第十六幕

蒼く輝く神秘の森


世界樹の迷宮が発見され、栄えだしたエトリアの街――その一角で、ギルド「紆余曲折」の(形式上)リーダー、ベルド・エルビウムはカレン・サガラ親衛隊(非公式)隊長およびその隊員に絡まれていた。

一人ひとりは軽くいなせる程度とはいえ、相手の数はおよそ五十。それに対してベルドは一人。五十対一という兵力差を前にして、さしものベルドも「街中で剣を抜いてはいけない」という執政院のお触書を破る覚悟を決めたとき、二人の人間が加勢に来た。

一人はゲリュオと同じ、壮年の侍。もう一人は身の丈以上の槍を背負った少女だった。侍・少女、両者とも格闘戦の心得もあるらしく、それぞれの構えで親衛隊(自称)の面々に向き直る。さすがにこれには親衛隊の面々も驚いたらしいが今更後に引くことも出来ず、何か自虐味全開のセリフを叫んで襲い掛かってきた。

襲い掛かってくる連中の一人が右ストレートを放つ。ベルドは余裕で攻撃を回避し、股間を蹴り上げて戦闘不能に。侍の左の肘と右の拳が同時に唸り、一気に二人をノックアウトする。その横では少女が襲い来る攻撃を軽くいなして鳩尾に拳を打ち込んだ。手首まで埋まった拳が引き抜かれ、その親衛隊の隊員は気絶して崩れ落ちる。

「強ぇ……」

呟いたのはベルドである。侍も少女も、彼が思っていた以上の実力者だった。強い。特に少女は、能力云々の問題ではなく、そんな次元をとっくの昔に超えていた。ベルドが呟く間にも侍は三人、少女は七人の敵を無力化し、十五倍以上の差を持つ敵を彼らは次々と減らしていった。

――と、気がつけば敵の数は一人、隊長(自称)だけになっていた。

「さて、どうする?」

再び腰を落とした少女が問いかける。侍は何も言わないが、苛烈な目は親衛隊隊長を捉えて放さない。

「う……ううう……」

三対の眼光に見すくめられ、隊長の精神はあっけなく崩壊した。

「うおおおおおおおおーーーーーーーーーーーーー!!」

怒声を上げて、ベルドめがけて襲い掛かる。その体を軽くすくって、ベルドはそのまま背負い投げの要領で投げ飛ばした。男は背中から思い切りよく吹っ飛んで行き――

――「ぐちゃ」とかいう断じて人体が発するものではないような音を上げて、「びちゃ」とかいう断じて人体が発するものではないような音と共に、地面にそのまま落下した。

「……やべ、やりすぎた」

鼻血どころか何故か耳からも血を流して痙攣する親衛隊(非公式)隊長を見やり、ベルドは呆然と呟く。その横で少女が瞑目して手を合わせた。

「街中で武器を抜くな」という執政院のお触れは「街中で流血沙汰を起こすな」というところに根底があったわけだが――まあ、字面上は問題ないだろう。

それは、ともかく。

「ありがとうございます、助かりました」

カレン・サガラ親衛隊(非公式・内実は非モテ軍団)を全滅させたベルドは、その協力をしてくれた侍と少女に頭を下げた。

「礼には及ばん。やるべきことをやっただけだ」

侍は何か誇るでもなく、淡々と返事をする。では、失礼する。そう言って侍はシリカ商店の方角に向かって姿を消した。義を見てせざるは勇なきなり――そんな有名な言葉を思い出させるほど、彼の態度は潔かった。

「気にしなくていいよ。困ったときはお互い様って言うしね」

槍を拾った少女は、それを背中に挿しながらさらりと言った。あたかも「こんなことはあたりまえだ」とでも言うように。

「それじゃ、また。何かあったら呼んでくれていいよ。私はしばらくこの街に滞在する予定だから」

少女は片手を上げ、中央広場のほうへ歩いていった。

「……あらま、あの二人仲間じゃなかったんだ」

ぽかんとベルドは呟き――

「っと、こんなことやってる場合じゃねえ、さっさと帰ろ」

執政院の警備隊が来る前にとっとと退散した。

 

 

「氷よ、降り注げっ!!」

地下十三階・剣士が血塗られた手を洗い流した水面――ヒオリの手から放たれた大氷嵐の術式が、飛び回るフォレストバットたちを打ち落とした。続いて生き残ったメルトワームをベルドのレイジングエッジが鮮やかに斬り裂く。

「……ナメてんじゃねえ、俺を誰だと思ってやがる」

ケッ、とヤクザみたいなセリフをほざきつつ、ベルドはメルトワームの体液がついた剣を振るい、ねばっこい液体を吹き飛ばす。

「ところで、ベルドさん」
「なんだ?」

そんなベルドに、カレンが話しかけてきた。

「あのモンスターが数体がかりであの粘液を体中につけながら女性キャラの秘部を狙って責め立てたりしたら興奮しません?」
「しまった、刀の背が滑った」
「きゃああ! だからなんでゲリュオさんが反応するんですか!!」
「嫌ならそんな発言をするなと言っているだろうが」
「うわ、何か前にもあったな、このパターン。それから言ったろーが、一つか二つ年下の女の子のやーらかい手でやられるならまだしも、触手および人外趣味は無いと……」
「しまった、刀の腹が滑った」
「でえぇ!? それ滑ったら危ない、っつかモロ刃――ギャーーーーーーー!!」
「懲りないな、お前ら……」

全くいつも通りの光景に、ツァーリが小さく苦笑した。

と。

「……んっ!?」

半死半生のベルドに刀で猛攻を加えていたゲリュオの動きがいきなり止まる。その視線は樹海の木々の間、その影に固定されている。一応姿を隠しているつもりだろう、距離のある場所で、草むらから一行の動きを観察している――が、その姿はゲリュオだけではなく、他の四人にも見えていた。つまり隠れ方が下手なのである。

「何者だ!!」

ゲリュオの凛とした声が樹海に響く。その声にびくりと身を震わせた人影は、森の奥へと姿を消した。

「……なんだ、一体」
「普通に考えてこんな地下深くまで来る冒険者は、レンとツスクルの二人組ぐらいだろうが……」
「しかし、彼女たちが遠くから姿を隠して、こっちを伺うような真似をするでしょうか?」
「だよなぁ……」

ふぅむ、と一行は少し考え――

「――まあ、あれがもしかしたら謎の生物ってことかもしれんな。とりあえず、先に進もう」

ここに突っ立っていても仕方が無いという結論に達し、一行は樹海の捜索を進めることにした。

 

 

「おお、すげえ!」

地下十四階・神の涙に沈んだ樹海――地下十三階にいたカニのF.O.E.水辺の処刑者&ワニのF.O.E.這い寄りし暗殺者を撃破して進んだ先、一行は視界の開けた水面の広がるフロアに到達していた。ほとんどが湖になっており、そこに島が点在しているような感じだ。

「えーっと、これがこうか?」

どの船がどこに通じているのか、往復なのか片道なのかをこまごまと地図に書き加えながらツァーリがぼやいた。直接道が繋がっているわけではないために、地図を描くのも結構面倒である。

「……!!」

と、その最中、ゲリュオの鋭敏な感覚が気配を捉える。

「何者だ、出て来い!!」

その気配は、数日前地下十三階で感じた気配と同じ。その声を受け、まるで海のような樹海内部の湖とその浮島を歩く一行の前に、今度は堂々と一つの人影が現れる。

「……警告する。これ以上この森の中に足を踏み入れるな!」
「――――っ!?」

不意に現れた人影はまだ幼さを残した少女のようだ。


だが。


「っ、ぐあぁっ!?」
「ベルド!?」

その姿を見た瞬間、ベルドは脳の中に電流が走ったかのような錯覚を受ける。否、それはただの錯覚ではない。頭に痛覚が走り、思わず額を押さえたベルドの前に、ヒオリが慌てて駆け寄った。

しかし、現れた少女はそんな彼らに見向きもせず、敵意を剥き出しにして一行を睨みつけている。

「この樹海は我らが聖地。この警告を無視し先に進んだ時……その命、無いと思え!」

少女は一行を脅かすような言葉を告げて、身を翻す。ゲリュオが制止の声を上げるが効果は無く、そのまま少女は樹海の奥へ消えていった。その姿を見て、カレンが呟く。

「人ではない生物……彼女がそうなんでしょうか?」
「ねえ、そんなことよりベルドが大変なんだよ!」

悲痛な声で叫んだヒオリの横で、ベルドは額を押さえる手を外しながらゆっくりと頭を振った。

「……いや、もう大丈夫だ」
「大丈夫って、さっき物凄く苦しんでたじゃん! 無理しなくていいよ、ボクから言っておくから今日は帰る!?」
「……大丈夫だ。まだ若干痛ぇが、すぐに引く」

ベルドの痛みはずいぶん引いていた。まだ少しぴりぴりするが、大した問題ではない。

「いずれにせよ、樹海の奥に進まねばならないようだな。調査もせねばならん」

無意味な強がりは意味が無いではなく、逆に危険を呼ぶことをベルドは知っている。そのベルドが大丈夫だというなら大丈夫なのだろう。そう判断したゲリュオが現実的な意見を述べ――

「じゃあ、行こうか」

復活したベルドが全員に言った。

「ところで、キュア必要ですか?」
「要らん」

 

 

「…………っ!?」
「どうした?」

地下十五階――青き森の中、ゲリュオは扉の奥から強い殺気を感じ取った。

「……あの女がいる」
「あの女って、緑色の髪をした少女ですか?」
「ああ」

聞き返すカレンに、ゲリュオは頷く。その額には汗が滲んでおり、もはや熟練の冒険者といってもいい彼が、危険を感じるほどの脅威が存在していることを告げていた。その様子を見て、カレンはさらに聞き返す。

「……あの少女って、そんなに強いんですか?」
「あの女自体は大したことは無い」

ゲリュオは冷静にその一言に返事を返した。

「問題はその女と一緒に何かがいるんだ」
「……気配の大きさは?」
「クイーンアントを軽く超えているだろう」
「……マジか?」

そのクイーンアントとてベルドを戦闘不能にしながらゲリュオの卸し焔でどうにかこうにか倒した相手なのだ。それを超える相手に挑むなど自殺行為に近い。

「だが、その周囲に特に『気』は感じない。おそらく、その少女と気配の主は二人でいるのだろう。増援は無いと考えていい」

それがケルヌンノスやクイーンアントとは違う幸いな所か。そして、不幸なことにその気配の主は恐らく彼らが来ることを予測している。奇襲はまず不可能に近い。だが、それは裏を返せばいつ攻め込んでも同じということだ。

そして彼らはアリアドネの糸の存在を確認し、扉を開けるのだった。

 

 

扉を開け、草木を潜り先に進むと、辺り一面には広い水面が広がっている。まるで森の中に海が出現したかの様な光景が一行の視野に出現した。

その青い光を放つ空間の中で、少し離れた所に一つの人影が見える。

「……っく」

その人影を見た瞬間ベルドの脳に再び痛みが走るが、それを無視してゆっくりとその人影に近付いていく。

前にも目撃した影。人にも似た、それでいて異なる者は警告の声を発してきた。

「森の外、隔離されし者たちよ! 我らが聖地に無断で何の用だ? 古き盟約により、貴様らは聖地に入ることは禁じられているはず!」
「……盟約? 何のことだ?」

ゲリュオが疑問を投げかけるが、少女は答えない。

「警告すら無視し来るならば、聖地の守護者の手によって貴様らを始末する!」

強い口調で告げる少女は辺りに高く響く口笛を吹く。すると、樹海の奥、霧がかった先から巨大な一匹の生物が飛来してくる。

「……え?」

ベルドがぽかんと呟く。その姿は、どこか見覚えがあって……

「樹海の守護者コロトラングルよ! 汚れた侵入者共を打ち砕け!!」
「コロト……ッ!?」

少女が呼んだ名前を反復するベルドだったが、その言葉を最後まで言い切ることは叶わない。先ほど感じた痛みとは比べ物にならないほどの激痛が脳を走り、ベルドは立っていられずにその場に蹲った。

「ベルドッ!!」

ヒオリの声も、今のベルドにはどこか遠くに聞こえた。おい、待てよ! そんなゲリュオの声が聞こえるが、それも遥か遠くに聞こえた。

叫んだ少女は姿を翻して森の奥へと姿を消した。しかし、彼らにそれを追っているヒマはない。飛来してきた怪物が襲いかかってくるのだ。

「……ゲリュオさん、どうします!?」

だが、戦闘開始前にいきなりベルドが戦闘不能になる事態はさすがに予測していなかった。前にも痛みを訴えたからこの状況は予測してしかるべきもののはずだったのに……。

「仕方ない、俺たちが時間を稼ぐ! そのうちにアリアドネの糸を展開しろ!!」

アリアドネの糸を使用するまでにかかる時間は二十秒。ヒオリもその声を察し、ベルドの前から離れる。ベルドの傍にいたい気持ちは山々だが、その前にまずはどうにかして街に戻らねば話にならない。

ベルドは激痛に霞む視界の中、それでも剣を握って飛んで来た魔物を睨みつける。だが、その魔物と目が合った瞬間、ベルドは剣を取り落とした。

痛い。とても戦いに参加できる状況ではなく、それどころか立つことすら出来ない。それでも戦う意思は衰えずデビルクライを放つが――攻撃を当てられなければ意味が無いだろう。

と、ベルドと目が合ったコロトラングルの動きが止まる。致命的なまでの隙だった。そして無論、そんな隙を逃すゲリュオではなく――刀を居合いの形に構え、一気に踏み込んだ。もとよりただの時間稼ぎ、敵を倒す必要は今の所、無い。上段の構えにして攻撃特化にし、ダメージ覚悟で突っ込む意味はどこにも無いのだ。


「――おおおおおおおっ!!」

ゲリュオが超音速の踏み込みを見せ、コロトラングルに肉薄する。一瞬の呆けから我に返ったコロトラングルは、とっさにアイスブレスを発射した。踏み込んでから放つ斬撃と、息を吐く行為。どちらが速いかは語るまでも無いだろう。

ゲリュオの抜刀より速く、コロトラングルが氷のブレスを吐く。四つに分かれた氷の塊がゲリュオたちを直撃し、四人をバラバラの方角へ吹っ飛ばした。揺れる視界の中にあってなお、カレンはアリアドネの糸を手放さない。これを手放したら速攻で全滅させられる。正真正銘、命綱だった。

ツァーリが力祓いの呪言を入れ、ヒオリが電撃を落とす。この間に体勢を立て直したゲリュオは再び突貫する。


――そして、先のアイスブレスを見たベルドは、何かのピースがはまる音を聞いた。


今度はコロトラングルよりもゲリュオのほうが速い。コロトラングルが攻撃態勢に入るより速く、ゲリュオは刃が届く範囲まで踏み込んでいた。

「……めろ……」

そして、ゲリュオの超強力な居合い抜きがコロトラングルに襲い掛かる――

「やめろーーーーーーーーーーーーーーっ!!」

――直前、ベルドの叫びが戦いの場を凍らせた。

 

 

 

 

 

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