第十八幕

鍛えよ、勝つために


「……くっ……」

窓から差し込む朝日に、ベルド・エルビウムは目を覚ました。ぼぅっとした頭で記憶を探ること十数秒、さらにそのまま十秒ほど停止する。

「…………地獄ってこんなにしょぼかったか?」
「……一人で死んじゃったら、ボク、一週間ぐらい泣き暮らすよ」

呟いたベルドの耳朶を、聞き慣れた声が刺激した。その声の主を見て固まることちょうど三秒――

「――リーシュはっ!?」

ようやくベルドを全ての状況を把握した。がばっ、と布団を跳ね飛ばすような勢いで飛び起きるが、ずきりとした痛みが脳髄に走って額を押さえる。

「あ、駄目だよ、まだ寝てなきゃ!」
「……へい」

額に手を当てて来るヒオリに、ベルドは短く答えた。

「……ところで、リーシュは? お前、連れ去られたんじゃねえの?」
「リーシュ? ベルドがコロトラングルと一緒にやっつけてくれたじゃない、何言ってんのさ?」
「……は? 俺が?」
「……もしかして、ボクを助けてくれたこと覚えてないの?」
「ちょっと待て、ちょっと待ってくれ。まず、状況を整理させてくれ」

ヒオリの答えが理解できず、ベルドは手をかざしてヒオリの言葉を止めた。

「えっと、確か俺らは地下十五階で謎の少女に再会したんだよな?」
「そうだよ?」
「で、その少女が口笛を吹いて樹海の守護者・コロトラングルが現れた。これも間違いないな?」
「うん、合ってるよ」
「ところがコロトラングルは敵じゃねえから俺が止めて……で、俺はその直後に登場したリーシュ・アーティミッジとかいうスカした野郎に遭遇してやっつけられたんだよな?」
「そうだね」
「ほんでもって戦闘不能になった俺の変わりにお前ら四人が行ったんだけど、リーシュの野郎が滅茶苦茶強くて返り討ちに遭って……俺はコロトラングルと目が合っちまってまた頭痛に襲われて、んでカレンのヤツが俺に薬瓶を投げつけて、そしたら頭痛がすーっと収まって……そっから先を覚えていない」
「うーん、ボクもその時はアーティミッジの兵士達に囲まれててよく分かんなかったしね……ちょっと待ってて、ゲリュオたち呼んでくるよ」

首をかしげたヒオリは、扉を開けてゲリュオたちを呼びに出て行った。

 

 

数分後、ヒオリが他の面々を連れて部屋に入ってきた。

「お待たせー」
「おう」

右手を軽く上げたヒオリに左手を上げて返すベルドに、カレンが声をかけた。

「ベルドさん、調子はどうですか?」
「……まだ少し痛むな。ま、しばらくすりゃ回復するだろ」
「そうですか。まあ、無理もありませんね」

神妙な声を上げるカレンの横で、ゲリュオもふむと頷く。どうやら二人だけで納得しているらしいが、ベルドからすればそれは困る。分からないのは自分のことなのだ。

「……とりあえず、何があった」
「何があったと一言で言うのは難しいんですけど……ゲリュオさん、説明お願いします」
「分かった」

カレンが説明役をゲリュオに回し、ゲリュオもそれに対して頷いた。

「まず、お前は対リーシュ戦、どこまで覚えている?」
「えーっと、俺と奴が一騎打ちして負けて、それを見てお前らが四人がかりで向かっていったけどそれでも負けて、んで俺はコロトラングルと目が合ってまた頭痛が起きて、カレンに薬瓶投げつけられて頭痛が消えて……そっから先を覚えていない」
「そうだろうな。大体その辺りまでだろう」

ベルドの返事の内容は、大方ゲリュオの予想通りだった。当のベルドは何が言いたいのか分からず、質問を返した。

「……俺はその後、一体どうしたんだ?」
「お前は……」
「ああ」
「……お前はあの後、コロトラングルを操ってリーシュを倒した」
「はあっ!?」

突拍子も無いセリフにベルドは思わず跳ね起きる。そういえばヒオリもさっき自分が『コロトラングルと一緒に』リーシュを倒したと言っていた気がする。

「事実だ。お前はその時コロトラングルのことをコロと略して呼び、次々と指示を下してアーティミッジ兵を撃破、リーシュ本人にも打撃を与えて追い払った」
「……コロ……」

記憶を探るようにその名を口に出したベルドだが、再び頭痛が走って頭を抑える。

「その時のお前の言葉も合わせて考えると、お前とコロトラングルはかつて知り合いで、友達同士の関係であったらしい」
「……じゃあ、なんで俺はそれを覚えていないんだ? いや、俺とコロトラングルの関係はともかくとして、先の戦いで俺がコロトラングルを操ったらしいことさえも」
「そのことだが……」

その質問を受けて、ゲリュオはひとまず確認を取った。

「お前が気絶している時、カレンにお前は記憶を失っているんじゃないかと聞かれてな」
「?」
「そこで、事後承諾で申し訳ないが、お前の記憶について話させてもらった」
「俺の記憶ってーと、俺が冒険者になる前の――七年以上前の記憶が無いってことか?」
「ああ。構わなかったか?」
「別に構わんが……なんでわざわざそんなことを?」

ベルドも別に隠したくて隠していたわけではない。カレンやツァーリに話さなかったのは別段何かにこだわったりしているわけではなく、単に話す必要性も機会も無かっただけの話だ。言いたければ言えばいい、その程度の感慨しかない。その程度の感慨しかないが――理由くらいは聞いておきたい。話したことも無いのに、どうして「記憶を失っている」などというところに行き着いたのか。

「あくまで私の推測でしかありませんが……」

断りを入れて、カレンは話し出す。

「貴方の記憶は失われたわけじゃありません。恐らく、封印されているんです」
「なんだと!?」

その言葉を聞いて、ベルドの血相が変わった。詳しく説明しろと詰め寄るベルドに、カレンは冷静に質問を重ねる。

「ベルドさん、貴方が頭痛を起こしたタイミングを覚えていますか?」
「頭痛を起こしたタイミング? えーっと、あの警告与えた少女とかコロトラングルとかに遭遇した時じゃなかったか? あれが消えると頭痛も消えた」
「その通りです」

ベルドが質問に答えたのを聞くと、カレンは全員に言った。

「私の推測ですが、かつてベルドさんは何者かによって記憶に封印を施されています。そして、おそらく封印した内容に触れるものをあの少女やコロトラングルは持っていたのでしょう」
「……どういうことだ?」
「貴方の頭痛は起こったタイミングから見ても、ほぼ自然のものではありえません。そして――我々魔術医学の世界においても、呪いの一種として記憶封じの法が伝わっています」
「つまり、俺の頭痛は封じられた記憶に触れたことによる呪いってことか?」
「その通りです。事実、リフレッシュをかけたら貴方はコロトラングルを操り出しました」
「……だがその事は封じられた記憶とやらに触れるから、呪いの機能が働いてその部分だけ消えたってことか」
「恐らくは」
「なるほどな……そうなると、最後に投げられた瓶はリフレッシュだったんだな」

しかし、ベルドが今そのことを覚えていないということは、リフレッシュの解呪効果を持ってしても完全に打ち払うなど出来なかったということだ。それだけ強力な呪いを施さなければならなかった理由や、その内容も気になるが……考えるとまた頭痛を起こしそうなのでそれはそれで事実として受け止めておく。とにかく、目下の問題はアーティミッジへの対処だ。思考を切り替え、ベルドは今度はゲリュオに聞いた。

「……とりあえず、俺はコロトラングルと協力してリーシュを追い払ったんだな?」
「ああ」
「……で、リーシュが受けたダメージは?」
「お前の蹴りとヒオリの術式、俺の刀が一発ずつ、コロトラングルでも『大海原の侵食』とかいう技を一撃当てた程度だ。それなりにダメージはあっただろうが、一日二日すれば全回復する程度だろうな」
「それほどか……」

リーシュの性格と状況から推測するに、その程度でヒオリの奪還を諦めるとは思えない。そもそもコロトラングルさえ居なければ簡単にヒオリを奪還できた状況だ。近々コロトラングルの居ないタイミングで襲撃をかけてくる可能性は十分にある。

「しかし、コロトラングルでもまともに攻撃を当てられなかったって事になると、結構まずいことになったな……」
「当てられなかったというよりは、あまり狙わなかったというほうが正しい。お前とコロトラングルが協力して戦ったときは、相手はリーシュだけじゃなかったからな。同時にあいつが連れてきた兵士も向かってきていた」
「つまり、リーシュ本人よりも兵士のほうを相手にしていたってことか?」
「ああ、その時にリーシュ本人を狙った攻撃は……多分、全体攻撃の『大海原の侵食』だけだ。ちなみに、兵士たちはお前らが全滅させている」
「なるほどな……」

一応、そのことは気休めにはなったが……いずれにせよ、今の彼らの実力だけではリーシュには敵わない事実に変わりは無い。先ほども言ったが、コロトラングルさえ居なければ簡単にヒオリを奪還できたのだから。

しばらく考えたベルドは、全員のほうに向き直って、告げた。

「……頼みがある」
「なんだ?」
「……一週間でいい。ギルド『紆余曲折』を抜けさせてくれ」
「……どういうことですか?」
「リーシュに勝つための、修行をしたい」

当てはある。当てはあるが、たかだか一週間でリーシュに勝てるほどの実力を身につけられるとは限らない。そもそも相手が修行相手を請け負ってくれる保障も無い。ついでにその一週間の間にリーシュが襲撃をかけてこないとも言い切れない。

だが、それでも。

「勝手なことなのは分かっている。だけど……」

――やらずには、いられない。やらなくちゃ、ならない。

「……いいだろう」

それに納得の返事を返したのはゲリュオだった。

「ただし、条件がある。その間、俺も別口に修行させてもらう。お前が一週間ギルドを抜けるというのなら、俺も一週間抜けることを認めろ。それが条件だ」
「……ああ」
「ベルド」

続いて口を開くのはヒオリだ。

「その修行、ボクがやることも出来る?」
「……相手によるな」
「もしできるんだったら、ボクにもやらせて。ボクが出す条件はそれ」
「……もう一回言うが、相手によるぞ。できない可能性もあるが、そうなったら悪いが勝手にやって欲しい」
「分かった」
「お前らは? 何か条件はあるか?」

頷くヒオリを見て、ベルドはツァーリとカレンに向き直った。

「わしは無いな。今の状況でまたアーティミッジに襲撃をかけられたらどうせ敵わん。ロードライト卿を連れ去られるぐらいなら、普通に一週間かけて修行してもらったほうがええ」
「私も特にありません。ツァーリさんの意見にも同感ですし、形式上とはいえリーダーは貴方です。ただ……」

直後、カレンの眼光が鋭さを増した。

「やるのであれば、全力でやってください。以上です」

 

 

「…………」

ギルド『紆余曲折』を一時解散する宣言を出した数分後、服を着替えて装備を整えたベルドは、ある所を訪れていた。

ベルドたちの部屋から二階分駆け上がった、長鳴鶏の宿407号室――数日前にかけられた言葉を辿り、ベルドはその部屋の前に立っていた。

ほとんど見ず知らずの上に電撃訪問状態で来てしまっているので実際呼び出すとなると結構後ろめたい部分もあったりするが、そんな所で逡巡しても仕方ない。時間を無駄にするだけだ。

こんこんとノックをし、中から返事の声がする。それから数秒の間を置いて、部屋の扉が開いた。

「はい、なんでしょうか?」
「すみません、突然失礼いたします」
「……あ、あの時の!」
「ええ。その節はお世話になりました」

部屋の中から応対に出てきたのは――背中までの長い髪と、同色の目。壁に立てかけてある長い槍。そう、数日前、カレン・サガラ親衛隊(非公式)の連中に絡まれたときに、参入してきて手を貸してくれたあの美少女だった。

「何か、用かな?」
「……はい。実は、頼みがあって来ました」

ベルドの目が、少女の目を捉える。それにしても、綺麗な目だよな――全くどうでもいい感情が浮かぶが、それを無視してベルドは頭を下げた。

「……俺に、武術と、それから槍術士の倒し方を教えて欲しいんです」
「……え?」

そう、ベルドの修行の当てとは彼女だ。親衛隊との戦いの折、ベルドはこの少女の強さ、その片鱗を垣間見ている。その時、彼は素直に思ったものだ。

彼女はきっと、自分よりも強い。それも、圧倒的に。

嫉妬しなかったといえば嘘になる。だが、今はそれがありがたかった。

「どういうことか、説明してもらえる?」
「……どうしても倒さなくちゃならない相手が出来たんです。それも、早急に。そいつの使用武器が槍で――そいつは俺よりも、圧倒的に強いんです」
「だから、槍術士の倒し方を教えて欲しいってこと?」
「はい。……突拍子も無い話で、無茶なお願いだって事も分かってます。それでも、どうか俺に修行をさせて、槍術士の倒し方を教えてください、お願いします!!」

ベルドは再び頭を下げる。自分に与えられた時間は長くは無い。このタイミングで少女から肯定の返事が貰えなければ後が無い。かかっているものはヒオリの人生と、最悪命。正真正銘、命がけだ。

少女はしばらく黙った後、頭を下げたままのベルドに聞いた。

「……一つ、教えてくれる? 貴方は、どうしてその槍使いを倒さなくてはならないの?」
「その槍使いは……アーティミッジ家次期当主、リーシュ・アーティミッジです」

さすがにアーティミッジのことは知っていたらしい。少女は驚いた顔になり、続きを促す。

「数ヶ月前、アーティミッジの家から一人の奴隷が脱走して、私たちのギルドに接触してきました。そして……情けない話なのですが、私はその奴隷に惚れてしまったんです」
「なるほど……」
「ですが、当然ながら逃げた奴隷を放置しておくような奴でもなく……彼は、俺たちに襲撃をかけてきました。その奴隷を、奪還しに」
「…………」
「その時はいろいろあって、追い払うことには成功したのですが……私たちのギルド、総力を挙げても止める事は出来ませんでした。ですから……」
「修行をさせてくれ。そういうこと?」
「はい。貴方は私よりも遥かに強い。私は、かつてその片鱗を見させていただきました」
「……その奴隷さんはどう思ってるの?」
「あいつは……彼女は、奴隷という身分を振り切りたくてここに来ました。あいつも、アーティミッジを撃破することを望んでいます」

微妙に違うが、大筋は間違っていない。そして、修行を望む理由を聞いた時に、既に彼女の答えは決まっていた。

だが、その前に。

「そいつとの戦いは、いつ?」
「……私の予測ですが、おそらく一週間ほどと」
「一週間……」

少女は呆然と呟いた。とてもではないが、一週間程度では満足のいく練度まで鍛え上げられない。やろうと思えば出来なくは無いが、そんなことをしてはほぼ確実に体を壊す。

……が、少年の目に宿った光を見て、少女は直感した。

おそらく、それでも着いて来る。どれだけ厳しくても、食らいついて来ると。

「――分かりました。貴方の修行に付き合いましょう」
「……ありがとうございます!」

ベルドは頭を下げた。これで第一関門は突破だ。後は自分の能力と彼女の手際に全てはかかっている。が、その前に一つ聞いておきたいことがあった。

「ところで、その奴隷の子はアルケミストなのですが……彼女の修行も、できますか?」
「もちろん。あれ、知らなかったかな? 私の本職は魔術師だって」
「……え? あれだけ武術もできるのに、本職じゃないんですか?」

――そして、自分で修行を依頼しておきながら、ちょっと恐ろしくなったベルドであった。

 

 

「っくしゅん!」

滝に打たれていたヒオリは、あまりの寒さにくしゃみをした。少女は苦笑して、それを眺めている。夏とはいえ、何時間もほぼ裸で水に打たれ続けていれば、そりゃ冷える。

「……二十六、二十七っ、二十、八っ、二十九」

そこから木々を挟んで百メートルばかり離れた所で、ベルドが剣の素振りをしていた。彼の足元には半径三メートルほどの巨大な魔方陣が描かれており、頭上の木にも小さく呪術的な文様が刻まれていた。半円状のドームのように張った結界の中、ベルドは基礎的な運動を繰り返す。

槍使いの少女は修行を開始する前、ベルドとヒオリのタッグと一度戦った。その結果、槍術士の倒し方云々の前に、まず基本的な体力・精神力及び戦闘能力を身につけねばならないと判断した彼女はひとまずその指示を出していた。

別に彼ら二人がそこまでしなければならないほど弱っちいわけではない。むしろ、少女が予想していた以上の実力はあった。とはいえ、軽くいなされてしまったことに変わりは無かったが。

そのため、彼らは基礎的な体力精神力をつけるその運動を、少女がつけたある制約に乗っ取って行っていた。

ヒオリは滝に打たれながら、少女が用意した明王呪を読み上げている(単純に漢字とかが分からずにつっかえるなどという低レベルなミスが無いように少女が振った振り仮名付き)。明王呪を唱えながら滝に打たれることにより精神力を鍛える効果を倍増させるのだ。当然ながら集中力が二分されるので素人がいきなり行うと危険なのだが、それは先の戦いで少女が大丈夫だと判断していた。

ベルドは少女の魔術で空気を五倍の重さにした結界の中で修行をしていた。空気が五倍の重さになったというとイメージしづらいだろうが、手っ取り早く言えば重力が五倍になったと考えればいい。つまり、体重六十キロの人間がその中に入れば体重が三百キロになってしまうというわけだ。当然ながら、体を動かすのさえ一苦労となる。これまたろくに体を鍛えていない素人がやると自身の重さだけでぺしゃんこに潰れてしまうのだが、これも先ほどの戦闘で大丈夫だと少女に判断されていた。

つまり、それだけの素養があると彼らは認められていたわけである。

「終わった?」
「あと少し……っと、九十七」

と、少女がベルドの様子を見に来た。ベルドは息を切らしながらそれに答える。たかだか腕立て百回と素振り百回で随分な体力の消耗ぶりだが、重力が増えるというのはそれだけで体力を消耗するものなのだ。

「ん、分かった。それが終わったら……」
「待て、ちょっと待ってくれ。……九十九、百ッ!」

素振り百回を終え、ベルドは大きく息をつく。軽く呼吸を整えながら少女のほうに向き直ると、改めて聞き直した。

「で、なんだって?」
「はい、これ。絶対落っことしちゃだめだよ?」
「…………は?」

少女から手渡されたのは大きな白い包みと肩掛けかばんが二つ。なんだこりゃと思いながらベルドはひとまずそれを受け取り……

「――げっ、重っ!」

……肩掛けかばんのほうからずっしりとした重みが伝わってきた。


もぞ


「でっ!?」

今度は動いた。慌てて取り落としそうになるが、絶対落とすなと言われた矢先に落っことすのはいくらなんでもカッコ悪いと思い、すんでのところでそれをこらえる。しかし、いったい何が入ってるんだ――? なんとなく疑問に思ったベルドは、動いた白い包みの中を覗き込み……


おぎゃー


「ちょっと待てーーーーーい!」

絶叫を上げた。その中に居たのは生後二ヶ月か三ヶ月か……そのくらいの赤ん坊だ。

「な、なんだこりゃ!?」
「何って、赤ちゃんだよ。生後二ヶ月の女の子だって」
「見りゃ分かるわ! なんで俺にそれを渡すんだって聞いてるんだよ!」
「なんでって……子守してもらうため」
「いや、俺修行しに来たんだけど!?」
「知ってるよ。あと、それね」
「あ?」

指差されたのは先ほど渡された肩掛けかばんの片方。あまり重くなかった方だ。そこを見ると、灰色の紙に黒インクの、たまに写真が入っている小冊子がたくさん入っている。

「……おい」
「なに?」
「見る限り、これ新聞紙だよな?」
「そうだよ?」
「……さっきの子供についても聞いたが、何で俺にそれを渡す?」
「配達してもらうため」
「子守と新聞配達が何の修行になるんだよ!!」
「だから、それがあるんじゃん」
「あ?」

少女が最後に指差したのは……かなりの重みを訴える肩掛けかばんだ。最早見る気もなくなったベルドは力なく問いかける。

「……何が入ってる」
「砂。四十キロ」
「……あ?」

あまりにも意外な答えが返ってきて、ベルドは思わず問い返した。

「砂が入ってるよ。それを肩からかけて、新聞配達してきて」
「長距離マラソンって事か?」
「うん。だからはい、これがその新聞を購読している人達の住所と地図ね」
「……えーっと?」

二枚の紙(結構大判)を渡されたベルドは、両方に目を通す。一軒一軒はそこまでは離れていないにしろ、全部回ると結構な距離になる。

が。

「……その前に、この子一体どうしたんだ?」
「近所の住民さんが今日大事な用事が泊まりがけであったみたいなんだけど、赤ん坊は連れて行けないから子守してくれる人を探してたみたい。だから、引き受けて借りてきたの」

とりあえず、両者の合意があって合法的に借りてきたものらしい。肩掛けかばんを下げ、負ぶい紐を結わきながら、ベルドは安堵の吐息を吐いた。まあこの少女が違法をするとも思えないが、一応聞いておかねば不安が解けない。

「本当は背中もそのかばんと同じぐらいの重さの砂を入れた袋にしたかったんだけど、そうすると日没までに戻ってこれなさそうだから」
「……反論できねえのが悔しい。だがな、覚えておけ!」

靴紐をしっかりと結び直し、立ち上がったベルドはびしいと少女を指差して叫んだ。

「少なくとも三日後には、絶対背中も砂袋にしてやるからな!」

力強く宣言したベルドは、くるりと振り返って駆け出し……

「あ、ちょっと待って!」
「なんだ?」
「この子に飴湯与えておしめ替えなきゃ。うんちしてるよ」

……盛大にひっくり返った。

 

 

 

 

 

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