第十幕

誇りを持つ者、捨てた者


世界樹の迷宮第二階層地下八階――飛竜の叫びが響く巣穴付近で、男と少年がにらみ合っていた。少年の後ろには一人の少女がいて、少年はその少女を庇うように立っていた。

少年の名はベルド・エルビウム。少女の名はヒオリ・ロードライト。そして男の名はゴーン・ライムバートといった。

ゴーンは、今ここには居ないがアーティミッジ家の次期当主であるリーシュ・アーティミッジと共に奴隷のヒオリを連れ戻しに来た剣士である。ところが連れ戻そうとしたヒオリの前に同じ剣士であるベルドが立ちはだかった。剣士というものに高潔さと誇りと信念を持つゴーンにとって、奴隷ごときをかばう剣士など到底認められるものではなかった。

「……何のつもりだ、小僧」
「カレン、ヒオリの治療を頼む」

唸るゴーンの言葉を一旦無視して、ベルドはカレンにヒオリの治療を依頼する。が、その後ろから、いつまでたっても足音は来ない。どういうことだ――? 少しだけ疑問を覚えて目線をやると、カレンは何故か立ち止まっていた。

「…………」
「……なにをやっている?」
「え……」

問いかけても、まともな返事は返って来ない。ゴーンはそれに対し、優越的な笑みを浮かべてみせた。

「どうした? アーティミッジに歯向かう愚かさに今頃気付いたか?」
「あ……」
「……ゲリュオ」

答えないカレンに早々に見切りをつけ、ベルドは今度はゲリュオに頼む。ゲリュオは分かったと返事を返すと、ヒオリを後ろに下がらせた。軽い手当てぐらいなら、ゲリュオも出来る。旅をする中で、鍛えられた能力だ。それを見ずして、ベルドは再度ゴーンの方に向き直る。

「……で、こんなことをする理由を聞きたいらしいな。折角だ、言葉と質問にまとめて答えてやる。剣士というのは、大切なものを持っている――だったか? 俺にとってのそれはヒオリなんだよ。だからさっきと今の行動に出た。質問は?」
「……はっ」

ベルドの言葉に、ゴーンは嘲笑で答えた。

「何も分かっていないようだな。お前、アーティミッジ家がどういう商売をしているか知らんわけではなかろう?」
「奴隷の売買、及びレンタル事業……だったか? 大きな業界になればなるほど低賃金の人手は欲しくなるからな。低賃金どころか食わせるだけで一銭も払わなくていいような奴隷なんざいくらいても足りないわな」
「その通り」
「で……それがどうした?」
「十七年ほど前の話だ。アーティミッジ家で飼っている牝奴隷のシュインと牡奴隷のドラン――この二つはもういい年でな、体部にガタが来始めおった。そこで使い物にならなくなる前にその二つを交わらせて、代替物として二匹の奴隷を作ったのだ。その作った奴隷のうちの片方――それが、貴様が守ろうとした『ヒオリちゃん』だ」
「だから?」
「……は?」

ものの一瞬で、ベルドはゴーンの口上をぶった斬った。

「……貴様、聞いていたのか!? だから、貴様が守ろうとした奴れ――」
「繰り返してくんなくていいっつうの。耳は悪かねえんだからよ。ヒオリはいくらでも代替が利く駒のひとつに過ぎねえ――そう言いてえんだろ」
「そうだ! 分かっているなら、なぜ代替の効く奴隷などをそこまでしてかばう!」
「そうだな……奴隷の代替は利くかもしれねえが、ヒオリの代替は利かねえからかな。俺が守りてえのは一匹の奴隷の小娘じゃねえ、ヒオリ・ロードライトっていう一人の女の子なんだよ!」
「ほざけ、小僧! さっきから黙って聞いていれば賢しげな台詞ばっかりほざきおって……ならばわざわざ剣を振るう必要はないだろうが! 我々からその奴隷を買ってしまえばそれで誰も邪魔するものはいないだろうが! そんなものは、守るのでもなんでもないぞ!!」
「奴隷にしたって意味ねえんだよ!!」

ゴーンの音声を軽く上回るほどの大音声が、ベルドの喉から響き渡った。

「意味、ねえんだよ……奴隷にしたって、意味ねえんだ。俺たちにとってヒオリは仲間で、平等で……そして、俺にとって、ヒオリは何よりも大事なものなんだ……」
「……貴様……貴様、まさかその奴隷に惚れとるのか!?」
「ああ。振られたけどな」
「当たり前だ! 平民と奴隷が仲良くなれるわけがなかろう!!」
「……わかってるよ、そんなこと」

首を振って、ベルドは苦笑交じりに言葉を放った。

「それが例え叶わぬ願いでも、夢を見るのは自由なんじゃねえのか?」
「……この、愚か者があぁっ!」

怒声を上げたゴーンが、斧を大上段に振りかぶって跳躍、まっ逆さまに振り下ろす。それをベルドは横っ飛びに躱した。

「ゲリュオ。ツァーリ。カレン。ヒオリ」

仲間達の名を呼びながら、ベルドはゴーンに向かって真っ直ぐに剣を構える。

「お前らは手ぇ出すな。俺一人で片付ける」
「……分かった」

睨みつけるベルドの後ろで、ゲリュオが小さく笑みを漏らした。

「そこまで言うということは、いよいよマジなようだな」
「何を言ってんのかさっぱり分からんが――俺は、いつだってマジだ」
「ふん、そうかい。……ならば、行って来い。命がけの、ヒオリ争奪戦によ」
「――ああ」

真剣になったベルドの背中に、ゲリュオは彼なりのエールを送る。不安げに見つめるヒオリに、ゲリュオは安心しろと声をかけた。

「大丈夫だ。ああなったベルドは、滅茶苦茶強い」
「でも……」
「……信用しな。お前に惚れた剣士の男は、無敵だぞ」

そんな侍とは全く違えど、同じくらいの強さを持った少年に。ゴーンの顔が、憤怒に染まる。

「……剣士の面汚しが、死んでしまえ!!」
「――俺が誰を守ろうが、俺の勝手だろうがっ!!」

そして、両者は。互いに対して、宣戦を布告した。

 

 

「――はあぁぁっ!」

仕掛けたのはゴーンのほうからだった。瞬き一つする間に、戦斧を構えたゴーンが至近距離まで突進してくる。音速の踏み込み、そして一撃。戦斧の刃先が一寸の狂いも無くベルドの脳天に振り下ろされる。その一撃を、ベルドはレイテルパラッシュで迎え撃った。かち合う金属と火花と共に、ベルドの腕ががくんと揺れる。

「ぐっ!?」

最初の対決に圧勝したのは、ゴーンだった。途轍もない力に剣を弾き飛ばされそうになり、ベルドは咄嗟に刃の角度を変えて斬撃をいなす。火花を散らして、戦斧が刀身を滑っていく。軌道を変えられつつも大斧は速度をほとんど減じることなく振りきられ、草原にクレーター状の大穴を空けた。

「おいおい、マジかよ!?」

信じられない威力だった。確かに斬り下ろす攻撃と斬り上げる攻撃とでは、重力が加算される分斬り下ろす攻撃のほうが強いに決まっている。確かに剣と斧とでは、その用途や重さの分斧のほうが破壊力的には強いに決まっている。が、これはそんな次元の問題ではない。今の一合で感じ取ったゴーンの膂力は、人類のそれから逸脱しているのではないかという錯覚すら抱かせるほどった。

「……まあ、その体格見りゃ分かるか。まいったな……」

大斧を中段に構えたゴーンを見やり、ベルドは呻く。だが、ベルドが対応を決めかねている間に、ゴーンは再び攻撃を仕掛けてきた。さすがに再び剣で受け止める愚は犯さず、ベルドは体を捌いて攻撃を躱した。続けて横薙ぎに振るわれた一撃も、また。

「そこまでするか! 何も分かっていない、小僧ごときが!」

防戦一方でありながら、そして守る者が人間以下の奴隷でありながら剣を捨てぬ行動に、ゴーンは咆える。

「貴様は何も分かっちゃいない! 身に過ぎた力を玩んでいるだけのただのガキだ!」
「なんだと!?」
「その女の現状を知って、可愛そうな奴隷を格好良く守るヒーロー気取りか! だから貴様は、何も分かっていないガキだというんだ!!」

言いえて、妙だった。咆えるゴーンに、ベルドは小さな苦笑を漏らす。

「……かも、しんねえな……」

否定は出来ない。自分自身、馬鹿なことをしているのは分かっている。

だけど……

「――ある立派な剣士が言ってた!」

何のために力を振るうのか。

何のために武器を使うのか。

そして、何のために戦うのか。

それを、考えずに――

「俺は今、その答えを持っている! ヒオリから返事を貰うまでは、俺は妥協も何もしたくない!!」

――剣を、取るなと!

「お前だってそうなんだろ! 戦う理由も、その意味も! それを持って、俺の前に立ったんだろ!」

ならばもう、言葉なんかいらない。ゴーンが我を通したければ、ベルドに勝つことだ。ベルドが我を通したければ、ゴーンに勝つことだ。勝ったほうが正義――無法者にも近い冒険者において、我を通す方法は一つだけ。

だから――

「……いいだろう! ならば、俺の持ちうる信念のために!」

ゴーンの答えも、一つだった。

「歪んだ誇りのために戦う、貴様を斬り殺してくれる!」

一撃、二撃、三撃目。とんでもない威力の連撃を、ベルドは一つ残らず回避する。

あんな攻撃を何度も受け止めては剣が折れるのが先だ。そもそも武器による攻撃を武器によって受け止めるのは簡単そうに見えても物凄い集中力が必要とされる。実際は受け止めるより回避するほうが建設的なのだ。

「おああああああっ!」

混じり気のない殺意の篭もった四撃目を、ベルドは素早く回避した。斧は破壊力は高いが質量も大きく、慣性の法則に振り回されやすい武器でもある。ベルドは全神経を回避に集中させ、隙を探ることにした。

 

 

「……何をやっている」

後ろでヒオリの手当をしながら、ゲリュオがカレンに呟いた。

「先ほど、何故ヒオリを治療しなかった。それは致し方ないにせよ、何故貴様は、今もそうやって呆けている」
「何故って……だって、あのままじゃどっちか死んじゃいますよ!?」
「……何をほざいている?」

目の前で交わされる、ベルドとゴーンの激戦区。ただただ純粋な、殺意の応酬。それは――

「殺すつもりなんだよ。お互いに」

あの二人は、互いに相容れる存在ではない。誇りを巡り、ヒオリを巡り。絶対に引けない思いを込めて、彼らは今、争っている。

そして彼らは、もはや言葉を交わすことを放棄した。

ならば。

ベルドは、ゴーンを。

ゴーンは、ベルドを。


「死ねっ、小僧ぉっ!」
「だったら、お望み通り殺してやる!!」


――殺す、のみだ。


激突の寸前、ベルドは再び身を屈め、ゴーンの攻撃を回避した。

 

 

「……舐めやがって、この野郎!!」

もう既に何回目かを数えた攻撃を躱しながら、ベルドは作戦を変えていた。回避、回避、また回避。そこからさらに、六撃を躱し――

「……来たっ!」

――ベルドの狙いは的中した。当たらないことに焦れたのか、ゴーンの攻撃が極端に大振りになったのだ。思い切り深く踏み込んで、右手一本で戦斧を薙ぎ払う。リーチを最大限に活かした攻撃ではあるのだが、躱された時の隙も当然大きい。ベルドはその一撃をかがんで躱し、斧の刃が通り過ぎた瞬間に強烈な踏み込みを見せて突っ込んだ。振り回した反動を殺しきれず、斧はゴーンの背中側にまで流れてしまっている。この体勢からなら、どんなに速くても切り返しは間に合わない。

「――げぇっ!?」

しかし、ベルドの予想よりも遥かに速くゴーンは追撃を繰り出してきた。しかも、前回と同じ右側から。

ゴーンは背中越しにロックブレイカーを右手から左手へ持ち替えて、初撃と逆方向に切り返すのではなく一回転して同方向から二撃目を打ち込んできたのだ。体ごと回転させての連続攻撃ならともかく、大斧をナイフのように持ち替えて攻撃するとはさすがに予測できなかった。かろうじて剣で受けはしたが、無論受け止めきれるものではない。

「くそっ!」

ベルドは体と剣を同時に逸らし、同時に自ら吹っ飛んで攻撃の勢いを殺していく。吹き飛ばされながらも空中で体勢を立て直し、綺麗に足から木に触れ――その木を踏み込むように蹴り上げる。真上へと、軽やかに跳躍。天井にぶつかるギリギリの高度まで飛び上がると、そこからくるりと腰を捻っての宙返り。姿勢を瞬時に立て直し、再度木を蹴る。変則的な三角跳びだ。片足を大きく振り上げての踵落としで逆襲をかけ、ゴーンはその一撃を斧で受け止め、ベルドは素早く地面に着地しなおした。

そしてこの時、ベルドは剣を思い切り振りかぶっていた。振りかぶっていたのは当然、三角跳びを仕掛けている間だ。そこからベルドは、勢いよく剣を叩きつける。レイテルパラッシュの刀身から強烈な旋風が迸り、対してゴーンは斧を思い切り突き出した。一拍遅れて突き出された大斧が、迫る旋風を迎え撃つ。二つに分かれた真空の刃が、ゴーンの両脇を駆け抜け木をざっくりと切り裂いていった。

「うおりゃああぁぁぁっ!」
「なんだとっ!?」

だが斧を旋風の迎撃に当てて動きを止めたその隙に、ベルドは一気に距離を詰めた。トルネードによる風の刃は、ベルドがゴーンに接近するまでの囮に過ぎない。本命は――

「舐めるな、小童がぁっ!!」

左斜め下から斬り上げられる剣を、ゴーンは斧で受け止める。

「引っかかったぁっ!!」

――二発目のトルネード。ゼロ距離からぶっ放された真空の刃の直撃を受けて、ゴーンは豪快に吹っ飛んでいった。木に激突し、それをへし折り、それでも勢いを減じぬまま視界の向こうに消えていく。

「逃がすかっ!」

ベルドは即座に追撃をかけた。全力疾走で草木を飛び越え、ゴーンを視界に捕らえると思い切り剣を振り下ろす。ゴーンはそれを斧で受け止めるが、続けざまにベルドの蹴りが襲い掛かった。これをゴーンは左腕を掲げて受け止め、自ら吹っ飛んで間合いを取った。

「行っけえぇぇっ!」

火花が散って、ベルドは嵐のごとく追撃を加える。距離を詰めながら半月状の軌跡を描いた袈裟斬りを放ち、続けざまに右斜め上への切り上げ、手首を返しての斬り落ろし、斬り払い、前蹴り水平斬り当身薙ぎ払い、体ごと回転させての斬り返し――息もつかせぬ疾風怒濤の連続攻撃が、ベルドの持ち味にして必殺技である。

「くっ……!」
「いやいや、守りたいものはもしかしたらお前よりでかいのかもしれないね」
「この……若造がっ……!!」

奴隷の小娘をかばう剣士『気取りのガキ』に見下される屈辱に、ゴーンは歯を軋ませる。ゴーンの頭に血が上り、怒りに任せて一撃を放つが、そんな大振りの一撃は当たらない。その攻撃を屈んで回避し――

「はあぁぁぁっ!」

跳び上がる体のばねを乗せて、ベルドは剣を叩き込んだ。左脇腹に入った剣が、かなりの深さに抉りこまれる。そして、ベルドは剣に思い切り魔力を注ぎ込んだ。

「――終わりだ! 死ねぇ、ゴーン・ライムバートオォッ!!」

トルネード。体内に食い込んだ剣から放たれる烈風に、周囲の木々さえ恐怖に震える。暴悪な風のエネルギーを、零距離から叩き込まれたゴーンの内臓が、破砕されて宙を舞い――ベルドの全身が、人間一人分の返り血に染まった。


振り抜かれた剣は、ゴーンの体を、わき腹から真っ二つに引き裂いていた。


「……や、やった……」

ゴーンに止めを刺した体勢のまま、ベルドは小さく呟く。そして――

――地面にがくっと片膝をついた。


「べ、ベルド!」

誰よりも先に、何よりも先にヒオリが駆けて来る。

「……おう、勝ったぞ」
「勝ったぞじゃないよっ!!」
「あ?」
「なんで……なんで、ゴーンなんかに喧嘩売るんだよ、あいつがどれだけ強いのか、聞いたこととかなかったの!?」
「あったけど?」

強い戦士と正々堂々戦い、首を取ることを一番の信条とする。身も心も誇り高き武人にして戦闘中毒者でもある、熟練の冒険者すら相対しただけで死を覚悟するというアーティミッジ家最強の傭兵――ベルドも、噂にしてそのことを聞いていた。

「それでも俺が挑んだ理由? 何度も言わすな、ゴーンと戦う時に叫んでたろ」

理不尽な暴力を見ていられなくて、ベルドは剣を抜いた。仲間としてこれからもヒオリと共に戦いたいから、ベルドは剣を構えた。ヒオリ・ロードライトに惚れているから――ベルド・エルビウムは戦った。

「つったって精神論じゃどーにもならんわな。正直言って、挑んで最初に一合打ち合ったときにはその瞬間に挑んだことを後悔したよ」
「打ち合ってからじゃ遅いんだよっ!」
「……でもよ、途中から俺にも勝ち目があることは分かってきたんだぜ?」
「勝ち目?」
「ああ。少なくともあいつは俺より強かった。でもよ、戦ってる最中に言われたんだよな。何故打ち合わないのか、逃走は恥と知れ……ってな」

だからベルドは卑屈に避け続けた。相手の痺れを切らすために、挑発するためにへらへら笑いながら軽口を叩いていた。結局作戦は成功したものの、裏では肝が冷えまくっていた。

「それって、あいつが痺れ切らしてくれたから勝てたようなもんじゃない! そうでなきゃ絶対押し切られてたでしょ!?」
「だな」

自分が絶体絶命の危機だったことを知らされた言葉にも、ベルドは飄々とそれに返す。その態度に次はヒオリが痺れを切らせかけ――

「……とりあえず、戻ろう。ヒオリには聞きたいことが山ほどある」

不毛な言い合いが再び始まる前に、ゲリュオがそつなく場を切った。

 

 

「さて……それじゃあ、全部話してもらうぞ」

長鳴鶏の宿204号室、いつもの部屋で車座を作り、ゲリュオが口火を切った。

ヒオリの素性やアーティミッジとの関係、場合によってはヒオリの過去や生い立ちまで、聞きたいことはたくさんある。リーシュやゴーンとのやり取りからなんとなく察しはつくが、やはり本人から説明してもらったほうがいい。ヒオリも特に隠すつもりはないらしく、一つ頷いて話を始めた。

「……アーティミッジ家がどういう商売をしているかは知ってるよね?」
「奴隷の売買、及びレンタル事業、だろ?」

最初の確認。有名な話なので、当然これは全員知っている。

「……十七年前。アーティミッジ家の奴隷二人が四十歳を超えた。名前はシュインとドラン。性別はシュインが女、ドランが男。ボクの両親でもある。四十を超えると奴隷は適当な相手と子供を二人作らなくちゃならない。何でか分かる?」
「女性の生殖能力の問題ですか?」

医学に詳しいカレンが答えを出す。女性は四十五歳前後で排卵が止まり、子供を作ることが出来なくなる。この現象を閉経といい、ヒオリの頷きを見ると正解らしい。

「うん。そこでたまたま異性同士だったシュインとドランはアーティミッジ家当主の命令により子供を二人作った。自分の代替物としてね。それで生まれた奴隷の片方がボク、ヒオリだよ」
「そうか……」
「生まれたボクは、奴隷としての教育を徹底的に仕込まれた。手っ取り早く言えば絶対服従の精神だね。逆らうことは悪だと教えられたのはいつだったっけ?」
「…………」
「それから十六年……ボクは、奴隷の一人と化していた。レンタル料とか売値は知らないけどね。そりゃ働いたよ? 土木作業や便所掃除、果ては男性客の性欲の処理まで命令されればありとあらゆる仕事をしたさ」
「……あれ、ちょっと待ってくださいよ? 男性客の性欲の処理って、そんな命令あるんですか?」
「うん、あるよ? なんで?」
「だって、下手をすると妊娠してしまうんじゃ……」

そうしたら中絶してしまえばいい、という考えもなくはない。が、中絶する時には母体に洒落にならない負荷がかかる。体力的な面から考えてもそう何度も出来るものではないし、そんなことを繰り返しては実際子供を生むときに体が耐えられるとは思えない。避妊具を使うにしろ完全なものでもない。

「ああ、手か口。どっちか」
「それでも、性感染症の心配とかあるんじゃないですか?」
「そんな病気を持ってる人はそもそも命令しないしね。仮にそういうのをうつしちゃったらその奴隷を買わなきゃいけないらしいから、不安ならやらないよね、やっぱ」
「……なるほど」

医学的見地からの心配に、ヒオリはあっさり答えた。奴隷の人権が完全に無視されているのは最早突っ込まないとしても、その手の世界もうまく出来ているらしいなとカレンはなんともなしに考えた。

「まあ、それはいいとして話を戻すぞ。お前さんはなんでエトリアに来た?」
「だんだんね、こんなのおかしいって思ってきたんだ。でも意見する権利なんてボクには無いから、隙を見て脱走してきたんだよ」
「じゃあ、さっきの二人組はお前さんを連れ戻しに来たって事か?」
「そうだね。背の高いほうはリーシュっていって、アーティミッジ家の次期当主。ベルドと戦ったのはゴーンっていって、アーティミッジ家最強の傭兵って噂だよ。でもリーシュはそのゴーンを遥かに抜くほど強いらしいけど」
「アルケミストの術はどこで覚えたんだ?」
「前に借りたお客さんが覚えさせたの。その人魔術学校の新米教師でね、どうやったら生徒に分かりやすく教えられるかボクを借りていろいろ教え方を試してたんだよ。今その人どうなってるかは知らないけど、いつしかボクも術式を覚えてたんだ」

上と真ん中の質問はツァーリ、下の質問はゲリュオだ。二つの質問に答えた後、ヒオリはふとベルドのほうを向いた。ベルドは黙っており、ヒオリが説明を始めてから一言も喋っていない。

「ベルドは何か質問ある?」
「……ねえな、特に」
「……そう。で、脱走してきて入り込んだ街がここエトリアで、それで冒険者をスカウト中だったベルドに出会って、後はみんなが知っての通りだよ」

そう言ってヒオリは話を結ぶ。

「……そうか」

それを聞いたベルドは立ち上がり、皆の脇をすり抜けて部屋を出て行った。

 

 

「…………」

部屋を出たベルドの足は、自然と屋上へ向かっていた。フェンスに体を預けて寄りかかり、夜風に身を晒している。

「ベルド」

そんな彼を、一人の少女が訪ねて来る。

「……ヒオリか」
「うん、ヒオリだよ」
「何か用か? チョコレートなら一年三百六十五日いつでも受付中だから気にしないで渡してくれていいぞ」
「うーん、ボクはやっぱり二月の十四日に渡したいかな。三つ」
「三つ?」
「ベルドとゲリュオ。それからツァーリ」
「……ちっ、そこは俺だけとか言ってくれよな」

苦笑したベルドに、ヒオリもくすりと笑った。だが、一転その顔が真剣なものになる。

「ベルド」
「なんだ?」
「……ボクのこと、幻滅した?」
「なんで?」
「だってボク、奴隷だったんだよ?」
「……別にしねぇよ。言ったろ、俺はお前に惚れてるんだぜ? 多少お前の素性が意外だったぐらいで幻滅するんだったら、本当に好きだったわけじゃないからな」
「たまにベルドって、そういう台詞をあっさり吐くから信用できなくなるんだけど」
「……まあ、確かに俺は軽佻浮薄な人間だけどな。でも、今の台詞は本気だからそれは受け取っとけ」
「……うん、分かった。ありがと」
「……とはいえ、さすがに仕事内容にはびっくりしたがな。特に最後の」
「ああ、性欲の処理? 興味ある?」
「そりゃあるわ。俺だって一応男だぞ?」
「へぇ……」

へらへら笑って軽口を叩くベルドに、ヒオリはニヤリと笑って返す。

「じゃあ、ベルドのもやってあげようか? 結構相手してきた人もいるし、ベルドってそういう行為したこと無いでしょ?」
「……いや、まあ、確かに、ねえが……」
「結構、そういうテクニックも鍛えられてるしね? ベルド、多分三十秒も保たないんじゃないかな?」

右手を掲げて卑猥に動かすヒオリの頭を、ベルドはばしんとぶん殴った。

「痛っ!」
「馬鹿抜かせ。まだ夫婦どころか恋人ですらないのに俺はお前をそーゆー対象に見はしない。そんな対象に見てお前を借りた男共と同じ所にまで落ちぶれるつもりも無いしな。それに性欲の処理ぐらい自分で出来る」
「……うん、それを聞いて安心した。ベルドはやっぱりそういう人じゃなかったね」
「ってかお前、俺に聞きたかったのそこじゃないだろ」

ベルドの言葉を受けて、ヒオリも頷いた。うん、じゃあここからが本題だよ? そう言ってヒオリの顔が再び真剣なものになる。

「何か、ボクに質問があったんじゃないの?」
「……ああ」

先ほど部屋で『何か質問は?』と聞かれたときにベルドはないと答えた。だがそれが嘘であることをヒオリは見抜いていたのだろう。

「まあ、さすがにあそこじゃ聞けなかったからな」

頷いたベルドは、ヒオリの目を真正面から見つめた。

「ヒオリ。俺がお前に告白した時、お前が俺を振った時の言葉を覚えているか?」
「振った言葉って……ボクなんかと付き合ったら絶対後悔するってあれ?」
「ああ」
「覚えてるよ? それがどうかした?」
「後悔するって言葉は……今日のあいつらのことか?」
「まあ、そうだね。あいつらのことというより、家のこととボクの身分のことだよ」
「それだけか?」
「え?」
「たったそれだけの理由で、お前は俺を振ったのか?」

そう、ヒオリが奴隷だから――たったそれだけの理由だ。だがそれは、とても大きな理由でもある。だから、そこを問い詰めるベルドの意図が分からないのだろう、ヒオリの瞳が揺れた。

「だ、だってベルドは平民でしょ? 奴隷のボクなんかと付き合ったら大変なことになるし、絶対後悔するよ!?」
「だからどうした?」

ヒオリの言っていることは正しい。実際今まで平民と奴隷が仲良くなった例なんてないし、もしそうなったら一生「奴隷なんかを愛したヤツ」というレッテルを貼られ、後ろ指を差されながら生きていくことになる。

だが。

「んなこた関係ねえよ。俺はてめえの身分の返事なんざ聞いてねえよ。てめえの家の返事なんざ聞いてねえよ」

ベルドは真っ直ぐな気持ちをヒオリにぶつけた。例えそれが自分の我儘だとしても、その分ヒオリにも真っ直ぐに答えて欲しかった。ところがヒオリの答えには家と身分しかなく、そこにヒオリ自身の気持ちは無い。それに対する感情を言葉に代えて、ベルドはヒオリに叩きつける。

「――俺が聞いたのはてめえの返事だ、ヒオリ・ロードライトッ!!」
「!!」

雷鳴に打たれたかのごとく身を強張らせたヒオリに、ベルドは声のトーンを落とした。

「大体俺が後悔するかどうかなんてなんでてめえに分かるんだよ。そりゃあくまで一般論でしかないだろうが。俺が後悔するかしないかなんてお前が決めることじゃねえ、俺が決めることだ」

びしい、とヒオリを指差してベルドは続ける。

「それにな、俺は元々流浪人の風来坊だ。家族も故郷も無い。『あの家は奴隷の娘と恋に落ちたんだ』とか言われる家がそもそもねえよ。あったとしてもこの俺の性格考えてみろ。誇りもプライドも無いヤツ舐めんな」

自慢なんだか自虐なんだかよく分かんなくなってきたベルドに、ヒオリがたまりかねたように噴き出した。ツボに入ったらしく、腹を抱えて涙を滲ませながら笑っている。そんなヒオリの頭に手を載せて、ベルドは言った。

「……ま、だから、出来ればまた返事を聞かせてくれ。今度は『奴隷の娘』じゃなくて、『ヒオリ・ロードライト』っていう一人の少女として返事を聞かせて欲しい」
「……うん、分かった。じゃあ、いつか」
「ああ」

笑いが止まり、紅の隻眼で見上げてくる少女の瞳に宿った光を見て、ベルドは思う。


――ああ、だから俺はこいつに惚れたんだろうな、と。

 

 

 

 

 

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