第七話

手を貸した理由


「さて、と……」

自治領の夜明けと共に、クーデターは終わりを告げた。ベルドやヒオリも、フィオナと共にレジスタンスのリーダーから報酬をもらい、たっての願いで一晩だけここにとどまっている。

一つの願いと、交わした約束。それを果たしに、ベルドは剣を手に取った。それを見て、ヒオリは柔らかな笑みを浮かべる。

「行くの?」
「ああ。お前も来るか?」
「……そうだね。それじゃあ、見学しに行こうかな」

一応、篭手は手に取って。ヒオリも同じく立ち上がる。しかし、部屋を出ようとした瞬間、逆に扉がノックされた。

「はいはーい?」

扉を開けると、そこにいたのは一人の少年。レジスタンスと共に戦い、見事恋人の少女を守った男、ライブだった。ライブの後ろには手を繋いだリアもおり、どうやらうまく行っているらしい。

「どうした?」
「ああ、いや……ちょっと話をしに来たんだが、邪魔だったか?」
「ん、別に。取り立てて急ぎの用でもないし、少しなら特に構わんぜ。入るか?」
「いや、急ぎならいいんだ。俺をスカウトしたのはレジスタンスだったかもしれないが、実際に言葉を交わしたのはあんたたちだったから。少し、話したかっただけなんだ」
「ふぅん……」

まあ、どんな話だは知らないが、なんとなくは察しがつく。しかしながら、ベルドは他人の事情よりも自分の事情を優先させる部分もあり、遠慮をされたらそれ以上勧める人間でもなかった。

しかし、察しがつく内容は、ある意味自分がこれからしようとしていたことにも合っていて。ベルドは一つ、声をかけた。

「なあ、ライブ。ちょっと来るか?」
「え?」
「これから、フィオナのところを訪ねようかと思ってたんだ。もしかしたら俺なんかよりも、有益な話が聞けるかも知れねえからさ」
「それなら、是非。実は俺も、この後フィオナさんのところを訪ねようかと思ってたんだ」
「へえ。じゃあ、話は早いな」

ありえなくはないだろう。むしろ、自然の流れと見ることも出来る。ベルドやヒオリを訪ねるなら、もう一人、フィオナを訪ねないはずもないのだ。作戦会議をかねた夕食のときや、おそらくは合流したときにも見たであろう、フィオナ・クレイスの底知れぬ『人』。男女云々よりも人として、彼女の話は聞くに値するものがある。

「だったら、こんなところにいないで行こうぜ。どうせ大して部屋も離れてないんだしよ」

ベルドとヒオリに与えられた部屋とフィオナに与えられた部屋は、そんなに離れた場所にはない。身を潜める必要があるレジスタンスのアジト自体が、そんなに広くないからだ。それでなくとも、雇われの冒険者連中なんて、ほぼ同じ場所をあてがわれる。

二つ三つ部屋を移動し、ベルドは扉をノックする。礼儀正しい声がそれに答え、数秒の間をおいて空色の髪と綺麗な瞳の、槍使いの少女が姿を見せた。

「や、どうも。今、時間ありますかい?」

微妙な敬語に笑みを漏らし、少女フィオナは快諾した。立てかけてあった槍を持ち、靴を履いて外に出る。

「ちょっと、出ようか。そっちのほうが、便利だろうし。ね、ベルドさん」
「へっ」

覚えていたらしい。その記憶力に脱帽しつつ、ベルドも外へと歩いていった。

 

 

出てきた場所は、中庭というには微妙な位置の、開けた荒地の一角だった。元は農業でもやっていたのかは知らないが、今は踏み固められて草ぼうぼう。全てをピアソラに押し付けるのは間違いだが、打ち捨てられた荒地だった。

「いい夜ね。たしか……下弦の月、っていうんだっけ」

夜空を見上げて、フィオナはぽうと言葉を漏らした。半月なのは知っているが、何が上弦の月で何が下弦の月なのか、そこまでの学は持っていない。

「それで。話は一体、何なのかな?」
「……教えてほしい、ことがあるんだ」

最初はいきなり『それ』を申し込むつもりだった。しかし、ピアソラと戦っている最中に彼女がぽつりと漏らした言葉が、それに踏み込むのをためらわせる。

「あんたは、どうして……俺らやライブに、力を貸してくれたんだ?」

自治領の覚悟を見たかった――その言葉は、どこかの王族らしい彼女にとっては、非常に分かりやすい理由である。ベルドやヒオリの成長を見たかったというのも、短い間なりとも彼らを鍛えた側からすれば、とてもよく分かる理由だろう。

だが。

ライブの実力を見たかった。その言葉の意味だけは、ベルドには推測することは出来ない。そういえば、元々ベルド達の修行を引き受けた理由も、彼にはよく分からないのだ。金を求めたわけでもない、自分には何の得もない、それ以前に会ったのは一回だけ。たったそれだけの仲だったのに、聖人君子のように願いを引き受けた彼女の理由が、ベルドには分からなかったのだ。

聖職者を気取っている――そんな見方をすることも出来る。だが、ベルドはどこかそうではない、彼女なりの理由がある気がしたのだ。

そんなベルドの質問に……フィオナは、笑った。

「……鋭いんだね。それとも……私が、馬鹿なのかな」
「…………」

馬鹿な人。それが最後に、ピアソラに呟いた言葉だった。しかし、彼女がそれを呟いた先は、ピアソラよりも別の場所に――もっと言えば、彼女自身にも向けられているような気がしたのだ。

「……ふふ」

口元に手を当てて、フィオナは笑う。月を見上げた瞳の奥に、暗く荒涼とした素顔が覗く。息を呑んだのは、ヒオリだった。

ヒオリ・エルビウムは、一度だけその姿を見たことがある。まだ自分がロードライトを名乗っていたとき、自分の無力でベルドを完全に追い詰めてしまい、人格の崩壊さえ招きかねなかったあの時だ。 


――だったら、何故……

――あいつに、そう言ってやらなかった……?


空気が漏れるような笑みを漏らして、行き場のない感情を抱いて、ベルドは哭いた。その哭き声と同じ顔と、同じ声で。フィオナは、何かに哭いたのだ。

「……そうね。貴方たちが……“恋人”だったからかな……」

嘘は、ついていないだろう。何かを諦めたようなその瞳に、リアがぽつりと、フィオナに問う。

「貴方……」
「……ええ。本当に……馬鹿な、人だったよ。おにいちゃんも、シャルナさんも……そして、そんなのに惚れちゃった、私自身も……」

ああ、おにいちゃんっていっても、実の兄じゃないよ。そんなことを付け加えてから、乾いた風に、フィオナは哭いた。

「ねえ、クエルス、おにいちゃん……貴方にとって、私は最後まで、妹でしかなかったのかな……?」

風が一筋、悲しげに吹く。実の兄ではないとなれば、彼女はその恋焦がれた少年と、長い間共にいたということか。言葉の端々から考えて、兄と慕う少年を、シャルナという少女と取り合ったのだろう。

これほどの器量よしで戦闘力もあって、さらには見惚れるほどの美少女だというのに、そんな彼女でも失恋するような相手がいるのか。ベルドには正直、信じられない。

「あんたが振られるなんて考えられねえな。俺だって正直ヒオリと知り合っていなければ、思いっきり口説いて……いや、無理か」

外面はともかく(といってもさすがにフィオナには及ばないが)、当時の実力差や人としての深さを考えれば、成功する確率は果てしなく低い。フィオナはくすっと笑みを漏らすと、ベルドに向かって言葉を投げた。

「キレがないよ、軽口に」
「うるせー。あんたは高嶺の花過ぎるんだよ」

軽口で笑わせるのはやめにして、ベルドは苦笑して言い返した。

ベルドに、ヒオリに、ライブに、リアに。フィオナが力を貸した理由は、つまるところはそれなのだ。

自分は、失恋してしまったから。もう、かなわない恋であることは分かっているから。だからこそ、他人の恋路を阻むものを、想いを通じ合わせたた二人を阻んでいるものを、打ち破る手助けをするのだろう。

もちろん、他力本願な人に力は貸さない。ベルドとヒオリは奴隷の鎖を、ライブとリアは暴政を行う独裁者を、それぞれ自分の力で打ち破ろうとしていたから。フィオナはそれに、力を貸してくれたのだ。

篭手を外して、ヒオリは深く頭を下げる。世話になった恩や、人としての大きさを前に、試合なんかで牙を向けることは出来ないのだろう。

無理もないか。ベルドはもう一度苦笑を漏らし、フィオナの前に片膝をつく。

「――フィオナ・クレイス第二皇女。私、ベルド・エルビウムと申します。礼儀にも作法にも欠けた手前ではございますが、どうか私めと、手合わせをしていただけませんか」

今まで戦いを申し込んだ他のどんな人間にも、ベルドはこれほどの礼を尽くしたことは一度もなかった。ベルド自身が礼儀作法が苦手ということもあるのだが、別れの直前に戦ったときにも、こんな申し込み方はしなかった。

だが、彼女の大きさを知った今、そして彼女の大きさに助けられたこの身であるなら、礼を尽くさないのは問題外。ベルドは再び頭を下げると、フィオナの瞳を正面から見つめる。堂々とした申し込みに、フィオナの口元も小さく緩んだ。

「……そうね。そういえば、約束したものね」


――もしも、俺がもっともっと強くなって、またいつかどこかで会えたなら、その時は再戦してくれるか?


最後に試合を申し込み、やはり敵わぬ実力差の中、意地を見せたベルドの言葉。


――……うーん、私あんまり戦いは好きじゃないんだけどなぁ……。まあ、ベルドさんならいいよ。強くなったら、お相手するよ。


それに返した彼女の言葉は、再戦を請けるものだったのだ。

そして、今。一時とはいえフィオナが鍛えた少年は、遥かに強くなってここにいる。心も、体も、たくましくなって姿を見せた少年に、応えぬ道理は何もなかった。

「――かしこまりました。お受けいたします」

 

 

 

 


 

 

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