第三十二幕

矛盾の中で


ベルド・エルビウムは、無言だった。

ゲリュオの言った言葉が理解できなかったわけではない。ただじっくり、何度も何度も反芻し、その言葉の意味を探る。

やがて数十秒の時が過ぎ、ベルドはゆっくりと口を開いた。

「……それは、お前ら三人とも納得しているのか?」
「ああ」
「そうか……」

ゲリュオの返事に、ベルドは一度だけ頷いた。それからまたしばらくの沈黙を経て、ベルドは再び口を開く。

「……いくつか、質問がある」
「なんだ?」

カレン・サガラの除名――それが、今回ゲリュオたちがベルドに提案した話であった。モリビトの里を幾度も襲撃しているという怪物・マンティコアの迎撃を前に、回復・補助役を追放するというその話は、いかに冷静に物を考えられるゲリュオと参謀役のツァーリの合意があったといえど、はいそうですかと納得できるはずが無い。

「マンティコア戦だが、奴はたくさんの状態異常を使いこなすという強敵だ。リフレッシュが使えるカレン抜きで、一体どうやって戦うつもりだ? 一旦エトリアまで戻ってテリアカβでも買ってくるにせよ、医術防御の利が消えるのは痛すぎるぞ」
「それに関しては、俺が責任を持って代わりのメディックを探してくる」
「奴が来るまで、おそらくそう時間は無い。もって一週間がせいぜいだ。それだけの期間で、お前は新しいメディックを探して、満足のいく練度まで鍛え上げられるのか?」
「ああ、大丈夫だろう」
「根拠は」
「というより、今のカレンが使えなさ過ぎる。言ったはずだろう、カレンほどの『腕』が立つメディックも今のエトリアには居ないだろうが、家族だか何だかにぐらついて、悩みと未練を残していて、誰かに言われるがままのカレンであるならば、代役なんていくらでもいると」
「…………」

それに関しては同感だ。だが、そうなると――

「エルビウム卿」

それを考えたタイミングで、一つの声が発される。顔を向けたベルドに、声の主は笑みを含んだ声で言った。

「お前さんの考えていること、当ててやろうか?」
「……なんだ?」
「いくら代役を探したからといって、そんな短期間で腕の差は埋められない。だが、キュラージ卿の言っていることも正しい。つまり――」

仲間のことを下の名前で呼び、独特の話し方をする彼らの参謀は、ベルドの脳裏によぎった予感を完璧なまでに当ててみせる。

「――今の状態では、どんな道を選んだとしても、絶対にマンティコアには勝つことは出来ない……」

違うか? そう言って質問を重ねるツァーリに、ベルドは苦々しい顔で頷いた。彼の話は全く持ってその通りで、ベルドも自分の意見は間違っていない自信はある。だが、ゲリュオの意見、つまり自分とは正反対の意見も正しいということは分かる。つまり――

ツァーリの言う通り、今の状態では絶対にマンティコアには勝てないのだ。

「…………」

その辺はアルカナに話す必要がありそうだった。マンティコアと戦うのを次の機会に持ち越すか、もしくは修行期間を設けなければ、恐らくこちらに勝利は無い。カレンの迷いが完全に消えたなら行けるかもしれないが、今のあれにそれを期待することは無理だろう。

さらにしばし考え――ベルドはもう一つの疑問をぶつける。

「この後、カレンはどうするつもりだ?」
「知るか。本人に聞け」
「ああ、いや、質問の仕方が悪かった。そうじゃなくて、これから『紆余曲折』としてはカレンをどうするんだって話。ほら、例えば激励するとか」
「……激励して何になるんだ?」
「いや、物の例えだ。そういう感じで『どうするんだ?』って意味」

「激励する」なんて、我ながら随分お人よしな意見が出てきたもんだ。自分の甘さに苦笑しつつ、ベルドは話を続けた。だが、ベルドと違い、ゲリュオはどこまでも厳しくそして冷酷だった。

「しばらく待って――それでも奴がどうにもならなければ仕方が無い、置いていくしかないだろう」
「つまり?」
「奴には――『紆余曲折』から、永久に抜けてもらう」
「……そう、か……」

ゲリュオの言葉は、物凄く重い。自分達にとっても、カレンにとっても、非常に重要な決断となるだろう。だがその前にと、ベルドは最後の質問をする。

「もしあいつを抜けさせるのであれば、いつにするかは考えてんのか?」
「俺から見て――代わりのメディックが十分に活躍できるという見込みが立ってからだな」
「なるほどな……」

確かに、それがベストだろう。実際に「十分に活躍できる」レベルにまで育ててからという選択肢もあるだろうが、そうなると、例えばその代わりのメディックが十分に活躍できるようになるという見込みが立ってから実際にそのレベルになるまでの間にカレンの決断が終わるような事態になれば、カレンを連れて行くかそのメディックを連れて行くかで結構面倒なことになるだろうし、お互いにとって悪い心象を与えるだろう。そうなると、確かに見込みが立った辺りで決断を下すのが手っ取り早い。

「…………分かっ、た」

またしばらく考え、ベルドは一つ頷く。それに対し、ゲリュオはベルドに聞いてきた。

「お前は何か意見とか無いのか?」
「特に無いな。あいつが出るのか戻るのか知らねえが、少なくとも俺より頭のいい奴と冷静に物事判断できる奴が二人ともどもその意見で合意に達してんだ、今更俺がどうこう言うような話じゃねえよ」

それに、俺より見通し立てた話なんだろうしな。そう言って、ベルドは話を締めくくる。

確かに『紆余曲折』のリーダーはベルドであるが、あくまで形式上の話に過ぎないし、ベルド自身そこまで頭がよくないことも自覚している。いわゆる瞬間的な直観力や即興で作戦を組み立てる能力は高いのだが、紙を持ち出して腰を据えてじっくり物事考えるというのは苦手なのだ。その自分がどうこう言ったってゲリュオはともかくツァーリの意見には敵わないだろうし、何より三人も納得している意見が出ているのであれば、今更引っ掻き回す必要も無いだろう。そういう結論を出して、ベルドは一つ頷いた。

「なら、『紆余曲折』リーダーの名において宣言する。カレン・サガラを一旦『紆余曲折』からの除名処分とし、逡巡に対する結論があまりにも遅ければ、見切りをつけてこのギルドから永遠に脱退させる。それでいいな?」

その言葉に、ゲリュオもツァーリも、黙っていたヒオリも頷いた。

 

 

 

「……どういうことですか、それは!?」
「どういうこともくそもあるか。言葉通りの意味に決まっているだろう」

そして当然、その話はカレンを動揺させることになった。『紆余曲折』と『異国の月』、その二つの間で悩むカレンは、裏を返せばどちらのギルドにも未練があるということである。そのうちの片方から追放処分を突きつけられ、当然ながらカレンは血相を変えて食いかかった。

「じゃあ貴方たち、私抜きで樹海探索が出来るんですか!?」
「当たり前だ」

だが、カレンの言葉を聞いたゲリュオは、何の容赦もなく突き放す。彼女の追放を言い出したのが彼である以上、カレンに伝えるのも当然ゲリュオの役割だ。さらに食い下がろうとするカレンに、ゲリュオは怜悧な言葉で切って捨てた。

「お前の助けは必要ない。補助はツァーリがやってくれるし、場合によっては俺も小手討ちとかを使えばいい。面倒な敵はベルドが怯ませた後にヒオリの魔術で吹き飛ばしてしまえばいいし、回復なんざ薬がある」
「じゃあ、医術防御は!?」
「代わりのメディックをつれてくることで合意した」
「…………!!」

カレンの奥歯が音を立てる。どうするべきか考えていた所への追放宣告――カレンにとっては進むべき道が一つになったのにもかかわらず、素直に喜ぶ素振りは無い。だがゲリュオは、カレンが何も言ってこなくなったのを見届けると、くるりと踵を返して歩き去る。後ろから声が追いかけてくるも、ゲリュオは無視して立ち去った。

人材捜索、講義に特訓、さらには自分の訓練など、やるべきことはいくらでもある。これ以上、空っぽの女に割く時間は無かった。

 

 

 

結論から言うと、メディックはあっさり見つかった。

さらに言うと、最初から医術防御もリフレッシュも覚えていた。

彼女の名前はオルタネット・レイライン。なんでも先日「アルヴェーン」というギルドが永劫の玄王を相手にして潰滅し、仲間のソードマンとオルタネットだけが命からがら逃げ延びたらしい。そこで冒険の辛さを思い知ったソードマンは、仲間を弔った後故郷へ帰ったそうだが、オルタネットだけはエトリアに踏みとどまっていたそうだ。もとより帰る気も無く、いつか永劫の玄王を打ち倒して仲間の仇を取ってくれると息巻いていたらしく、そこをゲリュオがスカウトしてきた。

「何か俺、メディックしかスカウトしていない気がする……」

というのはゲリュオのぼやきであるが、たしかにカレンをスカウトしてきたのもゲリュオだった。出会ったときにはまさか己の手で追放させるなど夢にも思わなかったに違いない。いや、思っていたかもしれないが。

兎にも角にもそういうわけで、彼らはオルタネットの特訓を開始した。

 

 

 

「だだだだだだだだだだだだだだっ!」
「――何やってんだ、お前?」

数日後、オルタネットの修行を一区切り終え、彼女に小休止を命じたゲリュオは、ある場面に遭遇した。

「特訓してんだ、見りゃ分かるだろ!」
「何のだよ」
「敏捷性、及び精神力っ! 長所を伸ばしましょうってヤツだボケ!!」

ゲリュオの言葉に反応できたところからすると、結構余裕があるんじゃないだろうかと思えてくる。当のベルドもそんなに苦しそうな顔はしておらず、わりかし大丈夫そうだ。そんな修行で意味があるのかとゲリュオが突っ込もうかと思ったとき、ベルドは腰の剣に手を当てた。

「てりゃっ!」

トルネードの多段斬り。ベルドの剣から幾筋の旋風が発され、かなりの速さで動き回るそれを正確無比に打ち落としていく。そのコントロールにゲリュオがほうと感嘆の声を上げる中、ベルドは最後の一つを斬り落とした。

「ふう、一丁上がり。だんだんこいつにも慣れてきたな」

大木と自分の腹部にロープの両端をくくりつけ、ベルドは笑う。確かに、言われてみれば先のベルドの動きはかなり速かった。ふう、と額の汗を拭ったベルドに、ゲリュオは問いかける。

「どれくらいの間やってたんだ?」
「三十分ちょいかな」

ベルドの返事に、ゲリュオは再び感嘆の声を上げる。たしかにあれはベルドの最高速度とはとても言えなかったが、あの動きを三十分間続けてなお余裕を見せるその持久力には感心する。それとも、最高速がどんどん上がっているせいで、使う力を相対的に抑えられているのか。いずれにせよ、空恐ろしいベルドであった。

「ところで、オルタネットは?」
「一区切り終えたところだ。連れてこようか?」
「いや、今回はいいや。無傷だしな」
「らしいな。しかし、オルタネットの休憩時間になると毎回お前がキュアを頼みに来ていたのはこういうところがあったのか」
「まあな。お前らと違って、俺ら結構暇だし。自分達で勝手に修行してんのよ」
「なるほどな」

オルタネットの修行は、基本的に言いだしっぺのゲリュオと参謀役のツァーリが行っている。ゲリュオが物理的な能力の修行、ツァーリがメディックには最も重要な魔法的な修行を行っていた。たまにヒオリが狩り出されることもあるが、それすらないベルドは基本的に暇である。しかし、その間のんべんだらりとしているのが嫌いなベルドは、自分で修行メニューを考えて実践していた。無論、ゲリュオたちも空いた時間は積極的に自分の修行に当てている。ツァーリなど邪神の直接召還に成功しかけたほどだ(失敗因・ベルドたちが大慌てで止めたため)。つまり、全員確実に腕は上がっているということである。

が、しかし。

「敏捷性やら精神力やらを鍛えるんだったら、反復横跳びやら瞑想やらでもやってりゃよかったろうが。なんでわざわざ――」


「――蜂の巣をつっついて刺激された蜂の大軍から身を躱し続けるような修行方法をとるんだ、お前は」

まあ、刺されるというものすごい緊張感があるから同時に鍛えられるというのも分からなくは無いのだが。それで鍛えられる精神力って、どんなもんなんだろうか。思わずそう考えるゲリュオであった。

 

 

 

そんな修行風景を見つめている、一人のメディックがいた。己が逡巡に見切りをつけられ、『紆余曲折』の一時追放処分を受けたカレン・サガラである。近くに行っても、ゲリュオも、ヒオリも、ツァーリも、それどころかベルドでさえも、何の反応もしなくなった。彼らの中には、いつしか一人のメディックが混じり、それはかつて自分が立っていた場所だった。

もう、完全にお払い箱なのかな――そんなことを考え、カレンは半ば呆然としたまま首を振る。失って初めて、己の甘さが嫌というほど叩きつけられた。

ゲリュオやツァーリは、新しいメディックに『紆余曲折』での立ち位置と戦い方を次々と教え込んでいる。もともとの腕も高いのか、そのメディックは最初から医術防御やリフレッシュ、エリアキュアといった高等技術を覚えていた。つい先日キュアⅡを覚えたらしく、あれでは自分に追いつかれるのも時間の問題だろう。

ゲリュオもツァーリも、活き活きしているように見える。ベルドやヒオリも、お互いに支え合いながら更なる高みを目指している。それは、自分がいなくなったからだろうか。自分がいなくなり、有望なメディックがやってきたから、自然とそうなってしまうのだろうか。

堂々巡りを続ける思考はいつしか全く結論を出さなくなり、もしかすると最初から出せなかったのではないかとも思えてくる。

『私は、どうすればいいと思いますか?』――その問いかけをしても答えは得られず、状況はますます厳しくなる。さらに、所属していたギルドから唐突に宣告された手切り宣言。自分の処理しきれない速度で、周りは一気に動き出してしまった。どこから手をつけていいのかも分からなくなり――

「カレン……」

そんなカレンの後ろから、一つの声がかけられる。振り向くと、そこに立っていたのは目の覚めるような鮮やかな金髪と、海のように透き通る碧眼の持ち主。自分の母にして『異国の月』の一員、ローラ・セガールだった。

「お母さん……」
「――どうするの?」

主語も目的語も無く、それでもこの上なく明瞭な問い。一つの居場所を失ったカレンに、出す結論は決まっていた。

「私……やっぱり、『異国の月』に入る」

 

 

 

「よおゲリュオ、おはよーさーん」
「ゲリュオ、おはよう」
「ああ、お前らか」

次の日、ギルド『紆余曲折』の宿舎を出ようとしたベルドとヒオリは、玄関先でゲリュオと遭遇した。ゲリュオは一瞬ベルドたちを見ると、若干視線の温度を下げる。

「なんというか、お前らいつも一緒だな」
「やかましいわ、ほっとけ」

ぼやき気味に放たれたゲリュオの声に、ベルドは硬い声で返事を返す。例えば昨日の修行の時とか、ばらばらにいる時も結構あるとは思うのだが、ゲリュオからすればそう見えるのだろうか。別にいつも一緒にいるわけではないのだが。

「オルタネットの修行はどうだ?」

言い返しても不毛な議論にしかならなさそうなので、ベルドは速攻で話題を変える。ゲリュオはああと一つ頷くと、懐から紙を取り出した。それはオルタネットの修行メニュー表と、彼女の覚えている技を書き記したものだった。

「頭がいいのか要領がいいのか、それとも俺らと相性がいいのかは知らないが、俺らの予想以上のペースで上達している。このまま行けば、今日中には目標としたところに辿り着けるかもしれん」
「へえぇ、そりゃ早えや。しかし、そんな調子で大丈夫なのか?」
「何がだ?」
「いや、オルタネット本人が。そんなペースで進めていたら、相当疲れが溜まっちまうんじゃないかと思うんだが」
「それが、そうでもないんだ。確かに擦り傷はあちこちに出来ているし、若干疲れたような表情を浮かべることもある。だが、目だけは未だに輝きを失わないんだ。危なげないとは思うんだが、頼もしいとも言える表情だな」
「そうか……」

かつて、オルタネットはその所属ギルドごと永劫の玄王に敗北した。そして今、まがりなりにも「紆余曲折」の一員として、永劫の玄王よりもはるかに強い力を持つマンティコアに挑もうとしている。それを成し遂げるために力を上げることは、正直かなり辛いだろう。加えて、こんな短期間で。

だが、彼女はそれを成し遂げつつある。「復讐」という感情を匂わせることこそ無いが、それでもそれは心のどこかにあるだろう。

と、そんなことを考えていたベルドの横で、ヒオリが質問をする。

「ねえ、ゲリュオ」
「なんだ?」
「このマンティコア戦が終わって、ひとまずの区切りをつけたとしたら、ゲリュオは第三階層に行くの?」
「……永劫の玄王か?」
「うん」
「それを、そいつが望むならな。俺らの力を借りずに行きたいというのなら、俺らはあいつを止める義理は無い。だが、あいつが俺らと共に来る決定をしたのなら、俺らも行く必要があるだろう」
「じゃあ、『紆余曲折』には入らないけど、永劫の玄王を倒すのにはボクたちの力を借りたいって言った場合は?」
「それも付き合うことになるだろう。マンティコアを倒すという俺らの目的には付き合ってくれたわけだし、どのような形にせよ力は貸してもらったわけだからな。受けた恩は返すが道理だ」

流石は侍。受けた恩はしっかり返すし、出来た借りもしっかり返す。高潔で裏表の無い彼らの精神構造には、ヒオリも少し感動した。その感動に気付いているのかいないのか、ゲリュオは淡々と二人に聞く。

「そろそろいいか? オルタネットを鍛えてやらなきゃならない」
「そうだな、んじゃあ――」

と、そこまでベルドが言ったとき。視界の先から、何かが勢いよく駆け込んでくる。反射的にそちらを振り返った三人は、息を切らすツァーリを見た。

「おお、お前さんら、揃ってたか!」

三人を見て、ツァーリは安堵したような、焦ったような表情で言葉を発す。まさか――嫌な予感が脳裏に走り、その予感は間もなく現実のものとなる。

「入り口に――里の入り口に――」


――もしかしたら、こうなることは必然だったのかもしれない。メイスを握って、ツァーリは告げる。

 

「――マンティコアが、攻めてきおった!」

 

 

 

 

 

 

第三十一幕・逡巡へ

目次へ

第三十三幕・貴方がいて、私がいるへ

 

 

トップへ

 

 

inserted by FC2 system