第五幕

彼女と居場所と妄想と


「…………」

目を覚ますと、雀の鳴き声が聞こえてきた。朝一番に鳴く鳥といえば鶏であるが、よほどの農村でもない限りそんなことはあまり無い。少々お下劣な例えで「朝ちゅん」などというものもあるが、想い合った男女が幸せ一杯に性交に及んだ翌日の朝、ちょっと気恥ずかしげにお互いを見つめているワンシーンで聞こえてくるのがコーケコッコーでは前夜の睦事の余韻もクソもあったもんじゃない。やはりそこは、朝はあまりうるさくない、ちゅんちゅんという雀の鳴き声なのだろう。そもそも貴族のお屋敷の中で、鶏が鳴くって何事よ。

「……っ、とっと」

あくびをすると、隣にヒオリが寝ていたのに気付く。隣というより、すぐ傍で。

「…………」

昨日の夜に何があったのかを思い出して、痛ましい気持ちと愛しい気持ちがこみ上げる。まだ半分寝ぼけてる中で、ベルドはヒオリの頭に手を伸ばした。

ベルドの首筋に顔を埋め、ヒオリは完全に密着していた。穏やかな寝顔で、両腕はベルドの体をしっかりと抱き締め、足まで絡めて眠っている。吐息が耳元をくすぐって、ほんのちょっとだけむずかゆい。

しばらくヒオリの寝顔を楽しんだり、起こさないようにそっと頭を撫でてやったりしているうちに、ヒオリはやがて目を覚ます。

「…………」

とろんとしている目でベルドのほうを見つめたヒオリは、ふにゃ〜っと笑いながらベルドのほうへと擦り寄ってきた。

「ん……」

抱き締め返してやり、頭を撫でてやると、ヒオリはまたぎゅ〜っとベルドに抱きついてくる。寝ぼけていてもいなくても、同じ行動をしてくるので分かりにくい。しかし、どうやら今日はしっかり覚醒していたらしい。頭を撫でているうちに、ヒオリはベルドを見上げてくる。

「おはよう、ベルド」
「うん、おはよう。眠れたか?」
「……ん」

こくっと頷いたヒオリだったが、その顔にふと影が差す。

「ごめんね、迷惑かけちゃって。あんな、夜遅くに叫んだり……」
「いや、気にしないでくれ。それだったら俺にも、配慮が足りなかったしな」
「配慮?」
「貴族の家のでかいベッドに、お前を一人にするべきじゃなかった。そういうことだよ」
「ベルド……」

一度だけ、自分の名前を呼んで。ヒオリはまた、ベルドの首筋に顔を埋める。ちょっとしんみりした空気にベルドは笑って、ヒオリの頭をわしゃわしゃ撫でた。

「だけど、どうせならその言葉、ありがとうで聞きたかったな」
「……うん。ありがとね、いつもいつも」
「おう」

頬を緩ませて、安心したように笑うヒオリからは、もう昨夜のような危うさは無い。ちょっとだけいつもより甘えんぼうな、ヒオリの姿がそこにあった。

「ベルド」
「ん? ――んっ!?」

ヒオリの目線が、ベルドの目線と絡み合う。次の瞬間、ベルドは瞳を閉じたヒオリに、唇を重ねられていた。思わず目を見開くと、顔を離してヒオリは笑う。

「えへへぇ……だぁいすき……」

甘えられるにしろ怒られるにしろ不安になられるにしろ、どうしてこうも女の子に対する術って奴を、男は持っていないのか。どうしたものかと悩みながら、朝食が出来る時刻まで、ベルドはヒオリの頭を撫で続けているしかないのだった。

 

 

 

「……手ごたえがないな」

がさがさと草木を掻き分けながら、六人は罠を探していた。朝食を食べ、調査を開始してから二時間半、エドの呟きである。ないとは思ってはいたものの、やっぱりないとちょっと力が抜けてくる。妙な徒労感が募る中、後ろから何者かに襲われても困るので二人一組で探している。

「……こちらもです」

やっぱりがさがさ音をさせながら、フェイスが答える。その音は、エドのものよりかなり大きい。別に隠密行動をしているわけではないので音を消す必要はないのだが、元々フェイスはそういったものが苦手なのだ。

と、目の前の木をするすると降りてきた少年が、地面にすたっと着地した。

「ベルドか。罠はあったか?」
「いや、ねえな。その具合からすると、そっちもか」

苦い顔を浮かべるベルドと、否定の返事を出せないエド。妙な空気を変えるかのように、ベルドは苦笑して首を振った。

「しっかし、今の季節が冬でなくてよかったな」
「冬? 何故だ?」
「この大陸、山で囲まれていたろ。そのおかげでやたらと涼しいけど、こういったところでは寒さは厳しそうだってな」
「ほう、よく知っているな」

この大陸が山で囲まれているのかどうか。実際に地図を買わなければ分からないし、その手の広大な地図は高い。となると、ベルドとヒオリは越えてきた山脈だけで判断しなければならないわけだが、そこを見抜ける辺りはさすがは超一流の冒険者といったところか。

「冬とか、防寒着とかは欠かせなさそうだな」
「本当に寒いと、市井の人は手袋やマフラーも使っている」
「マフラー? マフラーってあの、首に巻く防寒具の?」
「ああ。この近辺では売っているからな」

そんな会話を交わしたとき、隣の木からヒオリが滑り降りてきた。

「あ、二人とも。罠、あった?」
「……あったら、報告しています」
「ふぅん……」

ヒオリの調子はすっかり昨日と同じであり、昨日の深夜にあんなことがあったなんて、パッと見では分からない。現に二人とも、そんな事を知るよしもなく……

「……ふえぇ……」
「……はぁ〜……」
「うおぉいっ!?」

……昨日と同じではなかった。ついでに言うと、フェイスまでがおかしくなっていた。ヒオリは低い唸りを上げると、ベルドに思いきり抱きついてくる。

「な、なんだ!? いや、お前が思ってることは何もないぞ!?」

本当にわけが分からないらしく、ベルドが大慌てでヒオリに叫ぶ。二人のことをよく知らないエドでさえ、今回のそれがフェイスに対するものではないことぐらいは分かる。しかし、その行動とその動作は、紛れもなくヒオリがやきもちを妬いているそれだった。見ると、ヒオリは一方向を見据えて、唸り声を上げている。ベルドに抱きつく力を強めて「これ、ボクの〜!」と、所有権を主張するかのように。

そちらの方に視線を移すと、多分お抱えの芸術家だろう、デッサン用具に風景画を描いていた女の人と目が合った。その絵にエドたちの姿があるのかどうかは分からないが、若くて綺麗な女の人。

「……まぁ、フェイスは昨日、ヒオリと風呂に入っていたからな。いくらフェイスでも、取らないことぐらいは明言しただろう」

あえて引っかかる言い方をしたのだが、フェイスからの反応は無い。エドの見たところ、フェイスはそうやってかき乱すより、ベルドとヒオリの妄想を爆走させているほうが好きそうだ。しかし、反応が無いということは……

「…………」
「……なにをいきなりそうなっている?」
「…………」

やっぱり、妄想モードに入っていた。しかし、どこでどう妄想に入るスイッチが入ったのかが分からなくて、エドはジト目で問い返す。対してフェイスは、恍惚とした表情で「マフラー」とだけ呟いた。

「マフラー?」
「マフラー、です……長いマフラーを、ベルドは一つ、持ってるんです……」
「は?」

名指しされたベルドが素っ頓狂な声で聞き返すが、フェイスの耳には入っていない。最早聞こえていないのだろう、フェイスはとうとうと、脳内の世界を語り始める。

「その一本の長いマフラーを、両側からヒオリと二人で巻くんです……」
「……それで?」
「それで、寄り添って体温を共有して、近くなった距離にベルドは少しどきどきして、それを敏感に察したヒオリはそっと抱きついて、ベルドはヒオリの意外なあったかさに驚いて……」
「ま、まあ最後まで聞こうじゃないか」
「びっくりしたベルドがヒオリを見ると、ヒオリは潤んだ瞳を閉じて、二人は静かに口付けを交わし、艶めかしく舌が絡み合って、誰もいない雪原の中、卑猥な音と一緒にヒオリが混ざり合った唾液を飲み込むんですけど、飲み込みきれなかった唾液が一筋だけ唇の端から垂れて……」
「お前、よくもまあそこまで細部にこだわって妄想できるな……」
「名残惜しげに唇が離れた時、二人の唇を唾液が繋いで、それが雪の光を反射して銀色に光って、つぅっと切れて地面に垂れ落ちた瞬間、耐え切れなくなったベルドはヒオリを雪の上に押し倒して……」
「……あのさ。確認するんだけど、お前一応聖職者だよな?」
「寒さにちょっとだけ震えるヒオリなんですけど、ベルドの優しいながらも執拗な責めに段々体も火照ってきて……」
「…………」
「それで、ベルドにもう一度キスされた途端に理性の糸が切れちゃって、突かれるたびに甲高い声を存分に上げて、おねだりするようにベルドの火箸みたいに熱く硬くなったそこをぎゅうぅって締め付けると、我慢できなくなったベルドは愛の言葉を叫ぶのと同時に、ヒオリの中に熱い精を優しく激しく注ぎ込んで……」
「ってゆーか、マフラー一本でそこまで妄想できんのか、すげえ……」

ここまで来ると、引くより前に感心する。口元を引きつらせていたベルドだったが、ふと我に返ったようにヒオリを見る。どうやら、ヒオリが抱きつく力を強めたらしい。エドも釣られてヒオリを見ると、ヒオリはやはり、芸術家の女性を睨みつけていた。ベルドがどーしたと問いかけると、ヒオリは唸るように言葉を発する。

「芸術家の女性が、ベルドを見てた……」
「俺というか、俺たち全員だと思うけどな。で、それがどうした?」
「きっと調査が終わった後に、モデルになってくれないって言われて、ベルド、かっこいいからいろんなところを触られたりして……」
「ねーよ」
「そのうち『私の裸でも書いてみる?』とか、すっごく色っぽくそう言われて……」
「ねーってば」
「そんで筆づかいから筆下ろしに……うえぇぇええぇーっ!」
「ねーっつってんだろーが! それに、そんなもんはとっくに終わっとるわ!」

朱に交われば赤くなるのかフェイスに感化されたのか、フェイスの妄想癖が移ったらしく大泣きするヒオリに、ベルドが思い切り絶叫を上げた。

……やっぱり、微妙に戻っていないのかもしれない。

ちなみに最後の問題発言でフェイスの妄想ワールドが再び繰り広げられるのであるが、とりあえずそれは余談だった。

 

 

 

「参った。何もない」

どっかと自分に割り当てられた部屋のソファに腰掛けて、ベルド・エルビウムはそうぼやいた。くしゃっと頭を大きくかくと、だらーんと手足を思い切り投げ出す。昨日もそうだったが、なんというか「たまの休日も家族サービスに借り出され、精も根も尽き果てた父親の図」みたいな奴だ。

「あ、どうぞ。座る?」
「いや、別にいいよ」
「何言ってんだよ、昨日も座ったじゃない。ほら、ベルドもちょっと詰めて」
「へいへい」

その対面のソファでは、嫁のヒオリがアドル達に座るかと勧める。アドルはそれを丁重に断ったが、ヒオリは軽く詰めると座ることを再び勧めた。アドル達も今度は断らずに、遠慮なくソファに腰掛ける。一応昨日もここに来たので水臭いといえば水臭いのだが、一応それが他人の部屋に居るマナーというものである(というか、ずかずかと踏み込むのはいただけないと思っている)。全員がソファに腰掛けると、ベルドが地図を大きく広げた。

「ホールの周辺は調べはしたが、今回も何もなかったな」
「わたくし、藪蚊に刺されただけで終わってしまいました」
「あーあー、女の子がそんなところをぼりぼりやっちゃあ、寄ってくる男も寄ってこな――うわっとぉっ!」

調べた場所を指でなぞるベルドに、二の腕をぽりぽりと掻きながらフェイスが返す。調査に夢中になっていたらしいアドルなんぞは顔面を刺されてしまっており、それを見たベルドがいつもの通りからかって、アドルが持っていたペンが勢いよくすっ飛んできた。とっさに躱したベルドの上をペンは亜音速で飛んで行き、次の瞬間には壁に半ばまで突き刺さる。特に先端を尖らせてあるわけでもないそれにぶん投げられた威力を想像し、ベルドの全身に鳥肌が立つ。

いつも通りのやり取りはもはや柳に風とスルーして、エドが大きなため息を吐く。

「予測できていたとはいえ、面倒なことになったな」
「そのようだね。そうなると後は明日、直接暗殺者を捕まえるしかないか」
「そうなるな」

シリィが顎に手を当てて言い、エドもそれに頷きを返す。そこへヒオリが、二枚の紙を机に置いた。見てみると、それはパーティーのプログラム用紙。両方とも同じ内容だったが、これがあれば依頼はかなり楽になる。ベルドが軽い驚きを覚えつつ、嫁さんに入手先を聞いた。

「ヒオリ、これをどこで?」
「先ほど、アルミラお嬢様と会って、使うようならってもらってきたの」
「そうか、でかした!」
「わっ!」

肩に手を置いてヒオリを褒め称えたベルドだったが、どうやら力が強すぎたらしい。ビクッと体を跳ね上げたヒオリに、ベルドはわりいと謝罪する。一枚を反対のほうに向け、六人は当日の行動を検討する。ざっとパーティーの進行を見ると、二時開場の三時開催、そのまま七時まで立食形式で行われるらしい。一応開催の直前に当主の挨拶やら何やらがあるから、事実上は三時半から七時だろうか。

「単純に計算して、情報収集に当たれるのは最大で一時間半って事か……」
「そうですね。外や中に暗殺者が来る可能性もありますし、外から弓で狙うかもしれないあたりを検討すると……時間の都合もあるし、手分けして回るしかなさそうです」
「そうだな。そうすると、最初から手分けしていていいのかな?」
「最初から、とは?」
「だから、最初から外と中で分かれてしまっていいのかってことだよ。中に次々と人が集まってきたら、一時間半で全員から情報を収集できるのかっていうことだ」
「……確かに、そう言われると厳しいですね」

アドルの言葉に、フェイスが小さく眉をしかめた。大ホールに収容できる程度の人数とはいえ、さすがに一時間半では全員から情報を収集するのは厳しいだろう。外と中に人を最初から分けるなら、単純計算で三人ずつ。これを一人ずつに分割すれば回りきることも可能だろうが、そうなったら迂闊に暗殺者に悟られた、あるいは奇襲をかけられた際のリスクが大きくなりすぎる。

「それなら、最初の一時間だけ全員中に居て、そうしたら誰か三人を外に回す方策で行くのはどうだろう?」
「いや、さすがに三十分で外の探索はきつい。それに暗殺者がパーティー開催まで待ってくれる保証もないし、せめて一時間は欲しいところだ」
「分かった。だったら、最初の三十分だけを中にしよう。後は、誰を外にして誰を中にするかだけど……」

妥協案を提唱するアドルに、待ったをかけたのはベルドだった。アドルはベルドの希望を受け入れ、続いてのメンバー振り分けに入る。

「ベルド。頭脳労働と屋外探索、どっちのほうが得意だい?」
「どっちも期待しないでほしいが、強いて言うなら屋外だな。頭使うの苦手なんだよ」
「……まあ、その鳥頭はどこかエドにも似ているからね」
「どういう意味だ?」

最後の突っ込みは、当然ながらエドである。名誉毀損をされかけたエドだが、アドルは薄く笑うだけで答えない。軽くアドルを睨んだエドだが、答えないアドルには早々に見切りをつけて、ベルドのほうへと向き直った。

「俺も行こう」
「あん?」
「俺もどちらかといえば、外回りのほうが得意だからな。三人ずつで分かれれば、大体戦力的にも均等になる」
「そりゃどうも。頼りにしてるぜ?」

暗殺者とやらが外にいるのか中にいるのか分からない以上、どちらかに戦力を偏らせるのは危険である。この六人で戦力を均等に分けたらどうなるのかという細かいことは知らないので、素直に三人ずつに分けた。明日はさほど時間がないので、暗殺者が紛れ込むと考えた大ホールの周辺に絞り込む。行動内容をざっと決めると、アドルがにやりと笑って言った。

「じゃ、しっかり情報収集はやっておくよ。外に暗殺者が隠れていることを期待しながらね」
「ヲイ」

 

 

 

「さーて、飯も食ったし風呂にも入ったし、後はアレをやっつけてから寝るだけだな」

作戦会議を終え、昨日同様フェイスとシリィがヒオリを誘いにやってきて、昨日の深夜の状況が状況だったのでどうしたものかと悩んだベルドだったが、ヒオリはそのあたりは全く気にしてなかったらしい。楽しそうに一緒に風呂へと入り、ついでにそれに感化されたのか男性陣も半分交流をするべく風呂へ行く。帰ってくる途中に鉢合わせした、料理係の女の人に淹れてもらったコーヒーを飲みながら、帰ってきたベルドの言葉である。ヒオリはベルドのコーヒーカップに目線をやり、半分興味本位で聞いてくる。

「そのコーヒー、誰が淹れたの?」
「ん? ああ、料理係の女の人にな」
「……う〜……」
「俺だけじゃねーから。アドルもエドも淹れてもらってたから。唸るなヒオリ」
「だってベルド、コーヒー好きだから……」
「たまたまだろ。ほら、おいで」

子供っぽいやきもちを妬くヒオリが可愛くて可笑しくて、ベルドはヒオリを呼び寄せる。ソファに座って手招きすると、ヒオリはベルドの膝の上にぽすっと座り込んできた。二人分の体重を一点で受け止めても全く反発がないゆったりとした高級ソファに苦笑しつつ、ベルドは左腕でヒオリの体を支えながら、右手で頭を撫でてやる。ヒオリは懐いた猫のように、頭を擦りつけてきた。

甘えんぼさんで甘え上手。そんなヒオリに苦笑しつつ、少しだけ穏やかな時間を過ごす。しかし、仕事内容は好転しておらず、明日もまた早くから始まる。ある意味、明日は本番だ。夜更かしなどをするわけにはいかない。しばらく撫でてからヒオリの体を離してやり、コーヒーを流し台に置いた。

「あ、洗うよ」
「その前に、やることがあるだろう?」

甲斐甲斐しくやってくるヒオリを、微苦笑を漏らして押し戻す。一応許可をもらってから、ヒオリが寝ていた部屋に入った。そこには相変わらず、惨憺たる状態が広がっている。とはいったものの

「うーん、ひどいといえばひどいんだが、あれだけ暴走してよくこの程度で済んだもんだな……」

落下した絵画を持ち上げてみると、衝撃でフレームやガラスといった部品がばらばらにはなれど、ひびの一つも入っていない。部屋の壁も電撃にやられて焼け焦げているなんてこともなく、実質的な損害はほとんど皆無に近かった。あれほど暴走して放電しまくっていた状況からすれば、奇跡に近い無傷である。

この無傷の原因が、自分が驚くほど速く駆けつけられたからだということが分かっているのかいないのか、ベルドは部屋を見渡した。最近奇跡が安売りされている気もしつつ、とりあえずは分かるところから直し始める。もともと客室の寝室なので、あまりごちゃごちゃ置かれていないのは幸いだった。

「よっしゃ。一丁やりますか」

 


ベルドが、倒れた棚を持ち上げる。

 

ヒオリが、中身を記憶と照らし合わせつつ置きなおす。

ベルドが、吹っ飛んだ置物を元に戻す。

ヒオリが、絵画の額縁を組み立てなおす。

ベルドが、その絵画をかけなおす。

ヒオリが、ベッドを元通りにする。

ベルドが、植木鉢を立て直す。

ヒオリが、散乱した土を植木鉢に戻す。

ベルドが、水を布に含ませて余った土を水拭きする。

ヒオリが、その上から乾拭きをする。


手分けしてさっさと片付けていき、最後に昨日ヒオリが飲んだ水のコップと、先ほどのコーヒーカップを洗う。全部終えると、点検をしてから伸びをした。

「よーし、終わった終わったー」
「えへへ。ありがとね」
「おう」

ごめんねとか抜かしたらデコピンの一つでも入れてやろうかと思っていたが、ちゃんと昨夜の言いつけを守っていたらしい。強いヒオリも、弱いヒオリも、まとめて受け入れると言ったのは他ならぬベルドなのだから。

「そうしたら、明日も早いし、そろそろ寝るか」
「…………ん」

就寝を提案すると、ヒオリの顔に影が差す。ベルドはそれを知っていながら、部屋を出ていく素振りをした。と、ヒオリが寝巻の裾をつかんでくる。

「どーした?」

分かっているのに、ちょっとだけ意地悪。思ったより復活しているので、軽く出てきたいたずら心。分かってるくせにと目で訴えるヒオリだが、ベルドは薄く笑うだけで答えない。

「…………」
「…………」
「……いじわる……」
「……へっ」

百も承知。が、あまりにもかわいそうなので、少し手助けをしてやることに。

「どうした、ヒオリ? 俺にどうしてほしいのか、言ってくれなきゃ分からないぜ?」
「うぅぅ……なにも、こんなときに仕返ししなくてもいいじゃない……」
「……いやー、立場がなかったからな……」


――ね、ベルド。あえいでるだけじゃ、分からないよ? ボクにどうして欲しいのか、言ってくれなきゃ分からないよ?


新婚当初、つまり初夜に、ベルドの硬くなった部分を愛撫しながら言った言葉。ヒオリの技術がめちゃくちゃ上手くて、自分はされっぱなしだった。別に形は人それぞれだとは思うのだが、ああまで一方的にされっぱなしだと男たるものの立場が無い。

が、さすがにこれ以上はいじめない。穏やかに待つベルドの前で、ヒオリはしばし迷うような素振りを見せ、不安げな声で呟いてくる。

「……一人じゃ、寝れない……」
「はいはい」

どうせそんなことだろうと思った。そう言って、ベルドはヒオリを手招きする。ヒオリはまだ悪いと思っているのだろう、少しだけ迷う素振りを見せるが、やっぱり素直についてきた。鍵を開けて部屋に入り、一応戸締りもちゃんとする。ベッドに入って明かりを消すと、ヒオリに背を向けて横になった。が、ヒオリは入ってくることはせず、ベッドの横に立っている。

「何を中途半端な遠慮をしてるんだ、さっさと入ってこい」
「……ん」

その声を受けて、ヒオリもごそごそと入ってくる。そのまま、ベルドにぴったりとくっついてくるが、やがて不満げにベルドの背中を引っ張ってきた。

「どーした?」
「……こっち向いてくれなきゃ、いや……」
「……お前はーっ!」

動作といいおねだりといい、こいつは自分を悶え殺す気か。分かっていたはずなのに、ベルドは一発で砕かれてしまった。がばっと後ろを振り向くと、そのままヒオリの体を力いっぱい抱きしめる。ヒオリは嬉しそうに声を漏らすと、ベルドに頭を擦りつけてきた。

媚びているだけにも見えるが、ヒオリはしばらくこのままだろう。男としては狂喜乱舞の限りだが、ヒオリをここまで追い込んでしまった生まれ育ちを思いやると、喜んでばかりもいられない。

ヒオリに密着されて、全身で好意を表されながら、ベルドはしばし、ヒオリを抱き締めて悶えていた。

 

 

 


 

 

 

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