最終幕

弟子と、師匠と


「――行くぞ、フィオナ!!」

かつての師匠との対決、先手を取ったのはベルドだった。速度を生かした、ベルドの最も得意としている一撃が、フィオナの胴を狙って走る。対するフィオナはそれを槍の石突きで跳ね上げると、下から一撃を食らわせた。ベルドは素早く身を捻り、一気に距離を詰めていく。

「ふっ!」

槍を回転させたフィオナは、ベルドの剣撃を受け止める。ベルドは逆側の手で魔力を練り上げようとするが、即座にその動作を中断した。

ヒオリさえ越えるフィオナを相手に、魔法戦は不利でしかない。当然、武器による戦いも有利であるとはいいがたいのだが、魔法で挑んだってゼロコンマ一秒で破られるだけだ。ベルドは飛び退くように距離を取ると、剣圧で真空波をぶっ放した。

ベルドが放った風の刃は、フィオナの風に撃墜される。しかし、その間にベクトルを反転させ、ベルドは再びフィオナめがけて飛び込んでいった。

剣と槍では、そもそも槍のほうが有利である。しかしながら、懐まで切り込まれてしまえば、小回りの効かない槍ではその優劣は逆転する。

「でえぇあぁぁ!」

ベルドの連撃を、フィオナは槍と風を上手く捌くことで受け流していく。その風は同時にベルドの足を掬っていくが、ベルドは上方に真空波を放つことで致命傷の追撃を回避する。墜落した体は即座に地面を転がって、立ち上がりざまベルドは三度の突進。

フィオナ・クレイスの力量は、痛いほどよく分かっている。止まったら負けだ、走りながら戦い続ける。

三回目の攻撃は、下から打ち上げられた突風で受け流された。しかし、読んでいたベルドに隙はなく、空中で体勢を立て直しざま後方に真空波を放ち、顔面に膝蹴りを叩き込んだ。

「がっ……!」

とっさに腕で庇ったものの、衝撃を殺しきることなど到底出来ない。フィオナは数歩後退り、腕の下から血がぽたぽたと垂れてくる。

女の子の顔面に蹴りを入れるなど失礼以外の何者でもないが、戦いに至ってはそんな常識など吹き飛んでしまう。フィオナも気にする風でもなく、鼻血を乱暴に拭うと槍を構えて戦いに備えた。容赦なく追撃を入れるベルドの足を払うように、フィオナは石突きで脚払いを入れる。たたらを踏んだベルドに、槍を回転させたフィオナは強烈な三段突きを叩き込んだ。

「ぐあぁっ!」

剣を使って受け流したものの、腕とわき腹に一発ずつ。怯んだベルドに続いてフィオナの腕が振り下ろされると、ベルドの体を上空から打ち下ろしてきた暴風が押さえつける。逃れようとするも風の勢いは生半可なものではなく、続いて重力までもを増やされて、脱出は到底敵わない。大きすぎるこの隙に、一気に勝負を決めようとフィオナが地面を踏み切ってきた。

「――うおらあああああっ!」

咆哮。体内の魔力を爆発させて、ベルドは体を縛る風を相殺する。繰り出される槍を身を縮めて回避して、そのまま地を転がって距離を――

「ぐああぁぁぁっ!」

天空が光ったかと思うと、強烈な雷がベルドの体を直撃した。空気を操ったフィオナは雷を起こし、ベルドの回避地点に打ち込んだのだ。そして、次の瞬間――

「ベ、ベルド――ッ!!」

その叫び声は、ヒオリだった。フィオナは地上にある空気を、戦闘開始と同時にはるか上空まで運んでいたのだ。当然ながらその空気は冷却され、水蒸気は凝結して氷となる。雲を作ったこの氷が周囲の空気を冷やし、重くし、雲自体もまた、その重さに耐え切れなくなって超高速で落下する。これによって発生する超強烈な下降気流が――俗に、ダウンバーストと呼ばれる現象である。

その最大瞬間風速は竜巻にすら匹敵するといわれるものを、フィオナは元々上昇気流にあおられている空中からではなく、地表から引っ張り上げたのだ。出来た氷は雹ともなり、暴れ狂う風と共に巨大な氷牙がベルドの体を叩きつける。

超強烈な爆風が大地を穿ち、砕かれた土砂を氷が破壊し、残骸を衝撃波が粉砕する。生み出された必殺のローカルダウンバーストは、そこに立つものなど欠片も残さぬ死の舞踏。風を操る少女の前に、ベルドは最早為す術もなく……

「ぅ……ぁ……」

……倒れてだけは、いなかった。だが、右肩には尖った氷刃が突き刺さっており、左腕は先ほどの槍撃で貫かれてしまっている。右足は爆風で砕かれたようで、もう素早い動きは殺されてしまっていた。右目の上も氷の刃は掠めたようで、始まる流血が視界を塞ぐ。どう控えめに評価しても、満身創痍は免れない。

「なんて、奴だよ……」

ヒオリと二人で戦っても、勝てるかどうか――そんなとんでもない実力者に、ベルドは心を折られそうになる。リーシュ・アーティミッジなど、ものの一撃で倒すような実力者。自分が抱いた印象に違うことなき実力を、槍使いフィオナは持っていた。

「…………」

結果を見て、フィオナは終了を告げようとする。だが、ベルドの瞳に宿る強烈で苛烈な眼光が、戦闘の続行を望んでいた。

「……なるほど、ね……」

その諦めの悪さが、更に言えば最後まで勝利を決して諦めないその姿勢が、今の彼らを形作っているのかもしれない。

ならば。

「――前にも、言ったね」

死なないでくださいよ、ベルドさん。

既に満身創痍の彼に、こんな技まで使う必要はない。だが彼女は、この技以外の選択肢で、戦いを終えるつもりはなかった。

最後まで敬意と誠意を持って、ベルドが伏すまで戦い続ける。それが、彼に対する礼儀だった。ベルドも弱々しく、けれど嬉しそうに笑うと、右肩の刃を強引に引き抜いて立ち上がる。

――咆哮。赤紫の光をその身に纏い、ベルドは咆えると、剣を構えた。その目に宿る、強大な「気」。ベルドの血、肉、眼、体、それら全てが、戦闘用に作り変えられる。

自由携えし、優しき悪魔――遠い昔、ベルドはこう呼ばれて恐れられていたことがあった。速く速く、ただ速く。速さを力に変換する、ベルド・エルビウムの必殺足りえる螺旋の秘剣。

「――行っくぜえぇっ!!」

ギャリンッと鋭く音を立てて、ベルドは思い切り地を蹴った。砕かれた右足で、どうしてそんな速度が出るのか――疾風を操るフィオナでさえ、その速さには目を見開いた。

「秘剣――」

水平に構え、腰を落とした無形の構え。凪の如く静かな構えは、一瞬の後には突風が如く。静から動へと動いた刹那、超新星爆発にすら匹敵する魔力が槍へと纏われ、全ての不浄なる存在を一瞬の元に無に返す。それは紛れもなく、害悪を浄化する神々の力。だが、並の敵など抵抗も許さず穿ち貫く連続突きがベルドに叩き込まれると同時、ベルドの瞳がフィオナを中心に焦点を結んだ。己の剣戟に全てを賭け、眼前の敵を瞬断する。夢幻の剣閃は神速を越え、その連撃は一刹那の内に三十連撃。

「聖槍秘術――」

それとて、そうだと分かったのは、その攻撃が駆け抜けた後。自分が膝をつくほどの重傷を負った、その後だった。

「――神烈槍!!」
「クライム、オブ、デストロオオォォォイッ!!」

天使の秘術と、悪魔の秘剣――決して相容れぬ二重奏は、戦場の床を、壁を、その余波だけで薄っぺらい紙細工か何かのように粉砕する。ベルドの眼前が白色に染まり、フィオナの体を痛みさえ越えた冷気が駆ける。それは共に、並の命など一瞬で刈り取る死の競演。幾百千の連続斬撃が、一際強烈な逆袈裟斬りと右からの横薙ぎ攻撃で締めくくられると同時、槍を通して穿たれた力がベルドの魔力防御を一斉に破り――

――爆音。

下弦の月が輝く夜空を真昼の明るさに変えるような大爆発が、その場の全てを吹き飛ばした。

 

 

 

――場は、沈黙が支配していた。剣を振り抜き、その柄に左手を添えているベルドと、槍を突き出しきった体勢で止まるフィオナ。ベルドの体からはあちこちから白煙が上がり、フィオナの傷口から無数の流血が始まってくる。

「…………」
「…………」

ベルドの手から剣が落ち、カランという小さな音がした。フィオナはもう一歩だけ前へと出ると、槍を背中の鞘へと収める。

が。

「…………ぅ、ぐ…………」

それを最後としたかのように、フィオナの膝ががくりと折れて――

「ぐ、ばっ――!」

ベルドがどぅっと血を吐いて、どざりと地面に崩れ落ちた。 

 


――決着を、みた。

 

 

 

「まったくもう……なんでピアソラと戦ったときよりも重傷負ってんのさ……」
「いや、すまん……」

夫の顔を覗き込みながら、妻が大きなため息をついた。あの後、大爆発と轟音に駆けつけてきたレジスタンスの面々が見たのは、全身をひくひくと痙攣させながら大地に伏していたベルドと、片膝をついて荒い息を続けるフィオナだった。とりあえずリーダーがベルドを部屋に連れて行き(ヒオリも当然付き添った)、フィオナにもどうにか事情を聞こうと思ったところ、フィオナは二人でやりあっただけだと拍子抜けな回答。そのまま回復魔法を自らに使い、若干ふらふらしながらも自分の部屋へと戻っていった。

そのまま二人はレジスタンスの医療班に運び込まれて手当てをされ(一応フィオナも様子を見られた)、ベルドがヒオリに引き渡されたのが翌日の朝。一晩休んで魔力を回復させたフィオナは、その医療班が驚くほどの力を持った回復魔法で二人を一気に回復させると、そのまま二人して安静にすることになったのである。動けなくはないし戦えなくもないのだが、休めるならば念のため休んだほうがいい。

「ま、絶対やるとは思ってたけど、それがベルドなんだよね」
「うるせえや」

微苦笑を漏らす自分の夫に、ヒオリも小さく笑みを返した。ベッドに横たわるベルドの額を、ヒオリはそっとかき分ける。ベルドは心地よさそうに目を細め、やがてゆっくりと目を閉じた。ヒオリはくすっと笑みを浮かべて、ベルドの額を撫でていく。

もう、交わす言葉も何もなかった。静かで穏やかな時間が流れ、ふっとヒオリは名前を呼ぶ。

「ベルド」
「うん?」

口元に微笑を浮かべたまま、ベルドは目を開けてヒオリに返す。そんなベルドの額の裏に、ヒオリはそっと手を回した。ベルドの頭を軽く持ち上げ、そのままゆっくりと顔を落とす。

「――え?」

不意打ちを食らったベルドの目は、まだ見開かれたままだろう。呆けた声が、少年の心情を代弁している。

飄々としているベルドに対して、こんなチャンスは逃したくなかった。そのままヒオリは、ベルドの唇をやわらかく奪う。舌を入れようかとも思ったけど、ベルドはそれでも怪我人だ。それ以上のことは何もせず、ヒオリはゆっくりと顔を上げた。

「おっ、お前……」

目を開けた先のベルドの顔は、さすがに驚愕に彩られている。ヒオリはくすっと笑みを漏らすと、ベルドの首筋に顔を埋める。そのまま目を閉じたヒオリの頭を、ベルドの手の平が優しく撫でた。

そんな、甘やかな空気が流れる横で――

「……ふふ。無駄じゃ、なかったんだね」

同じように安静にしていたフィオナは、静かな微笑を顔に浮かべた。フィオナ自身、自分が完全に彼らを作ったなどとは思っていない。彼らは自力であの時大きな壁を破り、そして自分の知らないところでも、数々の壁を二人で乗り越えてきたのだろう。自分はそのうちの壁の一つに、ほんの少しだけ手を貸しただけだ。

自分の想いは通じることなく、彼女の恋は終わりを告げた。その時彼女は、自分の想いに蓋をした。想い人と過ごした大事な時間は、彼女にとってはかけがえのないものだった。下手に触れて、あるいは触れられ、汚したり壊したりはしたくない。

そして彼女は、自らの想いが敗れた後、一人の男友達に手を貸した。その友達には互いに想い合う少女がいたのに、最後の一歩が踏み出せなかった。そのため彼女は――その男友達が自分を倒した恋敵と微妙に仲が悪かったからだという昏い理由があったにせよ、彼に力を貸したのだ。

その少年が想い合う少女とどのように最後に通じ合わせたのか、フィオナはそこまでを覗き見るほど野暮ではない。しかし、その二人が手を繋いで仲良さげにしているのを見て、フィオナは目的を見つけたのだ。

その時に彼らに感謝されたからではない。ないわけではないのだろうが、自分が出来なかった想いの分、他の恋人達を幸せにすると。

ベルドとヒオリは、あるいはライブとリアの二人は、その生き方の結晶の一つ。折れそうな壁を乗り越えようと、悪戦苦闘する二人に手を貸し、一つを越える手助けをする。今までもそしてこれからも、彼女はそうやって生きるのだろう。


でも、いつか。自分もまた、新しい恋愛でも見つけることができるのだろうか。今は取り立ててその気はないが、いつかどこかで、素敵な人と出会えたのなら。彼女はまた、前へと進んでいくのだろう。

王族として、政治を見る。フィオナとして、人を見る。そうして彼女は、今日も日々を過ごしていく。

今日は、もう少しだけ休もうかな――仲の良い、新婚みたいな若夫婦。妻というより、お嫁さんという言葉がいまだ当てはまる、そんな少女。旦那さんの隣で甲斐甲斐しく世話を焼いているヒオリの声をBGMに、フィオナはしばし、眠りにつくことにしたのだった。

 

 

 


 

 

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