第十七話 

少年と少女と演習場


「悪いな、いただくぜっ!」

踏み込んだ音速の赤い影が、どかりと敵を吹き飛ばす。吹き飛んだ男――ロマリア兵は綺麗な放物線を描くと、そのまま床へ墜落した。

「なー、兵士長ー。こいつら弱くて話にならんのだけどー」
「そう言うな。だったら、二人一組か、三人一組で相手をすればよかろう」
「まあ、そりゃそうなんですけど。つーか、してますけどさ」

ぼやいたその赤い影は、記憶喪失の男、リューゼ・アルマーである。リューゼが兵士の一員として訓練に参加してから二日――既に実戦演習では、リューゼは退屈そのものになってしまっていた。

兵士が弱すぎるのか彼が強すぎるのか、ロマリアの一般兵では全く相手にならないのである。二人一組でやや有利、三人一組だとほぼ互角であったのだが、彼としては一騎討ちで思いっきり戦ってみたいのである。

勿論、戦は集団戦であることは百も承知の上なのだが、こうも一人対多数の戦いばかりを繰り広げていると、一騎討ちが地味に恋しくなってくる。というか、彼としては兵士長と直々に戦いたいのだが、身分がどうとか立場がどうとか言われて、その願いは叶わなかった。それが、彼の不満に一層の拍車をかけている。

だが、不平を言おうとしたリューゼの機先を制して、兵士長は告げてくる。

「だいたい――っと、ん?」

だが、それより先に、高い気合と共に、兵士が絶叫を上げていた。横を見ると、吹っ飛んだ兵士がこれまた地べたに墜落する。なんだなんだ――? 兵士長だけではなく、リューゼもその方向に視線を移す。するとそこには、別の兵士の一撃を見事に槍で受け止めて、そのまま懐に入り込んで蹴りを放った少女がいた。ぐらついた兵士の顎を掌底で思い切り突き上げて、さらされた急所に手刀を一発。兵士は思い切り咳き込むと、降参の意を表明した。

「うっわ……」

断じて素人ではないその動作に、リューゼは思わず見惚れてしまう。よく見てみると、姿かたちも驚くほどの美少女だった。

流れるような空色の髪は、癖一つ無く背中に流れる。同色の瞳は澄んだような光を宿し、細身の体躯は戦士の内にも女性らしさを見え隠れさせる。へぇ、と笑うリューゼの前で、兵士長はその少女に歩み寄った。

「……フィオナ殿。またいきなり、こんなところへおいでなさって、修道院はどうされたんですか?」
「今回は、修道院からも指示が出まして。今回の戦には参戦することになったんです。状況が状況ですし、回復魔法が使える者は兵士達にとってもプラスになると思いますが?」
「それはいいが、なんでまたこんなところへ?」
「修道院の人たちじゃ、正直相手にならないんですよ。鍛錬をするなら、やっぱり強い人がいるところへ行かないと」
「……その割には、ずいぶんあっさりと兵士を倒していたように思えますが」
「ええ……」

フィオナというのが、その少女の名前らしい。どれ――そう呟くと、リューゼもその少女に歩み寄っていく。

「どうも。横から失礼します」
「はじめまして。貴方も、兵士さんですか?」
「ええ、今のところは。リューゼ・アルマーといいます。以後、お見知りおきを」

気さくな感じで片手を出したリューゼであったが、次の瞬間兵士長に怒鳴られる。

「何をやっている、リューゼ・アルマー!」
「のぉっ!?」
「この方を誰だと思っている!? ロマリア王国第二皇女、フィオナ・クレイス殿であるぞ!」
「げげっ!?」

こいつが!? 自分と同年代くらいにしか見えない少女が持っていた信じられない肩書きに、リューゼは言葉を詰まらせる。だが当のフィオナはあまりうれしくなかったようで、兵士長をジト目で睨んだ。

「……兵士長。あまり、そういう扱いをしないでいただきたいのですが」
「とはいえ、貴方様が皇女であることは変わらないでしょう。特にこういう下賤の者は、そのくらいを心得ていたほうがちょうどいいのです」
「下賤の者で悪かったな……」

もはや敬語も放り捨て、リューゼは小さく呻いてみせた。フィオナはふふっと小さく笑うと、兵士長へ向き直る。

「それにしても、兵士長。兵士さん、手加減しすぎじゃないですか?」
「手加減、と申しますと?」
「私が皇女であることが知れているのか、女だからと思われているのか――そうだからといって手加減なされるような教育をしているようであれば、それは戦場では命取りになりますが?」
「あぁ、いや、それは……」
「ちょっと、よろしいですか?」

言葉に詰まる兵士長の前で、リューゼが手を上げて割って入った。二人の視線がリューゼに集中し、リューゼは苦笑してフィオナを促す。

「第二皇女。よろしければ、少々だけお時間を拝借してもよろしいですか?」
「……そこまで、かしこまらなくていいんですけど」

遠まわしに肯定の返事をもらったことを悟って、リューゼはフィオナを連れ出した。兵士長から少しだけ離れたところへ連れて行くと、ひそひそ話で切り出していく。

「皇女。実際のところ、兵士たちをどう思っていますか?」
「……そうね。はっきり言って、弱いですかね。多分、手加減はしていないと思います。私が朝から晩まで槍を振るっていたってこともあるんでしょうけど、少しは善戦して欲しかったです」
「…………」

念のため言っておくが、兵士は決して弱くはない。幾度も戦っていたリューゼは当然それは分かっているし、フィオナとしたって同じだろう。だがそれでも辛辣な言葉になってしまうのは、やはり皇女として、自分の国を守って欲しいという意図があるのだろうか。他国の兵士であるならば、さすがにここまではいかないだろう。

やっぱ、こいついいな――内心でほくそ笑むリューゼだったが、あまり長く引き止めてしまうのも悪いだろう。フィオナから静かに離れると、一つ礼をして頭を下げる。

「すみませんね。それだけ、知りたかったもので」
「ええ……ところで、私からもいいかしら?」
「どうぞどうぞ。何なりと」

そのタイミングで、兵士長が割って入ってくる。だがフィオナは片手で制すと、リューゼに向かって切り出した。

「貴方今、『今のところは』っておっしゃいましたよね?」
「ああ、あれですか?」

何を言いたいのか一瞬で理解し、リューゼはフィオナに返事を返す。

「俺ら、旅人でしてね。今回の戦に参戦することになったんですが、何分私、記憶喪失なものでして。素性不明な奴を野放しにしてはいけないって意味らしくて、戦までここに監禁されているんですわ」

肩をすくめて笑うリューゼに、フィオナはふうんと返事を返す。リューゼはもう一度肩をすくめて、やれやれという感じに言ってのけた。

「ちなみに、俺も皇女さんと同意見ですわ。兵士がこれまた弱くて弱くて。はっきり言って、相手にならんのですよ」
「ふぅん……」

フィオナはもう一度そう告げると、手に持つ槍を握りなおした。

「じゃあ、私がお相手しましょうか?」
「……え?」

とはいえ、まさかそう来るとは思わなかったリューゼは、思わず頓狂な声で問い返す。いいのかこの皇女さん――そう思ったところを察したのか、フィオナは苦笑して言い返した。

「多分遠慮しているんでしょうけど、誰も声をかけてくれないんです。私から声をかけないと、相手をしてくれないんですよ」
「……ああ、なるほどね」

鋭いなこのお嬢さん――内心で苦笑しつつ、リューゼも剣を引き抜いた。

「上等です。むしろこちらから、その辺よろしくお願いしたい」
「決まりですね」

さてと……これで完封されたら、悲しいな――そんなことを思いながら、リューゼは先導するフィオナについて、演習場の一角に陣取った。

ちなみにぐだぐだ言ってきた兵士長は、フィオナが鶴の一声で黙らせた。

 

 

 

 

 

「遠慮は要りません。全力でお願いします」
「端から手加減する気なんてありませんよ」

訓練場の一角で、短く二人で言葉を交わし――先手を打ったのは、リューゼだった。鋭角的に切り込んだリューゼの姿が、鈍く霞む。先手必勝を信念とする、リューゼ・アルマー必殺の一撃だった。

(……受け止めた!?)

だが、その一撃はフィオナの槍で止められる。リューゼは余った勢いを殺すことなく受け流し、フィオナの横を駆け抜けざまに二撃目を放った。だが、それは横とびに飛んだフィオナに回避され、フィオナは大地を蹴って踏み込んでくる。

「ちぃっ!」

フィオナの槍が、リューゼの右頬を素早く掠める。同時にゼロまで距離を詰められ、素早い蹴りが放たれる。リューゼは無理なくバックステップで攻撃をかわし、槍の追撃が来る前に呪文を叩き込んだ。

メクスによる氷の刃が、フィオナの顔面を狙って飛ぶ。フィオナはそれを軽く屈んで躱し、リューゼめがけて切り込んできた。音速の二段突きが、リューゼの左肩を打ち据える。うぐっという声を上げて、リューゼは飛び退きざま左肩を庇った。

「……追いつかれただと!? この俺が!?」
「相手が、悪かったようですね」

自信のあった己の速さに追いつかれ、リューゼは愕然とした声を漏らす。対して淡々と言い返すフィオナを前に、リューゼの唇が吊りあがった。

「……上等だ、もういっちょ来い!!」

その一言を皮切りにして、リューゼはメクスをぶっ放した。対するフィオナはそれを槍で切り払うが、その内にリューゼは切り込んでいる。

「記憶が無くても、武器の威力は変わらんぜ!」

強烈な連続斬りが、フィオナの体を無数に穿つ。断続的に震えるフィオナの体に、リューゼは一旦飛び退いてから踏み込んだ。

「そら、行けぇっ!!」
「うっ……!」

とどめの一撃が、フィオナの体を抉り殴った。

 
――が。


「ちっ……」
「痛かったけど……まだ、戦えるよ!」

フィオナはまだ、その場に立ち続けていた。兵士長からも、戦闘終了の言葉は聞こえない。

リューゼとても分かっていたのだ。あの連撃では、勝負を決められなかったことを。フィオナは槍と体を上手く捌いて、急所だけは避け切ったのだ。無数の浅手は負わせはしたが、それでも決定打にはならなかったのだ。

「今度はこっちの番だね……本当に手加減要らないみたいだから、全力で行くよ」

槍の柄に指を当て――フィオナは、槍を鋭く取り回した。そして、何事かを呟くと、彼女の周りに青い光が淡く輝く。そして、彼女の姿が掻き消えた。

「!!」

次の瞬間、咄嗟に庇ったリューゼの急所を、フィオナの一撃が直撃する。ぐらついたリューゼの耳を、小さな音が刺激する。

「――後ろ!?」

体勢を立て直す暇も無く、リューゼは地面を転がった。刹那、強烈な風切り音が頭上を掠める。手と足全てを使って飛び退いて、リューゼは何もない虚空を蹴り上げた。

ガンっという音がして、フィオナの槍が打ち上げられる。体制を崩され、現れたフィオナの腹部めがけて、リューゼは亜音速で踏み込んでいく。

「れえぇああぁぁぁっ!!」

瞬間移動にも等しい踏み込みのエネルギーを余さず注ぎ込んだ一撃は、フィオナの内臓を揺さぶった。吹き飛んだフィオナに右腕を掲げ――メクス。


氷の刃が、フィオナの首筋と数ミリの隙間を空けて、演習場の壁に突き刺さった。

 

 

 

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