第三十四幕

剥がれ落ちた表層


「……以上が、マンティコア殲滅の記録となります」
「そうか……」

世界樹の迷宮地下十八階・モリビトの里の族長宅で、ギルド「紆余曲折」の一行は、とある任務の報告をしていた。

任務の内容は、マンティコアと呼ばれる魔物の撃滅。モリビトの里はこの魔物の襲撃を受け続けており、対するモリビト側も幾度も討伐隊・迎撃隊を編成したものの効果は全く上がらなかった。そこでアルカナはたまたまこの里にやってきた腕の立つ冒険者ギルド「紆余曲折」にマンティコア退治を依頼し、彼らは激戦の果てにこれを撃破、一晩休んで報告に当たっていた。

「そしたら、俺の記憶と今回の事件の関係性を説明してもらいますよ」

報告が一段落つき、「紆余曲折」のリーダー、ベルドがアルカナに言葉を放つ。

ベルド・エルビウムは、七年以上前の記憶をモリビトたちによって封印されていた。彼がここに帰ってきたのは全くの偶然だったが、何を思ったかアルカナは記憶の封印を解除した。彼曰く、その記憶と今回のマンティコア騒動が奥深くで結びついているということらしいが――

ベルドの言葉に、アルカナは一つ頷いて話を始める。

「私は――君に、ある可能性を賭けていた。モリビトと人間の混血児である君なら、成し遂げてくれるだろうと思っていたものだ」
「…………?」
「ベルド君。この樹海がどうして生まれたか、知りたくはないかね?」
「……なんやと?」

その言葉に、ベルドよりも早くツァーリが反応した。そういえば、彼の目的は世界樹の迷宮、その謎に迫ることだった。となれば、アルカナの言葉に反応するのも当然だろう。

「……どういうことですか?」
「恐らくは、君の知り合いに、樹海の全てを知っている人がいる」
「何っ!?」

さすがに、今回はベルドも反応した。見ると、ゲリュオやヒオリ、カレン、オルタネットも同じ表情だ。それはそうだろう。誰も知らない世界樹の深淵を知っている人が知り合いに居るなど、一体誰が想像できただろうか。

「そして……人の中には、君らの死を願うものもいる」
「一体、何を――」

全く関係性のなさそうな所に飛んだ話に、ツァーリが眉を顰めて問い返す。だが、その言葉は途中で止まった。


君の知り合いに、樹海の全てを知っている人がいる。

人の中には、君らの死を願うものもいる。


――あの方はもしかしたら、今以上に樹海の探索を進めることを望んでおられぬのかもしれない。


「――ちょっと待てやっ!!」

およそありえなさそうなところから出た結論に、ツァーリは思わず叫んでいた。

だが、もしもそれが真実だとしたら、今まで起こった奇妙なことに全て説明がつく。

 

だから。

だから、“彼”は――

 

「……はっ」

喉が引きつる。

痙攣する。

本能を抑えるつもりは無い。体が動くに任せると、喉と肺は勝手に空気を吐き出した。

「ははは、そういうことか、ははははははははははははははははっ!!」
「うおっ!?」

突然笑い出したツァーリに、ゲリュオが驚いて身を引いた。彼のことは気にせず、ツァーリはその衝動に逆らわず、ただ大声で笑い続ける。

「そういうことか、はは、ははははは――」


「――ヴィズルの野郎、何てことを企んでおった!!」
「ヴィズルだとっ!?」

ツァーリの口から放たれたとんでもないセリフに、ベルドとゲリュオが同時に反応した。ヒオリとカレンは何も言わないが、その目が大きく見開かれている。アルカナだけは何の反応もせず、ただ全員を黙って見ていた。やがてツァーリの笑いが収まり、アルカナは静かに話しかける。

「……気づいたのか」
「確証は無かったがな。せやけど、その言い方をするってことは、正解なのか?」
「ああ」

アルカナの答えに、ツァーリも止まる。

ヴィズル――エトリアの街執政院の長で、町の発展を願いながらも樹海を秘することを望んでいた人物。モリビトの殲滅を躍起になって望み、第四階層にこれだけ辿り着いた人物がいながらその情報は町の中に流されることはなく――

かつて、想像したことがあった。第四階層に「異国の月」というギルドが辿り着いていたことを知ったとき、街の統治機関が「ついうっかり」データを紛失するなどという可能性は正直考えにくいと。であるなら、それは執政院の情報操作かもしれず、それが出来るのはそれこそ長クラスの存在でしかないと。

何の事は無い、ビンゴだったのだ。第三階層どころか誰も到達したことの無い第四階層にいたツスクルも、それを暗に証明している。樹海の全てを知り、モリビトを利用して冒険者を消し去り続けてきた事件の黒幕――それが、ヴィズルだった。

だが、その前に。

「ジェード卿。モリビトは、ヴィズルと組んでいたのか?」
「いや、それはない。あくまで、我々は我々の目的で人間を阻んでいる」

そう言ったアルカナは、視線を頷くツァーリからベルドに移した。

「だが、『異国の月』の人々とレンム、セレン、そして君を見て思ったのだ。もしかしたら、モリビトと人間は共存できるのかもしれないと」
「…………」
「しかし、共存できるかできないかの結論は、私の一存で出すことは出来ない」

それはそうだろう。幾千年降り積もってきたその課題は、即断するにはあまりにも大きすぎる。

「だから、それはひとまず置いておいて、別に頼みたいことがあるんだ」
「……なんですか?」
「――ヴィズルの悲しみを、止めてくれ」
「…………?」

どういうことだ。眉を顰めて問い返すベルドに、アルカナは一つ頷いて言葉を続ける。

「ヴィズルは不老不死の法を手に入れ、ある目的のために数千年の昔から生き続けてきた」
「目的?」
「そして彼は、その目的のため、世界樹の真相に近づく者を排除してきた」
「……まだるっこしいな。その目的ってなんなんですか?」
「それは、私の口から言うことは出来ない。だが、何千年の時を経るうちにその目的はいつしか失われ、彼は今や暴走を始めている」
「……暴走?」
「この里の番をしている、ウルスという侍がいるね?」
「ああ」
「この世界樹の深淵には、かつて人が犯した過ちが眠っている」
「…………」
「ウルスはかつてこの迷宮に挑み、樹海の真実を知った。そして、ウルスはこの真実を、人々に明かそうとした」

だが、それはヴィズルの意見と対立することになってしまった。ヴィズルは真実を封印することを望み、ウルスは明かされることを望んだからだ。

「そして、ヴィズルとウルスは激しく争い――ウルスは敗北し、打ち倒された」
「……なに?」

そこで、ゲリュオの言葉が止まった。自分の知る限り最強の人物で、つい最近戦ってもろくな打撃を与えられなかったあのウルスが、ヴィズルに負けた?

「そしてウルスは、その高い実力を買われ、世界樹の番人になることと引き換えに命を助けられたのだ」
「…………」

ゲリュオは何も言えなかった。ウルスの真意が、手に取るように分かったからだ。

ウルスは決して、姑息な人間でもなければ卑屈な男でもない。むしろ、侍の鑑とも言えるほどに高潔で誇り高い人間である。そうなると、考えられることは恐らく――

「樹海の真実を、明らかにしたかったんだ……」

ありうることといえばそれしかない。もう一度言うが、ウルスは侍の鑑とも言えるほど高潔で誇り高い人物である。そのウルスが、力に負けて膝を屈してまで明かしたかった真実が、樹海の奥には眠っていたのだろう。

恐らく、ウルスは待っていたのだ。自分を越え、そしてヴィズルさえも越える人物を。そして、これは自分の色目かもしれないが、ウルスはその役目を自分達に託したのかもしれない。

「その通りだ」

そして、ゲリュオの言葉を、アルカナは頷いて肯定した。

「君らが来た日の夜、ウルスは私に向かってこう言った。あいつらなら、樹海の全てを切り開いてくれる。ヴィズルを倒して、全ての真実を明かしてくれる、と」

だから、アルカナは試したのだろう。その言葉が真実かどうか、ベルドを使って、その強さを。

アルカナは、記憶を取り戻したらそれぞれの人格がぶつかり合うかもしれないと話していた。しかし逆に、それこそがアルカナの目的だったのだ。道具扱いされたことが少々気に食わないが、まあそれは水に流すとしよう。

「ウルスに言われたのだ。秘するだけでは、歴史はまた繰り返す。隠すだけでは、未来は何も変わらない。全てを明らかにして、学んで、初めて人は進歩するのだと」
「……ふっ」

ゲリュオは小さく笑った。なるほど、ウルスの言いそうなことだ。ゲリュオはウルスのことをそこまで詳しく知っていたわけではないが、それでも簡単に察しはつく。

「あの真実を明かすことと秘すること、どちらが正しいかは分からない。それの判断基準は、一人一人の心の中にあるのだから」
「…………」
「私も最初は、あの秘密は秘しておくべきだと思っていた。それだけの大罪が、あの奥には眠っているのだ。だが、ウルスに言われて、思い直した。学び反省し、改めていく可能性に賭けてみようと」
「……なるほど、そういうことか」

アルカナも先ほど言っていたが、既にヴィズルは目的を失い、暴走している。だからこそ、彼を説得することは出来ないだろう。同じく交渉も、また。

そもそも交渉というのは、互いに相手の言葉を受け入れる考えのある者同士が行うものだ。初めから答えを決めてしまっている者、たとえ間違っていても最後まで突き進む覚悟を固めてしまっている者、こうした者達に他人の言葉は意味を持たない。万言を費やした所で、効果など無いのだ。

おそらく、ヴィズルもそうなっているのだろう。ウルスの言葉が正しいことを認めるなら、それは自分が数千年にわたってやり続けてきたことを否定することになってしまう。

ひどく虚ろで、例えようも無いほどに悲しい――そんな決意。交渉がうまく行き、平和的な手段で解決できるのなら、とっくにウルスが解決している。

だから、力に訴えるしかないのだ。力を力で制し、無理矢理にでも止めるしかない。そして、そうするの力があるのかどうか、未来を変える力があのかどうか、二人はそれを見るために試練を与えたのだろう。「グレイン」と争わせ、そしてマンティコアと戦わせることによって。


そしてその試練は、もう果たされた。ならば、やるべきことはただ一つ――

「ヴィズルを、止めて来いと」
「ああ」

ベルドの言葉に、アルカナはゆっくりと頷いた。

「だが、ヴィズルは途轍もなく強い。無論、ウルスもだ。だが、今の君らでは、ヴィズルはおろかウルスにすら勝つことは出来ないだろう」

アルカナの言葉は、正鵠を射ていた。まあ、さすがにゲリュオの奥義とヒオリの戦撃をまとめて叩き込めばウルスぐらいは勝てるかもしれないが、そんなことを反駁したって意味は無い。目的はあくまでヴィズルであり、ウルスではないのだから。

「だから、君らはここに残って、修行を積んでもらいたい。ヴィズルを、止められるように」
「…………」

どう返すべきか、彼らは答えに躊躇した。単純にエトリアから出されていた触れに従ってやってきただけなのに、恐ろしく話が壮大なものになってきている。

時計の秒針が四回ほど回り――そして彼らは、逡巡の果てに答えを出した。

「……いいだろう。その話、引き受けよう」

ゲリュオが。

「ああ、わしも同感や」

ツァーリが。

「了解。ここまできたら、とことん付き合ってやるとするか」

ベルドが。

「じゃあ、ボクも行くよ」

ヒオリが。

肯定の言葉を返し、強く頷く。

考えてみれば、簡単なことだった。

迷宮の真実を明かすために挑んだ者。最強を目指し、己の強さを磨くために挑んだ者。財宝を探し、ついでに強い相手と戦うために挑んだ者。そして、「樹海探索」そのものが目的となっている者。

彼らにとっては、結局何も変わらない。迷宮の最深部(かどうかは分からないが)に待ち受ける敵が、たまたまヴィズルになっただけの話だ。どんな相手であれ邪魔をするなら打ち倒すし、敵であるなら容赦はしない。


と、いうか。


「クックック、執政院の長が最後の敵か。ならば打ち倒した直後は執政院はがら空きというもの。その時こそまさに好機、我が教団の同志たちで一気に執政院を打ち滅ぼし、新たな城塞都市エトリアを作り出してくれるわ、うわーっはっはっはっはっ!!」
「待っていろ、ウルス――今度こそ、お前を倒す!」
「最深部にはかつての遺産が埋まってるわけか。ぃよっしゃー、売ったら大もうけー!」

――余計、士気は上がったのではないだろうか。


そして。

「私も行かせて頂きます」

決意を新たにした彼らの後ろで、カレンの静かな声が響く。その言葉に、四人は一斉に後ろを振り返った。

それはかつて、仲間に受身人間と謗られ追放された女性。だが、今の彼女に、そんな色は微塵も無い。己の意志で決定し、己の意志で動き出した、自立を始めた女性がいた。

「……ふん」

そして、謗った男は鼻を鳴らした。

 

 

「ここだ」
「うお、懐かし」

それから数十分、一行はモリビトたちの修行場へと案内されていた。中々広く大きな広場で、中では数十人のモリビトたちが訓練を重ねている。

「ここですか? 何の変哲も無い普通の広場に見えますが……」
「いや、強大な魔力がある。太古の昔からあり続けた、強力な魔術が……違うか?」
「ああ、その通りだ」

ツァーリの問いに、アルカナは頷いて肯定した。

「ちなみに、外からは何の変哲もない空間に見えるが、一日の気温差は五十度を越えるし空気も薄い。重力も何倍もある」
「うげ」
「ここは、老若男女皆が共通して修行を積む場所だ。ここから男は候補生、戦士、高等兵、女は候補生、伝承者、司祭の三つに分かれた修行プログラムを行ってもらう。君らが行うのは無論、最も過酷な高等兵と司祭のプログラムだ。そして、すぐにそれさえも越える専用プログラムを発動してもらうことになる」
「まあ、そうだろうな」

アルカナの説明に、ゲリュオが頷く。むしろ、そうでなければおかしいのだ。ヴィズルやウルスを倒すのであれば、言っちゃ悪いがグリンウォリアーとグリンドルイドごときでの修行内容では到底追いつかない。

と、ベルドが眉を顰めて聞き返した。

「――それってまさか、あいつらと同じになれとは言いませんよね?」
「さすがに言わん。そこまでして君らに強いる話でもないからな」
「あいつら?」
「モリビトの中には、『ヒト』を超えて『鬼』になるやつもいるんだ。あるものは立派な甲ができ、またあるものは羽が生える。もはや同じ種族とは思えんよ」

そいつらの姿を思い出したのか、ベルドは眉を顰めて首を振った。どうやらそれは、今回あまり関係のない話らしい。そう納得して、ゲリュオは再び修行場所のほうへ首を移した。

……と。

「――――!?」

それを見た瞬間、ゲリュオは頭の中で何かが急速に組みあがっていくのが分かった。それは遠く、リーシュ戦から引っかかってきたもの。その時は、答えを見つけたと思っていた。だが、それは自分の思い違いでしかなかった。いや、思い違いというのは言葉がおかしいだろう。それが完全なものではないことは最初から分かっていたのだ。


リーシュが使っていた槍の炎。

セルティス自身から放たれた、振り下ろし攻撃の『白焔』の正体。

ウルスの刀から放たれる、極限まで洗練され研ぎ澄まされた剣技。

ヒオリの火炎の術式から放たれた、ベルドのチェイスファイア。

――そして、これ。


今までばらばらだったパズルのピースが、体系付けられ一つの立体として組みあがっていく。それは同時に、自分がこれからどうするべきかを思い知らせるものだった。

くるりと踵を返し、ゲリュオは言う。

「――俺は降りる」
「はあ!?」

その言葉に、ベルドが素っ頓狂な声を返した。そんな馬鹿な。ここは、人とは違う修行が行われる場所だ。そこで鍛えたもの、得たものを戦い方の下地とし、織り込んでいけばさらなる強さが得られるというのに、どうしてよりにもよって最強を目指すゲリュオが降りる?

そんなツァーリの疑問に、ゲリュオはぽつりと返した。

「やらなきゃならないことが見つかった。俺は一旦、『紆余曲折』を抜ける」
「いや、いきなり言われても――」
「――分かった」

戸惑うベルドの横で、ツァーリが頷いた。

「これだけの優良条件の前でお前さんが降りると言った以上、相当重要な意味があるんやろう。だったらわしらは突っ込まん。だが、どれだけの時間で帰ってこれるか、それだけは言っておけ」
「……それ、私のときとは違いすぎませんか?」

横から拗ねたように口を挟んでくるカレンに、桁が違うんだよとゲリュオが答える。言われたカレンはムカッとした表情でゲリュオを睨みつけ、その視線を眉毛一本動かさずに無視してゲリュオはしばし考える。しかし、なんでこんな棘のある言い方しかできんかね――苦笑したベルドの横で、ゲリュオは顔を上げた。

「分からないが、どれくらいの期間が貰える?」
「いや、それこそ分からんのやが」
「そうか……なら、俺の修行がつこうとつくまいと、一月を目処に帰ってくる。それでいいか?」
「せやな……なら、それで行こうか」

お前らもそれでいいか? とゲリュオはツァーリから視線を外して残りのメンバーに聞き、彼らとしても特に断る事情はないので承諾した。

「アルカナ。許可を貰えるか?」
「もとより否定する権利があるわけでもない。ヴィズルを倒すために修行しろというのだって、元はといえば我々の要望なのだ。そのために最善の方法が別にあるのであれば、是非には及ばん」
「分かった」

では、一月だ。そう再び念を押し、ゲリュオは里を立ち去った。その胸の中には、かつて師匠に言われた言葉が蘇っていた。

これが正解かは分からない。だが、それでも自分なりの答えは見つけたつもりだ。後はその答えを胸に、一直線に突き進むだけである。

だが、その前に――やり残したことに、ケリをつけねばならない。

 

 

久しぶりに立つエトリアの地だが、特に感慨を呼び起こすものではなかった。

まあ、それもそうだろう。たかだか一週間いなかったくらいで感慨を呼び起こされるのであれば、旅の最中いつだって感慨だらけだ。

「…………」


と、とりたてて探すこともなく、その姿は割とあっさり見つかった。向こうもゲリュオの姿に気づいたのか、小さく腕を立ててくる。

自分の知らない間に、少し丸くなったんじゃないのか――そんなどうでもいい事を考えつつ、ゲリュオは笑った。


そして。


「……待たせたな、セルティス」

 

 

 

 

 

 

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