第三幕

友達付き合いABC


世界樹の迷宮、第一階層――翠緑ノ樹海、その木々の葉は朝日にみずみずしく輝いていた。そんなすがすがしく綺麗な朝、ベルド・エルビウムは奇妙な匂いを感じて目を覚ました。

「……何だ、この匂いは?」

ベルドはテントの外に出る。外ではベルドに背を向け、何かをせっせとしている紫のかかった銀髪が見えた。その向こうでオレンジ色の煙が出てきている。

――って

「何やってんだ、ヒオリ!」

状況を理解したベルドは朝から怒鳴った。そう、そこにいたのは先日ベルドがスカウトしたアルケミスト――ヒオリ・ロードライトがいた。振り向いたヒオリはベルドに笑顔を向ける。

「あ、ベルド、おはよう」
「おはようじゃねえ! お前、何やってんだ!?」
「えーと、その。ボクだけ目が早くさめちゃって、皆が起きてくるまで暇だから朝ごはんでも作ろうと思って……」

ヒオリは携帯用手鍋の中で何やらグツグツ炊き込んでいる。オレンジ色の煙がそこから出てきているのを見ると、ベルドはぞっとして怒鳴った。

「ってゆーか、なんで朝飯の材料からオレンジの煙が出るんだよ!」
「え、森の幸を使った料理。早起きして近くをうろうろして、食材になりそうなものを……」
「いや、何使ったらこんな煙が出てくるんだよ!? つーか見ろ、その煙吸い込んだ森ネズミが死んでるぞ!!」

びしっと指差した先には翠緑ノ樹海の表層部に生息する小型のモンスター、森ネズミが腹を上にして動かなくなっていた。

「……ボクの料理は魔物を殺せるレベルなわけ?」

見たヒオリはふるふると肩を震わせる。ベルドはため息をついてヒオリに話しかけた。

「つーかなぁ、お前自分が料理できないって自覚はなかったのか?」
「あったよ、あったけど、だって昨日ボク全然活躍してなかったじゃん!」
「……ああ、なるほど」

逆ギレしたヒオリに、ベルドは納得したように頷く。テントを張ったのはゲリュオだし、食事を作ったのはカレンだ。ヒオリはそのことを気にしていたのかもしれない。ベルドはそう考えると、ヒオリに話しかけた。

「あのな、俺たち五人は仲間だろう。人には得手不得手ってのがある。不得手の部分を互いにカバーするために仲間ってのはあるんだ。お前がなにを思ってるのか知らんが、お前はお前のできるときに俺たちをサポートしてくれりゃいいんだよ」

だからあんま思い悩むな。ベルドはヒオリの頭にぽんと手を載せた。

「さて、そう言われると実は俺も昨日何にも活躍してない。朝飯、二人で作っちまおうぜ。お前は俺の手助けを頼む。いけるか?」

 

 

「おお?」

その日、一行は開けた広間に出た。毎日少しずつ地図を埋め、戦闘にも馴染んできた頃のことである。広間には色とりどりの花が咲き乱れ、吹く風がいい香りを運んでくる。

「和みますねー」

カレンがほやーんとした顔で言う。気持ちは分かる。

「どう、ここで休んでく?」

というのはツァーリだ。そして、彼らは全会一致で、この花畑で休息をとることにした。

 

 

「…………」

ゲリュオはムスッとした顔で花畑の外を見つめていた。花畑の中ではベルドが横になってゴロゴロしており、カレンとヒオリは座ってお喋り。ツァーリはハードカバー本『ヒ○ラーとス○ーリン』を読書しており、見張りはゲリュオがやっていた。

ゲリュオも花畑で休息を取ることには賛成した。だが、皆気を抜きすぎではないか。入った瞬間思い思いの体制でだらけた彼らを見て、ゲリュオは鋭く叱責したものだった。だがみんな「別にいーじゃん」的な言葉を返され、それでも渋るとベルドに「じゃあてめえが見張りやってろ!」と怒鳴られる始末だった。結局ツァーリがその花畑の中に魔物避けの札を貼って仲裁に入ったものの、どうにも甘くなっているのではないかと懸念するゲリュオであった。

と。

「やばい、陣形を整えろ!」

後ろからベルドの張り詰めた声が響いた。ゲリュオが振り返ると既にベルドは剣を握っており、だらけていた体制はどこにもない。ベルドの叫びの原因はすぐに分かった。蝶の大群が飛来してきているのだ。

「……まさか、新種?」

カレンの声がする。今までにもシンリンチョウという蝶と戦ったことはあった。だがシンリンチョウが水色をしているのに対し、この蝶は全般的に毒々しい紫色だ。ヒオリの髪とは同じ紫でもこうも違うんだな、とベルドが場違いに感心する。

蝶の大群はちょうどゲリュオの死角から飛来してきたらしい。運の悪さに舌打ちし、ゲリュオも脇差を引き抜いた。

 

「行くぜ、レイジングエッジ!」

先手必勝、ベルドが先陣を切った。踏み込みから放たれる強烈な斬攻撃が蝶の一体を切り裂いた。だが蝶は多少揺らいだ程度ですぐにまた襲い掛かってくる。突進攻撃がベルドの胸に炸裂し、ベルドは大きく咳き込んだ。

「炎よ、燃えろっ!」

ヒオリの一言で火炎が発生し、二体目の蝶を真っ黒焦げにする。蝶はそれでもなお戦うそぶりを見せるが、カレンに殴られてぼとりと落ちた。

「虚構に彩られし泡沫の脚、虚飾で飾られし移ろいの敏、我、其を以って、総てを正しき道へ還さん……!」

ツァーリの口から呪言が唱えられる。重苦の呪言。敵の電気信号の神経への伝達速度を遅くして行動速度を減退させる呪言だ。

ここで三体目が羽を振るわせた。りんぷんが舞い、ヒオリの周りをとりまく。ヒオリは呼吸を止めるがレイジングエッジを食らった蝶が突進してきた。その横っ腹を突き刺す形でゲリュオが蝶に襲い掛かる。

「はっ!」

踏みこみからの袈裟斬り。ゲリュオの一撃に既にレイジングエッジを食らっていた蝶はよろめき落ちる。それを見たヒオリは後方に転がって避けるが、その先にも先ほどの蝶がりんぷんを撒いてきた。ヒオリの顔色が変わるも時既に遅く、ヒオリはそのりんぷんを吸い込んでしまう。だがヒオリも負けてはいない。即座に篭手を蝶のほうへ向けた。

「炎よ――」
「ばっ、馬鹿っ、やめろーっ!!」

その行動を察したベルドは叫んだ。その気迫に一瞬ヒオリの行動が止まる。慌ててベルドは剣を投げつけてヒオリの行動を強制的に止めた。

「何するんだよ!」
「後で話す! とにかく今は炎攻撃は止めるんだ!!」

ヒオリは何のことか分からないようだったが、一応納得はしたらしい。篭手を再び蝶の方へ向け――


――血を吐いた。

「――!?」
「しまった、毒!」

呆然としたベルドに、カレンの鋭い声が飛ぶ。うずくまったヒオリは小刻みに痙攣し、蝶はこの隙にと飛び掛ってくる。いくら重苦の呪言を放ったとはいえ、ゲリュオでは距離が離れすぎている。ベルドは剣を失っているし、カレンやツァーリの打撃では止められない。かといって、ヒオリは論外――

――できることは、ただ一つ。

「っらああぁぁぁっ!」

ベルドは跳んだ。ヒオリの前に立ち、その身を盾とし彼女を守る。

直撃、相手の突撃がベルドの腹へと突き刺さる。咄嗟に腹筋を固めてガードしなかったら胃の中を全部戻されたとしてもなんらおかしくない、強烈な一撃だった。

ベルドは反撃へは転じない。格闘戦の心得もないわけではないが、後ろからゲリュオが突進してくるのを見ると、彼に任せたほうがいいだろう。蝶に追いついたゲリュオが唐竹割の要領で刀を振り下ろす。これは左に回りこまれて回避されたが、ゲリュオもこれが本命だったわけではない。

「はあぁぁっ!!」

即座に手首を返し、右斜め下からの斬り上げ。蝶の体が両断され、りんぷんがひらひらと舞い落ちた。

「……ふぅ」

軽く振るって、ゲリュオは刀を鞘に戻す。だがそれより早くベルドが叫ぶ。

「カレン、ヒオリの解毒作業を!」

言うにや及ぶ。カレンは素早くヒオリの元へ駆け寄ると仰向けにして様態を見る。一つ頷き、医療鞄から試験管に入った薬を取り出した。

「ヒオリさん、飲めますか?」

カレンの質問にヒオリは頷く。その薬を飲み干すのを見ながら、カレンは薬瓶に入った薬を取り出し、蓋を開ける。

「……キュア!」

ぼぅっと薬が青く輝き、それをヒオリに飲ませる。顔色が良くなり始めたのを見て、カレンは頷いた。

「もう、大丈夫です。そしたら、解体作業に入りましょう」

とはいえ、蝶の体から取れるものなぞ羽くらいしかなく、結局二枚の羽をむしっただけで終わった。この内にベルドがヒオリに手を差し出す。

「ヒオリ、立てるか?」
「とりあえず、十分も安静にしていれば毒は抜けますが、それまではちょっと……」

代わりに答えたのはカレンだった。

「……とはいえ、わしらもそれなりに負傷している。血の匂いをかぎつけて魔物が来られても面倒やぞ」

ツァーリが眉を顰めて言い、ゲリュオが頷いた。

「同感だ。さっさとここを離れなきゃならんが……ヒオリの毒の問題があるな」
「ご、ごめんなさい」

ゲリュオの指摘に、ヒオリが頭を下げる。ツァーリはふぅむ、と息をつくと、カレンに告げた。

「誰かが背負っていくのは?」
「それくらいなら大丈夫ですが……だれが背負っていくんですか?」
「……お前さん?」
「私は無理です」

確かにそうだろう。結構重そうな医療鞄を持っている上に、人間一人は背負えない。

「せやな……なら、エルビウム卿は?」
「俺!?」
「さっきも言った通り、ここにずっといるわけにもいかないやろ。わしらの血の匂いをかぎつけて何かがまた来るかもしれんし、そうでなくても花の匂いに誘われてさっきみたいに蝶とか飛んでくるかもしれん。とはいえお前さんの体も問題だし……そうすると背負ってでも撤退するのが一番や」

理路整然と叩き込まれ、全員がなるほどと頷く。問題はヒオリを誰が背負うかだ。先ほども述べたとおりカレンではちょっと無理がある。とはいえ残りはみな男。背負う側はまだしもヒオリには女性心理的に抵抗があるだろう。

「……俺は構わんが……」
「ボクもベルドでいい」

が、両者共にあっさりとOKを出し、素直に撤退することになった。ベルドはヒオリに背を向け、ヒオリはその背に乗りかかった。

「…………っ!?」
「どうした?」

だが、ヒオリを載せて立ち上がった途端、ベルドの眉が顰められる。それにゲリュオが不審げに問いかけ、ヒオリはきゅぅっと縮こまった。

「え、えっと……やっぱり、重い?」
「……逆だ……お前、軽すぎだろ……」
「え……」

呆然としたような声で言うベルドに、ヒオリは笑うような、泣くような、そんな顔で声を上げる。だが当然、ベルドがそれに気付くことは無く……

「どんなダイエットしたのか知らんが、いくらなんでも軽すぎだ。もうちょっと太れ」
「ひどっ! 女の子に対してそのセリフはひどいよっ!!」
「そうですよ、少しは情緒を理解してください!」

同じ女性であるカレンがヒオリに加勢して怒鳴るが

「言葉を飾らねえとこが俺のいいところさ。なんてったって俺の長所は顔だけじゃねえ、性格だっていいんだぜ?」

ベルドはへらへら笑って軽口を叩いた。カレンが頭を抱え、ヒオリは涙目になってベルドを叩こうとし――

「ん?」

――ツァーリが何かに気づいた。屈んだ先には、花の間に埋もれていた古びた人形がある。カレンがそれを見て声をかけた。

「その人形がどうかした?」
「これ……ジュモーではないか?」
「ジュモー?」
「骨董的価値のあるフランスの人形だ。歴史家に売り飛ばしたとしたら、一千万はくだらないだろう」
「一千万っ!? ただの汚ない人形じゃなかったんですかっ!?」

価値を聞かされ、カレンが思わず叫んだ。ツァーリはその人形を持ち直すとスカートをめくったり靴の裏を見たりためつすがめつしながら頷いた。

「確かに本物だ」
「別に男女差別をする気はありませんが、どうして男なのに人形に詳しいんですか?」
「別に詳しいわけではない。たまたまわしの家に同じものがあったから見覚えがあっただけの話だ」
「……鼻持ちならねえブルジョア野郎だぜ……」

ベルドがふるふると拳を震わせる。ここでゲリュオが質問を投げかけた。

「ところで、フランスって何だ?」
「世界樹の迷宮の伝説だ」
「え?」
「深き樹海に総ては沈んだ……。

 罪なき者は、偽りの大地に残され
 罪持つ者は、樹海の底に溺れ
 罪深き者は、緑の闇に姿を消した……」

ツァーリが謡う様に紡いだのは、いつからか語られるようになった「世界樹の迷宮」の伝説だ。もちろん、ゲリュオも聞き覚えがある。ツァーリは一つ頷くとゲリュオに向き直った。

「この『樹海の底』の一つに、フランスという国があったとされる」
「ってことは、お前が読んでたあの『ヒ○ラーとス○ーリン』もそのフランスって国の話か?」
「あれはドイツとソヴィエトね。あれも『偽りの大地』の国の一つよ」

ツァーリは人形を道具袋に入れると、ベルドたちを振り返った。

「ま、ともかく行こう。確かこれで地図完成したよね?」
「ああ」
「じゃあ、帰ろうぜ」

ゲリュオが最後に頷き、一行は数日ぶりにエトリアの町に戻るのであった。

 

 

「無事に地図を作成したようだな。よくやった」

エトリアの街・執政院ラーダで、一行はミッション完了を報告していた。

「無謀と勇気が同意語ではないと知り、引くときと進むときをわきまえた一人前の冒険者として認めよう」
「地図の作成がなんでそうなるんだろうな?」

ぼそりと呟いたベルドをゲリュオが殴る。冒険者に必要な品物を用意しよう、そう言ってラーダの青年は手紙のようなものを引っ張り出してきた。

「これを持って、シリカ商店に届けるといい。これからの冒険に必要なものを売ってくれるだろう。そこで準備を整え、これからは我らのために迷宮探索にはげんでくれたまえ」

そう言って先ほどの手紙のほかに500エンを渡してくれたのだが――歴史博物館にジュモーを売って千六百万エン儲けた彼らにはすずめの涙にしかならなかった。

 

 

「いらっしゃい、樹海探索の必需品、武器と防具のことならボクにまかせてね」
「おおっ、ボク少女っ!!」

武具屋シリカ商店の暖簾をくぐった彼らは、店主シリカに出迎えられた。しかし、出迎えの台詞があれなら当然ベルドが食いつくわけで――黒髪や褐色、ポニーテールの属性は持っていないもののボク少女の属性はクリティカルにベルドの好みを直撃する。

「噂の新人ギルドってアナタ達?」
「ああ、そうだぞ!」

ベルド・エルビウム、元気全快。

「あ、そういえばアナタ達、執政院の公認冒険者ギルドになったんだって?」
「ああ、手紙も貰ったぞ? ゲリュオ、手紙!」
「ほい」

ゲリュオから手紙を受け取ると、それをシリカに渡す。シリカはその手紙を読みながら苦笑した。

「こんなもの無くても、商品は売ってあげたいんだけどね。執政院との約束だったから……」

手紙を返して、シリカは棚をごそごそあさる。

「あーくそっ! シリカ可愛いよなぁ!」
「……お前、そういう趣味だったのか?」
「お前ボク少女だぞボク少女! 別に黒髪とポニーテールの属性はないけどよ、それでも十分な破壊力だぞ! せめてあと肌が褐色じゃなくて胸がぺったんこだったらもっといいのになぁ、畜生!!」
「分かった分かった」

ガンッと机を殴って口惜しそうにベルドは呻く。ゲリュオが何かを悟ったようにベルドの両肩に手を置いた。その横で、シリカが棚から商品を引き出して帰ってくる。

「どしたの? 何か、叫んでたけど」
「いや、こっちの話だから気にしないでくれ……で、その糸みたいなものはなんだ?」
「アリアドネの糸ってアイテムよ。力尽きそうな時、迷宮で迷った時、安全に脱出する事が出来るの」
「そりゃ便利だな……」
「うん、迷宮に行く時は必ずいくつか持っていくのをオススメするよ」

はい、と言って、シリカは一つだけ渡してくれる。他にも何個か持っているが、それは買えということだろう。

案の定、シリカはにやっと笑うと、糸の束を見せてくる。

「で……いくつ買ってく?」

 

 

「なんだ、お前風呂か?」

エトリアの街「長鳴鶏の宿」風呂場で、一緒に風呂に入っていたベルドとツァーリはヒオリと遭遇した。部屋の鍵は一応あるが心配性のゲリュオが荷物の盗難を恐れて部屋に残っている。ヒオリの手にあるのはバスタオルと洗面器。石鹸と垢すり。定番の銭湯グッズであった。

「カレンは一緒じゃないの?」
「うん、だって、荷物の見張り番も必要だし」
「そりゃそうだ」

というか、自分も普通はそうしている。最もな話に頷いたベルドに、ヒオリは不安そうな目で言った。

「……ベルド」
「何だよ」
「覗かないでね?」
「ちょっと待てなぜ俺限定だ!?」
「……だって、三人の中で一番えっちなの多分ベルドだし」
「やかましいわ!!」

一応自分が取り立ててスケベである自覚はないし事実取り立ててスケベでもないが、残った男が女嫌いの奴と人生枯れてる奴しかいなければ消去法で彼になる。ベルドはひらひらと手を振って告げた。

「ま、安心しろや。覗いてくださいお願いしますと涙ながらに土下座して頼まれても覗きゃしねえよ」
「……それはそれで、なんか嫌だよ……」
「じゃあ覗こうか?」
「やっぱり嫌だよっ!」

ふくれっ面をして去って行ったヒオリに、ベルドはぼそりと呟いた。

「女ってのは複雑だなー」
「お前のせいだろ」

ツァーリが硬い声で突っ込んだ。

 

 

「ただ寄り添えば、分かり合えると、悲しみは、空に、消えるだけ……」
「あれ、その歌知ってる」
「お、そうか?」

「長鳴鶏の宿」204号室でのんきに歌を歌っていたベルドを、ヒオリがたずねてきた。ベルドは軽くヒオリに目を向けると、続きを歌う。

「……月明かり、照らしてた、遠くの笛の音、御神楽太鼓」
「ありふれた、幸せは、思えば、こんなに、素敵でした」

ベルドが歌を止めると、続きの一節をヒオリが歌った。連歌みたいだな、となんとはなしに思いながらベルドは起き上がった。

「で、何か用か? ゲリュオは交代で風呂行っちまったし、ツァーリなら八階の図書館に本借りに行ったぞ?」
「うん、知ってる。だってボク、ベルドに用があったんだもん」
「俺に?」
「うん。ボク、ひとりぼっちだったから」
「……は? 突拍子もなく、いきなりなんだ?」

いきなり関係のない話を始めたヒオリを、ベルドは怪訝そうに見つめる。

「昔も今も、ボクはずっとひとりだった。周りの大人は敵だけで、ボクの周りにあったのは汚れた男と家族ともいえない家族。失敗は許されなくて、役立たずだったら殴られて、ずっとそんな毎日だった」
「いや、ちょっと待て、何の話だ?」
「だから、ボクはひとりぼっちだったんだって。そんな話。だからさ……ベルド、この前の野宿の時、料理を失敗したボクに何も殴らずにフォローしてくれたよね。毒吹きアゲハに襲われたときも、ボクのことおぶったりしてくれて、ボク、凄く嬉しかったんだ……」

そう言うと、ヒオリはいきなり寝巻きのボタンを外し始めた。ベルドはぽりぽりと頬をかきながら、そっぽを向いて言い返――

――って

「何やってんだ、お前!?」
「ボクはベルドが好きになったの。好きな人には好意を表すものでしょう?」

ヒオリは当然のことのようにそう言うと、上半身裸になってベルドの上に覆いかぶさってきた。唖然となったベルドはその隙にヒオリに抱き倒されてしまうが、大慌てで彼女の両肩を押さえ込んで突き放す。

「いや、ちょ、ちょっと待ちやがれっ!」
「どうしたの?」
「どうしたもこうしたも、こういうことはそうそう気軽にするもんじゃねえだろ!!」
「そうなの?」
「……お前、とりあえず確認するが、友達として好意を持ったのかひとりの女として好意を持ったのかどっちだ?」
「友達としてだよ?」
「じゃあなおさらだ!」

ベルドは驚きに暴れる胸を押さえながらも本気で怒って、ヒオリが外した寝巻きと下着を突き返す。ヒオリは申し訳無さそうにベルドを見つめた。

「ごめん。ボク、友達がいなくて、そういう距離感ってよく分からないんだ」
「……お前、そこまで友達いねえのか?」
「うん。あの男共とか、思い出したくもない両親とかにはこうやって好意を表せと教えられたけど」
「俺はとりあえずそいつらの教育に異を唱えたい」

頭を抱えてベルドは呻く。

「……ボクも、おかしいとは思ってたんだ。ちょっと友達になった相手に簡単に体を任せるなんて」
「何も疑わずに鵜呑みにしなかったのは賞賛する」
「じゃあ、実際はどうすればいいの?」
「どうすればって……いきなり迫ったりするのはNGだぜ。そういうのはちゃんとABCの順番を守らなくちゃ」
「ABCって何?」
「女のクセにABCも知らねえのか? えーっと、Aは挨拶、Bはお喋り、Cは一緒に遊ぶ、だったかな?」

左手の人差し指でこめかみをぽりぽりかきつつ、ベルドは言った。ちなみに、ベルドの言ったABCは間違いで、正しくはAが接吻Bが愛撫、そしてCが性交である。と、その時部屋の扉ががちゃっと開く。入ってきたのは――ゲリュオだ。ゲリュオはベルドとヒオリを見て――凍った。

「……何、やってんだ?」
「へ? 何って……」

言われてベルドははっとする。目の前に立っているのはヒオリだ。それはいいが、彼女は現在、上半身裸である。しかも、パジャマと下着はベルドの右手。

――やばい。

「いや、ちょっと待て、これには深い訳がだな……」
「ベルド」

反射的に弁明を始めるベルドだが、そこでかけられたヒオリの声に弁明を中断、視線を彼女に向ける。

「じゃあ、今度遊ぼう? ボク、今度はABCの順番守るから」

繰り返すが、彼女は現在上半身裸である。その状態で『今度遊ぼう』とかほざいたらどうなるか。少なくとも、今の状況でゲリュオがヒオリの言った意味――字面通り、本当に二人で遊ぼうと言う意味しかない――を正確に読み取れるか否か。答えは、否である。

と、いうか。

「えっ、ABCの付き合いって、なんじゃそりゃあ!?」

ゲリュオが素っ頓狂な声を上げた。

「別にボクたち、さっきここでBまで進んだんだから遊んでもおかしくないよね?」
「そうだな」
「び……Bって、まさか、お前ら二人が!?」
「ああ。あまりにこいつが世間知らずだったからとりあえずABCの話を教えてたんだが?」
「……なるほど、こいつは世間知らずだったのか」
「ああ」

みしり、とゲリュオが刀の柄を握り締める。

「……じゃあ俺がてめえに友として一言告げてやる」
「あ?」
「……純真な子供相手に、貴様は何を吹き込んだんだーーーーーっ!!」
「なんでーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!?」

ゲリュオの刀が、ベルドの横っ腹に炸裂した。

 

 

 

 

 

 

第二幕・結成へ 

目次へ

第四幕・回り出す歯車へ

 

 

トップへ

 

 

inserted by FC2 system