第二十二幕

エトリアのデート


「……ほおぉ、これは凄いな……」

世界樹の迷宮探索で破竹の快進撃を続けるギルド「紆余曲折」のメンバー、ベルド・エルビウムとヒオリ・ロードライトがアーティミッジ家と激戦を繰り広げ、見事ヒオリをアーティミッジから奪い取った翌日、「紆余曲折」の面々は総出でシリカ商店を訪れていた。

理由は簡単、彼らの仲間の一人、ゲリュオ・キュラージが奪い取ったクイーンアントのアギトを渡した所、凄い刀が作れるから待っていろと店主・シリカ嬢に請け負われ、その刀が完成したとの連絡が入り、不足していた物資の補給も兼ねてこの日は買出しに当てたのである。

とりあえず先にケフト施薬院に入り、テリアカやネクタルといった各種薬品を購入、そのままシリカ商店の暖簾をくぐった。

約束の刀は特に陳列はされておらず、シリカ嬢が直々に持ってきてくれた。で、一目見たゲリュオのセリフが上記のものである。

穿たれた銘は八葉七福。和国においてほぼ最強の侍であるゲリュオでさえも一目見て気に入るほどの業物であった。

「……シリカ嬢。これ、いくらだ?」
「うーん、そうだね。アナタたちにはいつもお世話になってるし、今回は特別に二万四千エンまでまけてあげるよ」

まけてそれか。思わずベルドが苦笑をもらしたが、ゲリュオは即座に購入を決意した。

 

 

「うーん、気持ち悪いほど笑顔だな」
「気持ち悪いほどは余計だ」

ベルドが入れた余計な茶々に、ゲリュオは無骨な笑みを返した。しかし、この男が笑みが止まらない辺り、相当の業物なのだろう。ベルドもこの処刑者の爪から作った、イクスキューショナーという剣を武器としているが、この八葉七福には敵わない。

「これは是非樹海に修行に行きたいものだな。早速研ぎなおして、明日は樹海に出発だ」
「お、おいおい、明日は休みだろ。なんでわざわざ樹海に行くんだ」
「休日に修行をするだけの話だ」
「……お前の脳みそには休むという選択肢はねーのか?」

趣味が修行だという辺り、この男も相当筋金入りだが、ベルドも問わずにはいられない。ゲリュオはいいやと首を振ると、ベルドに向かって問い返してきた。

「お前は明日はどうしてるんだ?」
「ん、俺か? そうねえ……」

首をかしげて、ヒオリのほうに目線を向ける。小柄な少女が微笑んでくるのに笑みを返し、ベルドはよしと提案した。

「もしもよかったら、明日デートにでも……」
「行く」

即答だった。ヒオリは嬉しそうに微笑むと、甘えるようにベルドに腕を絡めてくる。

「二人っきりで、遊びに行こうよ。おいしいケーキ屋さんとか、あるんだって」
「よし。じゃあ、朝飯食べてちょっとしたら……九時ぐらいには出発しよっか」
「うん!」

打てば響くとはこのことか。しかしヒオリは、今までの事情が事情だった。明日は生まれて初めて、思いっきり遊べる日でもある。それこそ思いっきり楽しませてやろうと思うベルドの前で、ゲリュオはふうとため息をついた。

「あまり、溺れすぎるなよ」
「悪かったな。お前だって、あまり根詰めすぎんじゃねえぞ」
「当たり前だ。俺は趣味で行く程度だからな」
「趣味で修行する奴も珍しいよ……一応言っとくが、体も休めなきゃならないから、明日は早めに帰ってくるぜ。な、ヒオリ」
「ん」

ヒオリとしては、めいいっぱい遊びたいだろう。しかしながら、今まで自分たちのせいで探索を止めてしまっていたのも事実である。ヒオリは素直に聞き分けて、ベルドと二人でああだこうだと言い合いながら明日の予定を立てていく。そんな二人の様子を、一人は淡々と、一人は羨ましそうに、そして一人はため息をついて見守っていた。

ため息をついたのは、当然ゲリュオであった。

 

 

翌朝。

――こん、こん。

「……ふぁ~い?」

誰の目にも寝起きと分かる、緩みきった声。時計を見ると、まだ朝の五時である。一体誰だ、こんなに早く――昨日も夜遅くまで離れないヒオリとずーっとくっちゃべっていたために、それなりに眠い。休日なので、起床時間は七時半。朝食を八時にとって、それから行動開始のはずだ。何が悲しくて休みの日にまで探索するのと同じ時間に起きなければならないのか。

ったく、ホントに誰なんだよ――ぶつくさ言いながら、ベルドは覗き窓から相手を見る。と、その先には寝巻き姿の恋人が、嬉しそうに待っていた。

「……何やってんだ、ヒオリ」

扉を開けて、半分寝ている表情で返す。実際半分寝ているのだが、ヒオリは完全に起きていた。

「……えへへ。おはよ、ベルド」
「……いや、寝てろよ。まだこんな時間じゃねえか」
「だって、楽しみで目が覚めちゃったんだもん」
「うるせえ、寝てろ」

朝っぱらからの殺し文句だが、今回のベルドは動かない。ばたんと容赦なく扉を閉め、ベルドは再び布団の中へと戻っていき、掛け布団を肩までかける。

――こん、こん。

「……ふぁ~い?」

のそーっと起き上がり、ベルドは再び覗き穴から……

「……なんも見えん」

真っ暗だった。先ほどは確かに見えたのだが……

「……どちらさんですか~?」
「え、えっと、朝食の準備が出来ました~」
「……俺ら今日休日なんで、八時に頼んどいたはずですが~」
「…………」

沈黙。ベルドはあくびを一つして、再び布団の中へと戻っていく。掛け布団を肩までかけて、ゆっくりとまどろみに身を任せ――


――こん、こん。


「……ふぁ~い?」

のそーっと起き上がり、ベルドは頭をかきながら、扉の向こうに問いかける。

「……どちらさんですか~?」
「ピザの配達に来ましたー」
「……頼んでないんで、多分部屋違いだと思いますー」
「…………」

沈黙。ベルドはあくびを一つして、再び布団の中へと戻っていく。掛け布団を肩までかけて、ゆっくりとまどろみに身を任せ――


――こん、こん。


「……ふぁ~い?」

のそーっと起き上がり、ベルドは頭をかきながら、扉の向こうに問いかける。

「……どちらさんですか~?」
「あの、新聞の集金に参りましたー」
「……二日前、払ったばっかだと思うんですけどー」
「…………」

沈黙。ベルドはあくびを一つして、再び布団の中へと戻っていく。掛け布団を肩までかけて、ゆっくりとまどろみに身を任せ――


――こん、こん。


「……ふぁ~い?」

のそーっと起き上がり、ベルドは頭をかきながら、扉の向こうに問いかける。

「……どちらさんですか~?」
「ど、奴隷販売のサービスに……」
「……間に合ってるんで、いいですー」
「…………」

沈黙。ベルドはあくびを一つして、再び布団の中へと戻っていく。掛け布団を肩までかけて、ゆっくりとまどろみに身を任せ――


――こん、こん。


「……ふぁ~い?」

のそーっと起き上がり、ベルドは頭をかきながら、扉の向こうに問いかける。

「……どちらさんですか~?」
「宗教の勧誘に……」
「あー、俺ら興味ないんでいいですー」
「…………」

沈黙。ベルドはあくびを一つして、再び布団の中へと戻っていく。掛け布団を肩までかけて、ゆっくりとまどろみに身を任せ――


――こん、こん。


「だーうるせー! えーかげんにせーよ!」

がちゃっ、と扉を開けて、ベルドはそこにいた人影に怒鳴る。ヒオリはえへへと小さく笑うと、だってと可愛らしく弁明する。ベルドは大きくため息をつくと、ヒオリを部屋に招き入れた。

「お前、起きてたのがゲリュオとかだったら説教されるぞ」
「それだったら、適当に言い訳考えといた」
「……ああ、そうですか」

がしがしと頭をかいて、ベルドは今度こそ布団の中へと潜っていく。背中を向けたまま、ベルドはヒオリに言葉を投げた。

「どっちにしろ、俺は眠いんでさっさと寝る。そこで大人しくしてなさい」

彼女ほったらかして熟睡する彼氏というのもどうかと思うが、元はといえばこんな時間に訪ねたヒオリが悪い。しかし、ヒオリはぶーたれた顔になると、ベルドのところへやってきた。

が、ベルドの邪魔をしたことは分かっているのか、ゆすって起こすようなことはない。ベルドの顔をじーっと見つめ、えへへと可愛らしく微笑んでいた。

「…………」

その嬉しそうな顔に軽く悶絶しそうになるものの、ベルドは意識を落とそうとする。が、先の笑顔は相当な破壊力だったのか、心臓が跳ねてて眠れない。ヒオリはしばらくベルドの顔を見ていたようだったが、やがて静かに動いてきた。

「……ん……」

ヒオリの手の平が、ベルドの頭に添えられる。薄目を開けて見てみると、穏やかな笑みを浮かべていて。そのままヒオリは、ベルドの頭をそっと撫でる。

いつもはベルドがヒオリの頭を撫でるのに、今日はヒオリがベルドの頭を撫でている。いつもやっている図式とは、逆の構図。ヒオリはいつも、ベルドに頭を撫でられると、幸せそうに笑うのだ。

しかし、そんな気持ちも分かる気がする。なんというか、心地いい。ついでに布団に包まっていることも相まって、意識はどんどんと薄れていき――

 

 

――気がつけば、日は高く上っていた。凄まじく寝坊した感があるのだが、出かかった声は咄嗟に抑える。時計を見ると、既に九時を回っていた。

「お前なあ……」

ぼてっと目の前に落ちてきたのは、ヒオリの白く柔らかい手。どうやら先ほどまでは頭の上に置かれていたらしく、撫でているうちに眠ってしまったのだろうと察しはつく。

ヒオリは先の拍子で目が覚めたのか、ぽやっと目を見開くと、「う~」とか言いながら起き上がる。腕を目に当ててぐしゅぐしゅやって、しばらくぼーっとしていたようだが、やがてふにゃりと微笑んできた。

「おはよ、ベルド」
「ああ、おはよう。大分寝ちまったな」
「……えへへ。気持ちよさそうに寝てたよ?」
「そりゃ、頭撫でられてりゃな。お前が頼んでくる理由、なんとなく分かった気がするわ」
「ん……」

微笑を漏らしたまま、ヒオリはベルドに擦り寄ってくる。ベルドは頭をぽんぽんと叩くと、のそりと布団から這い出した。見ると、テーブルの上には二人分の朝食が残っている。どうやら、仲間たちが取っておいてくれたらしい。

「変な気、使わせちゃったね」
「まあ、寝坊したのが悪いんだけど……なんでお前まで寝ちゃうかな」
「だって、すごく安心できるから……」
「…………」

ほんのりと頬を染めながら言われても、色々と勘違いしてしまうからやめてほしいところである。というか、朝っぱらから狼はごめんだ。いや、まだ朝っぱらどころか夜でさえヒオリを抱いたことのないヘタレだが。

「ま、いーや。それ食い終わったら、とりあえず出かけようぜ」

布団をたたんで持ち上げながら、ベルドはヒオリにそう言った。ヒオリもこくりと頷くと、テーブルの前に座り込む。食事の前には、置手紙が残されていた。茶化すようなメッセージはカレンからで、ツァーリからは特に何も残されていない。

「阿呆が」とだけ書かれているのは、まず間違いなくゲリュオだった。

 

 


「えへへ。晴れたね」

ちょっと遅めの朝食を取って、宿屋をのんびりと後にする。午前中はとりあえず、ヒオリの服を買うつもりだ。

ベルドの服装は、緑を貴重としたシャツに、麻で出来た丈夫なズボン。上下は幅広のベルトで留め、いつもの剣を引っ掛けている。対するヒオリは、白系のシャツに小さな宝石がはまった穴開きグローブを装着し、下は濃い青のズボンと一般的なショートブーツ。露出を減らすためだろう、手首からシャツの袖元までを、灰色のサポーターで覆っている。首元のフォレストウルフの首飾りはお気に入りなのか、今日もいつもの通り装備していた。なんというか、お互いがお互いデートのデの字もないような、完全無欠のいつも通りの格好である。

……とはいえ、この格好は予想済みだ。というのも、ヒオリは元々逃げ出した奴隷で、外出用のお洒落着はおろか、そもそも服自体をろくに持っていなかったのだ。見かねたカレンが次の休日にヒオリの服を買いに行こうと言ったはいいが、その日が来る前にリーシュとゴーンがやってきてヒオリの身分が発覚するという大騒ぎに発展したため、そのままお流れになっていた。

そのため、今日の目的はまずヒオリの服を増やすことを第一にした。冒険者は服を交代交代で洗う上、何日も着たきりということも多い。おまけに服はなかなかかさばる代物なので、大体二着、あるいは三着あれば十分である。ヒオリもこの辺の最低限は問題なかったのだが、旅をしていれば何が起こるかわからない。服の磨り減りは十分考えられることだし、元々栄養失調を起こしていたヒオリの体はどんどん成長してきている。胸の辺りが全く成長していないのは残念だが、そのうち揉んで大きくするから大丈夫……だと、思いたい。

かくなる事情で、ともすれ普段着をもう一着。後は、お洒落をするための余所行きの服も持っておきたい。ここから動けばどうなるかは分からないが、当分は世界樹にベースキャンプを張っている。そのため、とりあえず持っておくのも悪い選択ではないのである。

最も、その手の服は高いので、せいぜい買えて一着だが。

時計を見ると、朝十時。三件くらい回ってみるつもりだったけど、今からだと多分出来て二件だろう。

「じゃ、行こうぜ」

ヒオリに対して、手を出してみる。ちょっとだけ緊張したけれど、ヒオリはその手を握ってくれた。手の平を少しだけ動かして、指同士を絡めてくる。

(うわっ……)

予想しなかったわけではないが、恋人つなぎはびっくりだ。ヒオリはベルドの隣に立つと、嬉しそうに見上げてくる。ベルドも小さく微笑を漏らし、頭を撫でると歩き出した。

 

 

服屋は、なかなかの盛況ぶりだった。ラックに詰め込まれている無数の衣服に、ヒオリがあっけに取られたようにたじろいでしまう。お洒落には気を使いたいはずだが、不慣れなところで先に圧倒されたのだろう。ベルドは唇の端を吊り上げると、ヒオリを先に促した。

「変な気は遣わんでいい。普段着を一着と、洒落た服を一着。好きなものを買って来い」
「え……」
「その服、大事なもんなんだろうけど、自分で選んだのじゃないんだろ? 折角だし、自分で何か買って来いよ」
「……あ、うん」

ヒオリはこくりと頷くと、ベルドの手を引っ張った。ベルドは苦笑して、ヒオリの後に続いていく。さすがに下着売り場に連れ込まれれば平然としていられる自信はないが、普段着売り場なら大丈夫だ。

「言っとくけど、俺には普段着の冒険物以外、服のセンスはねーからな。他の女の名前を出すのもアレだけど、本当にいいのを選びたかったら、お洒落着はカレンのアドバイスでも入れときな」
「えへへ、いらない」

対してヒオリは、ベルドに振り向いて小さく笑う。どういうことかと聞き返すベルドに、ヒオリは甘えるように問いかける。

「ベルドはやっぱり、デートの時にはお洒落してるほうが好き?」
「うーん、考えたことなかったな。昔、それなりに仲良くなった娘は、やっぱお洒落してきたけど……失礼ながら、それが当たり前だと思ってたからな」
「……う~!」
「……妬くな、そもそも付き合ってねーから。でもまあ、真面目に考えるんだったら、正直どっちでもいいんだよな。でも今考えると、冒険者仲間と付き合うことがあるんだったら……別に俺がその子のことを本気で好きなら、ぶっちゃけ服装は気にならないんじゃないかと思うぜ。服って結構かさばるし、一緒に旅をするんだったら重い荷物は邪魔なだけだろ。ってわけで、俺は別にお前がお洒落をしようがしまいが、服に気を配ろうが配るまいがどうでもいい」
「え」

遠回しに凄い告白をしたのだが、ヒオリはそれに気付いたらしい。どうしてこういうときだけ無駄に彼女は鋭いのか。いや、単に色ボケしているだけかもしれない。ベルドボケだもん、と嬉しそうに言われたときは、正直溶けそうになったものだ。

「じゃあベルドは、お洒落しない子でもいいの?」
「お前がお洒落をしようとしまいと、俺はどうだって構わんぜ。まあ、そりゃお洒落してくれりゃ嬉しいけど、無理にとは全然言わないしな。第一俺自身そこまでお洒落のセンスがねーから、釣りあわなかったりしても困るだろ?」
「……ん。じゃあ、買わない」
「え?」

聞き返すベルドだが、ヒオリは本当に買わないことにしたらしい。お洒落着の売り場から早々に出ると、普段着の売り場へと入っていく。

「無駄遣いできるお金もないし、ボクも服は分からないし、そこまで贅沢は出来ないもん。でも、でもね、その代わり、ただのお散歩でもいいから、二人でいーっぱいお出かけしてくれると嬉しいな?」
「……くあぁ~っ!」

ベルド・エルビウム、ノックアウト。往来も忘れてヒオリを思い切り抱きしめると、ヒオリは「ふぎゅ」と声を残して抱きつかれる。最初は身をよじっていたが、やがてその手はベルドの背中に回される。周囲に気付いて小さくなるまで、ベルドはヒオリに悶えていた。

 

 

周囲の生暖かい目線に気付いて、大慌てでその店から逃げ出して。近くの店に入った二人は、今度こそ普段着を選んでいた。

「ベルドが悪いんだもん。……半分ぐらい」

文句を言い切れない辺りがヒオリだ。その辺もまた可愛いのだが、二度も暴走するヘマはしない。あーでもないこーでもないと言い合って、材料とデザイン、値段の三つから見繕う。このうち、値段はやや優先度が低い。安物買いの銭失いという言葉もあることだし、少々出費がかさんだとしてもいいものを買っておくほうが、後々元が取れるのだ。目下、今は体格的にもどんどん成長しているので、その辺とも相談しないといけないのだが。

「ね、ベルド。こっちとこっち、どっちが似合う?」
「……うーん、それだと左かな」

買い物デートで男が困る台詞ベストワンに輝くフレーズを言われてしまうが、ベルドは忌憚なき意見を返す。そんなやり取りが何度か続き、ヒオリは最終的にズボンを選んで、上着も二着まで絞り込んだ。

「ね、ベルド。どっちが似合うかな?」
「……お前の決定権は俺なのか?」

ちょっと悩んだベルドは、照れ隠しにそんな台詞を言ってみる。対するヒオリはちょっと拗ねた顔になると、言葉の爆弾を投下した。

「だって、ベルドが可愛いって思う服を着たいんだもん」
「――――っ!?」

結論。こっちの店でも暴走した。

 

 

「ベルドが悪いんだからっ! ……八割ぐらい!」
「以後気をつけます……」

文句を言い切れない辺りがヒオリだ。しかし、確かに八割方ベルドが悪いので、素直に謝罪するしかない。

ヒオリは結局、ベルドがいいと思ったほうを購入した。とだけ書くと、ヒオリは全てをベルドに任せているようにも読み取れるが、ズボンは全てヒオリの意見で決定したし、上着を二着に絞り込んだのも彼女である。まあ、ズボンの方はベルドのものと非常によく似たデザインだったからとはいえ、ヒオリの意見も相当入っているだろう。

とりあえず服はベルドが持ち、時計を確認。時刻は十二時半をちょっと回った辺りであり、ベルドはよっしゃと腕を回す。

「そろそろ、昼飯食いに行くか」
「ん」

町のメインストリートに入り、ベルドは目的の店に入る。「いらっしゃいませ」と迎えてくれる店員に、ベルドは自分の名前を名乗った。

「予約していたベルド・エルビウムだけど」
「ベルド様ですね。こちらでございます」
「どうも」

ヒオリがびっくりした顔をする前で、ベルドはほれと手を出した。

「お手をどうぞ、お嬢様?」
「あ……」

ヒオリはわずかに頬を染め、ベルドと一緒に歩いてくる。他の客(主に四十代か五十代のおばちゃんたち)が温かい目で見てくる中で、ヒオリはベルドと奥へ進んだ。

「あちらでございます」
「あ、ありがとうございます」

手の平を上にしてテーブルを指した店員に、ヒオリはぺこりと頭を下げる。椅子に座ると、少しだけ落ち着かない顔で聞いてきた。

「予約してたの?」
「ああ、昼飯時はどこも混むだろ? 悠長に飯は食えねえし、お前にいいものも食わせてやれん。とはいえ高級食堂はラフな格好だと入れないところもいくつかあるし、それ以前に気も張るしな。このくらいがいいと思ったんだよ」

迂闊に高級なところに行ったら、貴族みたいな奴に会って嫌な思いをするかもしれない。そう思ったのも一つだが、ベルドは口には出さなかった。言わぬが花、沈黙は金。余計なことを言ってしまえば、人の顔色を伺いながら生きねばならなかった彼女のこと、気を遣うに決まっている。

「でも、高そう……」
「高かねーよ」

本当に高価い店だったら、ウエイターが椅子を引くくらいのサービスはある。高くもなく、安くもなく。デートであるという状況を踏まえ、「ベルド」と「ヒオリ」と相談した結果だ。ヒオリはメニューを開くと、わ、という顔をした。

「やっぱり、高い……」
「いーんだよ。確かにいつもの酒場よりは高いが、その分いいもんは使ってる。それに、この程度で高価いとか言ったら、高級食堂に行ったら腰抜かすぞ」
「うぅぅうぅ……」

ベルドたちが使っている金鹿の酒場は、安さと量を売りにした、冒険者御用達の酒場だった。朝と夜は宿屋で出るが、早めに帰ってきた時や休日なんかの昼食はない。そこでベルドたちは他の冒険者の例に漏れずその酒場を使っていることが多いのだが、それはともかく。

ヒオリとデートの予定を立てるとき、当然昼食も織り込んだ。そしてその時、ベルドはヒオリに聞いたのだ。昼ごはんは何が食べたいか、と。

金鹿の酒場で食事をするとき、かかる費用はメンバー内でも大きく違う。一番金がかかっているのは豪勢なメニューに紅茶までつけるツァーリなのだが、彼はいつもナゾの自腹で半分以上を払っているので問題ない。その次がカレンで、次がベルドとゲリュオの横並び、そして一番お金を使わないのがヒオリだった。いつも一番安いメニューを行ったり来たりしているヒオリを、ベルドは見逃していなかった。ちなみに前衛二人の横並びは、食事のメニューそのものはゲリュオのほうが高いのだが、ベルドが食後のコーヒーを絶対に譲っていないため、結局トントンだったりする。

そして昨日誘ったときも、ヒオリはやっぱりこんな返事だったのだ。

「え、えと、適当でいいよ?」

と。やるせなくなる前に。ベルドはヒオリがかわいそうに思えてきた。常に自分を殺してしまい、相手を最優先に考える存在。無理もない、奴隷とはそういうものなのだから。

ベルドは一つため息をついて、ヒオリにこう切り出した。

「あのな、適当でいいって、お前は食いたいもんとかねーのか」
「え、でも、ベルドが食べたいもの……」
「……怒るよ、ヒオリ」

出来るだけ、穏やかな笑みを顔に浮かべて。そのとき腕を絡めていた少女の頭を、ベルドは逆の手で撫でる。

「酒場で何か食べるとき、お前はいつも安いメニューしか頼んでねえだろ。それに、俺は一人でいるときに大分食った。……おいゲリュオ、お前と肉を十四皿食ったのもいい思い出だな?」
「……まあ、な」

腹が減って腹が減ってしょうがなかった、アンド、舞い込んだ依頼で大金を得た。まだゲリュオと二人で旅をしていたとき、この二つが奇跡的に重なった二人は肉屋に駆け込んで思う存分食らったのだ。まさに肉と酒しか腹に入れず、彼らにとっては超贅沢な晩飯であった。

――まあ、もっとも、彼らにとっては、なのだが。

「だから、ヒオリが好きなものを食えばいいんだよ」
「え……、でも、高い、よ?」
「カレンじゃあるまいし、日ごろ安いメニューしか食ってないんだろ。いいんだよ、デートのときぐらい、思いっきり食え」
「――って、ちょっと待ってください!」

心外だといわんばかりに、カレンが割って入ってきた。カレンはツァーリを指差して、あれはどうなんだと訴えるものの、ツァーリはいつも半分以上を自腹で出しているのである。その金が一体どこから来るのか分からんのだが、それを差し引けばカレンが結局一番高い。

「……ぁぅ……」
「……ん?」
「……いいの?」
「いいよ」

縮こまってしまったヒオリは、上目遣いに確認する。ヒオリの頭を撫でながら、ベルドは笑って言葉を返した。

「明日はなんでも、ヒオリの好きなもの食べような」
「……うん。じゃあ、頼んでいい?」
「ああ。なんでも言いな」

撫でられているヒオリは、心地よさそうに目を細め。少し躊躇いがちに、ベルドに向かって切り出した。

「……お肉が、食べたい」
「肉?」
「……うん。食べたこと、なかったから」

少し、目頭が熱くなった。確かに少し高いけれど、金さえあれば庶民でも手に入れられる代物なのに。それさえ食べたことのなかったヒオリの境遇に、今更ながらに涙が出たのだ。

「分かった。それじゃあ、明日は肉をしっかり食うか。たくさん食って、大きくなりな」
「う~、子供扱いしてる~」
「してねえしてねえ。じゃ、任せときな。庶民の味にうるさいベルド様が、めちゃくちゃうまい肉を食わしてやるぜ」
「えへへ。無理、しないで、いいからね?」
「ばーか。肉食ったこともねー奴が、んなこと気にしてんじゃねーや」

……というやり取りの後、ヒオリの境遇に涙したベルドは、その日解散するや否や即座に宿屋を飛び出して、目星をつけていた肉料理店を片っ端から当たったのだ。前日の夕方だったのに翌日の昼の予約が取れたのは、幸運だったといっていい。

「わ……」

ヒオリはどれも捨てがたいのか、目移りしながら選んでいる。そんなヒオリの様子を見ながら、ベルドもメニューに目を通す。少しだけ財布に痛いのだが、ヒオリの笑顔が見られるというなら安いものだ。

「今回は値段なんか度外視して、好きなもんを思いきり頼めよ。ここは一つ、俺に格好をつけさせてくれな?」

選ぶものに目星をつけ、ヒオリの選択を静かに待つ。ヒオリはしばらく迷っていたようだが、先ほどの上着同様、二つにまで絞り込んだ。

「これか、これ」
「ほう」

内容もまずまず。値段は中の下くらい。本当に遠慮するなと言ってもいいが、無理に高いものを買わせる必要も無いだろう。

「奇遇じゃねえかよ。俺はこれか、後はこっちだったんだ。んじゃ、俺がこっち頼むから、お前はそっち頼めばいい」
「……本当?」
「ほんとほんと。じゃ、すんませーん」

何か言いたそうなヒオリを無視して、ベルドは店員を呼び寄せる。

「俺はこれで、彼女にはこれを。後、コーヒーとホットミルクを一つずつと、水を二つで」

ベルドから注文を受けた店員は、一瞬だけヒオリに目を向ける。が、すぐさま承った旨の返事をすると、厨房にオーダーを伝えに行った。

「俺の半分やるからさ。お前のも半分分けてくれよ」
「…………」
「ヒオリ?」

じとーっとした目で、ヒオリはベルドを見つめてくる。不満げな顔で、そのままベルドに告げてきた。

「ほんとに、あれが食べたかったの?」
「ああ」
「…………」
「…………」
「……………………」
「いや、ほんとだから! いきなりそんな疑わしげな目で見るなっての!」

ヒオリが頼んだのは、オーソドックスなステーキ系。とりあえず、肉といえばそれだったのだろう。対するベルドも、ボリュームのあるものは食べたかった。というわけで、本当といえば本当だったのだが、ヒオリはそれでも疑わしげな表情だ。が、これ以上の追及はやめたのか、でもと名残惜しげにメニューを開く。

「ハンバーグも、食べたかった」

そんな言葉に、ベルドは半分噴き出した。ヒオリにとって、肉料理などは全てが新しいのだろう。ベルドは上体を軽く伸ばすと、ヒオリの頭をまた撫でる。

「そっかそっか。じゃあ、また今度、よかったら二人で食べに来ような」
「……うん」

こそばゆそうに目を細めて、嬉しそうに頷いてくれる。幸せってこういうことなのかなと思いつつ、ベルドはヒオリに話しかける。

「うー、香ばしい匂いしてくるなー。もう、腹減っちまってしょうがねえや」
「えへへ、ボクも。朝ごはん食べたの、遅かったのにね」
「まったくだ。たぁいえ、野郎は基本的に肉食ってっからな。肉の匂いかぐと、腹減っちまうのかもしれねえぜ」
「そうなの?」
「おう。俺もゲリュオも肉食うだろ? ツァーリも俺らほどじゃねえけど、結構食うじゃん。あれ、エネルギー取っとかないと樹海ん中で倒れちまうからってこともあるけど、基本的に肉好きってこともあるんだよな」
「ふーん」
「ま、お前も値段とか気にしなくていいから、今度からは肉系にも手ぇ出しとけ。倒れられると、戦力の損失が著しいし」
「いちじる……?」
「ああ、ひどいってこと」

「著しい」は、まだ理解できなかったか。とはいえ、ヒオリの語彙も豊富になった。彼女の成長を噛み締めながら、ベルドはヒオリに続けていく。

「ついでに、倒れられたら俺が泣くしな」
「――え?」
「あたりめーだ。だからとにかく、お前は毎日しっかり食え。いいな?」
「……あ、うん……」

戸惑ったように、少しだけ嬉しそうに。頷いたヒオリの前で、コーヒーとホットミルクが到着した。それからあまり間をおかず、焼き上がった肉が運ばれてくる。

「おっ、なかなか早ぇ」
「わ、わ。おいしそう」
「ナイフとフォークの使い方は分かるか?」
「大丈夫だよぉ」

ベルドの問いに、ヒオリは笑う。そういえば、なんだかんだで宿屋や酒場でも使っている。ヒオリはやっぱり最初は分かっていなかったため、ついでにほとんど俄仕込みで後は使いやすいように適当にやっていたベルドとゲリュオの二人諸共、カレンに説教されてたたき直されてしまったのだ。あの辺りのマナーや礼儀作法は、カレンやツァーリの領分である。

「ん、しょ」

ベルドは左手のフォークで肉を押さえ、ナイフで肉を真ん中から切り分ける。ヒオリは少し左右の大きさを違えて切ると、大きいほうをかなりアンバランスに切り分けた。三つに分かれた肉のうち、一番小さいものをフォークで挿すと、ベルドの方へ寄せてくる。

「はい、ベルド。あーんして?」
「――――っ!?」

衝撃。まさかそう来るとは思わなくて、不意打ちを食らったベルドの頬は一瞬で熱を持ってしまう。そんなベルドの様子を見て、ヒオリも頬を赤らめて。

「ね、冷めちゃうよ?」
「…………」

対面に座っていなければ、きっと三度暴走したに違いない。ベルドは黙って口を開けると、ヒオリが肉を差し入れてきた。肉汁が口に広がるが、それ以前に嬉しすぎて恥ずかしすぎて味が全然分からない。

こんにゃろう。いじらしくなって、ベルドも肉を切り分ける。フォークで挿すと、ヒオリのほうへと差し出した。

「ほれ、口開けな」
「え……」

恥ずかしすぎて「あーん」なんてとても言えない。が、ヒオリにとっては十分すぎる威力があった。頬をほんのりと朱に染めて、口を小さく開けてくる。ベルドは肉を差し込むと、その口からフォークを引き抜いた。もむもむと肉を咀嚼するヒオリの顔に目線をやると、フォークとナイフで器用に支えて肉の半分を持ち上げる。飲み込むのを待ってから、ベルドはヒオリの皿の上に、自分の肉を半分移した。対するヒオリも、肉を半分分けてくる。半人前ずつを二人分、互いに分け合った半分こ。ヒオリはその肉をさらに切り分け、口の中へと運んでいった。

「……ん。……ん……!」

一口食べると、今度は止まらなくなったらしい。ヒオリは次々と肉を口に入れてきき、幸せそうに味わっている。

「おいしい……!」

そこまで幸せそうに言われると、連れてきた甲斐があったってものだ。ヒオリの肉はあっという間に減っていき、目の前で見ていたベルド自身もびっくりするような速さで綺麗さっぱり平らげてしまった。

「はは、おーい、ちょっと待ってくれー」

その速さ、なんとベルドより速かった。全てを胃袋に治めてから、ヒオリは我に返ったらしい。あたふたと慌てた顔をする。

「そ、そのっ、凄く、おいしくてっ……!」
「おー、気にすんな気にすんな。んな美味そうに食ってくれると、見てるこっちも幸せだぜ」

スープをすすって、ベルドは返す。パンとスープと、肉のセット。ポテトフライとサラダがついた、昼食用のメニューとしてはちょっと豪華な内容だ。

「ね、また、次のデートも、ここに来たい」
「おう、喜んで」

ヒオリのほうから寄せられた、次のデートの希望だった。ベルドとしても、断る理由は全くない。かしこまった礼を略式ですると、残った肉を片付けにかかった。

 

 

「……えへ、えへへ。お肉、美味しかった」
「そっかそっか。じゃ、次のデートもあそこ行こうな」

くしゃくしゃと頭を撫でてやると、ヒオリは頬を緩ませる。ちなみに食事代は割り勘で、お金もきっかり半分ずつ。全部出すよと言ったベルドだったが、ヒオリは頑として譲らなかった。彼女曰く「おいしいものを食べさせてくれたから、お金はボクが払うんだ」らしい。どっちが出すと一悶着し、その結果の割り勘だ。

午後のデートは、ぶらぶらしてアクセサリーでも見るつもりだ。ええと、あの店はどこだったっけ。現在地と店の位置を頭の中で照合し、目的の店へと足を進める。と、その途中、ベルドはカレンからどやされたことを思い出した。

「……すまん、ちょっと用を足してきていいか?」
「あ、じゃあ、ボクも行く」
「あいよ」

さっきの飯屋で思い出せればよかったのだが、生憎ここは守備範囲の外だった。ベルド自身、そこまでトイレに行きたいわけでもなかったのである。ヒオリに気を回したというか、その辺がカレンにどやされた点だ。曰く、女性は男性と違って、そこまで尿を我慢できる構造には出来ていない。しかし、自分でトイレと口に出すのは中々恥ずかしいものがある。そのため、適当なタイミングで男性がトイレに立つことによって、「貴方が行くなら私も」という言い訳を用意させてやる必要がある……らしい。

目下の所男性であるベルドにはその手のことは分からなかったが、ヒオリもトイレに行ったところを見てみると、案外そうなのかもしれない。この点にだけは感謝して、とりあえずベルドもトイレに入った。

「…………」

とりあえず入ると用を足したくなる辺り、トイレというのは不思議なものだ。折角なのでそのまま用を足し終えて、手を洗って外に出る。ヒオリが出てくるのを待つこと数分、ヒオリは早足で帰ってきた。

「お待たせ」
「ん、ああ」

返事の内容にちょっと困ったので、適当に流して終わらせる。ベルドはヒオリの左手を取り、ヒオリはそれを恋人繋ぎに絡め直す。手を洗ったからか、ちょっとだけ冷たい感触がする。そのまま路地を曲がること数回、目的の店へと辿り着いた。

華美な飾り気は見られずとも、ほのかにセンスが光る看板。扉を開けると、からんからんと小さな音が来客を告げる。中には数人の女の子がいて、ああだこうだと言い合っていた。

エトリアの街は、世界樹の迷宮が発見されるまでは、辺境の小さな町だった。しかし、冒険者が集い、商人が集い、結果、大きな街として栄えてきたという歴史がある。まだまだ冒険者中心の街のイメージは根強いが、一般人向けのこういった店も探せばあるのだ。時折だが、カレンはこういった店を覗くこともあるという。とはいえ、買ってくることはしない。曰く、安物過ぎるとかなんだとか。ベルドやヒオリから見れば、確かに安物ではあるのだが、アクセサリーとしては十分通用する代物のはずだ。カレンの服は全般的に仕立てがよく、話には聞いたがどこかの貴族の出身らしいから、無理もないのかもしれないが。

「これを安物すぎるとか抜かすたぁ、あいつは何を考えてんだ」
「ぅ~……」

ヒオリが、小さな声で唸りを上げた。どうやら、デート中に他の女のことを出したのが気に食わないらしい。失礼した。ベルドは素直に謝罪して、再びアクセサリーに目を移す。

赤、青、緑。色とりどりの宝石や、それよりやや値段の下がるガラス細工の飾り物。小物もちまちま置かれている。外に出ていた看板のように、あまり華美なものはない。置いてある宝石も、不純物が多かったりする原石だ。厳選されてもいないし磨かれてもいないが、それでもお洒落には十分である。高級な宝石を集めて喜ぶような奴なんて、それこそ貴族ぐらいだろう。

ヒオリはきょろきょろと周囲を見渡し、女の子達に混じってアクセサリーを取っていく。ベルドも適当に見て回りながら、ヒオリの様子を観察した。

「あ……」

と、アクセサリーを見ていたヒオリの動きが止まった。小さな髪飾りを手にとって、太陽光に透かかしている。しばらくヒオリはその髪飾りを見ていたが、やがて棚にそっと戻した。またいろいろとアクセサリーを見て行くが、しばらくすると先の髪飾りへ戻っていく。

「気に入ったのか?」
「え?」

髪飾りを手にとって眺めるヒオリに、ベルドは微笑を浮かべて近づいた。近くでそれを見てみると、なるほどヒオリに似合いそうなものである。

小さな石飾りが一つだけついた、シンプルな銀色の髪留めだ。地味といえば聞こえは悪いが、控えめなアクセントを添えるくらいのものがヒオリには多分似合うだろう。

「じゃ、それでいいか?」
「いい……って?」
「ん? プレゼント」
「――――っ」

ヒオリの顔が、はっとしたようなものになった。皆まで言わせず、ベルドはヒオリの頭を撫でる。

「生まれて初めて思いっきり遊んだ日だし、記念に残るものぐらいはプレゼントしときたい所だしな。ちなみに、拒否権は一切認めねえ」
「……え……」

そのために、ここに来たのだ。ヒオリの顔を穏やかに見つめ、ヒオリは少し遠慮がちに、じゃあ、と髪飾りを渡してくる。

「買ってもらって、いい?」
「おう」

今回は結構素直だった。彼女としても、欲しかったのだろう。ベルドがプレゼントしなければ、自分のお金で買っていたかもしれない。ベルドは髪飾りを受け取ると、店主に渡して会計を済ませる。お値段はちょうど200エン。毛糸の手袋が70エンだったことを考えると、確かにお手頃価格である。

「じゃ、どーぞ」

包装は簡単なものにしてもらい、紙袋に入った髪留めを渡す。ヒオリは髪留めを受け取ると、次の瞬間にははちきれそうな笑みを浮かべた。

「いいの?」
「高級品じゃねえのは、申し訳ないけどな」
「ううん、いい。ベルドがくれたから、いい!」

本当に嬉しそうに笑う辺り、あまり欲のない少女なのだろう。ヒオリは早速髪留めをつけると、似合うかなと聞いてきた。その姿は本当に可愛らしくて、ベルドはどきりとして顔を逸らす。

「ああ。すっげえよく似合うよ」

それは紛れもなく、ベルドの本心。ヒオリは嬉しそうに微笑むと、ベルドに思い切り抱きついてきた。

「お、おい、人見てるぞ!」
「だって、嬉しいんだもん。えへへ、今度、ボクにも何かお礼させてね?」
「……別にいいけど、くれるって言うなら期待してるぜ?」

すりすりと頬を寄せて全身で甘えてくる少女に、ベルドは苦笑するしかない。様子を見ていた店主も微笑み、女の子たちもある者は声を上げ、ある者は羨ましそうに見つめていた。

「わあ、羨ましい……」
「私も、本気で彼氏探そうかな……」

数日後から、この店でのカップルの入店率がやたら高くなったのは、ちょっとした余談であった。

 

 

「――さてと。じゃあ、そろそろ帰ろうか」
「…………」

時刻も三時を回り、二人のデートは終わろうとしていた。明日も冒険があるので、そろそろ切り上げて戻らねばならない。だが、ヒオリは悲しそうな顔をして、ベルドの服を引っ張った。

「……どうした?」
「……や……」

とどまってくるヒオリの顔は、今日の終わりを惜しんでいる。服の裾を掴んだまま、ヒオリは消え入りそうな声で続けた。

「……いや……」
「…………」

ヒオリの頭を撫でてやると、少しだけその力が緩んだ。とはいえ、このくらいの時間で切り上げることは既に彼女とも合意している。今更ごねられても困るのだが、こうされると弱いのが男である。

「……分かったよ。少し、寄り道して帰ろうか」

いつもよりもゆっくり歩き、近くの遊歩道へと入る。デートコースの候補にはなったが、残念ながらボツになってしまった場所だ。ヒオリはそこで立ち止まると、少し悲しげに笑ってみせる。

「……今日、すごく楽しかった。ずっと、ずっとずっと、続いてほしいぐらい」
「ああ。俺もだ」

まったくもって、同感だった。ヒオリは少しほっとしたのか、安心したように微笑んでくれる。

「ね。また、ボクとデートしてくれるよね」
「あったりまえだろ? ……それとも、何かあるのか?」

彼女のとっかかりは、取れたはずだ。もしかして、変な病気にでもかかったのか――? 嫌な予感がしたベルドだったが、ヒオリはそれには首を振る。

「ううん、違うよ。……だけどね」
「ああ」
「……今日、二人で一緒にいてさ。ボク、また、ベルドが好きになっちゃった」

ヒオリの表情は、少しだけ読みにくい。深刻な話なのか、そうでないのか。

「……だから、ね。不安なんだ。いつかベルドに本当に好きな人ができて、捨てられちゃうってなったとき、ボク、もう、耐えられそうになくなっちゃった。そんなこと、考えたくもなくなったんだ」
「……ヒオリ」

そんなことか。ベルドは笑って、ヒオリに告げる。

「下らねーことを考えんじゃねえ。お前を捨てたいなんて考えたこたぁ一秒もねーし、むしろ俺のほうが捨てられるんじゃねえかって思ってるよ」
「な、ないない、捨てない!」

全力で首を振るヒオリが、どうしようもなく愛しくて。ベルドはヒオリを抱き寄せる。

「だったら、いいだろ。お前、俺とのデート中、そんなことを考えてたのか?」

少なからぬ失望をもって問いかけるベルドに、ヒオリは首を横に振る。

「ううん。ただ、終わっちゃうんだって思うと、やっぱり、ね」
「終わんねーよ」

何度だって、一緒に出掛ける。何度だって、彼女と歩く。ベルドはそう、告白した日に決めたのだ。ヒオリはごめんねと見上げてくると、顔を埋めてベルドの体を抱き返す。再び顔が上げられたときには、紅の瞳からは不安の色は消えていて。ただ、自分に想いを寄せてくれる、一人の少女がそこにいた。

木漏れ日が、ヒオリの瞳に反射して。少しだけの沈黙が流れて、ヒオリはそっと背伸びをすると、紅の瞳を静かに閉じる。柔らかそうな唇が少しだけ突き出されて、ベルドに甘い契約をねだる。ヒオリの髪をかき分けて、ベルドは静かにそれに応じた。

時間にして、多分十秒もないだろう。なのに、緊張と愛情で、何十分もしていたような錯覚がする。顔を離すと、ヒオリはとろけた顔をしていて。頭を撫でると、ヒオリは顔を埋めてくる。

「……次の休みも、遊びに行こうな」

埋められた顔が、こくりと動いた。これでもかといわんばかりに、抱きつく力は強まって。やがて二人は、この日の終わりと、次のデートの約束と。そして何よりの愛情を込めて、もう一度だけ、唇を重ねた。

 

 

 

 

 

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