第二十幕

奴隷解放宣言


――なにっ!?

戦闘開始早々猛烈な速度で突っ込んで来だベルドを見て、リーシュは驚愕した。それが隙となり、初撃を許してしまう。斬り上げられたリーシュに、ヒオリが雷撃を落として追撃をかけた。

「くっ!」

リーシュは槍を持ち替えると、まるで剣のように横薙ぎに薙ぎ払った。直後、槍と雷撃が激突し、雷はあらぬ方向へ方向転換させられる。

「なんだと!?」

電気を通さない槍を見て、ベルドが驚きの声を上げる。先のリーシュと同じ情景だが、ベルドは攻撃を食らわなかった。というのも、着地したリーシュは追撃をかけず、体勢を立て直すという選択肢を選んだからだ。ベルドとヒオリも、下手に追撃をかけるような真似はせず、静かに相手の様子を探る。

一瞬の沈黙の後、両者はほぼ同時に動いた。ベルドは上から魔力を纏った剣を振り下ろし、リーシュは唸りを上げる剛槍を回転させて繰り出した。

ぎぃん、という甲高い金属音がし、ベルドは弾かれたように飛び退いた。リーシュも少々ぐらつくが、即座に追撃をかけ――とっさに横に飛んだ。直後、彼の位置を氷の刃が駆け抜けていく。

やけにあっさり飛び退いたベルドを見て、リーシュはその一撃はフェイクであることを見抜いていた。そのため、飛来してきたヒオリの氷刃もあっさり回避する。と、その直後理性より本能が働いて、リーシュは後ろに大きく飛び退った。氷の刃もフェイク。半瞬遅れ、真空の刃が駆け抜けていく。

「雷よ、荒れ狂え!!」

そして、それすらもフェイクだった。素早いリーシュの動きを止めるべく、ヒオリの範囲魔法が放たれる。大雷嵐の術式。体を駆ける電流に眉を顰めつつ、リーシュは思う。続いて飛来してきた風の刃に吹き飛ばされた。

木に頭を叩きつけられ、その中でリーシュは考える。


強い。動きも技も、その威力も精度も。一週間前、樹海内部で戦ったときとはまるで別人だ。どんな鍛え方をしたのかは知らないが――これは、自分も本気にならなければまずいな。


思考の海に沈んだリーシュに、好機と見たのかベルドがハヤブサ駆けをぶっ放す。リーシュの強さは底が知れない。おまけに剣と槍では間合いも一撃の攻撃力も違いすぎる。今は槍――相手に有利な距離をとらされている上、相手は相当の実力も兼ね備えている。間違いなく、隠してはいるが自分以上の。

となれば、得意とするスピードと連撃の速さで勝負を挑むのみ。

「はああぁぁぁぁっ!!」

踏み込み。敵陣を駆け抜けながら放たれる猛烈な連撃が、リーシュの体に炸裂する。その速さは、疾風という言葉すら連想させた。だが、攻撃を仕掛けていた剣が突如として止まる。穂先の根元にある金属部分で押さえられていた。

「ヒュプノバイト!」

その構えのまま、防御を崩して槍を突く。だが完全に崩すにはいたらず、ベルドはすかさず足を使い、その槍を蹴り上げ弾き上げた。だがリーシュも負けてはいない。弾き上げ攻撃に無理な抵抗はせず、跳ね上げられるに任せる。そのまま槍を反転させ、石突きでベルドの脛を狙った。

「ぐあぁっ!」

その一撃は狙い違わずベルドの脛に直撃し、うずくまったベルドの顎を思い切り蹴り上げる。しかし地下十五階で対峙した時、ベルドは既にそれを食らっていた。予測していたベルドに隙は無く、後方回転して体勢を立て直す。そしてそのタイミングで完全にノーマークとなっていたヒオリの氷結の術式が叩き込まれ、リーシュは氷の刃に貫かれる。

だが。リーシュの槍から生み出された炎は、氷の刃を音も無く呑み込み、溶かし消した。

「……今、何かやりましたか?」
「くっ……!」

不意打ちを難なく無効化され、ヒオリもベルドも言葉に詰まる。灼熱の火炎を纏い、リーシュは絶対的な強者として君臨する。その絶大な力の前には、いかなる抵抗も意味を成さない。リーシュ・アーティミッジという男は、相手にそう思わせるだけの『格』を有する存在だった。

「ちいぃ、まだまだぁ! そんな程度で、勝ったと思い込んでんじゃねえぞ!」

水平に振るったベルドの剣から、真空の刃が迸る。リーシュめがけて正面から飛んでいった風の刃は、あっけなくかがまれて回避されてしまった。しかし、ここへヒオリが下から火炎の術式を打ち上げ、これは回避されたもののベルドが思い切り敵に迫る。

が。

「ふっ!」

気合の声と共に、リーシュの槍が輝いた。同時に切っ先から打ち出されるのは、触れるものを焦がす炎の壁。これが電撃とか吹雪だったら無理に突貫する手段もあったが、炎に弱いベルドは突っ込むことは出来なかった。

(そりゃねえだろ……!)

ただでさえ強敵すぎるのに、持っている槍まで途轍もない力を隠していた。冷や汗を伝わらせるベルドの前で、その火炎が再びリーシュの刃先に収束した。その姿に、ベルドはかの姿を思い浮かべる。

「竜かよ、くそったれ……!」

炎を吐き、その鱗はあらゆる攻撃を無効化し、爪の一振りで大岩を砕く。あらゆる生命の上位に立つ、ベルドもたった一度だけしか見たことのない、神々しさすら感じさせるその姿。勿論、リーシュは人でしかない。だが、リーシュの従える凄まじい力は、それだけで竜を想起させるものだった。

「はあぁっ!」

そして、リーシュが槍を突き出した。同時、ベルドはほとんど本能的に回避する。一瞬前までベルドが居た場所で、竜の炎が爆発した。回避そのものには成功したものの、荒れ狂う炎の欠片が広範囲に散って、ベルドは攻撃を封じられる。

「へぇ、避けましたか」

リーシュが槍を回転させると、炎は一瞬で消滅した。全てが幻だったかのように、何の形跡も残らない。枯葉一枚すら焼けていなかった。

「――――!?」

そして、その跡を見たベルドは愕然とする。標的以外は燃やさない、そんな炎を放つ槍など、ベルドは伝説の中でしか知らなかった。

「待てよ……まさか、それ……!?」
「気づきましたか? 多分、当たっていますよ?」
「……え、炎槍イセリアル・デヴァイド……!?」
「ご名答。よくご存知なのですね。相当、手に入れるのには苦労しましたよ?」
「くっ……!!」

七大器と呼ばれる名器がある。古の時代に作られた、剣、槍、刀、弓、斧、杖、鞭の七つの武器だ。それぞれが強烈な力を秘めており、持った人間は千人の兵を同時に相手に出来るという、文字通り一騎当千の武具である。伝説ではさらにその上に一つの神器があるというが……そこまでくると御伽噺のレベルである。

だが、神器はおろか七大器も実在を確認した者はおらず、今まで伝説として語られてきた。だがリーシュはどうしてかその一つを手にしており、武具のほうにも認められた男でもあるらしい。

炎槍イセリアル・デヴァイド。強力な炎の魔法がかけられており、なにもかもを貫くという史上最強の槍だ。炎槍の二つ名の通り、自在に炎を生み出し身を守ったりあらゆるものを焼き払ったり――所有者の攻撃力と魔法力、それに比例して幾通りもの使い方が出来る武具だ。

「だが、俺はっ……!」

搾り出すような声を上げ、ベルドは剣をリーシュに向ける。それを見たリーシュは嘲笑を浮かべてそれに返した。

「それでも、まだやる気なのですか?」
「当たり前だ! 俺たちは五人揃ってなきゃ話が始まんねえんだよ! それにヒオリの居場所はてめえらみたいなやつらのとこじゃねえ、俺の隣だ!!」
「ベルド……」

啖呵を切る恋人の名を、ヒオリは万感を込めて呟いた。だがリーシュの態度は変わらない。相変わらずの嘲弄を持って、ベルドに声を返した。

「ずいぶんカッコいいことを言ってくれますが、足も剣も震えてるようじゃ台無しですよ?」
「うるせえ黙れ!!」

痛いところを突かれ、ベルドは子供みたいに怒鳴り返す。

「全く――貴方もその仲間達も、どうしてその奴隷一匹にこだわるんでしょうね。理解に苦しみます」
「そのセリフはそっくりそのまま――返せねえか」

相手がこだわる理由は分かる。例え一人でもおめおめと奴隷を逃がしたら他の奴隷も脱走を企てかねないし、世間体にも影響してくる。ベルドは苦笑して、首を振った。そして、ぽつりと言葉を紡ぐ。

「正直さ――冒険者って自由だなって思ってたよ。危険な旅は多いけどよ、それでも仲間達と力を合わせてさ、その仲間の中に女の子もいてさ、普通の恋愛とかしてみたかったぜ。それがまた蓋を開けりゃなんたってこんな難儀なヤツに惚れちまったんだろうな」
「私に聞かれても分かりませんよ。奴隷に惚れるような大馬鹿であるということ以外はね」
「……我が事ながら同感だぜ」
「自覚はあるのですか?」
「一応な」
「……まあ、いいでしょう。どうしてもやる気だというのなら、抵抗しようの無い圧倒的な力というものを見せてあげましょう」

それだけ言うと、リーシュは己の魔力を槍の刃先に注ぎ込んだ。赤かった炎が橙に、そして青に変わり、やがて薄い白色に染まる。

その温度は実に数万度。煉獄といってもまだ生ぬるい、夜空に輝く幾多の星の温度にも劣らぬ炎がリーシュの槍に収束する。それでいて、槍を握るリーシュの手には火傷一つ与えない。

だが。

「……待ってたんだよ、そいつをな!」

対するベルドは、不敵な笑みでそれに応えた。いっそ、気でも狂ったのではあるまいか――そんな可能性さえ感じさせるベルドの言葉に、リーシュの表情が疑問に動く。だが、ベルドの言葉にはまだ続きがあった。

「だったら、こっちも爆発で行くぜ!」

そう叫び、ベルドは思い切り地面を蹴った。それと同時、ヒオリが大氷嵐の術式を起動する。

「その程度の氷で――」

リーシュの言葉が途中で止まった。降って来る氷柱の数は、先ほどまでの比ではなかった。数だけではない、それに纏う冷気の温度も、問答無用の絶対零度だ。

「ば、馬鹿な……」

驚愕が声と化して溢れる。そんなリーシュの瞳と、それに襲い掛かるヒオリの氷が、ベルドの視界で焦点を結んだ。それと同時、剣に魔力を流し込んだベルドはたった一言、叫ぶ。

「来い!!」

瞬間、降り注ぐ氷の一部がベルドめがけて向きを変える。少年の声に応じ、飛来してきた氷は狙い違わずベルドに――ベルドの持つ剣に吸い込まれていく。流れる魔力はヒオリの氷の力を借り、その剣に透き通るような蒼い輝きが宿った。

リーシュが硬直していたのは、ほんの数秒ほどに過ぎなかった。しかし、ベルドとヒオリの狙いは、その数秒の間を得ることにこそあったのだ。慌てて炎槍の先端を向けるリーシュに、ヒオリは冷たく告げる。

「無駄だよ。こうなった以上、もうボク達のほうが速い!」

宣言と同時、リーシュの頭上に起動された大氷嵐の術式が炸裂する。

猛烈な吹雪を千分の一に凝縮したような、凄まじいエネルギーが吹き荒れた。無数の刃と化した氷はリーシュの炎を微塵に斬り裂き、駆け抜ける冷気が相手の体を凍てつかせる。だが、ヒオリの爆発させた力で放った氷の嵐は、リーシュを倒すことは敵わなかった。炎を破りこそしたものの、ダメージは致命傷にはなっていない。さすがは七大器の一つといったところだろうか、不完全でありながら、その力は脅威の一言だ。

だが、それでも相殺されたことに変わりは無い。そして、火炎が相殺された今、わずかな間とはいえリーシュは生身の肉体のままそこにいた。

「まあ――いいか。普通の恋愛もいいけどよ……」
「…………!!」
「躓いて、迷いながら――進んでいくのも、悪くねえよなぁっ!!」

そして、ベルド・エルビウム最大出力の必殺技がリーシュの生身の肉体に叩き込まれ……

「一応、言っておくよ……」

ヒオリ・ロードライト最大出力の術式が、その篭手に集約して……

「十六年間、どうもお世話になりましたってね!!」

荒れ狂った術式が、リーシュの体を一片の容赦もなく吹き飛ばした。

 

 

「…………」

大木に思い切りたたきつけられ、そのまま地面に落ちたリーシュを、ベルドは無言で見下ろしていた。その顔を正面に向け、リーシュはうめくような声を上げる。

「や……やり、ます、ね……」
「あれだけやっといて、気絶すらしねえのかよ……!」

てめえは、不死身か? まさかの可能性すら考えるベルドだったが、リーシュは首を振って手を挙げた。

「参りました。私の、負けです」
「……っていうか、あれを凌がれたらこっちにはもうほとんど手はねえぞ」

正直な話、リーシュと真正面からやりあったなら、確実に負ける自信があった。最高の師をつけて修行したとはいえ、その期間はたったの一週間だ。たったそれだけの期間で自分達を圧倒的大差で叩き潰した相手に打ち勝てるほど、戦いの世界は甘くない。

ならば逆に、相手に全力を出させなければいい。そう考えたベルドとヒオリは己の力を弱く見せ、相手が全力を出せないときに初めて手の内を晒す作戦に出た。

卑怯と謗る者もいるかもしれない。だが、そうするしかなかった。己の力が足りず、それでもなおどうしても勝利を得たいのなら、最早反則技で攻めるしかない。そうなっても勝利を諦めず、真っ向から戦いきることが出来るのはよほどの強者でなければ無理だ。

そしてベルドは、自分が『弱い』事を知っていた。誇りだのプライドだの――そんな堅苦しいものを背負いながら、戦えるほど強くない。くだらない外面を気にしていて、大事なものを失うなんて御免だった。卑怯などという謗りごとき、いくら受けても痛くも痒くもない男――それがプライドを捨てた男、ベルド・エルビウムだった。

「ベルド……」
「……ああ」

呟かれたヒオリの声に、ベルドは一つ頷いた。リーシュに剣を突きつけて、低い声で確認する。

「勝利方法については、言及されなかったからな。約束は約束だ、ヒオリからは絶対に手を引いてもらうぜ」
「……もちろん、です。そのくらいの約束、貴族は守りますよ」
「……そうか」

本当かどうかは分からないが、そこはリーシュを信じるしかない。ベルドは地面に腰を下ろすと、ヒオリに素早く指示を下した。

「ヒオリ。あれ、持ってきてくれ」
「分かった」

ヒオリは油断せずに向きを変えると、ベルドの荷物から一つの箱を引き出してくる。ベルドはそれを受け取ろうとしたが、ヒオリは小さく首を振った。ベルドはしばらくヒオリの顔を見ていたが、やがて一度だけ頷くと、ヒオリと位置を入れ替える。ヒオリはそれの蓋を開けると、中身をリーシュに差し出した。

「お腹、出して。最後の一発は、さすがにダメージ大きかったと思うから」
「……なにを……?」
「応急手当して少しだけ恩を売って、手を引いてもらおうっていう作戦。さすがにこの辺りには血の臭いをかぎつけてくるような魔物はいないみたいだけど、やっておくに越したことはないの」
「やれやれ……恩を売るとは、堂々と言ったものですね」
「……ボクがリーシュに心からの善意ですると思う?」
「しませんね。やれやれ、口の利き方に問題があるんじゃないですか?」
「も、申し訳……って、もう関係ないじゃない。ボク、今日から平民なんでしょ?」
「平民といっても、相手は貴族ですよ?」

最初の言葉は、思わず出かかった「申し訳ございません」か。そういえば、平民だとしても相手のほうが上だった。ぶっちゃけベルドも大変失礼な物言いをしていたのだが、敵は敵だ。

「まあ、言葉に甘えるとしましょうか」

それだけ言うと、リーシュは素直に腹部を出した。最後に斬られたのはわき腹だし、術式をぶち込まれたのは腹部だった。やはりその二箇所が、最もダメージが大きかったのだろう。

メディカを塗ってリーシュの手当てをしてやりながら、ヒオリは硬い声で告げる。

「一応、感謝だけはしておくよ。リーシュがあの日、ボクをあの場に貸さなければ、ボクはベルドと出会えなかった」
「そうですか」
「どう見ても理不尽な罵倒を受けたり、吐き気がするような命令も受けた。……ベルドだけだったよ。ボクのために考えて、ボクのために動いてくれたの」
「ふふ、言葉が随分と、達者になったものですね」
「いろんな人から、いろんな物をもらったんだ。最初、髪をカレンに整えてもらった。この服は、ある商人さんからもらったんだ。戦闘技術は、みんなに鍛えてもらった。言葉の知識は、みんながいろいろ教えてくれた。……でも、一番欲しかったものは、ベルドがくれた」

はい、おしまい。立ち上がったヒオリは、リーシュに告げる。

「偶然に過ぎなかったけど、リーシュがあの時ボクをあの家に貸したから、ボクはベルドに会うことができた。それだけは、感謝だけしとく」
「……そうですか」
「でも、それだけ。それ以上にアーティミッジには酷い目に合わされたし、リーシュにも散々詰られた。殴られもしたし、蹴られもしたね」

ヒオリはくるりと、向きを変える。林の出口を指差して、ヒオリは冷たい声で言った。

「行って。もう二度と、ボクに顔なんて見せないで」
「…………」

リーシュは、ベルドに目線を向ける。対するベルドも、無機質な瞳でリーシュを見返す。

「お前には、殺されかけたからな。この世界で殺しは無理もないことだとはいえ、さすがにあの時はてめえを祟り殺してやろうかと思ったぜ。とはいえ、結果的に俺は助かったし、こっちもゴーンを殺してる。そっちにとっては不本意だろうが、これで手打ちに出来ないかね」
「そうですね。私としては、特に異論はありません」
「そう言ってくれると、ありがたいな。……あばよ、リーシュ」

同じく、リーシュに背中を向けて。ここまで来て刃を向けることはないだろうと、ベルドは本能的に悟っていた。そのまま静かに、街のほうへと歩き出す。

いつしかヒオリが隣に立って、硬くその手を握っていた。

 

 

 

 

 

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