第十七幕

海上に来る者を操る者


戦場は凍っていた。呪言を唱えていたツァーリも、篭手を突き出していたヒオリも、今まさにアリアドネの糸の展開を終えようとしたカレンも、そして互いに数十センチの距離を置いているゲリュオもコロトラングルも。

彼らの視線は、全てこの状況を作り出した少年――ベルド・エルビウムのほうに向けられていた。

「やめろ……」

謎の頭痛に襲われ、ベルドは擦れた声を絞り出した。

「やめろ、お前ら……コロトラングルに、手を出すな……」
「……何?」

ベルドが出した声は、敵であるはずのコロトラングルを傷つけるなと言う内容だった。霞む視界の中、ベルドはコロトラングルのほうにも語りかける。

「コロトラングル、お前もだ……こいつらは、別に、お前をっ……」

そこまでしか声は続かない。脳髄を直接ぶん殴られたかのような激痛が頭部を駆け抜け、ベルドは激痛に蹲る。コロトラングルは全員から距離をとって、鳴きながら上空を飛び回り……ゲリュオたちは彼ららしくもなく呆然とその光景を見守っていた。

「……ベル……ド?」

ぽつりと声をもらすのはヒオリだ。不安げに鳴くコロトラングルを見る限り、どうもただの敵同士の関係ではないらしい。かといって、全員から距離を取っている様子を見るに……


「……いささか、予想外の展開ですね」

……と、そんなヒオリの思考を、彼女にとって聞き慣れた声が遮った。はっとして振り向くと、そこに立つのはヒオリにとっての地獄の入り口――

「……リーシュ・アーティミッジ……」

ゲリュオが呆然と呟いた。戦いに夢中になっていたためか、近づかれるまで気付かなかった。己の不注意を呪いつつ、その声の主を見る。

玲瓏たる美声、常識を逸した美形――ヒオリ・ロードライトの本来の所有者にしてアーティミッジ家次期当主、リーシュ・アーティミッジが、五人の兵を引き連れて立っていた。

「……何の用だ」

ベルドは剣を握って立ち上がる。リーシュのほうに意識を向けた瞬間、今まで暴れまわっていた痛覚が嘘のように消えていった。

「ゴーンがいつになっても合流場所に来ないものでして。不審に思って様子を見に来てみれば戦闘不能にされて、殺害ですか。なかなか、舐めた真似をしてくれるじゃないですか」

字面こそは丁寧であるものの、完全に相手を見下している口調だった。対するベルドも嘲るようにそれに答える。

「まあな。しかも俺との一騎打ちにやられてあの世行きなんだからな。あの野郎、実は滅茶苦茶弱ぇんじゃねえか? あんなのが最強の傭兵って事は、アーティミッジ兵の能力もたかが知れてるよな」

大げさに肩をすくめて笑ったベルドに、リーシュの後ろに控える兵たちがかっとなって前に出る。だがそれをリーシュは抑えた。

「なるほど、そうかもしれませんね。ところで……」
「?」
「ゴーンから伺ったのですが、あなた方はその奴隷を守りたいそうですね」
「まあ、『守る』のかどうかはともかくとしてな」
「それは、どうしてですか?」
「……は?」
「その奴隷を守るために、我々を敵に回す――アーティミッジを敵にしたらどのようなことになるのか、知らないあなた方ではないでしょう」
「……何が言いたい」
「単なる興味です。我々を敵に回してまで奴隷一匹をかばう理由を知りたい、それだけです」
「――仲間を守るのに理由が必要か?」

薄く微笑みながら問うリーシュに、ベルドは低い声で返事をする。

「……ああ、もう一つあったか」

そして、何かを思い出したかのように笑い――

「惚れた女見捨てる男が、どこにいるよ?」
「…………」

その声を聞いて、リーシュの動きが止まった。否、肩が小刻みに震えている。その震えはだんだん大きくなり――

――突如として爆発した。青い樹海に哄笑を響かせ、リーシュは腹を抱えて大笑いする。その後ろで兵士達も笑っており、ベルドの言葉は相当にツボを刺激したらしい。

「惚れた? 奴隷に? 平民が? ははは、愉快愉快! いや、面白いものを聞かせてもらいましたよ!!」

ひとしきり笑った後、リーシュは背中から武器を抜く。両手で持つことを考案された長い柄と、その先からさらに伸びる白銀の刃。人を殺すためだけに、敵を滅ぼすためだけに打ち鍛えられた、単純にして明確なその形。重く、鋭く、全てを貫き打ち砕く。これはそういうものであると、誰もが一目で理解できるような、そんな長大で無骨な槍を。

それを眼前に据え、ベルドめがけてまっすぐに刃先を向けながら、リーシュは吼える。

「――笑わせるなよ、小僧!!」

空気が変わった。リーシュはその敬語の仮面を脱ぎ捨て、ベルドめがけて怒鳴りつける。対するベルドも剣を正眼に構え、リーシュに向かって怒声を叩きつけた。

「生憎だが、てめえを笑わせるためにわざわざヒオリに惚れたんじゃねえぞ!!」

――もしかしたら、彼ら二人が間見えた時から、こうなることは決まっていたのかもしれない。互いに開戦の合図も無く、リーシュ・アーティミッジ対ベルド・エルビウムの戦いが始まった。

 

 

余裕のつもりか、リーシュは自分からは仕掛けずにベルドの斬撃を待った。大上段から振り下ろされる銀色の刃を、柄を上空に掲げて受け止める。アンクルブーツに固められた脚部から蹴りが放たれ、ベルドの腹部を撃ち抜いた。

「がはっ!」

ベルドの肺から空気が押し出され、酸素を求めて咳き込んだ。そんな隙だらけのベルドに、リーシュは素早く槍で一撃を入れる。とっさに身を捻ってかわしたベルドだが、続く二撃目の回し蹴りは回避する術は無く、まともに食らってしまう。ベルドは自ら吹っ飛んで距離を取るが、その時既にリーシュは踏み込んでいる。槍の底――石突きの部分を左手一本で持ち、踏み込みながら突き出した。槍は本来の射程を超えてはるかに伸び、強烈な一撃が叩き込まれる。

だが、想像してもらえれば分かるように、躱された後の隙は非常に大きい。武器を持つ重心は完全にずれているし、射程が長い分隙も大きい。しかし、万全の体制ではない相手にこの攻撃は抜群の効果を発揮した。空を切った槍が、ベルドの右手を痛打する。痛みのあまり、ベルドは剣を取り落とした。

「…………?」
「どうした、キュラージ卿?」

遠くから観戦状態になり、二人の戦いを眺めていたゲリュオは、不信感に眉を顰めた。それに気づいたのかツァーリが聞いてくる。

「……おかしい」
「何が?」
「ベルドとリーシュの『気』はほとんど同じだ。なのに……」

……一方的にベルドが押されている。ベルドの動きを見るに別段いつもに比べて劣っている所は無く、リーシュの動きも見る限りベルドと同じ程度のレベルだ。だが、この戦いの展開はなんだ。ベルドは未だ一撃も入れることが出来ず、着実にダメージを積み重ねられている。当然、手数も減り、ただでさえ劣勢だったのがさらに防戦一方に追い詰められる。

「――おおおりゃああぁぁぁっ!!」

そこを勝機と見たのか、リーシュの動きが爆発的に加速した。繰り出される攻撃は一呼吸の内に九連撃。到底、全てを防御することは出来ず、ベルドの体が断続的に震えた。そして、リーシュは鋭く踏み込んでベルドとの距離をゼロにすると、その胸倉を掴み上げる。

「終わりだ。天国か地獄、好きなほうへ行って来い!!」

その言葉と共にベルドの心臓に槍が突き刺さる――より早く、ベルドが宙に浮かされた勢いを利用して右膝を振り上げる。完全に死角を突いた攻撃に、リーシュの顎がかち上げられた。

かなりの勢いを吹っ飛んだリーシュは受身を取ってダメージを最小限に抑え、立ち上がる。対するベルドは荒い息を吐き続けており、これ以上戦ったとしてもどう見ても勝敗は明らかだろう。それ以前にダメージが大きいのか、未だ立ち上がれてすらいない。

「もう終わりですか? 少しは足掻いて頂かないと、こちらとしても面白くないのですが」

ベルドの傍に歩み寄り、上位者の口調でリーシュは語る。戦いが終わったからか、口調が初登場時のスカしたそれに戻っていた。

「……ふむ、立ち上がるのさえ無理、と。やれやれ、仕方ないですね」

嘲笑したリーシュは、ブーツの爪先でベルドの顎を蹴り抜いた。

「がっ!」

ベルドはそのままゲリュオたちの傍まで蹴り飛ばされ、地面に叩きつけられる。直接脳髄に衝撃を叩き込まれたからか、力なく痙攣するだけだ。ヒオリが駆け寄って悲痛な声でベルドの体をゆするが、果たしてその声が聞こえているのかどうか。

「あ……が、は……!」

咳と同時に出てきた血が、喉に絡まる。手から離れ、地面に突き刺さった剣。リーシュはベルドの傍に歩み寄ると、喉元に槍をあてがった。全てを見下した、冷徹な瞳。一言。リーシュは、槍を引いて言い残す。

「――フィニッシュ、だ」

――槍の一閃が、空を切った。

 

 

「…………」

頬を伝う浅い血に、リーシュは目線をヒオリにずらした。ヒオリは目線を泳がせながら、でもしっかりと、リーシュを睨みつけている。

やられたことは分かっている。ベルドの喉元を貫こうとした矢先、ヒオリに術式を打ち込まれたのだ。さすがにそれをまともに食らうような事は無かったが、その刃は頬を浅く裂く。錬金術を初めとする各種術式は追尾性を持ち、多少狙いがぶれていてもその意思がしっかりと標的を捉えてさえいれば命中させることは易しい。

「……危ないな。とりあえず、何のつもりか聞いておこうか」

その声には答えず、底知れぬ怒りを湛えてヒオリの片目がリーシュを捉える。そこには先日のように怯えた光はもうない。再び篭手を向けたヒオリの行動に、リーシュは答えを見た。

「ふん、今まで飼ってやった恩も忘れて噛み付くとは。犬でももう少しまともに恩は覚えているだろうに――まあ、生き物以下に何かを期待しても無駄か」
「うるさい、黙れ」
「ふん?」

愉しそうに、リーシュは哂っていた。ヒオリは無表情。ただそこに在る感情は、たった一つ、「怒り」だ。

ヒオリもベルドを圧倒的大差で叩き潰したリーシュに勝てる自信は無い。だが、勝てるかどうかではない、やれるかどうかでもない、やるのだ。なぜなら自分は、もう怯えているだけの奴隷ではないから。ベルドと共に、乗り越える覚悟を決めたのだから。

「……加勢するぞ、ヒオリ」

そこに居合い抜きの構えに刀を構えて参戦してきたのはゲリュオだった。その後ろでツァーリも半身に構え、呪言を唱える用意をする。

「あ……あ……」
「……まあ、こいつは放っておいて……」

ベルドにキュアを使用したものの、震えているカレンには一瞥だけして。ゲリュオは静かに気を巡らせる。

事ここに至っては、アリアドネの糸を使うつもりは無かった。使ったとしても戦場が街中か世界樹の迷宮入り口に変わるだけだ。どうせ戦いになるのなら、他人に迷惑をかけないここのほうがいい。

「ところで……」

そんな三人に、リーシュは告げる。三対一という戦力差に対して微塵も臆さずに。

「私が勝ったら、それを持って帰らせてもらうことになりますが構いませんか?」
「……好きにしろ。だから……」

答えるのはツァーリだ。言われなくても分かっている、四人とも戦闘不能になってしまった上に残りに戦う気力がなければ、一体誰がヒオリが連れ攫われるのを止められるというのだ。

「……全力で叩き潰させてもらう!!」

老人ならではのハクが籠もった声を最後に、対アーティミッジ家次期当主戦、その第二ラウンドが始まった。

 

 

「氷よ、突き抜けろっ!」

ヒオリの掛け声で、戦いは始まる。ヒオリの氷結の術式が突き刺さるのと同時、ゲリュオの居合い抜きが炸裂した。続いてツァーリの力祓いの呪言が入り、ゲリュオは切り返して二撃目を入れる。

リーシュはよろめいて体制を崩し、転がるようにして一旦距離をとった。そんなリーシュに、ゲリュオが即座に追撃に移る。一度主導権を手に入れたら決して手放してはいけないというのは戦闘における基本中の基本原則であり、実戦においては仕切り直しなどまずありえない。低く地面を疾走し、この間に納めていた刀で超音速の居合い抜き。対するリーシュは槍を回転させ、素早くゲリュオの足を払った。

たたらを踏んだゲリュオの体に音速の三連撃が叩き込まれ、串刺しになってゲリュオが止まる。その手から杖が落ち、メディックの白衣が赤く染まった。そのままリーシュは大きく槍を振りかぶると、術式を起動していたヒオリめがけて投げつけた。ヒオリはどうにか身をひねって躱したものの、術式の詠唱は中断せざるを得なかった。ツァーリの足違えの呪言の合間に体勢を立て直したゲリュオは、流血にも構わず突進する。

だが。

「ぐあぁっ!」

懐から取り出した小刀が、クロスカウンター気味にゲリュオの左肩に突き刺さる。痛みに意識を取られたその一瞬、リーシュ・アーティミッジ、必殺烈風の右ストレートがゲリュオの頬骨に炸裂する。続けざまに左のアッパーカットが突き刺さり、神速の三発目がゲリュオの腹部に直撃した。ゲリュオの頭が弾け飛んだかと思われるほどの勢いで跳ね上がり、大地に叩きつけられる。

「舐め……、っ、く……?」

即座にゲリュオは、刀を握って立ち上がる。が、次の瞬間には平衡感覚を失って、ぐらりと地面に倒れこんだ。

「し、しまった……!」

先のリーシュの一撃は、脳髄を直接打ち抜いていた。下から打ち上げられたその力は、脳を揺さぶり、軽い脳震盪を起こされた。命に別状はないだろうが、戦闘にはしばらくの時間がかかるだろう。

続いてリーシュは槍を拾うと、後方で呪言を唱えていたツァーリめがけて狙いを定める。「畏れよ、我を」の呪縛をものともせずに打ち破ると、突き出されるメイスを屈みこんで躱した。続いて落ちてきたヒオリの電撃を前方回転してこれも躱すと、掌をツァーリの下腹――丹田に当てる。その手のひらに集約された闘気が、咆哮となって撃ち出される。

「らぁっ!!」

瞬間、オリハルコンをも爆砕するほどの発頸が、ツァーリの丹田――人間の霊的中枢――に炸裂した。ツァーリの体が爆破されたかのように吹っ飛び、樹木にめり込む。

人間のいわゆる「気」の類は、丹田を起点として循環する。そこに別の「気」が強制力を伴って割り込んできたらどうなるか。「気」の巡りを乱され、術も魔法も呪文も、そういう霊的干渉が伴うものを行使することは一時的とはいえ不可能になる。故に魔術士にとって、丹田は急所中の急所なのである。

当然、まともに食らったツァーリが呪言を放てるわけも無く――そこで彼も戦闘不能となる。

「さて……どうしますか?」

ゲリュオとツァーリを余裕で捻り、リーシュはヒオリに笑ってみせる。ヒオリの額から冷たい汗が流れ落ちた。

「もちろん貴方も抵抗するというなら構いません、倒させてもらいます。ただし――」

そこで、リーシュの笑みが邪悪なものに変わる。

「――その場合、貴方を行動不能にまで追い込んだら、この四人は殺させてもらいますが、かまいませんね?」
「――――!!」

ヒオリの動きが今度こそ止まる。リーシュに向けた篭手が力なく下がり、ヒオリは呟くように問いかけた。

「もし――もしボクが、大人しくアーティミッジの家に帰るなら、この四人は助けてもらえる?」
「約束しましょう」

ベルドが制止の声を上げるが、これを無視してリーシュは笑顔で請け負った。

「――分かった。じゃあ、大人しく連れ戻されます」
「だから、やめ――っ!」

再度制止の声を上げたベルドだが、その瞬間に所在無さげに飛び回っていたコロトラングルと目が合ってしまい、瞬間、強烈な頭痛に襲われて続く言葉を切らしてしまう。そんなベルドに頓着せず、リーシュは兵士に命じる。

「連れて行け」

その後の兵士の行動は迅速だった。五人でヒオリを取り囲み、その手から篭手を強引に外して後ろ手にして縄を使って縛り上げる。捨てられた篭手が地面に接触する音がやけに響いた。

「……カレン」
「……なんですか」

と、ゲリュオがカレンに声をかける。カレンはこの時、連れ攫われようとしているヒオリを凝視していた。だが、ゲリュオが見ていたのは彼女ではない。悶絶しているベルドだった。

「ベルドに、リフレッシュをかけてもらえるか?」
「こんな時に、なにを悠長な――っ!!」

怒鳴り返そうかと思ったカレンであったが、瞬間、その動きが止まった。ゲリュオの意味することに気づいたらしい。

「――分かりました」

どの道、自分にキュア系のものをかけたとしてまともに戦えるとは思えない。ゲリュオは刀を失ってしまったし、ツァーリは気絶している。ベルドは既に一度、キュアをかけて休んでいる。もう一度キュア系のものをかけたら確かに戦える体になるだろうが――彼も剣は失っている。

だが、ゲリュオやカレンが着目したのはそこではなかった。それは、ベルドが頭痛を起こすタイミングである。この森に住んでいる謎の生物らしきものと対面した時、ベルドは頭痛に苛まれた。その後、生物が姿を消すと同時に頭痛は治り、再びここでその生物およびコロトラングルと会った時に頭痛は再発。さらに現れたリーシュのほうに意識を向けたら頭痛は治り、コロトラングルと目が合ったらまたしても頭痛が起こる。

これを偶然と捕らえられる人間が居るだろうか。おそらく、ほとんど全ての人間はこれを偶然では片付けまい。そう考えると、一番ありうる確率は……

「――リフレッシュ!」

カレンは動かない体を叱咤して薬瓶を取り出し、魔力を込めてベルドに投げつけた。頭痛で頭を抑えるベルドに薬瓶が命中し――

――直後、ベルドの頭痛がすっと消えた。

「…………」

頭痛の消えた頭で、ベルドはリーシュとヒオリのほうを見る。既に後ろ手に縛られ、囚人のように連行されるヒオリの姿。その姿を視界に捉え、ベルドは九十度ほど首を回した。そこにあるは、どこか不安げに飛び回るコロトラングルの姿。

「……なるほど、そういうことか」

道理で、答えなかったわけだ。三度コロトラングルと目が合う。その時、ベルドの口は自然と開いていた。

「――助けてくれ、コロッ!!」

びくん、とコロトラングルの動きが止まった。


――コロトラングル? 長くて面倒くさいや、コロでいいよね?


全く、犬じゃあるまいし……苦笑しながら、ベルドはヒオリのほうを指差した。

「コロ、頼みがある。俺はあの子を助けたい。だが、悔しいが俺たちだけでは力が足りない。だから、頼む。力を貸してくれ」

古い馴染みのように、ベルドはコロトラングルに語りかける。コロトラングルの瞳から不安げな色が消え、しっかりした目でベルドを見つめなおした。続いてカレンのキュアⅡがベルドにかかり、彼は完全に自由を取り戻した。

「――まだ、やる気ですか?」

その様子を見て、リーシュは立ち上がったベルドを見た。その目には、明らかな実力差を解そうともしない愚かな男への憐憫が見て取れた。

「……いいよ、ベルド。もう、いいって」
「よくねえ。お前が良くても俺が駄目だ。言っただろ――」

――俺は、お前を助けるって!!

「コロ、アイスブレスだ!!」

ベルドが凛とした声で指示を飛ばし、コロトラングルが即座に反応する。五つに分かれた氷の塊は、綺麗にヒオリだけを避けて兵士達を吹き飛ばした。

「――なにっ!?」

その様子を見え、リーシュの余裕は跡形も無く消え失せた。慌てて槍を抜き、向かい来るベルドとコロトラングルめがけて構える。

「フリージングアイ!」

再びベルドが指示を飛ばし、コロトラングルが吹雪よりなお冷たい瞳でリーシュたちを見据える。その眼光に恐怖心を呼び覚まされ、リーシュたちは震えた。それと同時にベルドが猛ダッシュし、自分の剣を即座に拾う。だが、その途端ベルドの動きが鈍った。それを見たゲリュオがいち早くその意味を見出し、カレンに言う。

「カレン、ベルドにリフレッシュをかけ続けろ!」
「私に指図しないでください!!」

カレンは怒って言い返す。一瞬遅れ、彼女もその意味に気づいていた。ベルドに再びリフレッシュの薬瓶を投げつけ、再発してきたベルドの頭痛はすっと消える。

襲い掛かってくる兵士から逃げるように動き回り、ベルドはある一点を目指して駆ける。その先にはゲリュオが落とした刀があった。拾うと同時、兵士の一人がベルドを捕らえて剣を振り下ろすが、それより早くベルドが叫んだ。

「――デビルクライ!!」

刹那、ベルドの体から赤紫の光が迸り、その兵士を撹乱する。ベルドは即座に飛び退くと、追撃をかけてくる別の兵士を相手取った。

兵士はベルドの初撃を躱すが、対角線から襲い掛かる二撃目はかわすことは敵わなかった。鎧の間接部から刀が入り、その靭帯を両断する。

ベルドは当然ながらゲリュオよりも刀の扱いは劣るが、ほぼ完璧に二刀流の扱いにも卓越していた。

「――おおおおおおっ!!」

ただでさえ速いベルドの剣速がほぼ二倍になり、兵士の一人はほぼ何も出来ずにベルドに翻弄され、そして堕ちた。後ろから襲い掛かってきた二人目の兵士はコロトラングルに体当たりされ、吹っ飛んで水中に転落する。

「舐めんなぁっ!!」

余裕をなくしたのか、リーシュの口調が変わる。直後、槍が霞んだ。だが、この時互いの間合いは十メートル以上。いくらなんでも届かない。

と、刹那、その槍から高熱の火炎が迸った。

襲い来る炎の槍は、その全てがベルドを狙う。コロトラングルに指示を下しているのはベルドであり、司令官を叩いてしまえばコロトラングルの動きを止められるかもしれない、その作戦はなかなか良かったといえる。

だが。

「コロ、水のヴェールを頼む!」

炎の槍を向けられたベルドは冷静にコロトラングルに指示を下し、対するコロトラングルも素直にそれに従う。水がベルドを取り巻くように出現し、炎の槍はその全てが消えていった。

「――お返しだ、大海原の侵食!!」

ベルドが走り、コロトラングルが咆哮を上げ、それに周囲の水が応える。膨れ上がった大津波がリーシュと兵士達に襲い掛かり、近くに居たヒオリも巻き込んで大打撃を与えた。その波が引いていく前にベルドは身を屈め、そこにいたヒオリを掬い上げるように抱きかかえる。引いていく水に重心を崩されながらも力の限りに跳躍し、その水に攫われるのを防ぐ。着地はぎりぎり成功だ。

大地に仰向けに倒れたヒオリの上に、片膝をついてベルドがいるような体勢。ベルドは転がるようにヒオリから降りると、とんぼをきって立ち上がる。残っているのは木に捕まってやり過ごしたリーシュ本人と――兵士が一人。

二人はほぼ同時にベルドめがけて疾駆してくる。集中攻撃、集団戦における基本中の基本テクニックだ。あえて踏み込んだベルドは刀でリーシュの槍を止め、下から思い切り剣を振り上げた。リーシュは素早くバックステップして躱すと、追いついた兵士にバトンタッチする。

「てめえは黙ってろ、テイルコイル!」

だがその直後、頭、腕、脚の三点縛りを食らった兵士は武器を取り落とし、その両肩にベルドの袈裟・逆袈裟、交差するような一撃が放たれる。続けざまに二刀の術を活かした回転斬りが放たれ、その兵士を吹き飛ばした。

「……さて、どうする?」
「くっ……」

兵士達を全て失い、ヒオリも取り返される――ここにいたって、戦局は完全に逆転した。その状況を作り出した張本人――人でありながら樹海の守護者・コロトラングルを操り、ここまで追い込んでくれた男――ベルド・エルビウムのほうを見据え、リーシュは苦々しい顔で唸る。

「大人しく身を引くならそれでよし、あくまで抵抗するんだったら……悪いけど氷付けになってもらうぜ!!」

剣を順手に、刀を逆手に構えてベルドは叫ぶ。悔しさに歯噛みしたリーシュは、暫くの間逡巡していたが――

「……ふっ、さすがにこの状況は想定外でしたね。人でありながら奴隷に惚れ、さらに怪物を操るとは――狂った者同士、気が合うということですか」
「……さすがに口を慎め。ヒオリは恋人で、コロは友達だ。奴隷でも、怪物でもねえ」
「なら、そういうことにしておきましょうか。さすがに怪物相手には分が悪い」

――身の程をわきまえたのか、素直にアリアドネの糸を展開した。そして、最後にベルドに告げる。

「いいでしょう。今回は身を引きますが、この幸運は長くは続かないことを、覚悟しておくことですね」
「……悔しいけど、その通りだな……」

典型的なまでに負け犬テイスト満載な捨て台詞だったが、実際にこうまでうまく行ったのは僥倖に近い。色々感謝する対象はいるが、こちらも落ち着いている場合ではない。

ヒオリの体をうつぶせにし、ベルドは縄を解いて――

「…………あ?」

――いけなかった。やろうとしても手がぶれて、思うように縄が解けない。さらに、目が霞んできた。そして――

「――うあがああああああああっ!!」

――直後、脳髄を駆け巡った激痛に、ベルドの意識は一瞬の抵抗もなく闇に落ちた。

 

 

 

 

 

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