第二十四話

死神と迷い


「…………」
「…………」

土埃舞う、地獄の戦場。その場は――沈黙が、支配していた。

 

「…………おい、イル」
「…………」
「……なんで……当てなかった」
「…………」

イルは、答えない。振り下ろされた金鎚は、不自然な角度でクエルスを捕らえそこなったまま、地面に鈍く刺さっている。クエルスはしばし答えを待ったが、やがて首を振ると質問を変えた。

「お前……そうやって俺やシャルナに武器を振るったって事は、魔王軍の一員なんだろ?」
「…………」
「なんで……そこにいる? お前みたいな幼い子が、どうして……」
「……どうだっていいでしょ?」
「よくないな」

イルの言葉を、クエルスは断じて切り捨てた。

「お前は、落ち零れなんだよ」
「なっ……!?」
「魔王軍ってのは……俺もよく知らないが、人間襲って世界征服でもやって、恐怖で支配するもんなんだろ?」
「……それは、偏見ね」
「だが、戦場に身を入れる者が――たかだか数日会話しただけの男を敵に回したぐらいで動きを鈍らせるなら、それは落ち零れとしか言いようがねえ」
「……お兄さんが言う?」
「言えないだろうな」

確かに自分は、たかだか数日会話したぐらいの女に対して動きを鈍らせるどころか、剣すら向けられなかった。少なくとも、それ以上をやった相手に対して、言えるセリフでは無いだろう。

「だがな――これだけは、はっきり言える」

それでも。クエルスは少女を見つめて、こう続ける。

「あんたは――魔王軍にいていい人間じゃない。魔王軍なんてのは、顔見知りの人すら殴れないような人間が――いるべきところじゃ、ない!」
「…………!?」

イルの表情が、揺らいだ。

「な……なに、を……」
「あんた……小っちぇえ頃から、魔王軍にいたんだろ!? その動き、技、力――たかだか二年三年修行したぐらいで、そんな力が出せるわけない!!」

実際は知らない。その気になれば二、三ヶ月でも出来るかもしれない。でも――クエルスは、イルが魔王軍に幼い頃からいたことを、半ば確信を持って信じていた。

「あんた無表情だったろ? 笑わなかったろ? なのに……だったらなんで、俺とあんなに話をした!!」

あまりにもギャップがありすぎるのだ。話したくてたまらないのに話し方を知らないような、あの不自然な態度の動き。いや、「ような」ではない。それは間違いなく、事実なのだとクエルスに思い知らせた。

勿論、全てはクエルスの予測に過ぎない。イルにはイルの事情があるし、元々そういう性格なのかもしれない。だが――それでも、彼は放っておくことは出来なかったのだ。

「あんたはもっと笑うべきだ! あんたはもっと楽しむべきだ! お前が何で魔王軍なんかにいるのか知らねえが――同じ戦うなら、こっちに来やがれ!!」
「なっ……!?」

イルの目が、驚愕に見開かれた。無理も無いだろう。いきなり敵に寝返りを勧められたのだから。

「割かし本気だぜ。俺は、アリアハンから出てきたばっかりだって言ったろ。これから、あっちこっち世界中を巡るんだ。その旅にあんたも来れば――きっと、何かが見つかるって。少なくとも、人を殴り殺して生きるような世界よりは、はるかにマシな何かがな」

だが、そんなクエルスの熱の入った説得に、イルは悲しげにかぶりを振った。


「…………無理だよ」
「何がだ」
「もう、無理だよ!!」
「そうか――」

それは明確な、拒絶の言葉。クエルスの言葉を振り払うように、イルは飛び退いて距離をとった。

そう――わざわざ飛び退いて仕切り直しをしなくても、クエルスごとき仕留められるにもかかわらず。

「これが、最後の警告。お兄さん、降伏して。それなら、出来る範囲でそれなりの待遇を保障してあげるから」
「…………」

低い声音で告げられた声に、クエルスは頭を回転させた。


出来る範囲で――彼女はそう言ったのだ。

 


で、あるならば――彼女は、魔王軍の中で、そこまで重要な立ち居地にいないのではないか。年齢が自分と同年代か若干低く見えることも、判断の補強材料になるだろう。

 

 

「そうかよ……」

その態度を見て、クエルスは笑った。

「だったら……俺が引きずり出してやる!」
「――――っ!?」
「俺は勇者なんだからな! 魔王軍なんてのがいたら、ぶっ潰さなきゃなんねえんだよ! だけど、それは必ずしも力じゃない! 要はてめえらが、戦えなくなりゃいいんだからな!!」
「な、何を……」
「俺はてめえを斬りたくない! 日の当たる世界に出してやりたい! だが、お前が来ないと言うなら仕方が無い、こっちがてめえんとこまで行って、実力で引っ張り出してやる!!」
「…………!!」


ぶん殴ってでも目ぇ覚ましてやる、覚悟しろよ! 目を見開いたイルに、クエルスは怒鳴る。イルの瞳がしばらく揺れるが、やがてそれを振り払うように大金鎚を握り締めた。


「……私は、戦うよ!」
「ああ、来やがれ!!」

イルの怒号を、クエルスの怒号が上書きした。それを合図としたかのように、イルは真正面から突っ込んでくる。

「ギラッ!」

その距離が縮まる前に、クエルスはギラの呪文を放つ。だが――本職の魔術師であったシャルナのヒャダルコさえいともあっさり無力化したイルにとって、その程度など足止めにもならなかった。

武器すら使わず、イルの裏拳が灼熱の閃光に叩きつけられる。クエルスの渾身の魔法を、イルはあっけなく打ち払った。

「……その程度?」

呟かれる死神の声が、クエルスの背中を戦慄させる。

クエルスはイルと異なり、実戦経験は豊富ではない。

緊張感、圧迫感、緊迫感――死を呼ぶ恐怖の構成要素が、クエルスの五感を蝕んでいく。

「もう、当たっても知らないよ!」
「――――っ!!」

上空から振り下ろされた地獄の塊を、クエルスは咄嗟に身を捻って回避した。そのまま勢いを殺さず一回転すると、飛び退いてイルとの距離をとる。背にしたのは――この平原には珍しい、大きな木だ。周囲の人も魔物も、戦いに割って入ろうとはしない。一騎打ちに近くなったこの状況に敬意でも抱いているのか、それともイルの強烈な得物と技量に、割って入る実力が無いのか。

「はぁっ!」

踏み込みのエネルギーも活かして、イルは大金鎚を振るい払った。クエルスはそれを身を屈めて回避するが、その背後で嫌な音が鳴った。

そう――背にした大木が、潰れたのだ。潰され、ひしゃげ――強引に引ききられた大木が、クエルスとイルに襲い掛かる。二人を結ぶ直線状に木が倒れるが、イルはすぐさま飛び越えてくる。

「くっ!」

飛び込んでくる閃光を、クエルスはどうにか躱す。躱すという表現じゃない。視認できた閃光に対して反射的に体を動かした矢先、先まで体があった位置に金鎚が振り下ろされているといったほうが近い。

右、左、上下左右――次々と振るわれてくる金鎚は、クエルスに今だ一発も当たっていない。だが、相手の攻撃が早すぎてクエルスは今だ一撃も反撃できていない。焦りと緊迫感で、クエルスの心臓が上がってくる。息も切れ、とんでもない疲労感が体を包む。

だが、そこへ一瞬の隙が出来た。右から薙ぎ払った反動を殺しきれず、金鎚はイルの背中側にまで流れたのだ。この体勢からなら、どんなに速くても切り返しは間に合わない。

「っづあぁ!」

そして――後先考えず、クエルスは突っ込んだ。このままでは、息が上がった所を確実に仕留められてしまうだろう。そうならないように取った、防御策だった。

だが、クエルスの予想よりも遥かに速くイルは追撃を繰り出してきた。しかも、前回と同じ右側から。イルは背中越しに大金鎚を右手から左手へ持ち替え、初撃と逆方向に切り返すのではなく一回転して同方向から二撃目を打ち込んできたのだ。

「――――っ!?」

クエルスの剣が届く前に、イルの金鎚が打ち付けられる。咄嗟に剣でガードしたものの、それでも信じられない衝撃が体に入った。

「げ……がぁっ……!」

錐揉みする、とは、まさにこのことなのだろうか。自分の体が回転しながら飛ぶ感覚を、クエルスは確かに味わっていた。だが、地面に叩きつけられたその体は当の昔に感覚を麻痺させ、強烈な衝撃にクエルスは咳き込み、同時に胃の中のものを吐き出した。

 

 

 

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