第十三幕

千客万来


「……かーっ、よく寝たぜーっ!」

布団の上で目を覚まし、ベルド・エルビウムは思いっきり伸びをした。ぐしゅぐしゅと左手で目をかいて、布団から出ようと身を起こす。

世界樹の迷宮・第二階層の後半部からどたばた騒ぎが勃発して、最近はろくに眠れていなかった。夏祭りの翌日で疲れていたからということもあるが、今日は超絶よく眠れたというべきだろう。

「――ん?」

が、起こそうとした身は、何かに阻まれて押し戻された。なんだ、こりゃ? そう思って、なんとはなしにそれを握る。割とあったかい物体だった。

「つーかこの布団って、こんな小さかったっけ?」

なんか、必要以上の圧迫感とゆーか……

「…………」

寝返りを打つように体制を変えて、そっちのほうを視界に入れ……

「――は?」

……た、時。ベルドの脳みそは、ゼロコンマ一秒でフリーズした。

人の、顔だった。

規則正しく動く呼吸。安心しきったような寝顔。そして、左目を覆う白い眼帯――

「んにぃ……」

ベルドの動きに反応したのか、『それ』はふにゅふにゅと口元を動かし……


「うおわーーーーーーーーーーーー!!」


ずざざざざざざ、と、それをものすごい勢いで跳ね除け、ベルドは布団から転がり落ちる。衝撃と驚きで、胸がばっこんばっこんいっている。耳元で叫ばれたからか、『それ』はゆっくりと目を開けて――

「あ、ベルド、おはよ~……」

寝ぼけ眼をこすりながら、緩んだ笑みでベルドに朝の挨拶をしてきた。しかし、問題はそこではない。問題は、そこではなく……

「お、おおおおお、お前なんで俺の布団に入ってんの!?」
「だってぇ……ベルドの布団、あったかいんだもん」
「『あったかいんだもん』じゃねえよヒオリ! お前、よからぬ間違いがあったらどうするつもりだ!!」
「大丈夫だよ? 襲ったりしないから」
「襲う立場が逆だ!」

そう。

自分の布団に入っていたのは、夏祭りのときに告白をして、快諾してくれた少女。

ヒオリ・ロードライトだった。

「お前なぁっ……!」

当初は距離を測りかねていたようでもあったが、告白の返事を快諾するや否や、ヒオリは嘘みたいにベルドに甘えてくるようになった。ベルドの体を背もたれにして花火を見たり、帰るときには腕を組みたがって。次のデートの予定も立てたり、宿屋に戻ればごろごろとベルドに擦り寄ってきた。

まあ、この原因の一つには、ヒオリのうずうずしていた様子を見たベルドが、どうせなら全部ぶつけて来いと笑って言ったからということもあるのだが……生まれてから十六年間、奴隷という最下層の身分にいて理不尽な圧力にさらされて、押さえつけられていた少女をナメていた。誰が一度は自分を振った少女がここまでべったり甘えてくるなんて思ったか。「きらわない?」なんて言いながら、十秒に一回は発情した猫のように体を摺り寄せてくる上に頭撫でてとおねだりされて、ベルドはそのまま溶けそうになったものである。

で、翌朝になればこれだった。四つんばいになってベルドのほうにやってくるヒオリに(背中は向けるが動かない辺り、自分も大分キているが)、ベルドはかちこちになって問いかける。

「てかお前、どうやって入ってきたんだ……」
「だって、鍵は交換してるじゃん」
「……ああ、そういえばそうだったっけ」

ベルドたちのメンバーは、樹海を探索する冒険者の中でもトップクラスの実力者へと上り詰めていた。そのため、宿屋は数週間貸切にして、鍵はそのまま預かっているのである。で、色々と入用になるかもしれないので、男子部屋と女子部屋の鍵はそれぞれ交換していた(ベルドはともかく、仲間はそれぞれ女嫌いな奴と人生枯れている奴しかいなかったため、身の危険はない&狼藉が起こってもすぐに犯人をベルドに特定できると判断されたかららしい)のだが、ヒオリはそれを使って自分の部屋に入ってきたのか。そういえば、彼女の身分が発覚する前日にも、同じようなことがあったけれども……

「とにかく、入ってくるのだけは駄目だ。いいな?」
「え~……」
「い、い、な!」
「うぅ~……はぁ~い……」

至極残念そうに言われても、これだけは絶対に譲らない。ヒオリの傷は残酷で、そして深いものある。迂闊なことをしてえぐり返したくはなかったし、ベルド自身ヒオリは大事にしたかった。

ついでに、男の朝といえば、物理的な問題もあるし。

「……あ」
「……なんだ?」
「そういえば、男の人の朝って、アレだったよね」
「ああ。何で知ってるのかについては、あえて聞かないからな」
「でも、ベルドはそうなってないね」
「毎朝毎朝なるわけでもないからな。つーか基本的にみんな隠す。今日は知らん、覚えとらん。仮になってたとしても、さっきので全部萎んじまったわ」

ってゆーか、朝っぱらからなんちゅー会話をしとるんだ。健全なのか不健全なのか判断のつきにくいベルドの前で、ヒオリは恥ずかしそうに微笑んだ。

「ね、ベルド」
「なんだよ」
「抜いてあげよっか?」
「せんでいいっ!」

 

 

 

「世界樹の迷宮捜索ギルド・抱腹絶倒ただいま参りまし――」
「紆余曲折じゃボケ! 一ページ目の一行目からボケんな!!」

びしい、と執政院の受付で敬礼するベルドに、ツァーリが突っ込みを入れた。その横でゲリュオが肺の空気が全部出て行くんじゃないかと思われるほどでっかいため息をつく。

「紆余曲折」とはベルドたち一行のギルド名である。それぞれがそれぞれの思惑と経緯を持ってここに来ているのだろうという意味から名付けられた。ギルド結成当初から強い意欲と不屈の心、優秀な頭脳で(一部誇張表現あり)破竹の快進撃を続け、今ではエトリアでも一、二を争う冒険者集団となっていた。その功績を高く評価した執政院は一行にある依頼を出し、その依頼に応じて彼らは現在執政院を訪れていた。

「ん、君らか。夏祭りは楽しんでくれたかな?」
「ええ、とっても」

カレンが笑って、ベルドを見た。ベルドは低い声で何が言いたいと問い返し、いーえー別にーと多分に含むところのあるセリフでカレンが返す。

「さて、君たちのお陰で樹海の第三階層に進めるようになった。これまで調査できなかった所を今後、調べていく予定だ」
「はい」
「といえど、右も左も解らない場所。とりあえずは地図を作成することから始めていくよう調査隊にも指示をしている」

そこまで報告した後、ふと男性の表情が苦くなった。

「実はすでに何名かの兵士に地図を作るよう命じて探索に行かせているのだが……正直、彼らだけでは心許ない」
「でしょうね」
「依頼というのはそれなんだ。その地図作りを、密林の王を倒した君たちに協力して欲しい」
「というと?」
「樹海の地下十一階、十二階は我々執政院にとっても謎の地域だ。その昔、足を踏み入れた冒険者がいたと聞いているが……今の我々にその情報は残っていない。そこで、何人かの勇気ある兵士にまず地下十一階へ赴いて地図を書くよう指示したのだ」
「なるほど」
「しかし……正直、新たな地の探索は彼らだけには荷が重い。そういうわけで、ぜひ君達が彼らと協力して地図を完成させるように努力をして欲しいんだ」
「だ、そうだが……どうする、ツァーリ?」

成り行き上と形式上とはいえ一応リーダーはベルドなので、ベルドは代表して聞きなおす。ツァーリに聞いたのはマッピング作業をするのは彼だからだ。

「全然問題ない。大体、地図は最初から作るつもりやしな」
「だろうな。念のため聞くけど、嫌だって奴、いるか?」

確認をするも、NOと答える奴がいるわけがない。地図があるのとないのとでは、探索にも身の安全にも雲泥の差があった。彼らは危険と隣り合わせの冒険者でもあるが、自ら進んで無駄な死地に飛び込むような馬鹿ではなかった。

「ま、メガネの依頼というのが気に入らないが、断る理由がない以上受けてやるよ。報酬用意して待ってな」

 

 

 

「うわ、すげえ!」

世界樹の迷宮地下十一階――第三階層に入った彼らは、驚きに声を上げた。床一面も木も蒼く、転がっている石と生えている草は珊瑚のように輝く……ライトブルーの海を思わせる、そんな樹海だ。

「泳ぎたくなるな」
「泳げるわけがなかろう、樹海だぞ」
「マジに反駁しなくても分かるっつーの」

ベルドの感想にゲリュオが冷たく返す。その答えを聞いてベルドは呆れたようにぼやいた。そんなベルドの服の裾をヒオリが引っ張る。

「ベルド、ベルド」
「なんだ?」
「今度、遊びに来ようよ」
「……言っておくが、ここも世界樹の迷宮の内部だからな? 魔物とか出るぞ?」
「……うー……」

ジト目を向けたベルドに、ヒオリは涙目になって唸った。その姿を見てベルドはため息をつく。

「……だから、やるのは俺とお前がこの階層の魔物を軽々と蹴散らせるようになってからな」
「ほんと!?」

その答えを聞いて、ヒオリの顔が輝いた。ベルドはやれやれと頭を振った。彼女は元々、脱走した奴隷だ。海や渓谷など来たこともないだろう。そう考えて承知したのだが――

「――俺も、甘いかねぇ……」
「でも、この階層のモンスターは楽しみですよね」

はーっ、と上を見上げて再びため息をつくベルドに、カレンが話しかけてきた。その声にベルドは振り向き、問う。

「楽しみ? なんでだ?」
「だってこんな綺麗な所で、いかにも海の中って印象じゃないですか。きっと出てくるモンスターも、熱帯魚とかくら……げ……とか……」

が、その声はだんだん尻すぼみになっていく。ご期待の魔物が現れたのであるが――何かゲコゲコ鳴いていた。

……カエルだった。

「……まあ、どう見てもただの森だった一階に当たり前のようにカニが出てくるこの迷宮で、いかにも海な所に海らしい生き物が出てくるわけないわな……」

ため息をついたのがツァーリである辺り、彼も地味に期待していたらしい。頭を振って感情を追い出すと、ツァーリは号令を発した。

「まあ、不毛な文句を言っても仕方ない、初めよか!」
「Yes,sir!」

 

 

「我が名はソエト共産党書記長ヨフ・スーリンである!」
「ちょっと待てぇ、なんだその呪言!?」

どーん、という効果音とスーリンの幻影をバックにツァーリが叫んだ。その言葉に込められた魔力が言霊と化し、カエルの一体を縛り上げる。もう一体のカエルにゲリュオが踏み袈裟を放ち、追撃にベルドが突っ込みを入れながらもトルネードを放ってそのカエルを両断する。剣から放たれた旋風が、ツァーリが言霊で縛り上げたカエルを吹き飛ばした。木に叩きつけられたカエルが怒りの目を向け反撃に出ようとしたところで――

「やましいところがなければ、動く必要はあるまい?」

低く問いかけたツァーリの言葉に、カエルはびくりと動きを止めた。

「……『畏れよ、我を』と……」
「『命ず、言動能ず』か……」

多分に人民委員会議議長や国防大臣などの役職を歴任した某社会主義共和国連邦の政治家臭がする祝詞にベルドとゲリュオが二人揃って頭を抱える。確かに術式を放つ祝詞は決まったものがあるわけではない。要するに祝詞というのはそれ自体には何の意味も力も無い、ただの自己暗示のキーワードに過ぎない。複雑な術の起動手順を、祝詞とセットで覚えることにより反射行動化する、ただそれだけのものに過ぎないのだ。

故に、何百回何千回と同じ術を行使していればツスクルのように祝詞すら無しに術を放てるようになったりもする。無論、自分が発動できればその祝詞はどんなものでも構わない。

構わない、のだが。

「……なんでよりにもよってそんな祝詞にして覚えるんだ、この男……」


ちなみに――そのカエルはボコボコにされ、あっという間に昇天した。

「このカエルの口に爆竹をつめて……」
「やめて、ベルド」

 

 

 

「おう?」

青く染まる、まるで海の中のような森……そんな中、足を進める一行の前に一人の兵士が見えてくる。どこか落ち着かなさそうにビクビクと周囲を見ていた兵士は一行を見つけ、明るく笑った。

「あなたたちが執政院でミッションを引き受けてくれた冒険者の方ですね? 地下十階で密林の王を倒した腕利きの者たちを送ると言われ、我々は心待ちにしていました」

兵士は一行の所に歩み寄ると、頭を下げる。

「お聞きかと思いますが、私たちはこの地下十一階と十二階の地図を書くよう言われています。しかし、見知らぬ場所で恐ろしい獣を前にして、途方にくれていた所なのです」
「恐ろしい獣?」
「ええ。物凄く固い、吹雪を吐く亀のような魔物でして……」
「獣じゃねーじゃん」
「ですが、皆さんのような高名な冒険者たちが手伝ってくれるなら、安心できます!」

突っ込みを聞いていたのかどうか、兵士はそう言って、一枚の羊皮紙を差し出した。

「……わずかですが、私が調査したこの階の地図を渡しておきます。あなたたちなら、残り全ての地図を作る事が出来るでしょう」

兵士はそう言うと、自分の役目は終わったとばかりに、足早にその場を去っていった。


「どうだ?」
「うむ、わしらが歩いた所の無い場所が埋められている。うまくやれば兵士達と協力して、効率よく地図が作れるかもしれん」

ベルドの質問に、ツァーリは満足気に答える。

「よし、そしたら次の曲がり角を右折やな」
「了解」

 

 

 

「あの、兵士さん」

それから数十分後、一行は樹海の木々に囲まれた突き当たりに、途方に暮れたように立つ兵士を見つけた。カレンが声をかけると、兵士は一行を振り向く。

「地図作りの協力を引き受けました、ギルド『紆余曲折』のメンバーですが……」
「ああ、君達がか」

それを聞いた兵士は申し訳なさそうに笑い、一行に地図を差し出してくる。

「執政院からのお触れでこの階の地図を書きに来たんだが……どうやら俺にできるのはここまでのようだ。俺が途中まで書いた地図を渡すから、済まないが後は君たちにお願いしていいかね?」

兵士はそう言うと、一行に一枚の羊皮紙を差し出す。そこは多少ベルドたちが行動した所とかみ合っていたが、未踏破のところも結構ある。

「仲間の兵士が言っていたんだが、この階には多くの落とし穴があるという話だ。君たちも地図を作成する際には十分注意することだね」

カレンが地図を受け取ると、兵士は一行にそう忠告する。そして、足早にこの場から立ち去って行った。

 

 

 

「……なんだと?」

さらに数十分後、ある扉の前を通りかかった時。ふとゲリュオが歩みを止めて、疑問の声を小さく上げた。

「…………どうした?」

そんなゲリュオに、ベルドが聞く。ゲリュオが反応した存在は分かっている。扉の奥から素人でも分かる強烈な『気』を感じるのだ。だが、それではゲリュオが疑問の声を上げた理由が分からない。『気』の強さは先輩冒険者・レンとツスクル程度。確かに『気』の大きさはシャレにならないほどでかいが、レンやツスクルに出会い、その『気』を感じた回数も一度や二度ではない今、いきなりこんな驚いた声を上げるとは思えない。

「扉の奥に、レンがいる」
「レン? レンって、あのレンか?」
「ああ」

と、思っていたらビンゴだったようだ。何度も言うが、ゲリュオの『気』を察知する能力はかなり強い。一度出会えばその『気』の持ち主をある程度把握できてしまうほどだ。そして、一度ではなく何度も出会い、感じたこの『気』。ゲリュオははっきりと、その正体を認識していた。

曰く、その相手はレン。執政院ラーダ直属の冒険者にして、氷の剣士の異名を持つ凄腕の侍だ。

「……とりあえず、レンなら大丈夫だろう。開けるぞ」

そう言って、ゲリュオは扉に手をかける。そして、それを手前に引いて開けた。果たして、中にいたのは――


「……久しいな、紆余曲折の諸君。順調に冒険を重ねているようだな」


――ゲリュオの推測どおり、レンだった。レンはいつも、カースメーカーのツスクルと二人一組で行動している。ところが今回、そこにツスクルの姿は無い。彼女一人である。なるほど、ゲリュオが疑問の声を上げたのはこれが原因だろう。

と。次の瞬間、レンが問うた。

「しかし……その先に、君らは何を求めている?」
「……え?」
「君らは、何を求めてこの迷宮に来た?」

なにをいきなり、と問いたい気持ちもあるが、レンは真剣な目で一行を見つめている。


「……強くなるため。それが理由では不足か?」

暫くの沈黙の後、ゲリュオが答えた。この時、ゲリュオの口調からは敬語が外れている。それはレンが、ゲリュオのことを対等に見始めたことを見抜いたからだった。

「ふむ。『最強』……その名が欲しいか?」
「別に名が欲しいわけではないし、無理に最強にこだわるつもりも毛頭ない。俺はあくまで、自分の力の限界が知りたい、それだけだ」

聞いたレンに、ゲリュオは即座に否定した。

「ただ、俺の住んでいる国には、天下無敵と呼ばれた剣豪がいる。そいつと手合わせを行い、そして勝つため。強さを追い求める理由をつけるなら、それを挙げておくとしよう」
「なるほど、倒すべき敵か……。ある意味解りやすく、冒険者らしい目的といえるな」

頷いたレンは、次の瞬間ゲリュオに鋭い眼光を飛ばす。

「なら、一つだけ忠告しておく」
「なんだ?」
「強さを追い求めるのはいい。だが樹海の最下層には手を触れるな。それが……君たちの為だ」
「そういうわけには行かん」

と、横からツァーリが張り詰めた声を飛ばす。いつものんびりしているような彼が珍しく放った、真剣な声だった。

「わしの目的は、世界樹の迷宮――その謎を解く為だ」
「世界樹の謎、か……。この迷宮がなぜ存在しているかの理由か。冒険者らしい真っ当な答えだ」

レンは納得したように頷き、言葉を続ける。

「なら、一つ言っておこう。このエトリアの街は、迷宮が発見される前は辺境の小さな……本当に小さな町だった。それが、迷宮を発見し多くの冒険者が集まったことで、今のように大きな街として栄えたのだ」

レンの冷ややかな目は、何かを試すように一行を見つめ続けている。

「では、迷宮の謎がすべて解けたとき、この街はどうなると思う?」
「……何が言いたい。議論でもしたいのか?」
「考えろ、そう言っている。自分達の行動が何を引き起こすかをな。まあ良い。今は自分たちが信じる道を進むしかないだろう」

ゲリュオの言葉に、レンは答える。

「君らが探索を続けるなら、またいずれ出会うだろう。それまで壮健でな」

それだけ言うと、レンは一行の横をすり抜けて歩き去っていった。

 

 


「エルビウムきょ~う」
「なんじゃい、いきなり」

その夜、そろそろ寝るかと布団を敷き終えた直後、ツァーリがニヤニヤしながらベルドのところにやってきた。ツァーリは自分の傍にかがみこむと、そのニヤニヤ笑いを更に不気味なものにしながらベルドのわき腹を突っつきながら言ってくる。

「いきなりも何もあるかい、嫁さんが寂しがってやって来とるぞ~?」
「誰だよ、嫁さんって」
「ふっふ~ん」
「えーい気持ちわりい! そのムカつくニヤニヤ笑いはなんだ!!」

怒鳴りつけてツァーリを引き剥がしつつ、ベルドは入り口に目を向ける。ニヤニヤ笑ってくる直前、ツァーリは入り口の近くにいたからだ。と、そこから隠れるように顔だけをのぞかせているヒオリと目が合った。

「なんだ、ヒオリか。何やってんだ、そんなところで」
「……えっと、ベルド……」
「ああ」

小さな声で名前を呼ばれるも、それ以上の行動がない。一体何がしたいんだ? そう首をかしげるベルドは、とりあえず来いよと手招きをする。

が、ヒオリは顔をうつむき気味にさせるだけで、部屋に入ってこようとはしない。いつもならいそいそとやってくるのに、本当に今日はどうしたのだろう。

「なんだなんだ、こんな夜遅くに。添い寝してほしいってんだったら考えなくもないぜ?」

へらへらと軽口を叩きながら、ベルドはヒオリの元へ向かう。が、近くまで行くと、ヒオリは顔を引っ込めてしまった。疑問に眉を顰めながらその先を追いかけると、顔を赤くしているヒオリに会う。扉に隠されていた手元には――枕。

「…………」
「…………ぁぅ」

縮こまるヒオリに、ベルドは頭を抱え込む。付き合い始めてから妙に甘えんぼうなところがあると分かってきたベルドだったが、さすがに枕を持ってこられるのは想定外だった。寝る前に真っ赤な顔で枕を持ってこられて、なにを要求しているのか分からないほどベルドも馬鹿ではない。

「……前言撤回」
「…………やだ」

拒絶された。冗談で言っていたのに、ヒオリの用件は本当に添い寝だったらしい。アホなこと言わなければよかった――片手で頭を抱えるも、時や既に遅しである。

「…………」

その体勢のまま、ベルドはでっかいため息をついた。

 

 

 

 

 

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