第二十九話

記憶喪失の生き方、死神の生き方


「……え?」

クエルスは、しばし目の前の光景が理解できなかった。咄嗟に飛び退いたリューゼと、そのリューゼに振り下ろされたイルの大金鎚。もちろん、金鎚が勝手に動いてリューゼを打ち据えたわけではない。イルという少女が、敵地のど真ん中であるにもかかわらず、リューゼに刃を振り下ろしたのだ。

「どわわっ!」

だが、事態は次々に進行していく。初撃が外れたと見るや否や、イルは金鎚を横薙ぎに振るう。どうにかこうにか屈んだリューゼだったが、イルは両手を使って金鎚のベクトルを変更する。

「お、おい、あんた!?」

三撃目。咄嗟に声を上げたリューゼだったが、イルは聞く耳を持っていない。そのまま、上段からの振り下ろし攻撃を叩き込――

ガギイィィ、と、鈍い音がした。リューゼと入れ替わるようにして前に出た、あの緑色の髪をした少女が鞘から抜かないままのレイピアをたたきつけたためだ。イルは薙ぎ払いから振り下ろしに変更中だった金鎚を立てるようにして、少女の一撃を受け止めた。突然の邪魔に舌打ちして、イルは呪文を起動――


「――止めろ、イルッ!!」
「――――ッ!!」


――する直前、怒号と腕が割って入った。肩と腕を掴まれて、イルはびくりと動きを止める。クエルスはリューゼのほうを向き、とりあえず安否を確認した。

「リューゼ、無事か」
「……ああ、なんとかな」
「そうか。よかった」
「で……それはいいが、そいつ誰よ?」
「――――っ!!」

疑問気な声で聞き返されると同時、イルがクエルスの束縛を振りほどく。だがクエルスもさるもので、再びイルを押さえつけた。理由はどうだか知らないが、イルは今、回りが見えなくなってしまっているらしい。イルが三度暴れる前に、クエルスはイルにこう告げた。

「リューゼと何があったのか知らないが、今のこいつにはやっても無駄だ。理由は後から説明するが、とりあえずは部屋に戻るぞ」
「この騒ぎじゃ、兵士がやってくるのが先だしな……っと」

相槌を打ったリューゼが、壁にかけられていた――都合よくイルの金鎚が振り下ろされた床の横の壁にあった――絵を取り外す。それを思いっきり、イルの砕いた床にたたきつけた。高い音がして、絵とそれを入れていた額が砕け散る。

「ってお前、何やってんだ!?」
「この娘がハンマーで砕きましたとでも言うつもりか? 王様やら兵士長やらとさっきやってた会話からすると、この娘がイルってやつなんだろ? 捕虜がこんな所で騒ぎを起こしたなんてほざいてみろ、速攻捕まっちまうのが関の山だぜ?」
「…………まあ、確かに。でもその絵、高いんじゃないか?」
「取り付け場所が腐ってたなり取り付け方が悪かったなりすればいいだろ。ほら、とっとと取り付け場所適当に傷付けて退散するぜ。あんな音立てりゃ、見つかっちまうのも時間の問題だ、これが」

そもそもこの段階までに見つかってないのもまた問題な気もするが、ともすれクエルスたちは壁を適当に傷付けた挙句、とっとと退散したのだった。

 

 

「……で、なんで俺はいきなりハンマーの洗礼を食らわなければならないんだ、これが?」
「俺が知るかよ」

とりあえずクエルスたちの部屋へと一時退散し、兵士の「大丈夫でしたか!」という問いに、「ああ、大丈夫だった! いったい何があったんだ!」と白々しくも問い返す。「壁にかかっていた絵が取り付けが悪かったのか落っこちたんです」と切羽詰った兵士の口調にそうかと表面上まじめな口調で返し、兵士が「全ての絵をチェックしますのでしばらくお待ちください」とどたばた走っていったところを、リューゼが「それなら頼む。いきなり絵が落っこちて来たんじゃ安心して歩けねーしな」とかほざき返し、それをシャルナが蹴りを放って黙らせた直後の、話題を切った最初の一言。

「で、イルちゃんよ。出来たら俺をハンマーでぶっ叩こうとした主旨を分かりやすく簡潔に教えてくれるとありがたいのだが」
「…………」

当のイルときたら、殺意すらこもった目でリューゼのことを見つめている。目下彼女の大金槌はクエルスが抱えてしまっているため、イルの戦闘能力は大幅ダウンだ。しかしその眼はいまだに苛烈な眼光を放っているため、クエルスがため息をついて切り出した。

「……イル。リューゼと何があったかは知らないが、今のこいつは記憶を失っている状態だ。多分、お前の恨みも覚えちゃいないと思うぞ」
「……申し訳ないがな。セイナにもさんざん殴られたし」
「反省してください。悩んで悩んで苦しみぬいて、それこそ死ぬまで悩んでから、今後の生き方を決めてください」
「……俺は一体何をした。女遊びでも激しかったのか?」

セイナといい、イルといい。女性連中にことごとく恨まれているらしい己の境遇を思ったのか、リューゼは頭を抱え込んだ。イルはそんなリューゼの様子をしばし見つめていたのだが、やがて何かを排出するように、大きなため息を吐き出した。

「……本当に、忘れているみたいね」
「……つくづく、あんたらの態度を見ていると申し訳なくなるんだがな」
「謝罪はいい。思い出して」
「思い出させてはくれないのか?」
「自分の力で、思い出して。苦しみ抜いて、悩み抜いて――絶望して、後悔の淵に立たされて。それでもなお、未来に生きたいと思ったならば」


「……その時に――私に、殺されて」

 

 

場は、沈黙が支配していた。イルが、自らの手では会って数日すら経っていないクエルスすら殺すのを躊躇い、シャルナにも謝罪をしたイルが、自ら放つ殺人宣言。それは彼女の性格をよく知るがゆえに、クエルスやシャルナには重い言葉に聞こえた。

「……お前……一体、何やったんだよ」
「思い出せてたら苦労はしねえさ、これが……」
「まあ、確かにな……」

ふうむ、と、悩むそぶりを入れたクエルスだが。唐突にイルのほうを指差すと、リューゼに聞いた。

「んじゃお前、こいつの顔をよく見てみろ。何か思い出せるんじゃないか?」
「あー……」

ふーむ、と。リューゼはイルの顔を見つめる。対するイルも、リューゼのほうを見つめている。二人、互いだけを見つめる熱い眼差し――なんて書けば、恋愛モノのワンシーンのようにも見えることだろうが、実際は単に少年の記憶を掘り起こしているだけである。

しばらくの沈黙を経て、リューゼは、あ、と思い出したようにつぶやいた。眉根を寄せるその表情は、いつもの気楽な空気はどこにもない。

「……あんたのことは、正直何も思い出せないのだが……」
「……なに?」
「……いや……どこかなんとなく、イヴに似てるなって」
「――――ッ!!」

その言葉を受けて、少女の顔つきが変わった。同時に、セイナの顔つきも。

「お前……イヴって娘を、知ってるか?」
「…………」

イルは、ぎりぎりと歯を食いしばる。どこまで、覚えてるの。鈍い怨嗟の声を受けて、リューゼはうずく右腕を押さえながら言葉を発する。

「――分からねえ」
「…………」

血溜まり。少女。冷酷な笑み。そこに在る――桜の髪と、ひどく虚ろな、青い瞳。


「イヴ……イヴ・クライン……」

どこかじゃない。思い出した幻影は、目の前の少女とよく似ていて――

「お前……もしかして……」
「…………」
「……イヴ・クラインの、妹か……?」
「…………」

イルは、静かに目を閉じる。

「……正解です。他には」
「…………」

リューゼは、再び頭を抱える。桜の髪と、青い瞳と……

「……駄目だ。まだ、なにも……」
「……そう……」


力なく首を振るリューゼに、イルは再びため息をついた。そのまま、イルはクエルスに告げる。

「……お兄さん。私、一緒に行く。この男が全てを思い出したら、殺すから」
「…………」

ついてくるのはいいが、監視かよ……思わず頭を抱えかけたクエルスだったが、イルの言葉には続きがあった。

「それに、私も探してみたい。お兄さんの言った、人を殺して生きるよりも遥かにいい、そんな何かを探してみたい」
「…………、そっか」

二つの理由は、矛盾だろうか。だがそれでも、それがイルの結論なら、クエルスにそれを否定するような資格はない。クエルスは一つ頷くと、イルにすっと手を出した。

「……なら、俺らは仲間だ。よろしくな、イル」
「……うん、よろしく」

 

 

 

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