第三十三幕

貴方がいて、私がいる


「へぇ……あれが、マンティコアか……」

世界樹の迷宮地下十八階・モリビトの里の入り口で、ベルドは乾いた唇を舐めた。彼らの目の前で、巨大な怪物が天に挑むかのごとき咆哮を上げる。

毒々しい紫色に染まる、四本の脚。金色をした、見るものを圧倒せずにはいられないその鬣。皮膜の翼に鋭く尖った尾を持つ、百獣の王を思わせるような巨大な怪物が、陰惨に光る黒い眼差しで一行を見つめていた。

「んで……ゲリュオ。オルタネットは、どこまで戦える?」
「さあな。思ったより襲撃は早かった。一応、体力だけは万全なのはせめてもの救いか……」

上段の構えに移行したゲリュオが、ベルドの質問に濁して返す。

「紆余曲折」の面々は、あまりにも使えなくなったメディックのカレンを追放していた。その代わりにと代替戦力として連れてきたのが、ベルドの言った「オルタネット」である。「アルヴェーン」というギルドに所属し、最初から医術防御やリフレッシュを使えた実力派で、まだカレンほどではないにせよ、中々頼もしい仲間となっていた。

彼らの陣形は、カレンがいたころと変わらない。前列にソードマンのベルドとブシドーのゲリュオ、後衛にアルケミストのヒオリとカースメーカーのツァーリ、そしてメディックのオルタネットだ。カレンもオルタネットも同じメディックなのだから、当然といえば、いえる。

緊張に震える声で、それでもオルタネットは笑ってみせた。

「ゲリュオさん、ツァーリさん。それに、皆さん。噂に名高い『紆余曲折』の戦い、どうか見せてくださいね」
「だったら足引っ張んじゃねえぞ、オルタネット!」

ベルドが呼応するように叫び、一気に距離を詰めるべく踏み込んだ。

 

 

「…………」
「どうしたの、カレン?」
「え、いや、あ……」

モリビトの里のかなり奥のほうにある、冒険者ギルド『異国の月』の宿舎で、追放されたカレンは忙しなく窓の外を見つめていた。母親のローラからかけられた声に、慌てて手を振って感情をごまかす。

『異国の月』とは、カレンの師匠と家族で構成されているギルドである。かつてベルドたちと共に『紆余曲折』を結成していた彼女は、ここモリビトの里で家族と思わぬ再会をした。だが、その家族に『異国の月』に戻ってこないかと持ちかけられ、その心は『紆余曲折』と『異国の月』で激しく揺れ動くこととなった。

『家族というのはどういう存在なのか?』『自分はどうするべきだろうか?』その結論を中々出せず、時間だけが刻々と過ぎ去る中、仲間のゲリュオ・キュラージに見切りをつけられ『紆余曲折』の追放宣言を出されていた。そして、『紆余曲折』はカレンが抜けて空いた穴を新しいメディックを連れてくることにより補い、魔獣マンティコアへの迎撃準備を整えていた。

「…………」

外が、にわかに騒がしくなる。再度のマンティコアの襲撃の知らせは、すぐに『異国の月』の面々にも知れる事となった。当然『紆余曲折』に知らされていないわけも無く、外の騒ぎようからすると、どうやら戦闘が始まったらしい。

「外が気になるの?」

そう言って、ローラは再び声をかけてくる。その言葉に曖昧な返事を返しつつ、カレンは再び窓の外に目をやった。あんなメディックで大丈夫なのかな――いくら追放されたギルドといえど、すぐそこでかつての仲間達が戦っているのを知っていては、心穏やかでいられないはずは無かった。

 

 

「氷よ、貫けっ!」

巨大な魔獣をめがけ、ベルドは思い切りよく踏み込んで行った。同時にヒオリが牽制攻撃で氷を一発。

「ガァッ!」

が、氷の刃は鉤爪に切り裂かれて吹き飛んだ。それでも剣の間合いに入るだけの時間は稼ぎ、ほとんど前足の間に潜り込むような位置から真上へと切り上げる一撃を放つ。

が。

ガギイィン、という鈍い音と共に、ベルドの剣はそこで止まった。必中を期して繰り出したダマスカスブレードの刀身が、マンティコアの牙で文字通り食い止められている。剣を噛まれて動きを止められ、ベルドの背に冷汗が伝った。

「ベルド、危ないっ!」
「ガアアァァァッ!!」

援護に放たれた電撃の術式を、魔獣の咆哮が迎え撃つ。衝撃波を伴う咆声が、高圧の雷電を相殺した。口が開いて剣が外れた隙に、ベルドはバックステップして後退。それを見たゲリュオが顎に手を当てて唸った。

「ううむ、さすがはモリビトの里に襲撃をかけつづけるだけはある。相当『気』もでかいぞ」
「『でかいぞ』じゃねえよ、てめえも切り込め!」
「馬鹿が。相手の手の内も分かっていないのにむやみやたらと切り込むか。それに、そういう先鋒は速度の速いお前の役目だ」

また、速くなったんだろう? 言葉の奥に隠されたそのメッセージを読み取り、ベルドはへっと笑ってみせた。確かに、慎重派のゲリュオなら無茶な切り込みはしないだろう。一発切り込んで即座に離脱するか、遠くから相手の様子を観察するかの違いであり、二人の戦法の違いがそこに伺えた。だからこそ、うまくやれているのかもしれない。行動派と慎重派――要するにそういうことだろう。

「大体、さっきの行動でマンティコアの基本的な能力は読めた。……俺も攻める、行くぞ、ベルド」
「うい、了解!」

声と共に気合を入れ直したベルドは、ゲリュオと共に再び魔獣へ突っ込んでいった。

 

 

『異国の月』の宿舎では、カレンがまだ窓の外を見つめていた。

里の入り口のほうからは、土煙と怒号が上がり続けている。激戦が続いているのであろう、里に待機しているモリビトたちも忙しなく移動しているように見える。

「…………」

こうしている間にも、ゲリュオが大打撃を負うかもしれない。ツァーリが魔力切れを起こすかもしれない。いや、それよりも何よりも、いつあのメディックが戦闘不能となり、メンバーが瓦解したとしてもおかしくない。あのメディックの腕は、どう控えめに評価してもまだ自分の域には届いていないのだから。

まあ、そういう自分も、恐らく師匠から見れば全く届いていないのだろうが。

「……気になるの、カレン?」

と、後ろから静かな声がかかる。振り返ると、そこには今まさに自分が考えていた存在、師匠のクランベリーが立っていた。

「クラン師匠……」
「……気になるんでしょう?」
「…………」

再びの同じ質問。いえ、そんなことは――そう言ってごまかそうとするも、すぐに無駄だろうということに勘付く。クランベリーの勘は決して悪くない。そして、何年も師弟関係にありつづけてきたのだ、自分の感情など手に取るように分かられているだろう。

「……、はい……」

しばしの逡巡の後、カレンは頷く。顔を上げると、クランベリーはいつもと同じ穏やかな笑みを浮かべながら、カレンを真っ直ぐに見つめていた。

「……はい」

カレンは再び頷いた。もう、ごまかすことは出来ない。もうこれ以上、自分の気持ちに嘘なんかつきたくない。

自分の居場所がどこだったのか、自分がどれだけ甘えていたのか、追放されて、やっと気づいたのだ。

「……行ってあげなさい」
「……え?」
「貴方がここにいるのか、向こうに行くのか。うち個人としては、この前も言ったと思うけど、ここにいてほしい。そのほうが、『異国の月』ももっと楽しくなるだろうしね」
「……でも、師匠……」
「ええ、分かってる。貴方の目は、やはり『紆余曲折』に向いていたのだから」

言われてみるまでも無かった。『家族って、なんなのでしょうか?』『私は、どうすればいいと思いますか?』――かつて質問をしてゲリュオに受身人間だと吐き捨てられたとき、ヒオリに辛い記憶を思い出させながらも答えを求めた時、既に答えは出ていたのだ。

そう、自分は最初から、『紆余曲折』にいたかった。でなければ、どうして『異国の月』の面々にその質問をしなかったのか。

おそらく、自分は欲しかったのだろう。自分が必要とされていると、お前が必要だという言葉が、それも全員から。

気がついてみれば、何の事は無い、物凄く下らない感情だった。

絶対的な価値観を持たず、他人の評価で相対的にしか物事を判断できない人間。そんなもの、生と死の境界線上で刹那的に生きる冒険者達に必要とされるわけが無い。

「師匠……」
「行きなさい。どんな道を選ぶにせよ、弟子として、師匠として、後悔の無い最良の選択を選んでほしい。あなたの人生は、あなたの人生なのだから」
「……はい!」

それだけ言うと、カレンは宿舎を飛び出した。目的地はただ一つ、里の入り口の激戦区。そこに仲間が、かけがえの無い仲間たちが、命をかけて戦っているのだから。

 

 

「ふっ!」

短い呼気と共に、ゲリュオの踏み袈裟が放たれる。銀色の刃は魔獣の腕にガードされるが、刀を引き抜いたその直後にヒオリの電撃が撃ち落とされた。駆け抜ける雷撃に咆哮を上げ、魔獣は長いその尾を振り回す。ベルドとゲリュオの真横から、猛毒を秘めた地獄の尻尾が唸りを上げて襲い掛かった。

「ぐ、はっ……」

直撃、体内に流れる異物感。腕が物凄い勢いで痙攣し、体の力が急速に抜けていく。だが、その瞬間に後方から薬瓶が飛来したかと思うと、二人の体に当たって中身の液体が吸い込まれる。直後、体の内部で暴れまわる異物感は一瞬で消え、二人は体勢を立て直した。

「ナイスフォロー。助かったぜ」

魔獣と再び切り結びながら、ベルドは後ろでリフレッシュを放ったオルタネットに賞賛の声を送る。オルタネットからの返事は無い。緊張しているのか、それとも次の行動の準備をしているのか。まあ、それはどうでもいい。さらにその直後、空間がねじれたかと思うと、鋭い刃がマンティコアめがけて襲い掛かった。続いてツァーリの力祓いの呪言が発動し、半瞬遅れて今度はオルタネットのエリアキュア。

「ガウアアアアァァァーーーーーーーーッ!!」

ベルドたちの果敢な戦闘ぶりに、魔獣の殺気が膨れ上がる。やばい――そう直感的に悟るも、魔獣は獣ならではの超強烈な瞬発力と共に突っ込んでくる。

「くっ!」

ベルドは鋭く後ろに跳び、大地を連続で蹴って距離をとる。ついでとばかりに風刃を放つと、これが意外にも直撃した。即座に運動方向のベクトルを転換し、超高速でのハヤブサ駆け。回避行動に出ようとしたマンティコアだったがここでツァーリの足違えの呪言が入り、そのままベルドのハヤブサ駆けをまともに食らうこととなった。続いて放たれたヒオリの強斬の術式も、また。

無理な深追いはせずに後退したベルドを、魔獣は再び追って来る。

「させるかっ!」

そこへ、怒号と爆炎が割って入った。ゲリュオの放った卸し焔は、魔獣の顔を覆う鬣に炸裂し、一瞬でその鬣に引火する。絶叫を上げる魔獣から、ゲリュオは一旦飛び退いた。入れ替わるようにベルドが入り、素早い剣の一撃から勢いを乗せたスカイアッパー。

「――どっせえぇぇいっ!!」

外から見れば、子供がライオンを殴り飛ばすような情景であった。なかなかシュールな光景だったが、上空に跳んでいたゲリュオは、この絶好の隙を逃さずに襲い掛かった。仰け反った魔獣の首を狙って思い切り刀を振り下ろし、卸し焔で爆砕したその傷口から、噴水のように鮮血が噴き出してくる。

「血は赤いんだな」

どうでもいい呟きを漏らしながら、ゲリュオはベルドの隣に着地した。

「さて、普通はこれくらいのダメージを受ければ逃げ帰ってくれるものなのだが……」

刀を油断無く構えつつ、ゲリュオは魔獣を見つめて言った。あくまで襲撃をかけてきたのはマンティコアであり、今回はあくまでも防衛戦だ。まだオルタネットのレベルが完全なものになっていないこともあり、よって今回は初っ端から全力で当たっていた。

が――

「グルルルアアアアアアアアァァァァァァァーーーーーーーーーッ!!」
「――おいおい、マジかよ?」

首を切断されかけたというのに、魔獣の戦意はいささかも衰えてはいなかった。二つの目が爛々と輝き、煮えたぎる殺意を込めてベルドたちを見下ろしている。

「うわ、面倒な……逆上するのは勝手だけど、ここでしないでくれよな……」

心から嫌そうに、ベルドはぼやいた。どうやら、相手を傷つけすぎてしまったらしい。手負いの獣ほど怖いものはないというが、まさにその通りの現状があった。

「これはもう、ここで倒すしかあるまいな……」
「……だろうな。ゲリュオ、お前はどう思う」
「わざわざ聞くか? しかも、あの魔獣、ますます『気』が膨れ上がりやがった」
「……冗談だろ?」

ツァーリが、冷静に現状を判断し。対してベルドは、同じような判断を下した。隣で戦ったゲリュオに聞くも、返事は同じ。

今更逃げるわけにはいかない。そんなことをしようものなら、手負いの魔獣は怒りに任せて暴れ狂う。その折の被害など、もはや考えたくもない。

だた。

(とは、いったものの……一体、どないしまひょ……)

内心、かなり追い詰められてしまった。戦術構想を根本からぶち壊され、初っ端からハイペースで飛ばしまくったベルドたちは、正直息切れが始まっていた。先のゲリュオの一撃でどれだけのダメージを与えられたのかは分からないが、もしかしたら取り返しのつかない失敗をしてしまったのかもしれない。

「――――ッ!!」

そんなことを考えてしまったからだろうか。致命的なまでに、反応が遅れる。マンティコアが先手を取り、獣ならではの瞬発力で瞬く間に距離を詰める。ベルドが気づくも既に遅く、マンティコアはその鉤爪を振り下ろした。


「ご――」

ぐぶっ、と音を立て、マンティコアの鉤爪がシリカ商店の最新鋭防具・ロリカブラックドを軽くぶち抜き、深々とその腹に抉りこまれていた。防具がそれで無ければ、腹部で胴体を両断されていたかもしれない。

「ベルド!」

ゲリュオとヒオリの叫びと悲鳴が同時に放たれ、猛毒の前足が振り抜かれる。完全に力を失った体は慣性のままに放物線を描き、大地に叩きつけられた。

しまった――流れ出る血の感触に、ベルドは苦笑交じりに後悔する。

「ぐ、がぁ、いぎ――」

立ち上がろうとするも、思ったより出血がひどいのか、体に力が入らない。即座にオルタネットが駆け寄り治療を開始するも、それでも力は入らない。ベルドは愕然として、オルタネットに呟いた。

「何故、だ……」
「何故も何も、傷が深すぎるんです! まだ動かないでください、本当に死にますよ!」
「じょ、冗談じゃねえ。ゲリュオ一人で、止められるのかよっ……!」

現在、そのゲリュオは魔獣相手に果敢に戦っていた。だが、形勢はやはりゲリュオのほうが不利だ。人知を超えた魔獣の力に対抗するには、いくらツァーリの援護があっても一人では荷が重過ぎる。様子を見たベルドは援護に入ろうとするが、やはり力が入らない。これでは、踏み込み一発すら出来ないだろう。だが、それでも気合で剣を握り、ベルドは喝を入れるように叫んだ。

「――んの、くそったれがああぁぁぁっ!!」

ぐふっ、と音を立ててベルドが沈む。それでもなお這いずるようにして立ち上がろうとし――


「――ベルド」

その耳朶を、聞き慣れた声が刺激した。

 

 

「……なんだ?」

投げられた言葉に、ベルドは思わず聞き返す。その言葉を投げた相手――ヒオリ・ロードライトは、真剣なまなざしでベルドを見ていた。

「下がってて。もう、大丈夫だから」
「……え?」

一見よくわからない、ヒオリの言葉。だがヒオリは、篭手に魔力を通しなおすと、再び魔獣に向き直った。

「止めるのは、ゲリュオ一人だけじゃないから。ボクだって、止める力ぐらい、持ってるから」
「いや、だけど……」

「止める」というのは、前線を抜かれずに止める、ということだ。ヒオリも、ツァーリも、オルタネットも。前で誰かが敵を抑えているからこそ、真価を発揮することができる。別に彼女らが足手まといというわけではなく、単純な役割の問題だ。

「じゃあ、ベルド」
「な、なんだよ」
「ゲリュオ一人だったら……何分止めていられると思う?」
「さあ……」

言っている意味が分からないが、オルタネットからの治療を受けながら、ベルドは客観的な予測を返す。一分か、二分か。三分は正直、厳しいだろう。

だが、その言葉を聞いたヒオリは、分かったと言って言葉を返した。

「じゃあ、ベルド」
「なんだ?」
「もしもその二分でさ、ボクが相手をKOしちゃったらどうする?」
「――――――――」

ベルドは一瞬ぽかんとした顔になり――

「――やってみろ」

そう言って、笑ってみせた。

 

 

「ゲリュオッ!」
「ヒオリか……遅いぞ」

戦場へと帰還したヒオリを、ゲリュオは小さく笑って迎え入れた。それと同時、魔獣がヒオリめがけて襲い掛かるが、ヒオリのほうが速かった。

「ギャウッ!」

空間から放たれた無形の刃が、魔獣の体を斬り裂いた。それにツバメ返しで追撃をかけつつ、ゲリュオは問い返す。

「ベルドは」
「一時降板。すぐ戻ってくるよ」
「そうか――だが、アルケミストが前線に出るな。いくらなんでも、危険すぎる」
「そうかもしれないね。でも――」

その言葉と共に、魔物がヒオリのほうへと目を向ける。大きく息を吸い込んで、魔物は勢いよく突進してきた。

「――――っ」

相手の動作に、ゲリュオがヒオリの前に立つ。刀を構えるゲリュオだったが、その横を後ろから何かが駆け抜けた。

「え?」

ヒオリの声と共に、それはゲリュオの眼前でマンティコアとの距離を瞬く間に詰めていく。次の瞬間、割り込んできた白い影が、斜め上方に飛び上がった。

「ぅありゃああぁぁぁーーーーーーーっ!!」

必要以上の声量の、何かを吹っ切るような叫び声と共に放たれるのは、彼女必殺の打撃技。杖の重さを利用した超強力な壊攻撃は、ガードに回されたマンティコアの翼を、翼骨もろとも粉砕した。

絶叫を上げるマンティコアの前に、軽い音を立てて着地したのは――

「カレン……」
「――ふん。今更、戻ってきたか」
「……許してくれ、とは言いません。ですが……」
「無駄口を叩くな。来るぞ」

ゲリュオの言葉は、彼女の弁明を叩き斬った。謝罪も賠償も必要ない、ただその力で語ってみろ――恐らくはそういうことだろう。

だが、力で語る必要があるのは、カレンだけではなかった。

「ねえ、ゲリュオ」
「なんだ」
「あの魔獣を、怯ませることは出来る?」
「何を言っている?」

なにを言いたいのか分からず、ゲリュオはヒオリに言い返す。言われるまでも無く何度も怯ませているが、今までやっていたのは時間稼ぎの防御戦だ。いくらヒオリやツァーリの援護があったといえど、メディックの実力がまだ未完成で、さらに最初から飛ばしまくった挙句の目算違い。これに加えてベルドの戦闘不能は痛すぎた。よって、今回は時間稼ぎをするか、逃げ出す隙を作り出すかの戦いを繰り広げていたというのに、何故いきなりそんな強気の意見が出るのか――

疑問を抱くゲリュオに、ヒオリは静かに語りだす。

「ボク、ベルドに任されたんだ。二分間だけ、戦場を」
「…………」
「だから、その二分で決める。ううん、そんなにかからずに決めてやる。だから、ゲリュオ――」


「――あと一回でいい。隙、作って」

そうしたら、ボク、絶対決めるから。強い意志を秘めた瞳に何を見たか、ゲリュオは刀を構え直す。

「……いいだろう。ならば、絶対に決めてみろ」

その言葉を最後にして、ゲリュオは思い切り地面を蹴り飛ばした。

踏み込み。広場の土が、音を立ててえぐられる。瞬間移動と表現しても差し支えないほどの爆発的な踏み込みと共に、ゲリュオは一瞬のうちにマンティコアの目の前に迫っていた。

と。

「発っ!」
「ガアアァァァァッ!!」

マンティコアの目前で卸し焔を放ち、ゲリュオは土煙を巻き上げる。マンティコアはそれを咆哮一発で吹き飛ばすが、そこにゲリュオの姿は無かった。

マンティコアはその尾を遠心力を利用して振り回す。相手がどこにいるか分からない以上、薙ぎ払い攻撃というのはほぼ最も有効な手段といえるだろう。

だが、思ったより軽い手ごたえしか帰ってこない。そして、宙を舞う一本の影――

「…………?」

それが何か分からなかったのか、マンティコアは思わず目を向ける。宙を舞っていたそれは、ゲリュオが地面に突き刺した刀だった。その意味が分からなかったのか、それともあまりにも意外だったからか、マンティコアはしばし止まってしまう。


そして、それはあまりにも大きな隙だった。


「――ごめんね」

小さく呟かれた声に、マンティコアの意識は引き戻される。視線を向けたその先には、眼帯をかけた少女がいる。

「悪いけど、あんまり構ってあげられないんだ」

少女の篭手が、魔力を宿す。

「――ベルドが、待ってるから」

炎でも、雷でもなく。空間を操る概念的なものでもなく。生まれてくるは、細く鋭く絞り込まれ、どこまでもどこまでも純化された、術式エネルギーの純粋な塊。

一つ、二つ、三つ、四つ――その数は瞬く間に十を越え、その全てがヒオリの周囲を取り巻くように舞い踊る。


「行くよ――」

その言葉と共に、ヒオリは思い切り跳躍した。空中で右方向に一回転すると、交差させた両腕を元に戻しながら振り下ろす。刹那、周囲にあった魔力塊の五つが魔獣めがけて飛来する。

「戦撃、セラフィック・ダンスッ!!」

光の速さを越えた魔力は、視認さえも敵わない。何をされたか気づくより早く、体に当たって爆発し、貫いて内部を破砕する。内と外から放たれる爆発の二重奏は、対峙したマンティコアの体を一瞬の抵抗もなしに打ち砕いていく。その威力は、敵の肉片すら残さない。存在そのものを許さないかのように、血液も細胞も、何もかもを粉砕し――


――そして、破壊した。

 

 

 

 

 

 

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