第三十幕

絆が生んだもの


「……ルド…………ベルド……」
「んぁ……?」

朝――心地よいまどろみの中で、少年はさらに心地よいソプラノの声と、優しく体を揺する暖かい手の感触を感じて目を覚ました。半分以上寝ぼけている目をぽやっと開くと、赤い目を持つ少女の顔が飛び込んでくる。

「おはよう、ベルド。もう、朝だよ?」
「…………んぁー」

少女は、少年――ベルド・エルビウムが目覚めたのを見ると、はちきれんばかりの笑顔を浮かべてベルドに顔を近づけてくる。対するベルドは、のっそー、と緩慢極まりない動作で、ぼけーっと布団から身を起こした。ついでにでっかい大あくびをすると、またぼけーっと少女を見る。

「…………」
「…………」
「…………寝る」
「わ、わ。寝ちゃだめだよー」

そのまま布団に戻ろうとしたベルドを、少女――ヒオリ・ロードライトは、大慌てで止めに入った。未練がましく潜り込もうとするベルドの布団を、ヒオリは引っ張って取ろうとする。対するベルドも布団を引っ張り、しばしの間しょーもない力比べと根競べ。

基本的な力ではベルドのほうが上だが、今の段階で出せる力はしっかりと意識を覚醒させているヒオリのほうだ。べりべりっと布団をはがされて、ベルドは身体を縮こませる。

「起きなきゃだめだよ、ベルド」
「……………………ぅぁー」

観念したのか、ベルドはのっそりと身を起こした。ヒオリはまた嬉しそうに笑うと、甲斐甲斐しく世話を焼いてくる。昨日のうちに川で洗って乾かしておいた服を取り込むと、軽く畳んでベルドのほうに差し出した。

「えへ、えへへ。おはよ、ベルド」
「ん、おはよ。ありがとな」

ぽんぽんとベルドは頭を叩くと、ヒオリから畳まれた服を受け取る。大きく伸びをすると、ベルドは服に手をかけた。ヒオリはやっぱり笑いながら、ベルドに体を寄せてくる。

「ね、着替え、手伝ってあげようか?」
「いいっての」

ずーっとにこにこ笑っているヒオリのほうに苦笑を返し、ベルドは手早く着替えを始める。と、下着姿にはまだ少しの抵抗があるのか、ヒオリは少し顔を逸らした。が、ちらちらと目線を寄せてくるあたり、相当愛されているらしい。

それもまた、無理はないといえるだろう。

ベルド・エルビウムは、七年以上前の記憶を失っていた。しかもそれは、自然に失われたものではなく、モリビトたちの手によって封印されていたことも明らかになった。だが、記憶を取り戻してみれば、そこにあった「過去」はベルドとは真逆の性格の持ち主、グレイン・フランティスだった。ベルドとグレイン、見事なまでに対称的な性格を持つ二人はそれ故に人格を統合できず、身体を取り合った挙句に一時は自己同一性を失って暴走するまでになってしまった。その後、ベルドのかけがえのない恋人であるヒオリ・ロードライトの尽力によって元に戻り、その渦中でベルドとの差を知ったグレインは彼に身体を渡し、一連の事件は収束していた。この身体戻しが行われたのが昨日の夜で、となるとヒオリの甘えっぷりとテンションが未だに高いのも頷ける話だ。

「ベルド、はやくはやく。朝ごはん、できてるよ」
「お、マジか? サンキュー」

そういえば、あの後約束したんだっけ。今日の朝は、ヒオリの作った朝食を食べると。

ヒオリは料理が壊滅的に下手だったが(というか最早殺人級)、どうやら仲間であるカレン・サガラやゲリュオ・キュラージといった面々に教わっていたらしい。いつの間にと思わないでもないベルドであったが、後からゲリュオに聞いてみると、なんでもゲリュオ自身驚くほどの速さで覚えて行ったらしい。彼曰く、砂が水を吸うかのように、と。

それがどれだけ結実したのか、調べてみるのも悪くない。ゲリュオ曰く、自分の好きな味付けまで聞いていたというのだから感涙物だ。この上待たせたら罰が当たる。

てきぱきと着替えを終わらせて、ベルドは大きな伸びをする。続いて布団を手早くたたむと、ベルドはふと、それに気づいた。

前日、この部屋を訪ねた少女が忘れていった、グリンヴァルドが持つ杖に。


セレン・メトリック――グレイン・フランティスの恋人で、ヒオリと対立して「彼」を取り合ったモリビトの少女だ。結果的にグレインとベルドの人格統合を妨げ、暴走を引き起こした原因の一端にもなっている。だが、セレンにとってのグレインの価値と、ヒオリにとってのベルドの価値は等価ではなく、その差を知ったグレインはベルドに身体を譲っていた。それ以来、セレンにはまだ会っていない。

「…………」

今度会ったら、話さなきゃな――身体を譲られたものとして、そしてかつてのグレインとして、ベルドにはその責務がある。いつもの陽気な笑みとは全く違う、苦笑に近い表情を口元に浮かべ――

「ベルド?」
「ああ、いや。なんでもねえ」

横合いから、小さな声がした。その笑みを再びいつもの陽気なものに戻し、ベルドはヒオリを振り返る。たたんだ布団を脇に寄せ、ベルドはもう一度伸びをした。

そして――

「おはよう、ヒオリ」

いつもと同じように、ベルド・エルビウムの朝はこうして始まった。

 

 

 

「おー。典型的な純和風」
「えへへ。ベルドは、こっちのほうが好きなんだよね」
「そこまで調べといてくれたのか。ったく、俺にはもったいねーほどいい娘だぜ」

撫でて撫でてと言わんばかりに、ヒオリは頭を寄せてくる。くしゃくしゃと撫でながら聞いてみると、ゲリュオからは和食を、カレンからは洋食を教わったらしい。目下、ベルドは和食のほうが好きなので、とりあえず最初のチョイスは和食だそうだ。汁物の上には蓋がされており、熱が逃げないようになっている。

「じゃあもしかして、あの汁物って味噌汁か?」
「うん。ゲリュオが、干した味噌をくれたんだよ」
「それはそれは……」

高かっただろうに。とはいえ、いつまでも感動していても仕方がない。せっかくのヒオリの朝食なのだ、冷めないうちに食べてしまおう。

「いただきますっ」

さっそく飯をかっ込んで、味噌汁をすする。美味い。そう思うのは、ベルド好みの味付けに作られているからだろうか。

「ね……おいしい?」
「ん?」

と、ヒオリがこっちを見つめていた。箸はまだ持たれていない。気になるのか。

「ああ、すっごく」

笑みを浮かべて、ベルドは返す。ヒオリは嬉しそうに微笑むと、自分の食器も手に取った。

最初は飯炊きの煙だけで森ネズミを殺してしまうほどのアレだったのに、随分とまあ上手くなったものである。食事が終わったら頭でも撫でてやろうと思いながら、ベルドは再び茶碗を取る。と、同時に茶碗を取ったヒオリと目が合った。

「……えへへ」

そこで幸せそうに笑うかと悶え死にそうになったベルドであるが、すんでのところでこらえきる。ベルドとヒオリが手に取るそれは、いわゆる夫婦茶碗というやつで、見つけたヒオリはこれが欲しいとゴネたのだ。周囲の買い物客(主におばちゃん軍団)に微笑を向けられながら、ベルドははいはいと笑って購入してやったものである。

その後店を出たところでおばちゃん数人にとっ捕まったあたり、どうやら周りから見れば相当微笑ましい光景だったらしい。エトリアにはこれからもしばらく滞在する予定であるため、ベルドはヒオリともども自己紹介をすると、おばちゃんたちは黄色い声を上げた。まあ、彼らほどの有名どころとなればいわゆる騙りといった連中も多いのだろうが、こういった日常でそういうことをする意味がない。その辺のことからも信用してもらえたらしいが、それはともかく。

気がつけば、食事はすべて胃袋の中へと消えていた。誰だ、こんなに料理の腕を鍛え上げたの。

ゲリュオの教育とヒオリの努力だ。

誰だこんな料理を独占する権利を得たの。

俺だ。

「……やべえ」
「なにが?」

すっげえ、幸せかもしんねえ。

 

 

 


「よぉ、ゲリュオ。朝から精が出るな」
「ベルドか……」

愛する少女の手料理を心行くまで堪能し、里へ出てきたベルドは、郊外の離れたところで刀を振るうゲリュオを見つけた。超光速の居合い抜きを見せたゲリュオは、その声に気付くと後ろを振り向く。

「体の調子はどうだ?」
「ん、おかげさまでもー全快。ベルド・エルビウム、完全回復だぜ」

しゃきーん、と効果音を口にしながら、ベルドはガッツポーズを決めてみせる。だが次の瞬間には一瞬で真顔に戻ると、ゲリュオに質問を返した。

「にしても、お前は大丈夫だったのか?」
「何がだ?」
「いや……あの二人を同時に相手させちまって。ありゃあ、モリビトを守る守護兵の中でも最強の二人だ。はっきり言って、死にゃあしないだろうけど三日か四日ぐらいはノックアウトするような怪我でも負うんじゃないかと思ってたんだが」
「ああ。俺も少し無謀だったかとも思ったが、あれ以外に方法もなかったしな。しかし――」
「しかし、なんだ?」
「いや……よくは分からないんだが、戦っている最中に卸し焔を放ったんだが……」
「ああ」
「そのときに、火炎のエネルギーを一点に集めて爆発させて、敵を吹き飛ばして距離をとろうとしたんだな」
「ほう」
「まあ、結果から言えば、狙い通りに吹っ飛んだんだが……」

そこで、ゲリュオの声が低くなる。

「吹っ飛んだ先の木の枝が、根元から二股に分かれていてな。その合間に挟まったんだ」
「……それで?」
「そうしたら、そいついきなり恍惚とした表情を浮かべてな、そのまま至福の表情を浮かべて動かなくなってしまったんだ」
「……はあ?」

なんのこっちゃ、とベルドは眉を顰めて聞き返す。だがゲリュオにも分からないらしく、首をかしげて話を続けた。

「結局、二匹目も適当な木の狭間に背負い投げで放り出して挟み込んだんだが、こっちも同じような結果に終わった」
「…………」

縛られ趣味でもあったんじゃないかしらとかなり真面目に思ったベルドだが、ゲリュオはとりあえずこれなと言って何かを差し出してくる。

「なんだこれは?」
「そいつらが落としていったものだ。多分、武器として使っていた蔦だと思うが……」
「いやにぺとついてんな。なんでだ?」
「……濡れてた」
「……………………」

ベルドも年頃の男である。そして、ゲリュオも生物学上男に分類される存在である。興味があろうとなかろうと、そういうタチの情報はどうしても入ってくるし、知ってもいる。

「……もしかして、マジで縛られ趣味?」
「……ありえない話ではない」
「……ねえ、ちょっとそれ貸して」

頭を抱えるベルドとゲリュオに、ヒオリが眉を顰めて声をかけた。そのまま二人から蔦を受け取ると、指で触って匂いをかいで、それからためらいがちに舌を這わせる。次の瞬間、ヒオリの顔が苦くなった。

「……うん、間違いない。膣液だよ」
「ちつえき?」
「――愛液って言ったほうが分かりやすい?」
「……うん、分かった。よく分かった、うん」

男性の精液ならともかく、なんでそっちが分かるんだと突っ込みたいところであったが、まあ、いわゆる「そーゆー趣味」の女性達からそーゆー命令を受けたこともあったということだろう。うかつに聞くと地雷を踏みそうなので止めておく。もう、嫌な思い出はいい思い出で上書きすると決めたのだから。

「――とりあえず、こいつどうするんだ?」
「シリカ商店にでも売りに行けばいいだろう。このまま売って、駄目だったら洗ってから売ればいい」
「へーへー、了解。じゃあ、適当に荷物袋の中にでも放り込んでおけばいいか」
「そうだな。俺はここでもうしばらく刀を振るってるから、代わりに入れておいてくれ」
「なんだ、また一人で修行してんのか?」
「何か問題でも?」
「いーやー、別に。文句はねえけど……」

ぐるりと上空を見渡したベルドは、思い切り跳躍すると剣を引き抜いて振るい払った。次の瞬間、斬り落とされた二本の棒が、剣を収めたベルドの左右に音を立てて落下する。そのうちの一本――曲がっているほうを引っ掴むと、ゲリュオのほうへ投げ上げる。宙を舞う木の枝は正確にゲリュオに向かっていき、対するゲリュオも片手でそれを受け止めた。

「ひっさしぶりに、実戦形式で修行したほうが面白くねぇ?」
「……ふん。どういう風の吹き回しだ?」
「別に。『自分』ってやつが掴めなくてずーっと悶々としてたんだけどよ、すっかり完全回復してみれば体が疼いてしょうがねえんだ。おかげで朝から嫌にテンション高くてな、誰でもいいから戦いてぇって体が言ってる」
「……なるほど?」

ふっ、と笑ったゲリュオが、棒を刀に見立てて手鞘に添える。対するベルドも、剣に見立てた棒を真正面に構えた。

ゲリュオとは、随分戦っていない。最後に戦ったのは、確かエトリアに来る半年前か。今まで何度か戦ってはきたし、戦うことそのものもベルドは大好きなのだが、だんだん相手の癖が分かってくると戦う面白さは減少してくる。だから、もう随分ゲリュオとは戦っていなかった。だが、今なら戦うのも悪くは無い。随分長い間やり合っていなかったし、何より――


――俺の全力を受け止めきれる奴は、そういない。

 

 


「――行っくぜえぇ!!」

先手を取ったのは、やはりベルドであった。棒を水平に構え、踏み込んでからの横薙ぎを放つ。対するゲリュオは、己の得物を使ってベルドの棒を受け止めた。そのまま棒を傾け、ベルドの一撃をいなす。傾けた棒は戻さずに倒れるに任せ、一回転させて構えなおすと、逆袈裟に振り下ろした。ベルドが余裕で受け止めるのを見て、ゲリュオは舌打ちする。

「ちっ……やはり、スピードではお前のほうが上か」
「へっ。まだまだ行くぜ! 今日の俺は、どーにも力が有り余ってるからな!」
「口数が多いな。隙を生むぞ」
「勝ってから言えや、レイジングエッジ!」

ベルドのレイジングエッジと、ゲリュオの踏み袈裟。火花を散らして、木の棒とは思えないほどの破壊力がぶつかり合う。一瞬の均衡の後、ゲリュオがベルドを吹き飛ばした。対するベルドも受身を取ってダメージを抑えると、その場で剣を振り下ろす。瞬間、超強烈な風の刃が、ゲリュオめがけて襲い掛かった。

「――――っ!」

横で見ていたヒオリは息を呑んだ。たやすく音速を突破する、迷いのない冷たく迅いベルドの一撃。いつものベルドが戻ってきたことをここにも実感して、ヒオリの目頭が熱くなった。風の刃をゲリュオは居合い抜きの衝撃波で相殺すると、体勢を立て直したベルドめがけて攻撃に入った。

「卸し焔ぁ!」
「ハヤブサ駆けぇっ!」

ベルドの宙返り、ゲリュオの踏み込み、ベルドの迎撃、ゲリュオの追撃。ゲリュオは既に、ヒオリを数から外していた。当初こそ援護に入り込んでくるのではないかとも思っていたが、そんな心配は要らなかった。ベルドはそんなことを好むような男ではないし、一瞬ごとに互いの位置が入れ替わるような超高速の近接戦闘をやっているのだ。下手な術者が手出しをしたら、支援どころか逆に味方を撃ちかねない。敵の動きだけでなく、それと対する味方の動きまでを完全に読みきり、戦場の全てを掌握する――そこまでやって初めて、絡み合うような近接戦闘の支援を遠距離から行うという非常識な行為が可能になるのだ。


だからこそ、見てみたくなったのかもしれない。


「ヒオリ、何やってる! 参戦して来い!」
「えっ、だって、一騎打ちしてるんじゃないの!?」
「いいから、見せてみろ! あのベルドが、面倒くさいことを何より避けるあのベルドがそうまでして追い求めた女が、どれほどの価値を持つ存在なのか! お前はベルドと共にどこまで戦えるのか、俺の前で見せてみろ!」

二対一。それは、二人のほうが圧倒的に有利だ。そして、見方によっては、一人側が完全に油断している、もしくは敵を見下しているようにも見える。

だが。

ゲリュオがそんなつもりで言ったわけではないことを、ベルドは完全に見抜いていた。こいつは、まだ強さを求めている。最強になる――そんな子供なら誰でも抱くであろう幼稚な夢を、本気でこいつは追い求めている。

ならば――受けてたってやろうじゃないか。

「……来な、ヒオリ! ますます面白いことになりそうだ!」
「……うん、分かった!」

そして――全力で行ってやる。それが、彼に対する敬意だから。

「雷よ、轟けっ!」
「だああぁぁぁっ!」

電撃の術式にトルネード。風と雷が同時に唸り、ゲリュオめがけて襲い掛かる。対するゲリュオは思い切り飛び退いて術式の範囲から脱出すると、トルネードの風を迎撃にかかる。だが、真空波の迎撃に時間を取られた一瞬の隙を突いて、ベルドが一気に距離を詰める。渦を巻く剣が袈裟懸けに振り下ろされ、対するゲリュオはそれをツバメ返しで受け止める。二本の棒がぶつかり合い、ゲリュオがベルドを弾き飛ばす。対するベルドも無意味な抵抗はせず、跳ね上げられるに任せる。その行動に、ゲリュオの動きが止まった。

「空間よ、切り裂けぇっ!」

次の瞬間、計ったような見事なタイミングで、ヒオリの術式が炸裂する。回避は間に合わず、「空間」という概念的なものを操る術式に物理的な迎撃もできず、結論としてゲリュオはヒオリの強斬の術式をまともに食らうことになった。体勢を立て直してベルドたちを見やると、既に剣士が至近距離まで踏み込んでいる。


やばい。直感的にそう思ったが、この体勢から回避することは至難の技だし、うまく大地を踏みしめなければ迎撃も出来ない。それでも諦めることはせず、打開策を探すゲリュオだったが、対するベルドたちはこのとき最後のカードを切った。

そう。「二体一で来い」とゲリュオが言ったなら、

「共にどこまで戦えるのか」とゲリュオが聞いたなら。


「ヒオリ、合わせろ!」
「うん、わかった!」


刀に載せて「炎」を放てるゲリュオなら、

相手の行動さえヒントにして自分の強さに取り入れられるゲリュオなら。


「炎よ――」

――勝負は、これでかけるべきだろう。

「――燃え上がれえぇっ!」

刹那、ゲリュオの周囲が一瞬で燃え上がり、彼の全身を一気に焦がす。ゼロコンマ数秒の間を置いて、ゲリュオの周りを取り巻く炎が、力の一部をベルドに渡す。ヒオリとベルド、二人の魔力を込めた一撃が、火炎を食らったゲリュオめがけて叩き込まれる。

「――チェイスファイアァッ!」

そして――ベルドの振り下ろした炎の力宿る魔剣が、ゲリュオ・キュラージを吹き飛ばした。そんな二人の姿を網膜に焼き付けつつ、ゲリュオは思う。


――ふん、女に溺れるというのも、必ずしも悪いことでもないかもしれんな、と。

 

 

 

「ねえ、本当にいいの?」
「当たり前だ。何か問題でもあるのか?」
「あるわよそんなの。当たり前でしょ」
「どこにだ」

一方その頃、『異国の月』の宿舎内で、セガール夫妻(ローラ&キョウスケ)が言い争いを繰り広げていた。議題は当然、娘であるカレン・サガラの身の振り方、及びカレンの所属しているギルド『紆余曲折』との接し方だ。

「どこにって、貴方、あのギルドのリーダーを見たでしょ? あんな残酷な瞳をした人間に、貴方は娘を任せられるの?」
「少しはカレンを信頼してやったらどうだ。それに、ヅァーリとやらが言っていただろう。今は彼自身が問題を抱えていると」
「じゃあそれが解決したとして、あれがカレンを任せられるほどのギルドになるとでも思ってるの?」
「それは分からん。だから話し合いの場を持つんだろうが」

ちなみにこの議論、当のカレンが参加していない。自分の愛する母と、尊敬する父の議論に割って入る度胸が無かったのだ。ローラは『紆余曲折』の面々が娘を預けるに足る人たちかどうかという追及をしており、対するキョウスケはひとまず話をしてみろという点で固まっている。

『紆余曲折』は、女性は自分を除けばヒオリしかいないので話があまり出てこないが、話を聞く限り男性陣(特にゲリュオ)に対しては夫婦ではっきりと評価が分かれている。ローラは自分と同じ否定的な見方を、キョウスケは逆に好意的な見方をしているようだ。あんな冷酷非情かつ残酷な物の言い方・見方をする男のどこがいいのか、カレンにはさっぱり分からない。男同士で通じる何か、とかいうやつか。

ふう、と一つため息をつき、カレンは「異国の月」の宿舎を出る。目的地は、特に決まってはいないけれど。


ちなみに、正しくはツァーリである。

 

 

「ん?」

それから数十分後、簡単な応急処置を終えて帰ってきたベルド・ゲリュオ・ヒオリの三人は、宿舎の入り口に立っているカレンに遭遇した。

「……何をやっているんだ、こんな所で?」

ゲリュオの質問に、カレンは何も答えない。その口が何度も開きかけては閉じる。何か言いたいが、どう言葉にしたらいいのかが分からない――そんなところか。しばらくそのままの沈黙が続き、それを破ったのはゲリュオだった。ため息をつき、宿舎の中へと入っていく。

「ちょっと待ってください」
「なんだ?」

扉に手をかけたゲリュオを、カレンが呼び止める。億劫そうに振り返るゲリュオに、カレンは非難するような口調で言った。

「無視して入るなんて、酷いじゃないですか」
「何が酷い? 問いかけても何も答えないから、答える気がないと思っただけの話だ。何か問題でもあんのか」
「お前、さりげなく非情だな」

正論をぶちかまされて詰まるカレンを見て、ベルドが頭を抱えてゲリュオに言う。

「お前さ、何か言おうとしてるんだから聞いてやったらどうだ。こいつの口が動いているのを、見えなかったお前でもあるまい」
「それはそうだが、そのくらいは自分で言え。人に言われなきゃ出てこないなど、話にならん」
「カレンが嫌いだという個人的な感情は」
「ちょっとある」

もしかして、ゲリュオって地味にバカなのではないだろうか。たまにそう思わなくも無いのだが、良くも悪くも正直な男なのだろう。自分に対しても、そして他人に対しても。

「……で? お前、何が言いたかったんだ?」
「ええ、それなんですけど……」

カレンは詳細を話し出す。「異国の月」のことも、家族と師匠のことも、どちらのギルドにつこうか悩んでいることも、両親や家族との会話の内容も。全ての話を終えると、カレンは質問をぶつけてきた。

「……それで、私は、どうすればいいと思いますか?」
「知るか」

ゲリュオが冷たく答え、部屋の中へと入っていく。どういう状況になっているのか、それを考えて答えを出して欲しかったから質問前に状況説明をしたというのに、あまりにも呆気ない答えであった。

「で……じゃあ、俺が答えなきゃいけないわけか?」

カレンの相談を0.1秒で切り捨てて部屋の中へと入っていったゲリュオと非情にも閉まった扉を見て、ベルドは半分頭を抱えるようにして唸った。カレンは何の返事も返さないが、様子を見るに、どうやら答えて欲しいらしい。とりあえず、返事をすることにする。

「……じゃあ、答えてやるよ。カレン、てめえ『紆余曲折』に戻って来い」
「何でですか?」
「見りゃ分かるだろ、俺がベルドだからだ」


――その声は、自分をただの価値基準にした、静かな怒りがこもっていた。


「『紆余曲折』からの脱退は、俺が完全に消滅することが前提だったんだろ。だったら、俺が俺である以上、お前は『異国の月』に入る意味は無くなる。違うか?」

違わなかった。だけど、違った。どういうことなのか、自分でもよく分からない。いっそグレインで固定されてくれたなら、後腐れなくこのギルドを捨てることも出来たのにな――そんな考えが脳裏に浮かぶも、さすがに一瞬で振り払う。いくらなんでも、自分が情けなさすぎる。

「……何で答えねえんだ」

唸る様に放たれるベルドの言葉に、カレンの返事が詰まる。思考は堂々巡りを続けるのに、肝心の言葉が出てこない。

言葉にするのが、怖い。

「俺は言ったかんな。俺としてはお前がいてくれたほうがいいが、最終的に決めるのはお前自身だ。思いっきり悩んで、じっくり決めるがいいさ」

俺等が出来るのは、せいぜいサポートがいいとこだしな。そう言い残し、ベルドはヒオリを促した。

「んじゃあヒオリ、行こうぜ」
「あ……うん」

ベルドは扉を開け、宿舎の中へと入っていった。

 

 

 

「……随分、お前もお人よしなんだな」
「うるへー」

宿舎の扉をくぐったベルドは、呆れたような目を向けるゲリュオに出迎えられた。どうやら先ほどの会話を聞いていたらしく、その声はどこか非難めいている。

「それであいつが俺らと来る返事を固めたとして、それが揺らがない保障はあんのか?」
「まあ、そうは思わねえけどよ……女性に優しく自分に甘くは俺のモットーなんでね」
「馬鹿か貴様は」

へらへら笑うベルドに、ゲリュオは一言で切って捨てる。途端、ベルドの顔からしまりのない笑みが一瞬で消え、鋭い男の顔になった。

「とはいえ、ついてこないって返事をされても困るだろ。はっきり言って、第四階層なんて今まで誰も到達してないんだぜ」
「少なくとも今はな」
「まあ、そりゃ置いとくとして、ついてこないって返事をされたら、俺らのメンバーからは実質メディックが欠けることになる。メディックなんつーのは、言ってみれば樹海探索のアキレス腱だ。代わりのメディックを連れてくるにしろ、あいつ並に腕の立つやつは少なくとも今のエトリアにはいねーし、そうなると俺らの旅も滞っちまうぜ?」
「本当にそうか?」

まあ、さんざん止めてきた俺が言えるセリフでもねーけどな、と苦笑混じりに告げるベルドに、ゲリュオはなお悲観的な見方を示した。

「確かに、カレンほどの『腕』が立つメディックも、今のエトリアには居ないだろう」
「…………?」
「だが、その『腕』は存分に発揮されるのか?」
「どういうことだ?」
「家族だか何だかにぐらついて、悩みと未練を残していて、誰かに言われるがままのカレンであるならば、代役なんていくらでもいる。今まではたまたま無かったが、もしも戦闘中に咄嗟に自分の判断で行動しなくちゃならなくなったとき、あいつは自分で動けるのか? そして、そんなあいつをここから先に連れて行って、何かあったらお前は責任を取れるのか? 手遅れになってからじゃ遅いんだぞ」

理路整然と叩き込まれ、ベルドの言葉が詰まる。確かに、カレンは物事に対し、受身になって行動してきたように見える。第三階層の地図を作れと言われたときにも聞かれなければ答えなかったし、それはまあ全員だったとしても、スノードリフトやケルヌンノスを退治するときにだって決断したのは最後だ。それがあまり目立たなかっただけであり、実はあまり主体性が無い人間だったのかもしれない。

しかも責任を取る取らない云々以前に、ゲリュオの言ったような状況に追い込まれたら、まず確実に待っているのは死でありそして全滅だ。ベルドも馬鹿ではない。一人の為に全員を危険にさらすような真似は出来ないし、ゲリュオの言葉が正しいことも理解できる。確かにな――ゲリュオ側に理があることを認めてため息をつくベルドに、ゲリュオはそういえばと連絡事項を告げる。

「お前らは知らないかもしれんが、今度『異国の月』の奴らと話し合いの場を持つことになった」
「へえ、そうなんだ」
「ああ。まあ、正直やつらがその場の提供を申し出てきたときに、あいつの姿が無かったのにはどうにも気に食わんがな」
「んで、その話し合いの場ってのはいつだ?」
「まだ決めてはいない。完全にお前の問題が解決したらこっちから連絡を入れることになっている」
「そうか……」

ベルドは腕を組んで頷いた。確かに今のようなカレンであれば、いつ瓦解するか分かったもんじゃない。どういう結果になるのかは知らないが、機会があるなら話し合いを行ってみるべきだろう。

「なら、とりあえず使者は送ってくれていいぞ。一応、解決は見たからな」
「分かった。しかし……」
「なんだ?」
「それで、やつの問題が解決すると思うか?」
「知るか、そんなもん。やってみなきゃ分かんねえだろうが」

正直自信は無かったが、とりあえず今はそうするしかなかった。

 

 

 

 

 

 

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