第二十四幕

侍の閃光


「……………………」

長鳴鳥の宿204号室……ギルド「紆余曲折」の男子部屋で、ベルドは黙然と胡坐をかいて座っていた。一応本を開いてはいるが、そのページは進んでいない。別のことを考えているというのがよくわかる状態だった。

まあ、多分にその本が借り物であり、借りた相手がツァーリだったところにも原因の一部はあるのかもしれないが(借りた本・『資○論』)。


現在、ベルドの頭の内部を占めるのは、地下十七階から十八階へ下る階段を見つけたときのことだった。


地下十七階、例の謎の少女に再び遭遇した一行は、少女の言葉に追われるようにして樹海を走った。そして、襲い来るヒュージモアや災厄の木の根といった魔物連中を次々と蹴散らし、十八階への階段を見つけたとき、それは起こった。

厳重に隠された扉を見たとき、ベルドの脳内に強烈な既視感が襲い掛かってきたのだ。表現するならフラッシュバック。間違いなく、その階段を見たときの感覚は「懐かしい」だった。しかも、いつもならそういう感覚に襲われたときにまず間違いなく起こるであろう頭痛も、このときは全く起こらなかった。


こん、こん。

「……ベルド、いる?」
「ああ、いるぞー」

と、部屋の扉がノックされた。返事を寄越すと、扉ががちゃりと開かれる。入ってきたのは、淡い紫のかかった長い銀髪に、燃えるような紅の隻眼――己の恋人、ヒオリ・ロードライトだった。

部屋の中に入ってきたヒオリは、とてとてとベルドのところまで歩いてくると、彼の胡坐の上にぽすっと座り込んだ。そのまま、ベルドの胸を背もたれにして、その体重を預けてくる。その仕草に、ベルドははあとため息をつく。

最近、このポジションはお気に入りらしい。目下二人でいるとき以外はやってこないので、特にベルドも何も言わない。問題点といえば、時たま自分の理性が吹っ飛びそうになることぐらいだろうか。年頃の男であるベルドにとっては結構辛いのだが。

「……ねえ、ベルド」
「ん?」
「悩んでるでしょ?」
「……ああ。滅茶苦茶な」

ヒオリの言葉に、ベルドは渋い顔で返す。そう、階段を見たときに頭痛が起こらなかった――それは、このときだけは皮肉なことに「ベルドの記憶に関係している」という事に関しては肯定の結果となるのだ。


少女は立ち去り際、ベルドのほうに向き直るとその指をぱちりと鳴らしていた。その瞬間、少女はまだその場に居たというのに、起こっていた頭痛は嘘のように消え去ってしまい、それは紛れもなく、ベルドに頭痛を起こさせる原因を作ったのがその少女であるということを証明させるものだった。さらに――少女は、失われたベルドの過去を知っている。

だから、ベルドは――彼らは、階段を下りることはできなかった。いざというときになって、ベルドが尻込みしたからだ。

ベルドには、確証があった。あの階段を下りてしまったら、絶対に自分の身に何かが起こると。自分自身の失われた過去――戻るとは限らないが、戻らないとも言い切れない。そして、もし戻ってしまったら、下手をすると己のアイデンティティまで崩壊してしまうかもしれない。尻込みするのも、無理も無かった。

とはいえ、だからといってこのままあの階段を下りないというわけには行かない。ベルドの記憶云々の前に樹海探索は「紆余曲折」の目的なのだし、いつまでも現実から逃げ続けているわけにも行かないのだ。つまるところ、早急に結論を出さねばならないわけだが――

「……いまいち、決心がつかないんだよなぁ……」

言葉にしたのはその部分だけだ。だが、その言葉だけでヒオリは全てを理解してくれたようだった。ベルドの手を握り、言葉を紡ぐ。

「……そう、だよね。やっぱり、怖いよね」
「…………」

肯定は出来なかった。というか、したくなかった。大の男が恐怖で震え、女の子に慰められる図なんぞ冗談じゃない、という変な意地がそこにあった。

「でもさ……ボク、記憶失ってないからよく分かんないんだけど……やっぱり、行くべきなんじゃないのかな」
「……まあな」
「多分、今までのあの子の仕草からして、あの先には十中八九、ベルドの過去があると思う」
「……ああ」
「でもさ……理由はうまく説明できないけど、もしもそこにベルドの過去があるんなら、やっぱりベルドは行くべきだと思うよ。二年前のベルドも、十年前のベルドも、何もかも全部ひっくるめて『ベルド』なんだからさ」
「……そうだな」

どこか不明瞭な声で頷くベルドに、ヒオリは振り向いて、にっこりと笑いかけた。

「大丈夫だよ、ベルド。何があっても、どんなベルドでも……ボクは、ずっとベルドの傍にいるから」
「へっ」

気恥ずかしくなって、目をそらす。ああ畜生、可愛いなあ。思いっきり押し倒してやりたい衝動に駆られなくも無いが、自制心を発揮してどうにか押さえ込む。最近理性が発達してきた気がしないでもないベルドであった。その代わり、腕を前方に回して、ヒオリの体をそっと抱く。それを受けて安心したのか、ヒオリは静かに目を閉じた。


ちなみに、会話の途中にゲリュオが部屋へ帰ってきたのだが……雰囲気が変わり始めたときに逃げ損ねてしまい、今更退席を告げて注意を引くことも出来ず――免疫の無い彼は、顔を真っ赤にして部屋の隅で小さくなっていたとか何だとか。

 

 

「トルコ国家よ、汝の自由を享受せん! 祖国の敵を打ち負かし忌まわしき奴等に制裁を与えん!!」
「これでも食らえ、ハヤブサ駆け!!」

敵陣を駆け抜けながら放たれる強烈な斬攻撃が、ツァーリの呪言で弱体化された弱体版スノードリフトの群れを叩き斬った。生き残ったデスマンティスをヒオリが殴り、黄泉の世界へ叩き落として決着をみる。即座にカレンが剥ぎ取り作業を開始し、綺麗な銀色の巨眼と鋭い牙を一つずつゲット。各々の武器を軽く振るって血糊を軽く落とすと、ベルドたちは再び奥を目指す。

第四階層枯レ森、地下十七階。地下十八階へと続く階段を下りることをためらい、宿へ引き返した翌日のことである。ヒオリから励まされて、最悪己自身とも向き合う覚悟を固めたベルドは、他の面々にそれを発表、善は急げということですぐに出発したのが二時間前。一行は早足で地下十八階を目指していた。

「よし、そこを左折や」
「了解」

ツァーリの驚くほど正確なマッピングのおかげで既に迷宮など無きに等しく、迷うことなどありえない。ついでに、襲い来る魔物もいい加減弱点が知れてくる。

そんなわけで、彼らは順調に歩みを進め……

「……ここだ」

昼前には、十八階への階段へ辿り着いていた。下へと続く階段の前で、ゲリュオがベルドに確認を取る。

「もう一度聞くが、いいんだな?」
「ああ」

もう、覚悟は決めた。躊躇いなく頷き、その返事にゲリュオは小さく笑う。そして、自ら先陣を切って階段を下りていった。

「行こう、ベルド」
「おう」

そして、ヒオリに背を押され、ベルドもその後を追った。


ちなみに付け加えておくが、先の戦闘でツァーリが使ったのは軟身の呪言である。

 

 

「遅かったな。お前がベルドか」
「あんたは……?」

地下十八階、大自然が生み出した地平線の間――そこへ降り立った先に、一人の人間が立っていた。自分のことを知っているらしいその口調に、ベルドの顔が顰められる。少なくとも、こいつと知り合いになった覚えは無い。だが、七年以上前に出会った可能性も無くは無いので、ベルドは一応名乗ることにした。

「……ああ、確かに俺がベルドだ」
「そうか」
「で、あんたは?」
「そうだな……わざわざ、名乗る必要があるとも思えんが……」

どっかで似たような言い方をされていたことを思い出し、ベルドは苦笑した。なんだ、最近の人間は名乗らないのが主流なのか? どうでもいいことに首をかしげるも、その男はあっさりと答えた。

「……ウルス、という」
「やはり、そうだったか……」
「え?」

と、全く思いもかけないところから返事が来た。ウルスと名乗った男を含む全員の耳目が、一人の男に集中する。形容しがたい顔でウルスを見ているその男は……ゲリュオ・キュラージだった。

「知り合いなのか?」
「……ああ」

緊張感のみなぎった声で、ゲリュオは答える。同時、ウルスもふっと笑った。

「ほう。まさか、お前がベルドとともに行動しているとはな。世の中は狭いというが、その通りだな」
「……………………」

余裕とも取れる呟きに、ゲリュオは何も返さない。否、返せないのかもしれない。

殺気を放っているわけではない。敵意を向けているわけでもない。だが、ゲリュオは一歩も動けなかった。

空気のように自然でありながら、同時に全てを包み込む絶対的な支配力。何人にも侵されざる『格』を有する存在として、ウルスという男はそこに在った。

「……そうか。そういうことか」
「ああ、なるほど」

そして、両者を見比べたベルドは、ゲリュオをよく知るが故に、すべてを察し――

かつて、ある話を聞いていたツァーリは、その驚異的な記憶力で、それを思い出し――

ゲリュオとウルスの関係を、そこで見抜いた。


――俺は、ある剣豪を追って旅をしている。そいつを倒すための、力と強さが欲しい。


それは地下十一階、第三階層に入ったほぼ直後に、レンから問われた時に答えたゲリュオの言葉だ。

――そう。恐らく、眼前に立つウルスという男こそが、ゲリュオの追っていた「剣豪」。どうしてこんな所に居るのか、なぜベルドのことを知っているのか――それらは何も分からないが、たった一つだけ推測できることがある。

「……あなたは、旅人ですか? それとも、ここの門番ですか?」
「……そうだな。強いて言うなら、門番だろうな」

推測は、確信に変わる。


――この男は、敵だ。


だが、無意味な争いは望む所ではない。とりあえず、相手が人間なら効果はあるだろう。ツァーリがひとまず交渉に持ち込んだ。

「……下の名前が分からないから、とりあえずウルス卿と呼ぶが」
「なんだ」
「わしらは、迷宮の先に進みたい」
「知っている」
「そして、エルビウム卿――ベルドが、上の階である少女について来いといわれた」
「それも知っている」
「……わしらの目的は、お前さんと戦うことではない。通してくれんか?」
「それは出来ない相談だ」

ツァーリの提案を、ウルスは冷たく切り捨てた。対するツァーリは、苦笑して返す。

「……そうか。まあ、門番だと言った時点でそういう結果になるわな」

一応、だめで元々だ。失敗したからといって、別に想定外ではない。まあ、いきなり敵対者が現れたことそのものがそもそも想定外な気もするのだが――それを言ったらきりが無いので、それはひとまず置いておく。

と、そこでウルスが口火を切った。

「お前らは、この先に進みたいのだろう?」
「ああ。少なくとも、わしの目的は、世界樹の迷宮の謎を解く為やからな」
「そうか……ならば、俺はここを守る門番として、お前たちを倒さなくてはならない」

すっ、とウルスが刀を抜く。直後、爆発的な力の放射がベルドたちを叩き付けた。

「面倒だ。五人まとめてかかって来い。……一撃でも入れられたら、通してやる」
「……ああ。だったらお望みどおり、五人がかりでぶっ潰してやるぜ!!」

ウルスの言葉に、血の気の多いベルドが呼応するように叫び――カレンの医術防御の展開とともに、戦いが始まった。

 

 

「だああぁぁぁっ!!」

先陣を切ったのは、ベルドだった。その場で剣を振るい、真空の刃がウルスを襲う。対するウルスは、刀の背で風の刃を殴りつけた。

「気」を纏った刀が、風の刃を弾き飛ばす。真空の刃は直角に軌道を変え、進路上にあった枯れ木をバターのように切り裂いた。だが、その一瞬の隙にカレンが突撃してくる。メディックが突進してくる姿はさすがに意表をつくかと思われたが、ウルスは全く戸惑わない。カレンのヘヴィストライクと、ウルスの剣技が激突する。鍔迫り合いに陥り、両者は蹴りあって間合いを開いた。

「……ほう。そのヘヴィストライク……見たことがあるな」
「なんですって?」
「……そうか。そういうことか。どうやら世間は、ますます狭くなっているようだ」
「呟いてる余裕なんて無いんじゃないの!?」

ウルスとカレンの会話に、横から爆炎が割って入った。火炎の術式を、ウルスは跳躍して躱した。一拍遅れて、踏み込んできたゲリュオのツバメ返しが叩き込まれる。しかし、ウルスは刀でそれを受け止めると、触れ合っている部分を視点にして、空中で軽業師のように体勢を立て直す。この間にツァーリの足違えの呪言が入るが、大して効いた様子は無い。着地したウルスが刀を向けるのと、ヒオリが篭手を向けるのは、ほぼ同時だった。

「氷よ――」
「はあっ!!」
「――――っ!?」

ウルスの行動に、ヒオリの術式の展開が止まる。ウルスが気合を入れると、ヒオリはいきなり体の自由を奪われる。かと思うと、かなりの速度でウルスの元へ引き寄せられる。

「!!」

気合の声も、足音も無い。超強烈なエオルス音を響かせて、ウルスの刀がヒオリを襲った。無慈悲な光が踊り――鮮血。

「ほう……耐えたか」

ウルスは若干、驚いたような声で言った。斬られる直前、ヒオリは身を捻って致命傷を避けたのだ。それと同時に篭手をウルスに向け――だが、それよりもウルスのほうが速い。

魔術とは、手っ取り早く言えば意思の具現化だ。そしてその特性故に、行使するには絶対に「思考する」必要がある。

対して「刀を振るう」という肉体動作の場合、個々の筋肉の使い方はおろか、一番最初の「動かす」という意思さえも省略されることもある。怒り心頭に達した時、「考える前に殴っていた」という経験がある人も多いだろう。その速度には、魔術は絶対に届かない。どれだけ修行を重ねても、無意識で魔術を起動することは理論的に不可能なのだ。

加えて、ウルスとヒオリでは、その力量は圧倒的にウルスのほうが上だ。つまり――この距離ならば、魔術を一回起動するより、刀を二度振るったほうが速い。黒い閃光が走り、ウルス二撃目の刀がヒオリを両断せんと迫る。

だが。

それでもなお、ヒオリは致命傷を避けきった。否、避けきったというよりは、ウルスの狙いが外れたといったほうが正しい。この間に、ベルドとゲリュオが突撃を仕掛けて来たため、注意が少し逸れたからだ。ウルスは大きく飛び退いて距離をとると、刀を水平に構えた。その瞬間、迸った「気」は刀を核とし、巨大な光の刃となった。

「剣技・扇!」

剣気の刃による、超強烈な切り払い攻撃。その射程、刀のくせに四メートル。だが、その攻撃はベルド・ゲリュオ、どちらにも当たらずに終わった。ウルスの強大な力を悟ったゲリュオは、飛び退いた瞬間に半ばヤケになって屈みこんだのだ。それを見たベルドは慌てて上方へと跳躍し――その直後、切り払いの刃が駆け抜けていった。

闇雲な行動ではあったが、間違ってはいなかったということだろう。ツァーリの足違えの呪言が入ってなお、この速度だ。はっきり言って――リーシュがかなり可愛く映った。

攻撃直後の隙を突き、回り込んでいたカレンがヘヴィストライクを叩き込む。だが、その攻撃をウルスはあっさりと回避してみせた。

「甘いな。貴様らのヘヴィストライクは、振り下ろされる瞬間に力が入りすぎる」
「……なっ!?」

明確な指摘に、カレンは唸った。確かにカレンのヘヴィストライクは、振り下ろす瞬間にどうしても力が入ってしまう。だが、それはたった一撃で見抜けるほど露骨なものではなかったはずだ。まるで、前々から知っていたかのように――

「俺を倒すのであれば、それこそエクシードクラッシュでも叩き込んでみろ。無論、当たればの話だがな」
「――――!!」

ベルドのトルネードを受け流しながら、ウルスはなんてことのないように言って見せた。その言葉で、カレンの動きが止まる。

エクシードクラッシュ。それは自分の切り札にして、師匠から伝授された直伝の技だ。自分の全気力と魔力、それに体力の半分を杖に投影し、武器の限界を超えた一撃を放つ、全力全壊の術だ。

「なんで、それを……」
「知りたければ一撃くらい入れてみろ。まあ、無理だろうがな」

呻くカレンに、ウルスはあっさりと返す。ウルスの言葉には、敵を見下す油断の色は全く無かった。ただ、これだけの実力差を、それが当たり前だと言わんばかりに受け入れている。

「卸し焔!」
「虎爪撃!」

灼熱の炎を纏った刃を上から振り下ろす一撃と、超高速の三連袈裟懸け。甲高い金属音を響かせて、両者の技が鋭く吼える。ウルスが素早く追撃をかけるも、ゲリュオは飛び退いて躱してみせた。だが、ゲリュオの顔は苦い。

己の攻撃が通じないことではなく、ウルスの弱さに。

今のウルスは、決して弱くない。以前戦ったときよりも、その力は確実に上がっているだろう。だが、だからこそ分かってしまうのだ。

ウルスが、今なお全く本気になっていないことに。

「……どうした、ウルス! 遊んでないで、本気を出したらどうだ!!」
「ならば、出させてみるがいい」
「くっ……!」

ウルスの返事に、ゲリュオは呻いた。

そう、ウルスは本気を出さないのではない。出す必要がないのだ。

「畏れよ、我をっ!」
「ぬるい」

ツァーリの呪言の呪縛を、ウルスはあっさり叩き潰した。続くゲリュオの一撃も、また。ベルドのトルネードによる風の刃をただの蹴りで吹き飛ばすと、その勢いを逆利用してウルスは大きく距離をとった。汗一つかかずに、それどころか服の襟さえも乱さずに、ウルスは刀を構えなおす。

「どうした、その程度か」
「……貴様……!」

ウルスの一言は、ゲリュオの神経を盛大に逆撫でした。戦いが始まる前、ウルスはこう告げたのだ。自分を倒せ、ではなく、自分に一撃入れてみろ、と。それは自分達が、たかがその程度としか見られていない証。しかも、それは油断でも虚飾でもなく、明確な差としてそこにある。ウルスはゲリュオたちの攻撃をことごとく防ぎ、その合間に的確な一撃を叩き込んでくる。しかも攻撃をかわした後、その攻撃の弱点を指摘するという説教のおまけつきで。

ウルスにとっては、コケにしているつもりはないのだろう。

だが。

それは悲しくも、ゲリュオの最後の糸を断ち切ってしまった。


「……上等だ」
「……?」
「…………条件は、てめえに一撃入れることだったな」

刀の構えが、静かに変わる。死地の奥に生地を見出し、防御を捨てて全てを斬り破る無形の構え。

死人の法。そう呼ばれて恐れられた侍の構えを静かに取り、ゲリュオは一つ深呼吸した。その目に宿る、強大な「気」。次の瞬間、その口から彼らしくもない咆哮が走った。

今まで見たこともない気迫に、カレンやツァーリは愚か、ベルドまでがたじろぐ。その様子を気にも留めず、ゲリュオは叫んだ。

「――勝負だ、ウルス! 俺等が甘いというのなら、この攻撃も一撃の元に無に返して見せろ!!」

ギャンッと音を立てて、ゲリュオは鋭く地を蹴った。このとき、両者の距離は二十メートル。ベルドは近づかないと攻撃を放てないが、ウルスにとっては射程の範囲内だった。

「剣技――」

ウルスとゲリュオの眼光が、虚空に火花を散らす。

「龍鰭斬!!」

ウルスの刀から、斬撃が飛んだ。それに対し、ゲリュオは刀を一閃する。『気』を纏ったその刀は、たった一撃ででウルスの斬撃を叩き落した。

「何っ!?」

このとき初めて、ウルスの表情が揺らいだ。だが、それは夢でも幻でもなく、れっきとした現実としてそこにあった。

先の一撃は、到底全力を出したものではなかった。だが、自分の計算が間違っていなければ、間違いなくゲリュオを撃滅して釣りが来るほどの威力は込めたはずだった。

「――行くぞ、ウルス!!」

叫んだゲリュオが、刀をウルスに向けて振るった。瞬間、斬撃の軌跡が唸りを上げる。宙を薙いだ、ただそれだけだったはずの『斬撃』は、暴悪なまでの殺意を以ってウルスめがけて襲い掛かった。

「奥義――」

それとて、そうだと分かったのは、その攻撃が駆け抜けた後。自分が傷を負った、その後だった。

「――飛天ッ!!」

斬撃、刺突。無数の攻撃が怒涛のようにウルスを襲い、混じり気のない剣閃の乱舞がウルスを滅せんと飛んでいく。ウルスが回避のために飛ぶのと、ゲリュオの奥義が放たれるのは全く同時。襲い掛かるは、振るうたびに飛び掛かる“斬撃”。ウルスが回避できたのは、先のベルドの「扇」回避と同様、僥倖に近いと言えるだろう。

だが。

「――――ッ!?」

次の瞬間――ウルスの着衣がざっくりと切れた。しかもそれは一箇所ではない、優に七箇所もの位置が切られていた。そして――その中の二撃は、ウルスの肉体にまで届いていた。

「ぐっ!」

バランスを崩され、ウルスは大地に片膝を突く。それはベルドに、つい先日の自分と槍使いの少女の図式を思い起こさせるものだった。

「ふっ……本当に入れるか」
「入れろっつったのは、貴様だろうが……!」

震える刀を前方に構え、ゲリュオは荒い息を吐きながら、苦い顔で吐き捨てる。

こんなはずではなかった。ウルスに放った感想は、一言で言えばそれだった。

いずれ、ウルスと決着をつけるための取っておき。それを放ってなお、ウルスに大した打撃を与えることはできなかったのだ。

休息を訴える体組織を根性で無視し、ゲリュオはウルスへ向き直る。対するウルスは、ふっと小さく笑って見せた。

「まあ、確かに一発入れろといったのは俺だ。ならば、条件は満たされた」
「…………」
「もう、俺にお前たちを止める必要は無い。先に進むがいい」
「……ああ、そうさせてもらう」

どの道自分たちも、ここで足踏みするわけには行かない。ウルスに勝てなかったことは残念だが、それを嘆いて状況が変わるわけでもなかった。

まだまだ、道のりは長い――そう思うゲリュオの横で、ウルスはベルドに声をかけた。

「だが、ベルド」
「なんだ?」

聞き返すベルドに、ウルスは告げる。彼が「俺を倒せ」ではなく「一撃でもいいから入れてみろ」と言った理由を。

「……お前に会いたいと言っている人が居る。ついて来るがいい」

 

 

「うわ、すげえな……」

ウルスに案内された先、そこにあったのは大きな集落だった。地下十七階で出会った少女と似たような格好をした、人間に似た生物があちこちにいる。草で編まれた服を着て、木材で立てられた住居がある。

「これが、モリビトの集落か……」

ベルドは感心したように呟く。自分達が探索している樹海の奥に、別の文明がある――そんな神秘が、今現実として彼らの目の前にあった。

彼らがその集落を珍しがるのと同様、その集落の人々も地上の人間は珍しいものらしい。その興味を隠そうともせずに、遠巻きにしてベルドたちのことを眺めていた。たまにこっちを見ながらひそひそ話をする連中もいて、正直それは止めて欲しいのだが。

「着いたぞ」

と、ウルスから声がかけられる。目の前にはひときわ大きな家があり、門番だろうか、二人ほどのモリビトが居る。家が警備されている様子を見ると、何か重要人物の家なのだろうか。ウルスはそのモリビトと二言三言会話を交わし、ベルドたちに入れと小さく告げた。

 

 

「長。ベルド・エルビウムをお連れしました」
「む、そうか」

その家は、ベルドたちの予想通り、重要人物の――集落の長の――家であった。ウルスの声に反応した長は、思ったよりも若い。その長は、ベルドたちのほうを見ると、軽く自己紹介をした。

「一応、名乗っておこう。私はこの集落の長、アルカナ・ジェードである」
「……えっと、ベルド・エルビウムです。私を呼んだのは……貴方ですか?」
「うむ、相違ない」

穏やかでありながら厳しい、ただなんともなしに敬語を使わせてしまうような、不思議な声。もはや、自分を知っているかという質問は出さない。自分を呼んだのがこのアルカナという男なら、彼が自分のことを知らないはずはないからだ。

「まあ、私のことも、覚えては居ないだろうがな」
「ええ……すみませんが」
「いや、問題ない。むしろ、覚えていたほうがまずいだろうからな」

アルカナという男は小さく笑った後、ふと悩む素振りを見せる。

「……とりあえず、お前には話しておかねばならないことがある」
「俺の、記憶のこと……ですか?」
「うむ」

その答えを望んでいなかったといえば嘘になる。だが――それでも、否定して欲しかった。

「そうだな……どこから話していいのか迷うのだが……」

しかし、その問いが肯定されるのなら。自分の記憶について話されるのなら。自分は、それを聞かなければならない。

「まず、これだけは告げておかねばならないだろうな」
「…………?」


「ベルド・エルビウム。……お前は、人間ではないのだ」

 

 

 

 

 

 

第二十三幕・流れる砂と共に全てが動き出した場所へ

目次へ

第二十五幕・忘れ得ぬあの日々へ

 

 

トップへ

 

 

inserted by FC2 system