第四幕

回り出す歯車


「なあ、ショートソードって幾らだったっけ?」
「えっと……確か、三百五十エンだったと思いますよ?」
「……さっきの兵士、ショートソードを幾らで売ってたっけ?」
「五百エンだったね」
「あの野郎、定価の倍近くの値段で武器を売ろうとするなんてっ! 今度あったら、ただじゃおかねえからな!」

世界樹の迷宮、翠緑ノ樹海、地下二階――ベルド・エルビウムの怒声が響き渡る。理由は簡単にお察しできると思うが……先ほど出会った兵士に定価三百五十エンのショートソードを五百エンで吹っかけられそうになったからである。

「まったく、いくらなんでも倍近くはないだろう」

そう言ってため息と共に怒りを排出するのはゲリュオ・キュラージだ。別段ベルドほど金に執着があるわけではないが、そこまで詐欺まがいのことを食らうとさすがに腹が立つ。

「あの」

と、そんなゲリュオにカレンが声をかけた。

「でも、定価千エンのソーマを百エンで売ってくれましたよ?」
「……なに?」
「何か、思い入れのある武器だったのかもしれませんよ。このショートソードは、自分を守ってくれた愛用の剣だったけど、武器もない新米のために譲ってやろうと思った、けど、思い入れがあるからつい高値にしてしまった……とか」
「む、そうか……それなら仕方ないな、うん、武器を大事にする戦士に悪人はいない!」
「……ねえ、ツァーリ」
「なんや?」
「……ボク、単にその兵士がソーマの価値を知らなかっただけだと思うんだけど」
「何も言うな」

ツァーリが疲れたように相槌を打ったとき、近くの草むらがガサガサ鳴った。反射的に全員が警戒態勢を取る。ベルドはどこか期待するような口調で言った。

「さあ、この階では何がお出ましだ? 前の階だとネズミとかモグラとかばっか戦ってたからな……」

小さく笑うベルドの前で、魔物が姿を現した。


「……うさぎ?」

そう、丸々とした体つきを持つ柔らかそうな毛皮のウサギが二匹だった。体が緑色なのはいわゆる保護色だろう。さほど攻撃的な性質ではないのだろうが、住処を荒らす冒険者達に鋭い牙を向けている。ベルドがげんなりして呟いた。

「……っていうか、この階も動物王国かよ……」
「いや動物王国だろう、何せ野生の宝庫、樹海だぞ? お前、樹海に何を期待してたんだ」
「そりゃ樹海だけどよ、世界樹の『迷宮』だぞ! 財宝を守るグレートドラゴンとかアイアンゴーレムとかそーゆー血沸き肉踊るよーな戦いとかやりてーじゃん!」
「通路の真ん中に財宝置いてあるほうが逆に不気味だわ……」

呆れたゲリュオがベルドにぼやき、いつも通りの展開と共に地下二階での初バトルは始まった。

 

 

「行くぜ……っと、うわあ!?」

先手を取ったのはベルドを通り越しなんとツァーリだった。杖がぼこりとウサギを殴るが、そこまでは効いていない。ウサギが耳を振り回してツァーリを襲い、これをかがんで回避したツァーリは再び杖を繰り出した。

「おのれウサギごときが、捧げものにしてくれる!」

杖が脇腹に突き刺さり、ウサギは悲鳴を上げる。その光景を見てゲリュオがぼやいた。

「……お前、なんかいきなり気合入ってないか?」
「今日の晩飯の材料だ! 貴重なタンパク源だからな!」
「発想が野生児だな、お前」

ウサギの牙とつばぜり合いに陥りつつゲリュオが呟く。ぱっと剣を手放し、ウサギの力が行き場を失い体制を崩したところへ遠心力を加えた回し蹴り。ウサギが血反吐を吐きながらツァーリのほうへ吹っ飛んで行き……

「わんぱくでもいい、たくましく育って欲しい、をモットーにしているから、なっ!!」

強烈な音と共に、バッティングの要領で打ち返される。空中で二回転したウサギは樹木の幹にたたきつけられ、断じて動物が発する音ではない湿った肉をたたきつけるような音と共に戦闘不能に陥った。

「って、お前一応貴族だろーーー!」

ベルドが叫ぶ。最初にツァーリとやりあったウサギは既にゲリュオの踏み袈裟で斬り落とされていた。

 

 

「……えーっと、この牙は使えそうだな」
「尻尾が無傷で残ってますから、これも持って行きましょう」

森ウサギ二匹を打ち倒し、ゲリュオとカレンが戦利品を剥ぎ取る。今回の戦利品は小さな牙とウサギの尻尾。剥ぎ取った戦利品はベルドのリュックの中に放り込む。その間ツァーリとヒオリは周囲を警戒。作業中にがら空きの背中めがけて魔物が飛び掛ってきたら一方的に集中砲火を受ける可能性があるからだ。

「……ん?」
「おう、どうした?」

戦利品を剥ぎ取り終わった頃、ツァーリは何かを発見した。それをアイテムをリュックに入れたベルドが反応する。

「今あそこの草むらの中でなにか光ったんや」
「ガラスか何かじゃねえの?」
「いや、何か珍しいアイテムかもしれん。お前さん、手ぇ突っ込んで探してみてくれる?」
「何で俺なんだ、お前が突っ込めよ」
「やだよ何かガサガサ動いてるしよー」
「ガサガサ動いてんだったらアイテムじゃねーだろ、常識的に考えて!」
「動くアイテムかもしれないだろ、ダンシングフラワーとか!!」
「それが冒険に必要である可能性を全くもって感じないんだが! つーか、どうして俺なんだよ!」
「女二人は魔術師系だし体力が低すぎる、わしも同じや。ゲリュオは攻撃はともかく装甲薄いから結果、リーダーのお前が適任や」
「そういうわけで、頑張れリーダー」

ついでにゲリュオがダメ押しする。

「てめえらこういうときだけ人をリーダーにすんじゃねえ! 畜生分かったよ、突っ込んでくりゃいーんだろ突っ込んでくりゃあ!!」


結果、蛇がいた。

ベルド、噛まれた。

とっても痛かった(本人談)。

 

 

天を切り裂く、咆哮がした。

「――なんだとっ!?」

それから数十分、大した敵にも遭遇せず地下二階を探索していた彼らは、その咆哮に冷や水をかけられたかのような感覚を受けた。曲がり角の向こうから何者とも知れぬ叫び声が木霊し、それに合わせて蹄のようなもので地を蹴る激しい足音が響き渡る。

「……なんだ、ありゃ……」

木の隙間からそっと伺うと、何かに取り付かれたかのように咆哮を上げ、狭い通路をせわしなく往復する鹿がいた。しかもその通路は一行が通ろうとしていたまさにその通路である。

「……さて、どうする?」

なるべく音を立てないようにしながら、一行は車座を作り、まず最初にゲリュオが発言する。

「……俺からいいか?」
「ああ」
「あの獣と戦うには、正直危険が大きすぎる。あれを見た瞬間に強烈な『気』が叩きつけられてきたが、はっきり言って今まで戦った魔物の比ではないぞ」
「だけど、現実問題としてあそこを通らなくちゃ先に進めないよ」

反駁したのはヒオリである。

「他の抜け道は?」
「地図からするとないな……」

ベルドの問いに返したのはツァーリだった。とりあえず全員に地図を描かせてみたところ、なぜかツァーリが滅茶苦茶上手に地図を描いたので結局マッピング係はツァーリである。なお、地図を上手に書けたことについては他ならぬツァーリが一番驚いていた。

「わしの意見を言ってもいいか?」

続いての発言者はツァーリだ。

「あの鹿の行動パターンだが、通路の端っこまで突っ走っていって何かにぶつかって、それから方向転換するってパターンや」
「ふむふむ、それで?」
「で、もう一回見て欲しいんやけど……」

そう言って、がさりと草むらを掻き分ける。そこには相変わらず木にぶつかっては方向転換して驀進する鹿の姿と、その鹿の進路上、ちょうど通路の中間点ぐらいに位置するところで分岐しているT字路だった。

「つまり、鹿の真後ろにぴったりくっついていくように行動すれば、やつと接触する前にあの通路に入れるんとちゃう?」
「…………」
「…………」

確かに、名案であった。

「お前、頭いいな……」

ゲリュオの呟きは、恐らく全員の気持ちの代弁だったろう。

 

 

 

「――――ッ!?」

地下三階――あの鹿の縄張りをすり抜け、さらに下の階層に踏み込んだ彼らは肌身を刺すような恐ろしい殺気を感じ取る。駆け出しの冒険者にもはっきりとわかる圧倒的な気配。地下二階にいた鹿とは比べ物にならない強烈な殺気に、体中がびりびりと震えるのを感じる。

出会った瞬間、死を意味するような圧倒的な恐怖。もしかしたら鹿のほうが声を上げる余裕があっただけマシだったのかもしれない。ヒオリやカレンの声から引きつったような声――もはや、声とも言えず音――が漏れるが、男性陣も同様であり、別段彼女達が臆病なわけではない。

殺気の正体はすぐに分かる。草むらの中央に鎮座する巨大なカマキリ。遠目からなので正確なところはわからないが、体長は恐らく二〜三メートルはある。

突如、カレンはこの階につけられた別名を思い出す。

幾多の戦士が倒れた絶望の地――恐らく、元凶はあの魔物だろう。


魔物のいる部屋のなるべく端っこをこそこそと通る。逃げることは恥ではない。潔く死ぬことがいつも美しいわけではない。まず、生きることを念頭に置いて注意深く行動する――それが、彼らの出した結論だった。

 

 

「うぁー、心臓凍るかと思った」

例の巨大カマキリの部屋を脱出し、どっと疲れた彼らの言葉である。ツァーリの弁によると先ほどの鹿や今回のカマキリ、そういう連中は総合してField On Enemy……通称F.O.E.と呼ばれている。同じ階層の敵の中では最強の部類に入り、その強さから他の魔物みたいに隠れたりなどしない。徘徊する脅威、恐怖そのものだ。一定の縄張りを持ち、そこに侵入するものを排除する性質を持つ。

つまり、その階層の魔物と互角に戦える程度の実力者がF.O.E.なんぞに挑んだら瞬殺されるのが関の山だ。事実その末路をたどった冒険者は後を絶たない。結局初めてその階層に来たらF.O.E.の目から逃れつつ魔物と戦って体を鍛えるのが定石らしかった。彼らの選択は正しかったと言える。


だが、今日食らった殺気はそれだけではなかった。そして、最後に感じた殺気がとんでもない事件を引き起こすことになり――

――全ての歯車を回し出すことになるのだった。

 

 

殺気。

今日だけで幾度も感じた、背筋が凍るこの感覚。


今度は何だ――?


いい加減げんなりした気分と、失わぬ緊張感。相反する二つの感情を抱きながら、ベルドは殺気の発生源を物陰から見る。

と。

「何者だ!?」
「!?」

気付かれた。影からそっと覗き込んだにもかかわらず、相手の姿を確認するよりこっちに感づかれるほうが速かったのだ。一瞬で全員の体が逃走体制に入るが、ベルドの声で全員力を抜いた。

「……冒険者?」

そう、彼らの前にいたのは二人連れの冒険者。一人は漆黒のローブをまとった少女、もう一人は一本の刀を手にした鋭い目つきの長髪の女性だ。鋭い声で問いかけたのは恐らく長髪の女性のほうだろう。

ベルドは物陰から出る。少なくとも敵ではないと判断できるからだ。もしも敵であるなら、わざわざ問いかけることもなく問答無用で斬り伏せた方が早い。そうではなくこれも作戦の一環で、油断したところを襲う作戦なのかもしれないが、あれだけ反応が速ければこっちが逃げようと背を向けた瞬間に追いつかれてどっちにしろ斬られてしまうだろう。

「驚かせてしまったのならすみません。私達はエトリアの冒険者です」

ベルドが全員を代表して挨拶する。冒険者であることを聞くと二人組は頷き、少し警戒の色を解く。

「エトリアからの冒険者か。ならば執政院の連絡を受けていないか?」
「執政院って……執政院ラーダ?」
「ああ」
「受けてませんが……お前ら、聞いた?」

ベルドは残りの四人に問いかけるが、全員返事は否である。そんな様子に女性は呆れたように首を振り、ベルドたちに話しかけた。

「私達は執政院ラーダの指示によりこの地を見張っている」
「となると、ラーダ直属の冒険者さんで?」
「ああ。私がブシドーのレン、こっちがカースメーカーのツスクルだ」

見るからに手練れの印象を受ける二人の冒険者は、刀を手にしたレンという女性のほうが代表して自己紹介をした。ついでにその背後に佇み警戒したような表情でベルドたちを伺う少女の名も告げる。

「とにかく、一度街まで戻るんだな。執政院ラーダを訪れて、詳しい話を聞いてくるといい」

レンと名乗る女性は冷たくそう言い放つ。言葉はそっけないが人は悪くない印象を与える。

「ご親切にどうもありがとうございました」

頭を下げてベルドははたと気付く。相手が名乗ったのならこちらも名乗るが礼儀だろう。

「あ、そうだ」
「?」
「一応、お見知りおきを。私はソードマンのベルド、それからアルケミストのヒオリ、ブシドーのゲリュオ、メディックのカレン、そして最後にカースメーカーの西園寺です」
「誰が西園寺じゃ!!」

 

 

「よーし、凱旋だ! 野郎ども、酒場で飲み明かすぜ!」
「その前に執政院だろうが!」
「痛でででで、耳抓んな、痛てーよ!」

エトリアの街、ベルダの広場――レンとツスクルの二人に出会い、詳しい事情を執政院で聞いてくるようにと言われた彼らは地下三階で少し修行した後にアリアドネの糸で帰ってきていた。このアイテムのおかげで帰りの魔力分を気にせずガンガン戦えるようになったのはありがたい話だ。

ゲリュオがベルドの耳を引きずりながら、彼らは執政院に入った。


執政院ラーダでは、以前も地下一階の地図を作るミッションで世話になったあの青年がいた。地下にもぐろうと奮闘するギルドがいなくなった今、彼らの存在は執政院でも話題になっているのだろう。青年は割と気さくに話しかけてきた。

「おお、君達か。どうだ、探索は順調か?」
「あのっ、ダンジョン潜っていたら何か刀持ったまゆげのない怖い顔の女の人にガンつけられて追い返されたんスけど!」
「まゆげのない怖い顔とかゆーなお前、仮にも女性だぞ!」

ベルドの訴えに執政院の人が同レベルで突っ込みを入れ、いつもの通りゲリュオがベルドをぶん殴って止め、状況の説明を求めた。対して執政院の青年は、樹海の三階以降に我々がフォレストウルフと呼ぶ狼の群れが多数目撃されている、そんな前置きで話を始めた。

「それだけならばいいのだが……その狼の群れを率いる魔物がいるようなのだ」
「つまり、狼達が徒党を組んでしまったと?」
「うむ」

飲み込みが速くて助かると、執政院の人は頷いてくれる。

「スノードリフトという名の狼がいて、それが他の狼を操っているようなのだ。樹海の五階、六階へ繋がる階段のある部屋を縄張りにしている」
「すのーどりふと?」
「狼のボスに人間がつけた名前だろう。狼が自分で『我こそはスノードリフトである!』とか名乗りを上げるはずがねーもんな」
「無論、ヤツらを倒す力を持つ冒険者を執政院では雇っている。君たちが出会った二人組がそうだ」
「ああ、レンとピクルスか」
「ツクルスな」
「ツスクルじゃたわけ!」
「おろ?」
「おろじゃないわい!」

ベルドがボケてゲリュオが突っ込み、それすら間違いだったという二段オチ。最後に叫んだのはツァーリである。執政院の青年は苦笑して話を続けた。

「しかし、全ての魔物を彼女たちが倒したのでは、多くの若い冒険者達に経験を積ませ育てることができない。そこで彼女達には若き冒険者たちのサポートをするように命じてあるのだ」
「転んでもただでは起きない執政院ってか」
「彼女たちの助力を得て君たち若き冒険者がスノードリフトを倒してくれ」

ベルドのぼやきをスルーして執政院の男性は話を締めくくる。

……って

「ちょっと待ってくれ、君達って俺らまだ引き受けるとは一言も言ってないんだけど……」
「チッ、このチキンどもめ!」
「今街の統治機関の人が暴言吐かなかったか!?」

ベルドの突っ込みの横でツァーリが考える。

「まず、前提としてわしらは樹海の奥に進みたい」
「そうだね」

相槌を打ったのはヒオリだ。

「しかし、先に進む階段の先に陣取ってるって事は、当然ながら先に進むわしらと衝突することになる……」
「結局、避けては通れないって事ですね」

カレンの返事にツァーリは頷いた。そこへゲリュオが補足説明する。

「俺達以外のほかのギルドが倒すのを待つ手もあるが……」
「まあ、無理だろうな」
「ああ。冒険者ギルドのギルド長も最近の冒険者は目先の小銭かせぎばっかりしているって嘆くぐらいだし……俺達が倒すのが一番手っ取り早いだろう」

結果として行き着く先はそこだ。そしてベルドたちは端っから人任せにする気などなかった。

「俺は行くぜ。なんてったって強ぇ相手と戦えるんだもんな!」
「俺も同意見だ。いい武者修行になるかもしれん」
「先に進むために倒さなくちゃならん。わしもやるぞ」
「誰かがやらなきゃいけないんでしょ? ボクもやるよ!」

ベルド、ゲリュオ、ツァーリ、ヒオリの四人が力強く頷き――

「よし、そのミッション俺達が引き受けました!」

ベルドが執政院の依頼に正式に応じることを表明した。


「って、ちょっと待ってください、私、まだ行くって言ってませんけど!」
「何だ、嫌なのか?」
「いやそうじゃないんですけど、私だけ決意表明してないなんて、何かこう、気合ってものが――」
「はいはい分かったよ聞いてやるよ行くんだろどーせ」
「行くつもりでしたけど、リーダーのその態度で激しく行きたくなくなった! こーなったら、ストだ! ストをおこしてやるーーーーー!」

何か泣きながら走っていったカレンを見てベルドは――

「じゃ、行こうか」
「おい!!」

――眉の一本も動かさなかった。

 

 

フォレストウルフ

世界樹の迷宮・翠緑ノ樹海深層に生息する狼。牙と爪から放たれる攻撃はなかなかの破壊力で、狂える角鹿をも上回る。総合的な戦闘能力はF.O.E.狂える角鹿以上、全てを狩る影以下。およそ怒れる野牛と同等と考えてよい。ただでさえ高い破壊力をデビルクライという技でさらに上昇するため、並みの防御では止められない。血の匂いに敏感で気がついたら多数の群れに囲まれそのまま樹海に骨を埋めることとなった冒険者も――

「……珍しくはない、ね」

長鳴鶏の宿204号室、もはやこのギルド定番となった部屋の片方(もう片方は205号室)で車座を作り、彼らは執政院から配布されたフォレストウルフの書類に目を通していた。

「となると、フォレストウルフと戦うときは短期決戦で一気に片をつける必要があるな」

そう言って腕を組むのはゲリュオ・キュラージだ。

「ところで、デビルクライって何でしょうね? ウォークライやヘルズクライなら熟練のソードマンが使うって聞いたことがありますけど……」
「それの魔物版みたいな技やな。ウォークライやヘルズクライと違い、代償無しで攻撃力を上げることが出来る。とはいえ上昇力はウォークライ・ヘルズクライよりも劣……って、おい!?」

カレンの疑問にツァーリが答える。だがその説明中、ベルドが唐突に立ち上がって立てかけてあった剣を取り、ツァーリめがけて身構える。一行に戦慄が走り、剣を向けられたツァーリはわけも分からず慌てる。

「ベルド!?」

名を叫んだのはヒオリかカレンか。ともかく、どうでもいい。ベルドはそれを軽く聞き流して呼吸を整える。

「……こんな技だよ」

刹那、ベルドの足元から赤紫色の光が迸った。きっかり一秒半の時間を以って、その光は跡形もなく消え失せる。そしてベルドはこの場の全員めがけて殺気を叩き付けた。

「…………!!」

殺気や闘気など、『気』の類に敏感なのはゲリュオだ。しかし、取り立てて敏感でなくても分かる、先ほどまでのベルドとは全然違う気配――それをベルドは唐突に消し去った。

「以上、デビルクライ。感覚は分かってもらえた?」

場の全員を見渡し、魔物の力を使ったベルドは告げる。ヒオリやカレン、ツァーリの顔に浮かぶのは疑問、そして怯えだ。まあ、無理もないわな――苦笑したベルドを見たゲリュオがフォローを入れる。

「……そう。ベルドは何故かウォークライでもヘルズクライでもなく、デビルクライを使うことが出来る。とはいえ、別にベルドが凶暴なわけではない。この前みたいにへらへら笑い、この前みたいに減らず口を叩き、この前みたいに人をからかうあれは紛れもなくベルドの本当の姿だ」

つまり、ベルドはデビルクライを使えるだけのただの人間って訳だ――そう言ってゲリュオは話を締めくくった。そこをベルドが話を続ける。

「まあ、そういうわけで奴らにデビルクライを使われると厄介だ。使われることそのものは仕方ないにせよ、なるたけ少ない手数でケリをつけておきたいところだな」
「ねえ、ちょっといいかな?」

ベルドの話が一段落したところに、ヒオリが小さく挙手をする。その目にはもう、ベルドへの怯えは消えていた。

「この書類からするとさ、大体狂える角鹿以上って書かれてるでしょ? ってことはさ、まず狂える角鹿に勝てないとフォレストウルフには歯が立たないってことだよね?」
「せやな」
「だったらさ、とりあえずその狂える角鹿ってやつに挑戦してみない?」

 

 

「おーう、いやがるいやがる。相変わらず元気なこって」

へらへら笑って、ベルドは肩をすくめて見せた。その視線の先には先日も遭遇したあの狭い通路をせわしなく往復する一匹の鹿がいた。

「あれが狂える角鹿ですか?」
「それ以外ないやろ、さっき出会った鹿は確かフィンドホーンってヤツやったからの」

カレンの問いにツァーリが答える。

「相変わらず一直線に走ってるな……こう、後ろを振り返っている時に背後から斬りかかって、天誅! って……」
「いやあのな、天誅みたいにバックアタックすりゃ無条件で勝ちって訳じゃねーんだぞ……」

珍しくゲリュオにベルドが突っ込み

「それにあの鹿の走る速度を考えてみろ、どう考えても奇襲は無理だ、向こうの方が速い」

冷静に判断を下す。

「結局、真正面から挑むしかないってこと?」
「だろうな」

ヒオリの問いに、ベルドは頷いて答えた。

「そうと決まればあいつに戦いを挑もう、準備は出来た?」

ヒオリが手元にアリアドネの糸があるかどうか確認して聞く。無謀ではないか、という考えは彼らにはない。相手が強いことは百も承知だが、こいつに勝てなければフォレストウルフ、ましてやスノードリフトになど勝てないだろう。

「よし、行くぞ! あの狂える角鹿を、吹き飛ばしてくれる!」

こうして、ベルドたちは通路へと飛び出した。同時に鹿も足を止め迎撃体制に入る。

だが、鹿と一行の距離はあまりにも近すぎた。


まあ、つまり何が言いたいのかというと。


「おわぁ!」

鹿は止まりきれず、ベルドとゲリュオのど真ん中に突っ込んできた。これに対してベルドは左、ゲリュオは右に回避する。鹿はその中を一直線に突きぬけ……

「……え?」

ツァーリに直撃した。ツァーリは回避行動を行い、ツァーリ本人の回避には成功……したが、カースメーカーの呪衣に角が引っかかり……

……そのまま引きずられていき、あっという間に鹿とツァーリは姿を消した。

「……う、嘘っ!?」

慌てたのはヒオリである。

「や、やばいよ、急いであの鹿追いかけなきゃ!」
「なんでですか?」

ベルドとゲリュオは無言、カレンも冷静だ。

「いやなんでって、今ツァーリはあの凶暴な鹿相手に一人でいるんだよ!? しかも引きずられてるし、あのままじゃツァーリ死んじゃうよ!!」
「え、死ぬって……」

カレンの呟きが途切れると同時

「謝罪と賠償を要求するううううううぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅーーーーー…………」

遠くからツァーリの声がドップラー効果のおまけつきで響いた。その声が聞こえなくなり、さらに十を数えてからカレンはツァーリの消えた方角を力なく指差した。

「……あれが?」
「……ごめん、ボクが間違ってた」

死なないかもしれない。というか、多分死なない。

 

 

「全くもう、最近の若者は年上に対する礼儀がなっとらん!」
「まぁ、鹿の寿命は長くて二十年だからな……」

引っかかっていたカースメーカーの呪衣が破けて転落し、形はともあれ解放されたツァーリを回収、彼らは再び先ほどの通路に戻ってきていた。

「……いやがるな」

ぶちぶち文句を言うツァーリの相手をカレンに任せ、再び通路を覗き込む。すると、何をどうやって帰ってきたのか知らないが、先ほどの鹿は既に通路を走っていた。角に引っかかっているカースメーカーの呪衣の切れ端から同じ鹿だというのが分かる。

「さて……行くぜっ!!」

十分な距離を測り、彼らは再び通路に躍り出る。今度は鹿も止まりきった。ベルドたちを赤い瞳で見据えた鹿は咆哮を上げ――

――それが、開戦の合図となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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