第八幕

新たなる始まり


エトリアの街では、夏と秋に一度ずつ大きな祭りがある。夏祭りと収穫祭だ。大きな祭りといっても規模は想像するほど大きくない。エトリアの街そのものが大陸の辺境に位置している、取り立てて特徴があるわけでもないような街であり、住民と通りすがりの冒険者ぐらいしか参加する人がいないような状態なので当然といえば当然なのだが。

ところがここで一転、郊外の巨大な木の根元付近に地獄の底まで続こうかというほどの巨大な穴が見つかり、その奥深さと地下にもかかわらず樹海が広がっているという驚異の環境から「世界樹の迷宮」と呼ばれるようになった大迷宮が出現、大陸中の冒険者がその謎を解き明かすべく集うようになり、一気にエトリアは有名になったのである。

そして、この迷宮の発見に次いで一気にエトリアの街をアピールしようと、今年の祭りは大規模なものにすることを統治機関執政院は画策し、なんと祭りの十日前からその準備を行いだした。

とはいえ、そんな準備も現在進行形で樹海に挑む冒険者達にはあまり関係の無い話だ。

……関係の無い話なのだ、が。

 

 

「……なんというか、絵に描いたような戦闘不能っぷりであるな、お前さん」

長鳴鶏の宿204号室、ベルドたちのギルドの男子部屋で突っ伏した侍、ゲリュオ・キュラージの腕を湿布を貼って治療しながら、ツァーリの愛称で呼ばれる彼らのメンバー、フリードリヒ・ヴァルハラが呟いた。

「くっそ、明日絶対筋肉痛だよ……」
「エルビウム卿ともどもな」

ぼやいたゲリュオは、はあぁぁとでっかいため息をつく。

ゲリュオ・キュラージと、エルビウム卿――ベルド・エルビウムは、お互い一人旅をしている冒険者だった。ある街で起こった原因不明の異臭騒ぎの調査依頼で知り合った彼らはやたらと気が合い、その時は二人で手を組んで調査に当たったものである。結果として異臭騒ぎは別の冒険者が解決したが、それ以来彼らは二人で冒険をするようになった。

ところが元々一人旅が長かった彼らは、互いに協調性を学ぶまでに暫くの時間を要し、そのくせ悪ノリすると両者共に暴走し歯止めが利かず、引き起こした騒ぎのスケールはやたらとでかい。街の追放処分になったことも一度や二度ではなかった。

「しっかし、久しぶりにあそこまで暴走したな……」

旅の途中で協調性を学び、それから後は片方が暴走してももう片方が歯止めをかけたり落ち着いてはいたのだが、それが久しぶりに出てきたということだろう。街中でちょっとした騒ぎを起こし(引き金を引いたのは仲間のカレン・サガラなのだが)、懲罰として街の奉仕活動につき合わされた彼らは(しかも力仕事の重労働)、完全に腕を参らせて戦闘不能になっていたのだ。

「ってか、なんか納得いかねぇな……第一引き金引いたのはカレンだろうが、なんであいつは無罪で俺たちゃ腕立てなんだよ」
「サガラ卿が悪いと言っても、お前さんも別にやめようなんて一言も言わなかったんやろ?」

ツァーリの反駁にぐっ、とゲリュオが言葉に詰まる。

「だったらお前さんも同罪や」
「つったって、俺らと同じ刑とは行かないまでもあいつも午前中ぐらいは奉仕活動に駆り出されろよ、不公平だぞ!」
「一応その処罰は食らってたぞ?」
「……一応ってなんだ?」

聞き返すゲリュオに、ツァーリは両手の前で手を合わせた。

「処罰を言い渡されたときにな、サガラ卿はこの体勢で瞳うるうるさせてギルド長に『ごめんなさい、反省してますから許してください』って言ったらギルド長『今回は特別だぞ』って……」
「あのギルドちょおおおぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーー!!」

ゲリュオは頭を抱えて大空に怒鳴った。そんなゲリュオの様子を見て、ツァーリは小さく笑う。

「ところで、エルビウム卿は?」
「ああ、ベルドなら俺と一緒に戻ってきたんだが、ヒオリに引きずられていったぞ」
「って、え!? ロードライト卿って、さっき夏祭りの準備手伝うって、満面の笑みで言ってたぞ!?」
「……ご愁傷様だな」

ベルドの災難を慮り、ゲリュオはため息をついた。

 

 

 


「うわあ、凄い凄い!!」

夏祭りの準備に動く人々を見てはしゃいでいるのは、まさに今ゲリュオとツァーリの話題の渦中となっている少女、ヒオリ・ロードライトである。彼らのメンバーの一員であり、彼女とカレンを加えたこの面子――ベルド、ゲリュオ、ヒオリ、カレン、ツァーリの五人で樹海探索を行っていた。何を隠そう、彼らが発足してからわずか二週間で並居る冒険者ギルドの中からめきめきと頭角を現し、一気にエトリアの中でも上位に食い込んできたギルドである。

「凄いね、大きなお祭りやるんだ!」
「まあ、何せ十日前から準備始めるぐらいだからな。そりゃーでかいだろうよ」

腕をぶらーんと力なく下げる情けない体勢でベルドが相槌を打った。ちょうどそのとき、屋台の準備をしていた男が声をかけてくる。

「お、兄ちゃん達、もしかして手伝いに来てくれた人かい?」
「はい、そうですよ」

ぺこりと礼儀正しく頭を下げるヒオリに、屋台の男は豪快に笑った。

「そうか、それじゃあ……」
「って、ちょっと待てヒオリ! 俺は手伝うなんて一言も言ってないだろ!」
「でもここまで来たじゃん」
「そりゃお前が引きずってきたからだっ!」
「えー……」
「えー、じゃないっ! そこまでやりたきゃゲリュオとかとやれよっ!!」
「……えぇー……」
「……そこまで嫌そうな顔せんでもな……」

めちゃくちゃ嫌そうな顔をしたヒオリに、ベルドは頭を抱える。だがそれも一瞬のこと、即座にきびすを返して撤退の体勢に入る。と、ヒオリがベルドの服の裾をつまんだ。

「……なんだ?」

思い切り面倒くさそうに振り返るベルドに、ヒオリは上目遣いで訴えた。

「ねぇ、ベルド……いっしょに、やろ?」
「…………」
「……だめ?」
「……こ、今回は特別だぞっ!!」

あっさり落ちたベルドに、屋台の男が豪快に笑った。

「ははは、男の弱みだな!」
「……くそー」
「というわけで、頼むぞ!」

と、どんと置かれたのは焼きそば用の水の二リットルボトルが一ダース入ったダンボール。

総計二十四キロの水に、ベルドは黙って崩れ落ちる。その威厳もへったくれもない姿に、男はまた豪快に笑った。

 

 

「ひえぇ、ホントにあっという間に地下六階だ、便利だなこの磁軸」

その二日後、腕の筋肉痛を完治させたベルドとゲリュオ(やっぱベルドのほうが長引いた)はツァーリ、カレン、ヒオリと共に樹海へ挑んでいた。

スノードリフトを撃破し、地下六階へ入ってみれば樹海磁軸という桃色の柱が目の前に聳え立っており、瞬間移動装置(エトリアの街との往復)であるという説明を先輩冒険者・レン&ツスクルから受け、早速それを使用してみたのだ。樹海から街への帰還はやってみたことがあるが街から樹海への移動はこれが初めてで、実際やってみるとやっぱり便利である。

磁軸から出た部屋は小部屋になっており、目の前には地下五階への上り階段がある。ぐるりと回ると扉があり、そこから探索に出るようだ。

扉を開けた彼らは、目の前にまた扉があるのを見つけた。左右にも道が分かれており、後ろの扉もあわせると十字路に近い形状となっている。

「さて、どこから行きますか?」

声をかけたのは、マッピング係ツァーリだ。その問いに、ベルドが力強く頷く。曰く、決まってんだろ、と。

「扉を壊してまっすぐだ!」
「壊すな開けろや!」

第二階層記念すべき一発目のボケ突っ込み。ボケはベルドで突っ込みはツァーリだ。そのやり取りにも既に慣れたカレンが軽く無視して扉を開ける。

「…………」

結論・F.O.E.がうじゃうじゃ徘徊していた。

「この部屋、見なかったことにして先に左右どっちかから行きましょうか」
「せやな。なら、どっちから行く?」
「別にボクはどっちでもいいけど……」
「左から行こうぜ」

さすがに階層変わった状態で雑魚敵すっ飛ばしてF.O.Eに挑むのは自殺行為なので、左右どちらに進むか相談する。別段どっちでも変わりないが、ベルドが左を提案した。

「なんで左なんですか?」
「ああ、公正な方法で決めた」
「公正な方法?」

首をかしげたカレンの前で、ベルドは下を指差してみせる。と、そこには一枚のコインが、表を向いて光っていた。

「表が出れば左、裏が出れば右だ」
「今聞きましたよそのルール」
「そりゃ、今話したからな」

へらへら笑って、ベルドは軽口を叩いてみせる。が、少しだけ真面目な表情になって、ベルドは左を親指で指した。

「壁に手をついて、ひたすら壁沿いに歩いていくって方法さ。壁の切れ目は入り口と出口にしかねーからいずれ出口にはたどり着けるし、最悪でも入り口には帰ってこれるって代物だよ」
「そういえば、聞いたことはありますね」
「ある程度有名な法則だからな」

地に落ちたコインを拾い上げ、ベルドはそのまま確認をする。

「で、左でいいか?」

よくない理由も特にない。一行はそのまま、左へ歩いていくことになった。

 

 

「うおっ!?」

びゅるん、と木々の間から何かが飛び出してくる。奇襲をかけられそうになったがゲリュオが寸前で気配を察知し、それを迎え撃つことに成功した。

「……スリーパーウーズやな」

赤い色をした、ゼリー状の肉体。体内に入っている黒っぽい小さな核。二つの情報を己が知識と照らし合わせ、ツァーリはこの敵がスリーパーウーズであるという結論を出した。


「ところで、ベルドさん」
「なんだ?」
「あのモンスターが何匹かに分裂して淫猥に女性キャラを狙って責め立てたりしたらこう、ゾクゾクしませんか?」
「あ、刀の鞘が滑った」
「きゃあ! ちょっとゲリュオさん、顔に傷付けたらどう責任とってくれるんですか!?」
「嫌ならそんな発言すんじゃねえ」
「うっわ、女性相手でも容赦ねえ……あとカレン。言っておくが、俺に人外趣味はねーぞ。一つか二つ年下の女の子のやーらかい手でやられるならまだしも……」
「あ、刀が滑った」
「ぎゃあーーーーーー!!」

 

 

「行きます、医術防御!」

最初に動いたのはカレンだ。雑魚敵に医術防御を使う理由は主として二つ。まず今までに見たことのない敵であることと、ここが亜熱帯の密林であることだ。

熱帯のジャングルは、当たり前だがただの樹海よりも環境は厳しい。となると、そこに生息するならかなりの強敵であることも予想されるからだ。死の危険と隣り合わせの樹海探索において、警戒はいくらしても足りるものではない。先ほど彼らがいきなりF.O.E.に挑むような真似はせず、好戦的なベルドすら素直に撤退したのもこのあたりの意味合いがある。

医術防御の支援を受けて、ベルドが剣で一撃を仕掛ける。斬るというより叩きつけるような一撃だが、効果はあった。スリーパーウーズは粘液を噴き出し、苦しそうに蠢く。と、ここで二体目のスリーパーウーズが何かガスのようなものを吐き出してきた。

「……っぐ?」

呪言の詠唱に備えて息を吸い込んでいたツァーリは運悪くそのガスを吸い込んでしまう。途端、強烈な眠気が押し寄せてきて、一瞬でその意識が闇に落ちた。

「ツァーリ!?」

ヒオリの声は、既にツァーリには聞こえない。彼は既に深い睡眠状態へ入っており、完全に無防備な体勢で敵の前にいる。前衛で庇いながら戦う手もあるが、敵もここまで隙だらけの奴を狙わない道理などあるまい。即座にカレンがリフレッシュを唱えるが、ツァーリは目を覚まさなかった。

「腕が落ちてる!?」

確かにリフレッシュなど相当ご無沙汰していた。とっさにリュックの中身に思いを馳せるが、メディカやアムリタなど傷や魔力を回復する薬はあったが眠り状態の味方を叩き起こす薬など恐らく持っていない。

「くそっ、ベルド! なんとかならないか!?」
「なりゃとっくに何とかしてる!!」

ゲリュオとベルドがスリーパーウーズたちとやり合いながら高速でやり取りする。ヒオリは術式の起動体制に入っており、起こそうとするなら術式は一から唱え直しとなってしまう。と、カレンが名案を閃いたかのようにベルドに話しかけた。

「あ、ベルドさん!」
「なんだ!?」
「起こせる方法があるかもしれません!」
「おお、あるか!?」
「あれです、王子様のキスで復活ですよ!」

どーん、とベルドがひっくり返った。一瞬で体勢を立て直し怒鳴る。

「するわけねーだろ!!」
「でも、眠れるヒロインがキッスで目覚める的なのは、おとぎ話だと定番じゃないですか?」
「そりゃ、定番かもしれないだろうけどよ! おとぎ話の定番っちゃあ、綺麗なお姫様が眠っている所をカッコいい王子様がちゅーして起こす、ってやつだろ!? てめえ、今寝た奴が綺麗なお姫様に見えるってのかよ!?」
「という訳で、ベルドさんがんばってくださいね!」
「聞けよ話! つーかなんで俺なんだ!!」
「気分です!」
「だが断る!!」
「お前らいい加減にしろーーーーーー!!」

と、戦闘中にもかかわらずギャグをやり取りするベルドとカレンに、ゲリュオの雷が落とされた。スリーパーウーズも体を震わせているところを見ると怒っているらしい。

「戦闘中だというのに、貴様らという奴は……!」

ゲリュオが怒りに震える横で、スリーパーウーズがベルドと寝ているツァーリを殴りつけた。ベルドはガードして踏みとどまるが直撃を受けたツァーリは豪快に地を転がり、木に激突して止まる。

「ツァーリさん、大丈夫ですか!?」

カレンが駆け寄り、ツァーリが口から血を吐く。それでも頷いたのを見ると、命に別状は無いらしい。カレンはすぐにツァーリの治療を始め、残った三人がスリーパーウーズを片付けにかかる。

「氷よ、貫けっ!」

ヒオリの掌から氷の刃が飛び出し、高速で飛来して無傷のウーズに突き刺さる。続いてゲリュオの逆袈裟斬りがその氷ごとウーズを叩き斬った。手負いのウーズはベルドがレイジングエッジで打ち落とし、戦いは終了した。

 

 

「とはいえ、こんな奴から何取るんですか?」

戦闘終了後、カレンの一言である。ウーズを叩き潰したのはいいが、戦利品として剥ぎ取るものが無いのである。真ん中の核が無傷で残っていたのならそれを取ることも出来たろうが、何故か戦闘終了と同時に溶けて消えてしまったのである。

「まさかこの粘ついた体そのものを持って帰るわけにも行かないし……」
「持って帰ればええんとちゃう?」

迷ったカレンへの、ツァーリの一言である。

「持って帰るって、これを!?」
「乾かして接着剤って使い道があったはずやぞ。密閉袋あるから、これに入れてけ」

そもそも何も手に入らなさそうであれば打ち捨てていけばいいような気もするが、金にがめつい奴が二人もいてはそれは無理な相談であった。

そして、それを入れながらカレンは思う。魔物の知識をもっと仕入れなければなりませんね、と。

 

 

「ただいま」
「はい、お帰りなさい」
「……ふふ、変なの。カレンだって、出かけたくせに」
「そうですね。ですが、やはり迎える言葉がないと、ちょっと悲しいものですからね」

荷物を置いて椅子に腰掛け、ヒオリはカレンに笑みを漏らした。対するカレンも笑みを返し、太陽の方角と時計を見る。

「あら、まだこんな時間。大分早めに帰ってきたんですね」
「敵も強くなってたからね。最初の頃だって、帰って来たのはこのくらいの時間じゃん」
「そうでしたね」

同じく椅子に座りながら、カレンも同意の返事をする。ヒオリは笑うと、うーんと小さく伸びをした。

「でも、ちょっと暇だなぁ……」
「そうですねぇ……」

お茶なんかがここにあったら、まったりした光景が演出されたことだろう。が、ここにお茶はなかったし、活発なヒオリはすぐさま椅子から立ち上がった。

「うん! ボク、夏祭りの準備手伝ってくる!」
「準備手伝うって……あなた、前々からやっていたわけでも無いでしょう。飛び入りで参加できるのなんて、せいぜい肉体労働系ぐらいのものじゃないですか?」
「そうだね。ちょっと難しいかもしれないけど、でもベルドと二人でやれば、きっと楽しいって思えるから」
「…………」

ヒオリの返事を耳にして。カレンの目が、いくらか温度を下げてきた。

「……ヒオリさん」
「うん?」
「貴方、確か……ベルドさんのこと、振ったんじゃないですか?」
「…………」

部屋を出ようとしたヒオリが、出口へ向かう足を止める。同じく温度を下げた目線で、ヒオリはカレンに向き直った。

「……なんで、知ってるの?」
「すみません。覗き見するつもりはなかったんです」

絶対零度の眼差しに、カレンは素直に謝罪する。誰だって、自分が告白されたこと、そして振ってしまったことを覗き見されていたなんてあれば、心中穏やかではないだろう。

「……ですが、それなのにどうして、振った相手を誘うようなことをするんですか?」
「……どうでもいいじゃない、そんなこと」

しかし、ヒオリの声は、ぴんと張ったままだった。

「ベルドはああいう性格だから。お祭り騒ぎだったらついてくるって思っただけの話だよ。それだけ」

再び後ろを振り返り、ヒオリは部屋を出ようとする。が、そこへカレンは、やはり真剣な声をかけた。

「ヒオリさん」

単なるおせっかいや興味本位なら、これ以上突っ込んだりはしない。ヒオリという少女を、少なくとも仲間の中ではよく見ていると思っているから。カレンは静かに、問いかける。

「あなた、本当は……」
「…………」
「本当はベルドさんのこと、好きなんじゃないですか?」

どう答えてほしかったのか、自分でもよく分からない。対するヒオリは振り返ることなく、そのまま扉を開けてしまう。

そして。

「……ううん、全然」

冷たい口調で言い切って、そのまま部屋を後にした。カレンは静かに扉に歩み寄り、耳を押し当てて外の声を聞き取ろうとする。外から響くヒオリの声は、先ほどの冷たさなど微塵も感じさせない声で、ベルドのことを誘っていた。対するベルドもぶつくさ言いながら、部屋の外へと出てきたようだ。

「…………」

奥へと戻って、椅子に座って。

カレン・サガラは、ヒオリの出て行った扉のほうを、いつまでも見つめ続けていた。

 

 

「なんてったってビンボー、わたしはビンボー」
「やめろその歌、気が滅入る」

地下七階――下った直後の一本道を歩きつつ、ベルドが歌を歌っていた。頭を抱えてぼやくのはいつもの事ながらゲリュオだ。へーい、と軽口を叩いて歌を止めたベルドだが、その瞬間彼の足が止まった。

目の前にあるのは沼地。しかも、ただの沼ではない。ごぽごぽと紫色の泡が出て、血のような赤い色をした沼であった。

「ここまで『私毒沼です』ってのも珍しいですね」

カレンが微妙に外れたコメントをする。横を見るとゲリュオが眉を顰めて沼を見ていた。

「こりゃ、下手に足を踏み入れれば足を溶かされるぞ」
「だな……よしゲリュオ、ちょっと踏み込んで来い」
「お前俺の話聞いてたか……?」
「もちろん聞いていたぞ!」
「じゃあなんで俺がいの一番に踏み込まなきゃならないんだ」
「お前の悶え苦しむ姿をカレンがご所望だ」
「……あ、ちょっといいかもって思いました」
「所望しようがしまいがやらんぞ。つーかこの沼道の上にしかないんだ。ここまでは一本道だったわけだし、どっち道行くしかないだろう」

怒りを排出し冷静になったゲリュオの一声で、彼らは毒沼へ踏み込むこととなった。

 

 

「……なんだ、こりゃ」

毒沼地帯を突破し、「密林の殺し屋」の異名を持つ大サソリを撃破、続いて再び毒沼地帯(+α)を突破した彼らは地下八階へ足を踏み入れていた。地下七階はほとんど一本道の構成で、あちこち歩き回る必要は無かったのだ。

続く地下八階に足を踏み入れた彼らは、草木を掻き分けて捜索を開始。一つの小部屋にたどり着き、ベルドの上記のセリフに戻る。

辿り着いた場所は、大きな木の芽と根が張り出している空間だった。そこは、まるで何かを受け止めるかのように天井に向いているのだが、今は何も溜まっていない。

「……!?」

それを凝視していた一行は、不意に背後からガサガサという音を聞く。警戒する彼らの前で、草木を掻き分け現れたのは――

「順調に冒険を進めているね、諸君。君たちの評判は耳にしているよ」

――スノードリフト戦時に大いに世話になった二人組の冒険者であった。

「ええと確か、レンさんとツスクルさんでしたっけ?」

カレンが記憶を照合し、二人に問いかける。正解のようで、二人は満足そうに頷いた。

「そんな君たちに、相談があるのだが聞いてくれるか?」
「はい、なんでしょう?」
「この場所は、本来冒険者の傷を治す癒しの泉が湧き出していた所なんだ。しかし、その水が最近になってせき止められて、我ら冒険者が利用できなくなってしまった」

レンは難しい顔でそう語る。その後片手で天井を指差して言葉を続ける。

「原因は上のフロアの水源地に魔物が住み着いたかららしい。困ったものだよ」
「水源地……」

ゲリュオが苦々しい顔でそれに答えた。水源地。それがどこであるか、推測するのは容易だった。


地下七階の毒沼地帯の出口付近、こじんまりとした樹海のなかの部屋――そこは、木々の間から水が溢れ出し、まるで雨が降っているかのように辺りが水で溢れていた。その場にたたずんでいるだけでゲリュオは体が軽くなるのを感じたものだった。

そのままそこで小休止を取ろうかと思った彼らだが、ゲリュオが近くから不意に殺気を感じ取り、警戒しながら立ち去るしかなかった――

――ので、ある。


「そこで、諸君。君たちがその魔物を退治してこの泉を復活させてくれないか?」

本来なら我らが行きたい所だが我々には別の任務があってね、そう付け加えるレンの顔も、ゲリュオ同様、苦い。

「それに、樹海の探索を続けるなら泉を復活させることは君たちにとっても損のない話だよ」

そこまで語り終えると、レンは後ろを向いて立ち去り始める。

「では、よろしく頼む。君たちなら魔物に勝てると信じているよ」

去り際にセリフを残し、二人組の冒険者は立ち去っていった。

 

 

 

 

 

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