第三十五幕

我が心、明鏡止水


エトリアの街郊外、世界樹の迷宮の入り口からは少々離れた小さな広場で、二人の侍が睨み合っていた。

「……待たせたな、セルティス」
「…………納得行ったのか、お前なりに」

ゲリュオ・キュラージとセルティス・カルナーノのこの会話は、エトリアの街中で再会した時に次いで二度目である。同じ会話を二度行うほど、この確認には意味があった。

かつて、和国という国にはウルスという天下無敵の侍がいた。だがそのウルスが唐突に行方不明となり、空欄となった「最強」の座に覇を唱えたのが、今にらみ合っている二人の侍・ゲリュオとセルティスだった。二人の戦績、なんと十五戦十五引き分け。完全なまでに実力は伯仲しており、彼らは十五回目の戦いの後、さらなる強さを求めて別々の方角に旅に出た。

時を経てエトリアの街で再会した彼らだが、再戦の結果はあっけないものだった。戦闘中にゲリュオがいきなり刀を納め、敗北を認めるという異様な結末によって。理由は己の強さへのヒントを掴んだからで、セルティスもそれを知ったため、結果「その強さは掴めたのか?」という質問が出てきたわけである。

そして。

「……ああ、掴めた。悪いな、随分待たせてしまって」
「構わん」

正直まだ微妙に足りない気もするのだが、それでも答えにはなっているだろう。居合いの形に刀を構えたゲリュオに対し、セルティスは鞘から抜いて上段に構える。

「……ならば、行くぞ」


――そして、それ以上言葉は発されることなく、侍達の戦いは幕を開けた。

 

 

「はぁっ!」

エトリア郊外のライバル対決、先手を取ったのはセルティスの方だった。跳躍、滞空中に抜刀。刃先が陽光を受け、白色の輝きを見せる。流星が墜落するかのごとく、刀の切っ先がゲリュオめがけて襲い掛かった。対するゲリュオも、それを居合い抜きで迎撃する。二つの閃光は、鋭く疾く。一撃必殺の刃が激突し、両者は弾かれたように間合いを取った。

激突の反動が消えるより早く、先に動いたのはゲリュオだった。

刀を斜めに傾けると、爆発的な踏み込みと共にセルティスの懐へと飛び込んでいく。並の戦士の動体視力では捕らえることすら困難な速度から繰り出された斬撃は、まさに必殺の一撃である。だがセルティスは右手の刀を縦へと突き出し、難なくその一撃を防いでしまう。

「うおおおおっ!」
「おああああっ!」

日本刀は軽く、そして鋭い。

元より刀とは、速さと技で以って勝負する剣術の武器として発展してきたものだ。頑丈さに任せて膂力を競い合うような打ち合いには向いておらず、そんなことをやらかせば刃が潰れ、下手に力がかかれば折れる。

にもかかわらず、双方の刀には刃こぼれどころか傷一つ入らない。かといって、二人の間で繰り広げられる応酬が軽い剣戟ばかりかと問われれば、それは全くの逆である。

ゲリュオの刀が多方向から同時にセルティスを襲い、それをセルティスは一つ残らず弾き飛ばす。セルティスの刀が死角から走り、ゲリュオはそれを鍛えた直感で弾き上げる。激突した刃金が火花を散らし、生まれた衝撃が大気を走る。

だが、無数の剣戟は、ゲリュオの勝利で幕を終えた。

セルティス・カルナーノという男は、刀を使っての剣術と氷による魔法攻撃を併用する戦法を取る。だが、それに対するゲリュオは刀一本でやり続けてきたのだ。総合的な戦闘能力は全くの互角だったといえど、近接戦闘、つまり単純な剣術戦においては、ゲリュオのほうに軍配が上がる。

不利を悟ったセルティスは無意味な意地の張り合いはせず、飛び退きざま宙を撫でるように刀を振るう。すると、そこには無数の氷刃が生じ、一瞬の後にすさまじい速度で射出された。

怒涛の勢いで襲い掛かる氷刃の雨を、ゲリュオは地面を転がることで回避する。即座に受身を取って身を起こし、立ち上がりながらの斬り上げの一撃。とどめを刺さんと振り下ろされるセルティスの刀を、ゲリュオは鍔迫り合いに持ち込んで跳ね上げた。

「くっ!」

激突と同時に、セルティスの体勢が崩れた。いつもいつも互角で、ここまで体勢差を生じさせたことなどなかったゲリュオは、その勢いを駆って追撃を叩き込む。

袈裟懸け、薙ぎ払い、そして左斜めからの切り上げと刃を返した逆袈裟斬り。超高速の四連打を叩き込み、止めとばかりに蹴りを放つ。セルティスは飛び退いて攻撃を躱すと、鋭く刀を振り上げた。

「ちぃっ!」

何をするかを瞬時に悟ったゲリュオは、それを迎撃すべく「気」を練り上げる。果たしてセルティスは、ゲリュオの予測通りの攻撃を繰り出してきた。

卸し白焔――相手を凍てつかせる焔を纏った刀で振り下ろす、セルティスの必殺技にして得意技。予測していたゲリュオに隙はなく――


「――――っ!?」

――その卸し白焔は、ゲリュオ・キュラージに直撃した。

 

 

何の防御もなかった。ゲリュオの体は全くの無防備に白焔の直撃を浴び、車に撥ねられたように宙を舞う。数メートルの飛翔の後、ゲリュオは背中から墜落した。

「が……は……」

力無い呻きと共に、鮮血が吐き出される。それきり、死んだように動きが止まった。かすかに胸が上下していることで、かろうじて生きていることは確認できるが、控えめに言っても重体である体に、戦う力が残っているはずも無い。

「馬鹿者が……」

倒れ伏したゲリュオを見下ろすセルティスの顔はどこまでも苦々しく、不服げに歪んでいた。

「どうして、いきなり刀を止めた……そのまま振り下ろしていれば、あれは完璧に受け止めていただろうに……」

自分、相手、双方の実力が分かっているだけあり、セルティスの声は苦い。無論セルティスとて先の卸し白焔を手加減して放ったつもりは無かったが、それでもゲリュオの刀の軌道や力の入れ方から、ぶつかり合った時には自分の剣技が受け止められたであろうことは察していた。だからこそ、彼の顔には隠しきれない苛立ちが現れていた。

が。

「……もう勝ったつもりか、阿呆が」
「っ!?」

独り言のつもりだったのだろう。呟きに答える言葉を聞いた瞬間、セルティスは驚愕に目を見開く。再び見下ろすと、そこには死にかけの重傷者が、しかし目だけは強い意志の光を宿してセルティスを睨みつけていた。

「たかだか一撃決めた程度で勝敗が分かれるなら、俺らの戦いはとっくに決着がついているだろうが。思い上がるな」
「……ほう」

圧倒的――を通り越した絶対的不利の状況下において、それでもゲリュオは不敵に笑う。対称的に、セルティスの顔は一瞬で真剣味を取り戻す。ゲリュオが負け惜しみを言っているのではなく、本当にまだ勝負を諦めていないと悟ったのだ。

「起き上がることも出来ぬ身でそこまで言うか。なるほど……お前、まだ何か手を隠しているな?」
「手の内というものは、常に相手に見せずに隠しておくものだろうが」
「なるほど、違いない。――いいだろう、ならば手加減はせんぞ! そこからどういう手を切るのか、見せてもらおうではないか!!」

真なる勝利を掴むべく、セルティスは再び己の刀に「気」を込めた。

 

 

(見極めろ……)

ベルドみたいな軽口を叩きながら、その裏でゲリュオは全神経を総動員して攻撃の瞬間を見切ろうとしていた。

チャンスは一度きり、失敗など許されない。

 

セルティスの言葉通り、ゲリュオは刀を止めてしまっていた。無論、激突の恐怖に体が怯えたのではない。「死」と隣り合わせにいる恐怖など、とうの昔に乗り越えている。

何かが、あったのだ。卸し白焔の発動した瞬間に、思わず刀を止めてしまうほどの何かが。そして、その正体がなんなのか、ゲリュオは半ば察しがついていた。


それは恐らく、リーシュ戦から掴もうとしていた「強さ」の全貌。リーシュに、セルティスに、ウルスに、そしてベルドとヒオリのタッグに、その欠片を見出してきた「強さ」の全貌。

無論、間違っている可能性はある。だが、ゲリュオはそれを間違いだとは思わなかったし、その可能性も信じなかった。

強さの一要素に、「運」というものがある。筋力、瞬発力、継戦能力、知力――戦闘能力その全てが互角だった時、最後に勝敗を分ける一要素。どんなに実力が高くても、運の無い人間は到底「最強」の称号など得られないだろう。

だからといって、泣き言を言うつもりは無い。ついでに、ゲリュオはこの世に運の無い人間などいないと強く信じていた。幸、不幸はあっても、幸運、不運は存在しないと。

それは「意志」。どんなに苦しい戦いでも、どんなに勝ち目が無いように見えても、それでも勝利を諦めない、強い意志。それが最後に残った「運」という要素を引き寄せるほどの力となると、ゲリュオは固く信じていた。

だから、ゲリュオは疑わない。自分の刀を止めたのは、そうさせるほどの「強さ」のヒントがあったのだと。


そして――セルティスは、動いた。上段の構えから繰り出される、彼必殺の卸し白焔。凍てつく冷気を作り出す「気」がその刀身に集約され――


「……これだ……」


ゲリュオは、体内で一つの音を聞いた。

セルティスの氷剣技の発動――その瞬間に見たものが、パズルの最後のピースを埋める。


――人の流沫に鑑みる莫くして止水に鑑みるは、其の静かなるを以ってなり。形を生鉄に窺う莫くして明鏡に窺うは、其の易らかなるを以ってなり――

 

「た……」

ゲリュオの心が氷点下へと下がり、対照的に体に炎よりも熱い力が滾る。

曇りの無い鏡と、静かな水面。流れが止まり、静かに湛えられているその水に――


「……見えた、見えたぞ……」

零れ落ちる、

「一滴の水ッ!!」


轟ッ!!

ゲリュオの体が燃え上がった。比喩ではない。辺りに生えている木々、その全てを焼き払ってしまわんとするほどに熱く激しいその「気炎」。ゲリュオの体から放たれた、恐ろしい密度に凝縮された炎は半ば物質化し、粘性の光のように彼の周囲を巡る。

一刹那の後、ゲリュオは前転して起き上がった。その瞳が、跳躍したセルティスを明確に捉える。

八葉七福を右に突き出した動作に呼応するように、火炎がゲリュオの刀に収束していく。渦巻く炎は密度を高め、形を整え、高速回転する炎の削岩機と化した。

「行くぞ、セルティス!!」

ゲリュオは刀を握り直し、超音速の突きを放つ。

刀は剣と違い、刺突に適した武器ではない。だが、ゲリュオの目的は、刺突による直接攻撃なんかではなく、気炎による炎攻撃。

「気炎――」

 

「火炎螺旋槍―――――ッ!!」

刀から放たれた瞬間、火炎は弾かれたかのように加速した。残像を引いて飛翔する火炎は、逃れようの無い速度でセルティスへと迫る。

「くっ……ぐわああぁぁぁーーーーーーーーーっ!!」

飛んだ。強烈な貫通力に押されるように、セルティスは大きく吹っ飛んでいく。駆け抜けた炎に致命的な火傷を負い、ワンタイミング遅れてその体が大地に叩きつけられた。


それが――決着だった。

 

 

「……………………」
「……………………」

両者、何も喋らない。炎も氷も消え果て、樹海の入り口付近の広場は静まり返っていた。

両者とも気絶こそしていないものの、洒落にならない大打撃を負ったのだ。喋れないとしても無理はない。

「…………ふっ」

と――そのうちの片方、セルティス・カルナーノが、口を開いた。

「お前が、まさかああいう術を使うとはな……」
「…………ずっと、引っかかっていたんだ」

何が、とは言わない。言っても説明できるものではないし、そうする必要も無いからだ。セルティスは既に「氷」を媒体とした術を体系立てている。むしろ、ゲリュオがセルティスにヒントを得て編み出したようなものだからだ。

「……なるほど?」

対するセルティスも、何かを言われなくても分かっているようだった。何かをかみ締めるように頷き、やがて視線だけをゲリュオのほうに向ける。そして、小さく笑った。

「……お前の勝ちだ、ゲリュオ」
「……ふん」

ゲリュオの胸に去来したのは、ライバルを倒せた喜びの情ではなかった。正確に言えばないわけではないのだが、これでやっとウルスに挑めるという感慨のほうが強かった。

自分の気炎がまだまだ未熟であることは知っている。だがそれでも、己の強さというのが分かってきた。

追い求めていた強さを掴むべく、一旦和国へ戻って初心に帰ろうと思っていた。だが、その前に強さを掴みきってしまった。

しかし、生まれた強さはまだ小さく、そして脆い。理由は違えど、和国へ帰ることに変わりはなかった。

と、その心境を読み取ったように、セルティスがゲリュオに口を開く。


「……ゲリュオ」
「……なんだ?」
「……今のお前なら、あれを手に出来るかもしれんぞ」
「…………さあ、どうだろうな」

それは、やってみないと分からないが。

だがそれでも、かつて言われた以上必ず手にしてやるつもりだった。

 

 

和国。

明確な統治者はいない、自治区のような小さな『国』。標高が高いのと緯度の高いので、年間を通してほぼ極寒。領土のほとんどが山なので、人が住めるのは斜面の裾野にある拓けた平地がほとんど。降水量が多く、また冬場は氷雪に阻まれるため、兵站線の確保の困難から他国の軍隊が幾度となく遠征に失敗し、切り拓かれた当時から自治区状態を守っている。

独自の土地柄を持ち、また砂鉄がよく取れることから、侍や野伏が多く育つ場所でもある。さらなる強さを求めて国を飛び出す人間も多く、その中にはエトリアにある世界樹の迷宮に挑む者も決して少なくなかった。

そんな「国を飛び出して世界樹の迷宮に挑んだ(色々と途中経過はあったが)」侍の一人に、ゲリュオ・キュラージという男がいた。

 

 

「…………」

野を越え山を越え、三日三晩歩き続け、ゲリュオ・キュラージは帰ってきた。そこには相変わらず、自給自足のような生活を続ける国の姿がある。決して排他的ではないが、それでも質素にありつづけるその姿は、最後にこの国を去ったときから何も変わってはいなかった。まあ、いきなり豪華になってて艶やかなおねーちゃんが道行く男共を誘惑しまくっている風景が広がっていても困るのだが。

国が変わったときといえば、十六年前に砂鉄が取れるようになったときくらいのものだろう。それでも火の車のような生活が質素な生活になったぐらいで(住民がそれ以上を望まないというのがあるが)とりたててどうということはなかった。

「…………」

芋畑、畜産物を飼う牧場、魚の塩漬けを売っている露店――見慣れた光景を歩きながら、ゲリュオはある地点を目指して歩いて行く。

ほどなくして、その目的地に到着した。

侍としての「ゲリュオ・キュラージ」の原点となった、剣術道場。「何々流道場」とか書かれているような看板も無く、普通だったら誰でも気づかないような小さな屋敷。ゲリュオが十五年間修行を積んだ、感慨深い場所だった。

ゲリュオは道場の中に入る。腕の筋力を鍛えるために吊るされたロープや、筆で「質実剛健」と力強く書かれた看板。苦心した思い出が蘇ってきて、ゲリュオはわけもなく苦笑した。


遠い昔、ゲリュオはここで修行を積んでいた。とはいえ、師匠が手取り足取りつきっきりで教えてくれたわけではない。師匠の一挙一手投足、それをいかに自分なりの解釈を加えて習得するかが全てだった。いわゆる「目で盗む」というやつである。

この師にしてこの弟子ありとでもいうべきか、ゲリュオ自身も教えることは苦手だし、そうするべきだとも思わない。ああしろこうしろと指示は出さず、自分の技術を見せるだけ。ヒオリに料理の教えを請われた時も、自分の技術(とはいえ質素な食事クラスのものだったが)を見せただけだったが、まあ、全く関係の無い話ではある。

ところで、何故ここに戻ってきたのか――それが、自分の考えであり、セルティスの言葉だった。


――今のお前なら、あれを手に出来るかもしれん。


その「あれ」を求めて、ゲリュオはここへやってきた。

その名を、蒼刀“龍仙”。照らし出す月光のように蒼い刀身を持つという、この道場の師匠に代々受け継がれてきた刀であった。とはいえ、あくまで「便宜上の所有者が移った」だけに過ぎないが。

古いものには魔が宿る――そんな有名な言葉がある。今回の蒼刀にそれが当てはまるのかどうかは知らないが、少なくともそう思わせるだけの何かがあった。刀はまるで持ち主を試すかのように在り続け、そして何者をも握ることは叶わなかった。遠い昔、その刀を振るった人物もいたと伝承は謡うが、それも真実かは定かではない。

だが。

お前なら、出来るかもしれない――師匠は死に際に、ゲリュオにそう言い残した。己の強さを見つけたなら、取りに行ってみろとも言い置いて。その時はゲリュオは何も言わずに立ち去ったが(あくまでそれに関してはであり、師匠の葬儀とかはしっかり執り行った。念のため)、今再び、この場所へ戻ってきていた。

道場の最奥にある、師匠が寝泊りしていた六畳間――その内の畳の一枚を引き剥がし、ゲリュオは下を覗き込む。そこには長い長い階段があり、地下通路へと続いているようだった。


「…………!」

そして、唐突に分かってしまった。言葉で説明することは出来ないが、分かってしまった。圧倒的な力を持っている何かが、ゲリュオを奥底から呼んでいる。試しているのか――そう呟いたゲリュオは、望む所だと少しだけ奮起して階段を下り――

「――いや、待てよ?」

唐突に、立ち止まった。確かに自分の力は、完成形を見出した。だが、それはあくまで「答え」だ。目覚めたばかりのその「答え」は、当然ながら完璧に使いこなせているわけではない。その状態で挑んでいいのかどうか――しばし考え、ゲリュオは元のように畳を戻した。

まだ挑むべきではない。それが、ゲリュオの出した結論だった。要するに彼が掴んだ「答え」というのは、例えるなら数学の公式を見つけ出したようなものだ。それを何度も練習して、初めて使いこなせるようになる。少なくともその状態になるまで、蒼刀に挑むことは出来ないように思えた。


ゲリュオはまた、道場を後にした。その足は、かつて修行をした山の中へと向かっていく。初心に帰って修行する――つまりは、そういうことなのかもしれなかった。

 

 

「お疲れ様ー」
「お疲れー」

さてその頃、世界樹の迷宮・枯レ森にあるモリビトの里では、「紆余曲折」のメンバーが修行の真っ最中であった。

世界樹の迷宮の奥深くに、エトリアにある執政院の長・ヴィズルがかかわっていることと、及びそのヴィズルが暴走を始めていることをモリビトの長・アルカナから知らされ、彼の要請によりそのヴィズルを止めるための修行を始めていた。ゲリュオもここで修行するはずであったが、始める直前にグリンウォリアーの『煉獄の刃』の発動現場を見て何かを閃いたらしく、そのままこの里を出て行ってしまっていた。何をしに行ったのかは知らないが、一月を目処に帰ってくるそうだ。

 

「ベルド君」
「……ああ、どうも」

と、「紆余曲折」のリーダー、ベルド・エルビウムを訪ねてくる影があった。その姿を確認すると、ベルドは軽く頭を下げて慇懃に答える。

「修行は終わったかね?」
「今日の分は」

訪ねてきたのは、修行の要請をしたモリビトの長・アルカナ。ベルドに用があるらしく、返事を聞くと軽く頷く。

「そうか。ならば、ちょっと付き合ってはもらえないかね?」
「……分かりました」

男に付き合う趣味は無いが、修行一日目から訪ねて来たのだ、相当重要な用件であることは予想がつく。それに、ベルドには断れない事情があった。

ベルドは、モリビトと人間のハーフである。何があったのかは今は割愛するが、ともあれ半分モリビトである彼は、自覚も意識も無いとはいえどそう簡単には逆らえない。逆らおうと思えば逆らえるが、少なくとも意味無く逆らうことはしたくなかった。


アルカナに促されるまま、ベルドは彼の後をついて歩く。ほどなくして目的地に着いたらしく、アルカナはベルドを振り返った。そこにはエメラルドグリーンの刀身を持つ美しい宝剣が、広場の中央に突き立っている。

「これは……?」
「遠い昔、この地を訪れた英雄が振るっていたと謡われている宝剣だ。その伝承が真実かどうかは分からんが、その英雄が消えたとされている地に、まるで墓標のように突き立っていたという」

突き立って『いたという』という話からすると、それさえも遠い過去ということか。だが、ベルドはその伝承に覚えがあった。正確に言えばただの予感であったが、間違いは無いという確信がある。

「……まさか、浅緑剣……?」
「君の言っていることが正しいかどうかは分からないが……伝説は、この剣の名前を残しているぞ」
「……まさかそれって、グランス・リヴァイバーとかいう名前じゃないでしょうね?」
「……知っていたのか」
「知っていたって、ちょっと待てよ! ありゃ人間界にある伝承だったはずだぞ!?」

驚愕のあまり敬語さえすっ飛ばしてベルドは叫んだ。浅緑剣グランス・リヴァイバー。持つ者は人知を超えた速さで動けるようになり、使いこなせば目にも留まらぬ連続攻撃を仕掛けられると謡われる伝説の宝剣だ。剛斧グラン・スティング、魔杖ミスティック・ワイザー、そしてリーシュが使っていた炎槍イセリアル・デヴァイドと共にその名が残る七大器の一つだ。残った三つの名はいつしか失われてしまったが、それでもいずれ劣らぬ名器揃いであろうことは容易に推測できる。

だが、それはベルドの言った通り人間界での話だ。なのに、何故モリビトが知っている

と、そんなベルドの疑問に答えるように、アルカナは話し出した。

「昔の話だ。遠い、遠い昔……まだこの迷宮も秘境ではなかった頃。我らの里は、とある魔術師の襲撃を受けた。魔術師はその手に魔杖ミスティック・ワイザーを持ち、強大な魔法を駆使してこの里を火の海に変えたという」
「……魔術師?」
「ああ。その魔術師は樹海の全ての生命体を敵に回し、戦いを挑んだ。何のためにそんなことをしたのか、それは分かっていない。そもそも、それが実話かどうかさえ分かっていないのだから」

まあ、伝承なんてそんなものだ。ベルドは無言で、続きを促す。

「我々モリビトは、持てる兵力全てを動員して反撃を仕掛けた。その時はイワォロペネレプや、神さえ力を貸したといわれている」
「…………」
「だが力は及ばず、我らは逆に倒されてしまった。魔術師はあまりにも強く、この森は奴の手に落ちるかと思われたが、突然現れた一人の英雄により救われることとなった」
「英雄?」
「ああ。その者の名も魔術師同様残っていないが、その英雄は三日三晩に及ぶ長い戦いの末に、その魔術師を打ち倒したという」
「……で?」
「だが、戦いが終わってみれば、魔術師はおろかその英雄さえも姿は残っていなかった。ただ一本、この剣だけがまるで剣士の墓標のように大地に突き刺さり、残されていたそうだ」
「そこが、ここだと?」
「ああ。同時に残っていたミスティック・ワイザーは『神』が封印したそうだが、この剣だけはそうではなかった。伝承では、我らがその戦いと、同時に起こった惨事を忘れないためと言われている」
「…………」
「そしていつしか、長い時を経るうちに、一人前になったモリビトの戦士がこの剣を抜く風習が定着した」
「だから、俺を連れてきたと?」
「ああ」
「はぁー、なるほどね……」

浅緑剣グランス・リヴァイバー。それは、剣士たるもの一度は憧れる宝剣だ。それが、こんなところでお目にかかれるとは……苦笑しながら、ベルドは剣の柄を握る。


「…………あ?」

だが、剣はぴくりとも動かなかった。両手を添えて地を踏ん張り、体勢を立て直して力任せに引き抜こうとする。だが、魔術的な封印でも施されているのか、それでも全く動かない。魔力を流し込んでも同じだった。というか、剣に魔力が流れてくれない。押しても引いてもびくともせず、ぜーはーと息を切らすベルドに、アルカナは笑った。


「そう、それはあくまで風習だ。剣はどうやっても抜くことは出来ず、もしも抜くことが出来る人がいたならば、それは次代の英雄だろうともいわれている」

だからこそ、風習になったのかもしれん。そう言って言葉を締めると、アルカナはベルドを促した。ベルドが立ち上がるのを確認すると、踵を返して立ち去っていく。そんなアルカナから視線を移し、ベルドは再び剣を見つめた。

そこには、淡い緑の輝きを放つ宝剣が、悠久の時を経てなお色褪せぬ輝きを秘めて、その場に鋭く突き立っていた――

 

 

 

 

 

 

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