしな」

いつもよりは若干覇気に欠けた声で、ベルドはその場を立ち去った。

 

 

「おーう、調子はどうだ――ってうわ、見事に縛られてんな」
「あ、ベルド……」

戻ってきたベルドを待っていたものは、頭・腕・脚と見事なまでの三点縛りをかっ食らい、大地に倒れているヒオリの姿だった。ヒオリは顔を上げると、ベルドに弱々しく微笑んでみせる。

「えへへ……やられちゃった」
「……なんだ、直撃でも決まったのか?」
「うん。ツァーリがコツを掴んだらしくて、立て続けに呪言撃って来たの」
「…………」
「いや、ちゃんと許可は貰ったぞ?」

白い目を向けるベルドに、ツァーリは冷や汗を流しながら弁明する。まあ、それなら仕方ないか――互いの同意があったことに溜飲を下げ、ベルドはヒオリに手を当てる。

「……はっ!」

鋭い呼気と共に、ヒオリの頭を縛っていた枷が吹っ飛んだ。さらにもう一度それを行い、今度は腕と足の縛りをまとめて吹き飛ばす。一仕事終えると、ベルドはふうと息をついた。

「よぅし、こんなもんだべ。どうだ、まだ修行は続けられそうか?」
「うん、ボクはもう大丈夫。ツァーリは?」
「わしも行けるぞ。折角掴めてきたとこや、もう少し付き合ってもらえるかの?」
「うん、いいよ。でも……」

そう言って、ヒオリはベルドに目線を移す。

「なんだ?」
「ううん。ベルド、二つ同時に縛り消せるようになったんだね」
「まあな。ちょいと魔力の流れを変えてみたらうまく行きそうだったんで、試してみたら大成功ってわけだ。でもまー、万全を期すなら三つ同時に消せるようにはなりたいもんだな」

自分一人だったら頭縛られりゃ終了だから他の二つが何とか出来てりゃ十分なんだがなー、とか言いながらベルドはぽりぽりと頭をかく。その様子を見て、ヒオリが顔を覗き込んできた。

「どうした?」
「……大丈夫?」
「大丈夫って、何が」
「えっと……その、元気なさそうだったから」
「ああ、なるほどな」

心配そうな顔をするヒオリに、ベルドは小さく笑ってみせた。

「……やっぱり、抜けなくてな」
「そう……」

ベルドは、ヒオリに浅緑剣のことを話していた。他に話す話題がなかったということもあるが、剣士たるもの一度は夢見ていたものを肉眼で見たのだ。抜けなかったとはいえ、あの時は随分興奮していた。無論、伝説のことも話してある。

「いやまー、俺が英雄になれないことなんて分かってたんだがな。でもさすがにあれを目前にして諦めろってのは、なんつーか剣士としてどーよってとこでさ」
「あはは……でも、大丈夫だよ」
「何がだよ」
「だって、ベルドはボクにとっての英雄だもん」

その言葉を聞いて、ベルドはひらひらと手を振った。

「切ねぇフォローあんがとよ。でも事実あの剣抜けてねえから。あと恥ずかしいからあっけらかんとそういうことを言うんじゃねえ」
「?」
「……エルビウム卿、ちょっとええか?」

と、きょとんと首をかしげるヒオリの横で、今度はツァーリが話しかけてくる。なんだ? そう尋ねるベルドに、ツァーリは聞いた。

「その浅緑剣の伝説って奴を、わしにも教えてくれんか?」
「え? まあ、別にいいけど――」

 

 

「――とまあ、こんなところだ」

ざっと浅緑剣の伝説を話し終えたベルドは、そう言って話を締める。見ると、ツァーリは腕を組んで、顎に手を当てて唸っていた。

「どうした?」
「いや……なんというか、立派な奴やったんやなと」
「そりゃそうだろうよ、この里守るために命懸けたんだから」
「だったらお前さん、それが足りないんじゃないのか?」
「……は?」

苦笑したベルドに、ツァーリは真面目な顔で言ってのける。しばらくその意味が理解できずに呆けていたベルドだったが、ああと小さく笑った。

「んじゃあ、無理だろうな。俺はまだ死にたくねえし、命を懸けてまでやりたいことがあるわけでもねえ。その剣士みたいな立派な決意は、生憎と俺には出来ねえよ」
「……本当に、そうか?」
「……あ?」
「お前さんは本当に、自分が命を懸けたことなどないと言い切れるか?」

やけに食い下がってくるツァーリに、ベルドは眉を顰める。

「何言ってやがる。俺は死ぬのは嫌いだし、誰だって死ぬのは嫌だろうが」
「…………」

そんなベルドに、ツァーリは呆れたようにため息をつき……

「ならば……ロードライト卿をアーティミッジから救い出した時、貴様はなにを考えておった!」
「――――!!」

怒鳴ったツァーリに、ベルドの返事が詰まった。


ヒオリをアーティミッジから救い出した時。己の力が足りず、無力に嘆き、悔いた時。槍使いの少女に頭を下げて弟子入りし、一銭にもならないというのに、死に物狂いで力を求めた時。

あの時――自分は、何を懸けていたんだ。

想い、未来――それもまた、答えかもしれない。だが、それよりも、そして何よりも――


――あの時自分は、正真正銘命を懸けて、戦いに挑んだのではなかったろうか。


「……は」

笑いが漏れる。

命を懸けたことなんか無い――そう斜に構えていながら、自分はあの時、己の存在意義その全てを懸けていた。

「はは――」


「あっはははははははははははははは!!」

傑作だった。何もかもを懸けて戦いに挑んだことが、かつての自分にはあったのだ。ここ数週間、あまりに密度の濃い日常を送ったせいで忘れていた、己の全てを懸けたあの時。その記憶を再び掘り起こし、ベルドは笑った。目の前に立つ、これ以上無いくらいに明確な「証」を前にして、腹を抱えて思いっきり。

「いやー、そうだったそうだった、すっかり忘れてたぜ!」

馬鹿笑いに一区切りをつけ、ベルドは目尻についた涙を拭って立ち上がった。笑いすぎて腹が痛いが、とりあえずは無視。

「で、そん時と同じ気持ちになればあれは抜けると?」
「まあ、そんな感じやな」
「そりゃ無理だぜ。あん時は『ヒオリと共に歩いていく』っつー具体的な目標があったんだ。なのに今回は目標がねえ。手段そのものが目標になっちまってんだよ。お前のフォローはありがてえが、ちょいと無理だな」
「さよか……」

腕を組んだツァーリに、ベルドはああと頷いて返す。

「ま、そういうわけだ。まあ、悪いことをしたな――って、ん……?」


ふと、唐突に、気付いた。


「……どうした?」

ツァーリの不審気な質問にも、ベルドは答えない。その頭の中では、一つの可能性がはじき出されていた。


それは、今まで考慮などしていなかった可能性。今仲間達に言われなければ、考えもしなかったであろう可能性。

もしかしたら――そう、もしかしたら――


――あの剣を、抜けるかもしれない。

「悪い、ちょっとヒオリ借りてくぜ!」
「は!? おい、エルビウム卿!?」

そうと決まればすぐ行動。うだうだ考えるのは性に合わない。呆気に取られるヒオリの腕を引っ掴み、呆然とするツァーリの横を風のように駆け抜ける。あっという間に二人の姿は小さくなっていき――

「――ってちょっと待て、わしの修行は!?」
「あ、そうだ、お前も来い!」
「は!?」

――華麗なターンを決めて戻ってくると、ツァーリもふん捕まえて引きずっていった。

「え、あ、ちょ、ちょっと待――」


「――状況説明と謝罪と賠償を要求するううううううぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅーーーーー…………」


――とりあえず、そう言えるだけの余裕はあったらしいが。

 

 

「さて、着いたぜ!」

だん、と大地を踏みしめ、ベルドは一つ笑ってみせた。そこは、人気の無い小さな広場。浅緑剣が突き刺さる、あの小さな広場だった。

「よーし、今度こそ抜いてやるぜ!」

ぴしゃ、と頬を叩いて、ベルドは再び気合を入れ……


「べ、ベルド……ちょっと、休ませて……」
「お前さん、いきなり走らせすぎや……」
「あ」

……る前に、仲間二人がノックアウトしていた。

 

 

「よし、行くぜ!」

休憩時間、三分――ひとまず二人の息が整うのを待ち、ベルドは再び剣の柄を握り締めた。力を込めて引き抜こうとするが、やはり抜ける気配は無い。

「お前さん、一体何を考えてるんや?」
「ああ、それなんだが……」

横から声をかけてくるツァーリに、ベルドは片手で柄を叩く。

「ツァーリ」
「なんや?」
「……柄、握ってくれないか?」
「……力を合わせて引き抜こうってことか?」
「いんや、違うぜ? つーかもしもそれで抜けるんだったら、他のモリビトがとっくに引っこ抜いてんだろ」

ツァーリの質問ににべも無く返し、ベルドは今度はヒオリを呼ぶ。やって来たヒオリが柄を握り締めるのを見て、ツァーリも柄を握り締めた。それを見て、ベルドは静かに目を閉じる。


「気付いたんだ。確かに、俺は英雄なんかになれはしない。命を懸けて戦ったのも、たった一人の女のためだ」

かつてこの剣を振るった英雄は、一つの里を命に代えても守り抜いた。彼の命には、決意には、当時生きている人と、今に命を受け継ぐ者、それだけの価値があったのだ。しかしベルドに、それだけの命の価値はない。たとえ、己の命、その全てを懸けたとしても。ベルドの命は、生きる価値すら持っておらず、いくらでも代えの利いた奴隷の少女、一人分の価値しかないのである。

「でも俺は、その英雄が持ってないものを持っていた」

かけがえの無い仲間と、命がけで守り通した彼の恋人。彼らがいれば、ヒオリがいれば……ベルドは、歩いていけると信じている。ヴィズルも何も打ち倒して、英雄さえも超えられる。

彼は決して、ひとりぼっちではないのだから。

その英雄は、ひとりぼっちであったが故に、命を散らしてしまったのだから。


そう……


「浅緑剣は……グランス・リヴァイバーは……」


ベルドは再び、剣を抜こうと試みる。魔力も流し込まず、力も入れず。それでも、絶対に抜けると確信を込めて。


「たった一人の英雄の力で引き抜くものなんかじゃ、ねえっ!!」


ベルドの心が、螺旋を描いて収束する。柄にはめ込まれた宝石が、淡く鈍く輝いて――


「わ……あ……」


目の前に現れた幻想的な光景に、ヒオリは言うべき言葉も無く、感嘆の声だけを小さく漏らした。

緑色に煌く綺麗な光が、眼前で渦を巻いている。時には強く、時には優しく、踊るように、笑うように、一本の剣に収束しながら。

どこからか、透き通った涼やかな音が聞こえてきた。謡うような祈るような、妙なる響きが、耳に染み入る。

グリンヴァルドは、大気の精と交信する能力を持つという。勿論そんな能力は彼らにはないが、「大気の精」という知識さえあれば、たとえ素人でも分かっただろう。

「大気の精霊が……踊ってるんだ……」

そしてもう一つ、大気の精に答える「声」が、三人の手にした剣から響いてきた。

力強い重低音。軽く澄んだ精霊の声とは対称的ですらあるその音は、しかし不思議と違和感無く溶け込んでいく。一方が他方を圧するのではなく、互いが互いを高め合う共生関係。その果てに紡がれた旋律は、人界の楽器では再現し得ない霊妙な和音を成して響き渡った。

仲間である、ツァーリがいる。パートナーである、ヒオリがいる。大気の精霊が、踊っている。浅緑剣が、歌っている。そして、その前に立つ、英雄ではない、剣士がいる。

やがて、渦を巻く緑色の風は、静かにそして緩やかに、剣の中に溶け込んでいく。その全てが収束し、穏やかな余韻と共に消えた時――


――少年の手には、大地から抜かれた剣があった。

 

 

 

 

 

 

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