第四十三幕

君を永遠に愛してる


「ソニックレイドォ!」

ベルド・エルビウムのソニックレイドが、戦いの開幕を告げていた。ぶっ放した一撃は回避されるものの、続けざまに放たれるゲリュオのツバメ返しと、ヒオリの放つ火炎の術式。開幕早々の二連撃にイワォロペネレプはよろめくが、すぐに体勢を立て直した。

「コオォォォーッ!」

甲高い声と共に、黄金の翼が青く光った。瞬間、同色の光が守護鳥の周囲を取り巻いていく。

「はっ!」

短い気合と共に、カレンが二本の瓶を投げ上げる。瓶は空中でぶつかり割れ砕け、中身の液体が静かに五人に降りかかった。対するイワォロペネレプの体からは無数の羽が発射され、スコールのように襲い掛かる。

「ぐぅっ……」

襲い掛かる無数の羽は、弾幕を張るようにその回避を許さない。魔力を込めたわけでもなんでもないただの羽だが、亜音速のスピードはそれだけでかなりの破壊力を生んだ。

が。

「……へっ、久しぶりにやられるとありがたみが分かるぜ」
「これで私が必要不可欠だということがお分かりいただけましたでしょうか?」
「調子に乗るな馬鹿者」

力祓いの呪言と――カレン・サガラの医術防御。長い間家族との葛藤にギルドを抜けていたメディックの医術防御は、大半のダメージを殺していた。その性能は代打として入れたオルタネットのそれよりも遥かに高く、ベルドたちは久しぶりに安心して戦いに挑むことが出来ていた。

無論、戦いを前に油断など出来ない。しかし、医術防御の有能さはそれだけで心理のありようを別にさせた。大きく踏み込んだベルドがレイジングエッジを放つが、これはあっさりと回避される。だが、レイジングエッジはただの囮。本命は――ゲリュオ・キュラージのツバメ返し。

「……なにっ!?」

だが次の瞬間、ゲリュオの顔は驚愕に染まっていた。避けられた――その事実が、ゲリュオを例えようも無く震撼させる。なまじ体勢を崩した相手である以上、鍛え上げられたゲリュオの一撃を回避できるわけがない。となると――

「――ざけんな、この野郎っ!」

察したベルドが、振り向きざまに剣を振るう。得物から放たれた強烈な風は、逃れようの無い速度で守護鳥めがけて襲い掛かった。

「ギャエエェェェンッ!!」
「なっ――」

咆哮と同時、イワォロペネレプは飛翔した。逃れようの無い速度を込めたはずの風が、あっという間に回避される。そのままイワォロペネレプは上空から襲い掛かった。狙いは――杖を構えたカレンか。

「くっ――!」

ヒオリやツァーリだったなら、まだ仕方ないと思えたかもしれない。だがこのとき、カレンは既に踏み込みの体制。つまり、今の後衛組の中で――それどころか、今この瞬間に限って言えば、一番攻撃を回避しやすかったのは彼女だった。

そのカレンに、イワォロペネレプの大爪が直撃した。重力加速度の助けも得た強烈な一撃は、炸裂したカレンの右腕を一撃で使用不能に追い込んだ。切断されこそしなかったものの、あれではもうヘヴィストライクは放てないだろう。その結果に、ベルドとゲリュオに戦慄が走った。

カレンのヘヴィストライクが放てなくなったことに、ではない。無論それも痛いといえば痛いのだが、それ以上に今までの行動で証明されてしまったことが厄介だった。

体勢を崩したはずなのにゲリュオの一撃を躱し、それどころかさらに放たれたベルドの風も回避した。続く一撃は、おそらく最も回避がしやすかった体勢のカレンにさえも直撃する――それが指す結論は、どう考えてもたったの一つ。

イワォロペネレプは、速い。ゲリュオよりも、そしてあのベルドよりも。

もしかしたら、最初のソニックレイドを回避された時点で分かっていたのかもしれない。だが、現実のものとして明らかになると、その脅威は数倍に上がる。


「サガラ卿っ!」
「無理ですっ! 私、バインドリカバリは……え?」

悲痛な声で答えかけたカレンであったが、次の瞬間、腕に集まる小さな光に目を奪われた。光は一瞬カレンの腕に収束すると、次の瞬間には弾けて消える。何の事は無い、それだけの光景――

「――あ!」

そう、それだけの光景だった。表面的には、何の変化も生じない。だが、この場にいる全員には、何が起こったのか分かっていた。

貫かれたはずのカレンの腕が、もう自由を取り戻している。軽く腕を回しても何の異常もなく、まるで何事も無かったかのように完治していた。

それを為したのは――

「呆けてんじゃねえ! 悠長に足引っ張ってねえで参戦しやがれこの阿呆!!」

イワォロペネレプとやり合いながら、ベルドがカレンを怒鳴りつけた。その一言で我に返ったカレンは、即座に大地を踏み込んで走り出した。その横では、ヒオリが術式の起動を完了させる。

「下がって!」

その声の元、ヒオリは術式を叩き込んだ。

「空間よ、刺し穿てぇっ!」

貫撃の術式――かつてローラとレンムを一撃で葬り去った術式が、イワォロペネレプに炸裂する。空間から放たれた無形の刃が、イワォロペネレプを貫いた。次の瞬間、後方へ飛び退いていたベルドとゲリュオが前方に跳躍。ベクトルを一瞬で反転させ、空中から守護鳥に襲い掛かった。

「ぶっとべ、ハト!!」

仮にも自分達の守護鳥に対して何たる言い草かとも思わなくも無いが、ベルドは委細構わず浅緑剣を振り下ろす。だが、やはりというかなんというか、やはりイワォロペネレプには躱されてしまう。そこへゲリュオの夜影刀が襲い掛かるが、これもあっさり躱されてしまった。


――が。


「グオォォォッ!」

回避されると見るや否や、ゲリュオの夜影刀が斥力を放つ。さすがにこれは想定していなかったのだろう、見事なまでの直撃を見る。次の瞬間、ツァーリの呪言が襲い掛かった。

「行くぜ、守護鳥!!」

さすがにハト呼ばわりはまずいと思ったのか、少しは敬意が戻っていた。ベルドのハヤブサ駆けと、ゲリュオのツバメ返し。必殺の刃が孤を描き、超音速の連続攻撃が放たれた。無数の浅手を負いながらも、守護鳥は再び羽を放つ。

「らあぁっ!」

ゲリュオは気合と共に、大きく振りかぶった右手を突き出した。その手に押し出されるように、火炎が渦を巻いて走る。高熱の奔流は衝撃波と化し、羽の群れを焼き尽くし、守護鳥を人形のように跳ね飛ばした。

さすがに少しは堪えたらしく、イワォロペネレプは空中で姿勢を制御すると、大きく羽ばたいて後退を始める。

「逃がすかよっ!」

ベルドがトルネードを放った。滑空していた金色の翼が叩き落とされたかのように鋭角に方向転換し、自由落下を遥かに超えるスピードで墜落する。だがイワォロペネレプは、叩きつけられる寸前に、大地に向かって大きく羽ばたき、墜落の衝撃を完全に殺しきった。しかし次の瞬間にはカレンのヘヴィストライクで思い切り殴られ、脳天から地面に墜落する。さらに、ヒオリの術式とツァーリの呪言がまとめてその体に襲い掛かった。


――そしてこのとき、勝負は決した。


確かにイワォロペネレプは、信じられないほど速かった。元々の速さに加え、空を切り裂く加速技「音速の翼」の使用は、あのベルドさえも抜き去った。だが、最初の呪言で音速の翼を引き剥がされ、今の呪言でさらに素早さは下がっていく。

足違えの呪言。冒険序盤から使用してきた呪言の一つで、彼らの冒険を幾度と無く支えた補助技の一つ。それを二発も使われてしまえば、加速の補助技はおろか元の素速さも危うくなる。

――だが、それでもイワォロペネレプは、守護鳥だった。次の瞬間には、その両翼が雷を纏う。

「やばいっ――!」

サンダーウィング。イワォロペネレプ最強の必殺技にして、触れるもの全てを黒焦げにしてしまうという神の裁き。天そのものが落ちてきたかのような轟音と共に、豪風と爆雷が一行を襲った。

「ぐああぁぁぁっ!」
「きゃああぁぁぁっ!」

呻きと悲鳴の多重奏が響き、一行は次々と吹き飛ばされていく。ある者は木に叩きつけられ、ある者は大地を何度も転がり、その攻撃はたった一撃で味方に大打撃を与えていた。


「まだだ……!」

しかし、その中でなお、ベルドは呻きながらも立ち上がった。続いてゲリュオが、ヒオリが、ツァーリが、そしてカレンが立ち上がる。

さすがは守護鳥というべきか、その威力は桁違いだった。イワォロペネレプの力は、自分たちのそれを軽く上回っている。

だが、しかし。

「……それが、どうしたのさ」

小さく笑って、ヒオリはそう呟いた。少し前のヒオリだったら、こいつを倒すことは出来なかっただろう。いや、今の拮抗状態にさえ持って行くことはできなかったかもしれない。

けれど、今なら。

力の意味を知っている。その使い方を知っている。戦う理由も、そこにある。

ヒオリは決然と守護鳥を見つめた。倒れていないことに気付いたのか、二度目のサンダーウィングが空間を切り裂いて襲い掛かる。

圧倒されるほどに大きな力。けれど、相手がどれだけ大きくても、負けるつもりは一切なかった。

「――行っくよおぉっ!」

一声叫び、鋭く力を絞り込む。どれほど巨大で莫大であっても、その力はイワォロペネレプの羽ばたきで生み出されている以上、そこさえ叩けば力は一気に瓦解する。起点に集中して攻撃を叩き込めば、例え全体の力で劣っていても相殺することは不可能ではない。

無論、並大抵の技量でなせる業ではない。だが、その程度のこともこなせないようでは、修行してきた意味が無い。

「氷よ――」

精神を集中する。要求されるは量ではなくてその精度。無秩序に広がる百を、収束した十で貫き捩じ伏せる。幾多の戦場を駆け抜けてきた、“紆余曲折”を前線で支えた、ベルドと、ゲリュオが得意として――そして、その背を幾度となく見続けて、その肩を幾度となく並べて戦って、間違いなく受け継いだ、ヒオリの戦い。

「突き抜けろ――――っ!!」

気合と共に術式を放つ。周囲を満たす神の裁きを打ち倒して疾る烈氷の一撃。それはいささかも輝きを減じることなく、一直線に駆け抜ける。そして――


――氷の衝撃が、弾けた。

 

 

「どうだ……!」

イワォロペネレプを静かに見据え、ヒオリは油断を解かなかった。再び術式を放てる体制を取るが、しかしその魔力は練ることすらできないままに消えていく。

「しまった……」

どうやら、力を使いすぎてしまったらしい。術式は強力な攻撃手段ではあるが、その能力は無限ではない。使えば使うほど、代償として己の魔力を消耗していく。だがそれでも戦いを止める気は無く、ヒオリは小瓶を取り出した。

苺の実を蟻蜜につけ、磨り潰して流動状にした精神薬――アムリタⅡ。心を落ち着かせ、魔力を回復させる効果もある。アルケミストやメディックといった術者系の職に属するものにとって、なくてはならない品物だった。

が。

「……もういい、ヒオリ」

小瓶の蓋を開けようとしたヒオリに、ベルドが静かに割って入った。そういえば、ベルドはこのとき追撃を仕掛けなかった。それだけではない、誰一人としてイワォロペネレプを攻撃しようとする素振りを見せる者がいないのだ。

どういうこと――? 眉を顰めるヒオリの前で、守護鳥は静かに羽ばたいた。


――人の子よ――


「え……?」
「なっ――」

突如としてヒオリに声が響き、ヒオリは辺りを見回した。突然のことで、理解が追いつかなかったのかもしれない。だが、周囲の人々はほとんどがイワォロペネレプのほうを向いており、まさかと思ったことは現実となる。


――人の子よ、聞こえるか……?――


「なっ……」

もう、聞き間違えるはずが無い。誰のものとも違う、この静かな重低音は――

「イワォロ、ペネレプ?」


――人の子よ――

 

――先の戦い、見事だった――


そして、全員の意識が集中したのを確認したのか、イワォロペネレプは話し出す。


――我は、汝らを、認めよう――


その声と共に、光が走る。その先には、黒い輝きを放つ杖がある。


――人の子よ――


その杖は、黒くありながらも美しいその杖は、中空からゆっくりと落ちてくる。

イワォロペネレプを貫いた、一人の少女の目の前に。


――持って行くが良い。汝なら、使いこなせるだろう――


「あ、どうも……って、ちょっと待ってください! これ、まさか……」

素直に受け取ろうとしたヒオリだったが、次の瞬間には素早く手を引っ込めた。かつてベルドに話された、剣の伝説を思い出して。

だが、イワォロペネレプは何も言わない。もう伝えることは伝えたと言わんばかりに、ヒオリを静かに見つめている。


だからといって、おいそれと受け取るわけには――振り返ったヒオリに、ベルドが小さく笑いかけた。

「……持って行け。神様が封印していたものを、わざわざ解いて渡したんだ。それだけの価値が、お前にはあるってことだろうよ」

ヒオリと同じくその正体を察したベルドは、彼女の肩を静かに叩く。振り返ったヒオリに、ベルドは力強く頷いてみせた。見ると、同じく事情を知るツァーリも頷いている。

「……うん」

ならば、得よう。仲間たちがそう言い、神に近き者が認めるのなら。

自分には、その資格があるのだろう。


ヒオリは両手を上向けた。その手に載せられるように、黒い杖はヒオリの元へ舞い降りる。


もう、迷いは無かった。


強く頷き――そしてヒオリは、その杖を強く掴み取る。

ミスティック・ワイザーと銘打たれた、魔杖の名を持つ七大器を。

 

 

 

「そうか……」

数々の戦利品と、ヒオリに預けられた七大器を見せて報告を行った一行に、アルカナは静かに頷いた。

「……突破したのか、一日で」

その声には、多分の賞賛と、若干の驚愕が混じっている。

「実は、あれは一日で突破できる内容にした覚えは無いのだ。一日の内に何体倒せるか――それを見るために、あれだけ多くの精鋭を配置したというのに――」

君らは、その全てを倒してしまったのか――腕を組み、アルカナは大きく息をつく。そして、一行に再び顔を上げた。

「ならば、最早是非には及ばない。第五階層――深層に赴き、迷宮の真実を明らかにしてもらいたい」
「……分かった。だが、その前に一つ、やり残したことがあるのだが……」
「なんだ?」

ゲリュオの言葉に、アルカナはそう聞き返す。対するゲリュオは、強い意志を秘めた瞳で、アルカナを静かに見据えて言った。

「……ウルスと、戦わせて欲しい」

そう。それは、自分の夢だ。そして、打ち倒す壁がまだこの場にある以上、それを避けては進めない。何年と追ってきた己の夢――それが、ウルスという男だった。

だが、その言葉を聞いたアルカナの返事は冷たかった。

「……無理だ」
「何故」
「ウルスは……今朝方、君らよりも先に出て行った」
「なっ……」

思わず言葉に詰まったゲリュオに、アルカナは首を振って話を続けた。

「……おそらく、その目的地は……」


「世界樹の迷宮、第五階層……」
「…………っ!!」

それが何を意味するか、分からないほど愚かではなかった。世界樹の迷宮、第五階層――かつての人の過ち眠る、樹海の真相。そこへ赴いたということは――

「ウルスも、分かっているのだろう。これが、君らの闘いとなる事を」
「だから……」
「……ああ。だから、行くがよい。彼の願いを、叶える為に。そして、ヴィズルの悲しみを、止めるために」
「ジェード卿……」
「…………」

呟くツァーリと、見つめるアルカナ。しばしの沈黙がその場を満たし――


「…………分かりました」

それ以上、言葉は要らなかった。深々と一礼すると、ベルドたちはその場を後にする。

「ベルド君」
「はい?」

と、そんな彼らの後ろから、アルカナの呼び止める声がかかった。振り返ると、そこには地味でありながらも丹念に作られた服が一着と、一つの小さな首飾りがある。

「これを、持って行くがいい。我らモリビトの秘宝の一つだ。それぞれ強力な炎属性の防御力、持ち主の魔力を引き出す力を持っている。君の戦いに、きっと役立ってくれるだろう」

 

 

 

「エルビウム卿」
「なんだ?」

そして、その日の夕方――出発の準備を整えていたベルドの部屋を、ツァーリが訪ねてきた。

「『異国の月』から連絡が来た。明日の昼、治療所で話し合いやそうだ」
「……分かった」

そういえば、そうだったか。この里にはもう一つ、やり残したことがあった。

カレン・サガラの、身の振り方についての話し合いを。

 

 

「さて、と……」

翌日、正午――モリビトの里の治療所で、彼らは長机を挟んで面会していた。ヒオリに大打撃を負わされたというローラとレンムも一応は座っており、とりあえず命に別状は無かったらしい。

二時間以内に話し合いを済ませてください――そう言われたことからすると、まだまだ完治には程遠いのだろうが。

「時間もそうあるわけではないし、単刀直入に行こう。話し合いは、我が娘、カレンのことだ」
「はい」

切り出してくるのは、進行役を請け負ったカレンの父親・キョウスケ。相槌を打つのは、ギルドのリーダー・ベルドだった。

「実は、私個人としては、最早話し合う必要は無いと思っている」
「……というと?」
「恐らくだが……カレンのほうで、既に結論は出ているだろうと思うからだ。違うか、カレン?」

聞いてくるキョウスケに、カレンは一つ首を振った。出てる。そう短く答え、カレンはベルドたちの方へ向き直る。

そしてカレンは、ゆっくりと自分の道を話した。

「私は……今も正直、どちらへ行くかは悩んでいます。ですが、どちらにするか、無理に決める必要は無いと思いました」
「…………」
「……私にとって、『異国の月』は大事なギルドです。家族がいて、師匠がいて、そんなギルドを捨てていくなんて選択肢は、到底考えられませんでした。でも、だからといって、こちらを切り捨てることも無理だったのです。今まで樹海を探検し、共に旅をしてきたのは、間違いなくこのギルドなのですから」

優柔不断だな。そう言いかけたゲリュオを、ツァーリが目で制した。

「……ですから、こうしたいと思っています。この迷宮の探索が終わるまでは、『紆余曲折』側にお世話になりたいと思っています。探索を終え、迷宮の真実を明かしたなら、『異国の月』に戻る――この結論で、いかがでしょうか」

話し終えたカレンに、誰も何も言わなかった。ただ静かにカレンの言葉を反芻し、何度も頷いて考えている。そしてまず口火を切ったのは、キョウスケとクランベリーの二人だった。


「……お前が真剣に考えて出した結論であるというのなら、俺がどうこう言う必要は無い」
「私も同感です。あなた方はいかが思われますか?」
「……まあ、それでいいんじゃないか?」

最初に同意したのは、ゲリュオだった。随分投げやりな返事であるが、彼の真意をなんとなく察したベルドは小さく笑う。

何度も言うが、ゲリュオはカレンが嫌いである。元々の女嫌いに加え、甘ったれた優柔不断な心の持ち主であるカレン・サガラは。

だからこそ、許可を出すのだろう。自分と共に戦うのではなく、とっとと迷宮探索を終わらせてカレンと永遠に別れるために。

だが、それでもどうして一時とはいえ自分と共に戦う許可を出したかというと、その理由はまた別にあったりはするのだが――まあ、今はあえて語る必要も無いだろう。


「……わしも、それでええと思うぞ」

さらに、ツァーリも同意する。彼にとっては、本当にどうでもいいのだろう。入ってくる者も出て行く者も、好きなようにさせておく。まるで、川の流れを見ているように。


「私も同感です」

さらに、サクラも同意に達する。

「どうであれ、このギルドは妹を預けるに足るギルドだと、私はそう思います。私たちがいなくても、この子はやっていけるでしょう」

その言葉に、ゲリュオの眉がぴくりと動いた。預けられる預けられない、そんな話ならお断りだ――かつてそう言ったゲリュオの言葉を思い出し、再びツァーリが目配せをする。とはいえ、ゲリュオも勿論こんな所で場を蒸し返すような馬鹿ではなかった。


「……ボクも、いいと思う」
「俺もいいと思うぜ。冒険者ギルドっつーのは、旅の目的を同じくする者同士が集うようなもんだからな。目的を終えた後の行動についてなら、俺らの話は管轄外だ。故に、その後のことは置いとくとして、『世界樹の迷宮の真実を暴くまでは俺らと共に行動する』のであれば、カレンは俺らと共に行くべきだろう」

理路整然と説明する辺りは、さすがは長らく「冒険者」としてやってきた男の言葉だろう。ゲリュオも冒険者というよりは、修行の旅をしている流れ者だ。そういうことを詳しく考えたことはないのだろう。

「……というわけで、俺らは全員OKという結論を出したわけだが……どうする、ローラ?」
「…………」

ここでローラを最後に回す辺りが話術だろう。だがそれでも、ローラの瞳は揺れていた。彼女の本心からすれば、今すぐ自分たちのギルドに入って欲しいというのが本音なのかもしれない。

だが。

「……もう、認めろ、ローラ。お前の役目は、終わったんだよ」

静かな、それでいて反論を許さないキョウスケの言葉。こうと決めたら譲らない、優しさはあっても甘さはない、それがキョウスケ・セガールという人物だった。それが分かるのだろう。そして、理性はそれを認めていたのだろう。結局の所私情で抵抗しているに過ぎないローラにとって、キョウスケの言葉は破れなかった。

「……そう、ね……」

ぽつりと、ローラは呟く。その横で、キョウスケはベルドたちに向き直った。

「……ならば、カレンは一旦君らと行動させよう。それでいいな?」
「……はい」

二つのギルドは会議の結論を確認する。同意に達したのを見て、場の空気が静かに崩れた。思ったよりもあっさりついた決着に、彼らは小さく笑みを交わした。


「……ところで、ベルド君」
「はい?」

と、そこへサクラが切り出してくる。

「セガール家に、婿に来る気はない?」
「は!?」

ぶっとゲリュオが茶を吹いた。マヌケな失態を演じるゲリュオという世にも珍しい光景であるが、ベルドの目には入っていない。

「どう?」
「い、いや、どう、って――」
「お、お姉ちゃんっ!!」

おろおろするベルドの前で、カレンが思い切り食って掛かった。だが、そんな妹に、姉は悠然と応対する。

「あら、嫌? 決して、悪い話ではないと思うのだけど……」
「そうじゃなくて!」
「あ、私もいいと思うわよ? セガール家にとっては、彼のような人物も必要だわ」
「お母さんまで!」

いきなりどたばた騒ぎが始まったセガール家の面々を見て、「紆余曲折」は訳もなく噴き出した。

「ちょっと、ゲリュオさん! ツァーリさんまで、何を笑っているんですか!?」
「す、すまん――」

謝罪の言葉を口にするツァーリであるが、次の瞬間腹を抱えて笑い出す。当然ながら、カレンはますます顔を怒りに染めて、一行を睨みつけた。

何がおかしいのかは明白であったが、それを許せるかと問われれば答えは無論、否である。

「ゲリュオさんっ、ツァーリさんっ!」

カレンは叫ぶが、二人とも笑うばかりで返事もしない。


「――そうですね。考えさせてもらいますわ」

そんな彼らの様子を見ながら、そんな返事を返しながら、ベルドは思う。


ああ、「紆余曲折」が戻ってきた、と。

 

 


「…………、んっ……?」

その夜、出発準備を終えて眠っていたベルドは、部屋の扉を開ける音に目を覚ました。目を開けると、そこには一つの気配がある。

「……ベルド、ベルド」

気が付くとヒオリが横にいた。当然ながらベルドは自分の部屋で寝ているわけだから、ヒオリがベルドの部屋へやってきたのだろう。呟くような小さな声で、ヒオリはベルドの名を呼んだ。

「ヒオリ……?」

ヒオリの唇が動く。だが、ベルドはその言葉を聞き取れない。同じ言葉を何度も紡ぐその動きに注目すると、彼女が言っていることが分かった。


ずるい、だ。


「……どうしたんだよ、おい?」
「……カレンの、ことなんだけどさ」

起き上がったベルドの耳は、やっと起動したかのように、彼女の言葉を受け入れ始める。

「……いいよね、ああいうの。旅が終わったら、あったかい家族の所に帰るんだよね」
「……ああ」

暗がりの中、ヒオリの瞳の居場所だけがはっきりと分かる。どう返していいのか分からず、ベルドは曖昧な返事をするしかない。しばしの沈黙が流れ――ヒオリはぽつりと呟いた。

「……ずるい」
「……え?」
「ずるいよ、そんなの。そんなの、不公平じゃん。なんでカレンにだけ、あんなに心配してくれる人がいるの? なんでカレンにだけ師匠も家族もいるの? なんで、あんなに――」

ベルドには答えられない。答えることも出来ない。ヒオリもまた、ベルドの答えを期待していたわけではなかったのだろう。熱に浮かされたかのように、ただ言葉を紡ぎ続ける。

「きっとカレンの師匠もさ、カレンのこと真剣に考えてるんだろうね。ボクには、そんなことなんて無かった。何日も連絡無しで延滞されて借り続けられて帰っても、土木作業に借り出されて悲鳴を上げる体で寝場所に帰っても、誰も、誰もっ、心配してっ、くれるっ、人なんてっ……!」
「…………」
「なんでだよ。なんで、なんで……!」

ベルドは、そっと手を伸ばす。ヒオリの目から、その名を冠した紅柘榴の瞳から、流れ続ける涙を見つめながら。その手がヒオリの頭に触れると同時、ヒオリは切り裂くように泣き叫んだ。

「なんでだよ! なんでカレンにばっかり、なんでカレンにだけ、なんでボクには誰もいないんだよ! カレンにはたくさんいるじゃない! 昼間だってそうだよ、家族もいて、師匠もいて、その上なんでベルドのことまで望むんだよ! どうしてもどうしても欲しくて、どんなに頑張って手を伸ばしても手に入れられなかったのに、なんであいつは何の苦労も無く手に入れちゃうんだよ! ボクだって、ボクだって――」


「――ボクだって、一人でいいから欲しいのにっ!!」
「もう、止めてくれえぇっ!!」

暗闇の中を、ヒオリの絶叫が駆け抜ける。血を流しながら、大粒の涙を流しながら駆け抜ける。聞いてなんかいられない。もう、これ以上聞いてなんかいられない!

「止めてくれ……もう、止めてくれ……!」

ベルドが知るよしも無かったが――それは、証明だったのではないだろうか。いつだったか、カレンに笑って言っておきながら、その確証は無かったのではないだろうか。順序も語法も滅茶苦茶なその言葉の中に、ベルドはヒオリの弱さを知った。

彼女は決して、弱くはない。だけど決して、強くもない。あんなに笑って、あんなに元気で――それなのにその内側は、こんなにも追い詰められている。

「頼むから、頼むから……俺の前で、そんな、悲しい顔をしないでくれ!!」

本気にしてしまったんだ。彼女は、本気にしてしまったんだ。昼間『異国の月』と話したときに、ベルドが返した返事のことを。じゃあ、考えておきます――ほんの社交辞令のつもりだったのに、ヒオリはそれを冗談と受け取る余裕さえもなかったのだ。

「あいつとの結婚なんて一ミリグラムも考えてねえよ! 考える内容なんざ、どうやって相手を傷付けないように断るかの方便に決まってるだろ!!」

正しく言えば、微妙に違う。場の空気を悪くしないために出した、その場しのぎの小さな嘘。向こうだって、本気で言ったわけではないだろう。だけど、そんなことはどうでも良かった。ベルドにとって、最大の価値を持つ少女が誰なのか、それさえ示せればいいのだから。

夜にもかかわらず、ベルドは叫ぶ。これ以上、悲しませたくない。これ以上、彼女を苦しませたくなんかない。ベルドはもう、彼女のために、生きているのだ。暴れるようにヒオリはもがくが、やがて、ベルドの腕の中で大人しくなる。


……長い長い時間が経って、ヒオリはベルドに話しかける。

「……ねえ、ベルド」
「……うん?」
「……ボクね、こう、ベルドに抱きしめられているとすごく安心するんだ」
「……そうか」
「……だから、ベルド?」
「……なんだ?」
「……ボクを、抱いて?」
「…………え?」

しばし、ベルドは呆然とした。思考はヒオリが言っている意味を解釈したが、理性はその意味を無視し、別の意味を探させる。

「……ベル、ド?」

ヒオリが、不安げな声で語りかけてくる。続きはまた今度だ、まだ、支えられる甲斐性がないから――かつて彼女にそう返した“その”返事。あの時とは大して変わらずとも、今の彼女の姿を見て。ベルドは今、この場所で、ヒオリに答えを返さねばならない。狂った思考の中から、答えの糸を探そうとして。必死になって答えを探すも、もうその意味はどこにもなくて。ベルドはせめて、首を大きく、横に振る。


まだだ。

まだ、ヒオリを抱くわけにはいかない。


「……………………」


一度や二度は妄想もした、彼女に告げるその言葉。

同情や、憐憫で放つ言葉ではない。

冗談でも、酔狂でも、こんなことなど言えやしない。


――だが、それでも、今なら言える。


「ヒオリ――」


ベルドは、ヒオリに言葉を紡ぐ。己の想い、その全てを言葉に載せて。


そして、ヒオリは、一瞬きょとんとした表情を浮かべ――


――泣きそうなほどに顔を歪めて、瞳から大粒の涙を零して、それでも満面の笑みを浮かべて、頷いた――

 

 

 

 


力の抜けたヒオリの体を、ベルドはそっと抱き締める。思ったより熱い感触が腕と胸に伝わってきて、ベルドは今更ながらびっくりした。

「お前……結構、あったけぇんだな」
「……ふふっ。ベルドだって、あったかいよ」

ふみゅぅ、と甘えるような声を出して、ヒオリはベルドにすりついてくる。ベルドは抱く腕に力を込めて、それから緩める。そうしてからゆっくりと草で編まれた布団の上に横たえると、上から覗き込むようにヒオリを見やった。

「こうして見ると……お前、綺麗だな……」
「そんな、まじまじ見ないでよ……」
「うあぁ、畜生。抱きたくなってくる……」
「……うん。ねえ、抱いて?」

ベルドに向けられる目は、透明で透き通っていて。その言葉が冗談ではないことを、否が応にも突きつける。ベルドはヒオリの服に手をかけると、上着と肌着を取り去ってしまう。そうしてベルドは、ヒオリに聞いた。

「ヒオリ。背中、見せてくれないか」
「え……?」

ベルドはかつて、ヒオリに見せられたことがあった。彼女の背中には、奴隷時代に刻まれた無数の傷が残っている。ある程度は治ってきただろうが、まだ完治はしないだろう。

「……駄目かな」
「でも……醜いよ?」
「んなもん、俺が決める」
「する気なんて、なくなっちゃうかもしれないよ?」
「だから、俺が決めるって」

そんなことを言いながら、ベルドは既に、返す言葉を決めていた。ヒオリはまだしばらく戸惑っていたが、ベルドは有無を言わさず彼女をひっくり返してしまう。傷跡は一挙にベルドの元に晒されて、ヒオリはいろんな感情がごちゃ混ぜになった声を上げると、身を縮めて布団に顔を埋めてしまった。やはり、見られたくないのだろう。何より、怖いのだろう。

そう思うのも、よく分かる。ヒオリの傷は、治り始めた今でさえ、思わず顔を背けたくなるほど醜悪だ。どう言っても、ヒオリは慰めと同情にしか聞こえないだろう。

ベルドはしばし考えて――ヒオリの背中を、掌で撫でた。

「――――っ!?」

その行為が信じられなかったのか、ヒオリははっとした顔で飛び起きる。ベルドは小さく笑みを浮かべると、左腕でヒオリの体を抱き寄せた。右手で頭をぽんぽんと叩きながら、左手でもう一度背中を撫でる。

「……見せてくれて、ありがとな」

苦笑しながら、ヒオリの体をそっと離す。両の肩に手を置くと、今度は眼帯に手をかける。ヒオリは身をよじったが、それでも遠慮なくベルドは眼帯を取り去った。

そこにあったのは、消えることなき奴隷の焼印。ヒオリは顔を背けるが、ベルドは首を振るとヒオリに正面を向くように言う。やや強めの口調に、ヒオリはおずおずと顔を戻した。

「…………」

不安げな表情に、ベルドは小さく笑いかける。そして、ヒオリにこう言った。

「うん。見せてくれて、ありがとう。なんていうか――軽口なら思いつくんだけど、こういう真面目な状況で出す言葉なんて思いつかねえや」

それでもな――と、ベルドは続ける。

「やっぱり、答えは変わらないや。それがお前だっていうんなら、俺は全部、受け止めるよ。その背中の傷も、焼印も――全部ひっくるめて、愛させてほしい。駄目かな?」
「…………っ」

ベルドの言葉を受けて――ヒオリの顔が、みるみる崩れる。瞳から大粒の涙を零して、ヒオリはベルドに抱きついてきた。

「……ぅ……」
「――ん?」
「……ぅぇぇ、え……」

ぼろぼろと、ヒオリの瞳から涙が零れる。ベルドの手の平は自然と動き、ヒオリの頭をそっと撫でた。ヒオリはますますベルドの体に抱きつく力を強めると、泣きながら、でもしっかりと、ベルドに言葉を繋いでいく。

「ひどい、ひどい、よぉ……」
「――ん?」
「そんなこと、言われたら……ボク、本当にベルドなしでなんか、生きられなくなっちゃうよ……」
「いいんだよ。ヒオリは少し甘えろ」
「ねえ、いいの? ボクなんかで、本当にいいの?」
「よくない相手にプロポーズなんかするかよ」
「だってボク、可愛くないよ?」
「可愛いよ」
「傷だらけだよ?」
「知ってる」
「やきもち焼き屋さんだよ?」
「それも知ってる」
「ボク、よくばりだよ……」
「欲張り?」
「他の女の子と話してるだけでも、それどころか多分、えっちな本見てるだけでもやきもち焼いて、ベルドの事、ずーっと独り占めしてないと気が済まないよ?」
「むしろそれだけ想われれば嬉しいわ」
「ねえ、キャンセルするんだったら、今だったら聞いてあげるよ?」
「男の子の一世一代の告白舐めるんじゃねえぞ」
「ねえ、いいの? 本当にいいの? 本当に、ボクなんかで――」
「ヒオリ」

少女の頭を撫でながら、ベルドは告げる。

「お前は、俺じゃ嫌なのか?」

その問いに、ヒオリはぶんぶんと首を振る。ベルドをほぼ押し倒すようにして、ヒオリは上から抱きついてきた。

「ベルドがいい。ベルドじゃなきゃ――ベルドじゃなきゃ、嫌だ」
「んじゃあ、いいじゃねえかよ」

ヒオリの涙は、止まらない。嬉し涙であってくれるならそれこそ嬉しいばかりだが――いや。おそらく、そうなのだろう。

「だって、だってだって、だって……、うぇ、うぇええ、ベルドぉ……」
「なんだよ」
「やだよぉ、誰にも取られたくなんかないよぉ、ねえ、ベルド……」
「取られねえよ」
「いかないで、どこにもいかないで。ボクのこと、もうひとりぼっちにしないでよぉ……」
「ヒオリ」

寂しさと愛しさと、その他もろもろ。感情の奔流を続けるヒオリの頭を撫でながら、ベルドは優しい声で続けた。

「ずーっと、ずーっと、一緒にいような?」
「――、ぁ――!」

たった一言、それだけこぼしたかと思うと、ヒオリの感情が爆発した。

ベルドはいまだ、見たことがなかった。ここまでぼろぼろと涙を零しながら、大泣きするヒオリの姿を。ベルドを抱き締める力の強さは、もはや「痛い」のレベルにまで達している。多分、彼女自身も止められないのだろう。

ここまで愛されていると自分自身胸が熱くなるのだが、夜泣きしている子供をあやしている図に思えるのは何故だろうか。

「ほら、ヒオリ。泣かないで」
「だって、だって……!」

人差し指で、涙を拭う。もう片方の腕でヒオリの背中を軽く押さえて、ぽんぽんと頭を叩いてあげる。二本じゃ、足りない。もう一本、腕が欲しかった。

「えっ、えぐ、ベル、ドっ、えっ、えぐっ、ひぐっ、えっ……」
「うん、よしよし……」

優しく頭を撫でてやると、えぐえぐとしゃくりあげながら、ヒオリはベルドに告げてくる。

「だっ、大好きっ、大好き、だよぉっ……」
「うん」
「何ヶ月も、何ヶ月も前から、ベルドが好きだった。恋人同士になったとき、凄く幸せだった。抱いてくれることはなかったけど、でもその理由がボクの昔のこととか、気にしてくれたからで、凄く凄く嬉しかった」
「ありがとう」

あまり豊富じゃない語彙で、落ち着いていない頭で、一生懸命告げてくる。顔を上げたヒオリは、熱に浮かされた顔で、両足をもぞもぞとこすり合わせた。くらくらするような『雌』の匂いが漂ってきて、ベルドを本気で誘惑する。

「ねえ、ベルド。ボク、もう、我慢なんてできないよ……」
「ヒオリ……」
「あの時、すぐにでも抱いて欲しかったのに。リーシュを倒した後、もう一回告白してくれたのに、ボクだって本気で告白したのに。ボクが……ボクが何回、ベルドのことを想いながら、自分を慰めたと思ってるんだよ……っ」
「ヒオリ……ッ……」

切ない告白に、ベルドは胸が締め付けられそうになった。体を思い切り抱きしめると、ヒオリは嬉しそうに、ベルドの背中に腕を回す。

「ベルド……!」

泣き叫ぶような、乞い求めるような、たった一言、名前を呼ぶ声。

心からの、ヒオリの言葉。

最後に残った憂いと迷いが、消えていく。

もう、覚悟を決めよう。死力を尽くして、彼女と生きよう。

「ヒオリ……」

もう一度体を抱き締めて、ベルドはヒオリと、体の上下を入れ替える。ヒオリの顔が歓喜に震え、何もしていないのに熱く湿ったヒオリの秘部が、ぬちゅりとベルドに押し当てられる。

「ごめんね、ベルド。こんなことして、ごめんね。卑怯な子で、ごめんね……」
「謝んないでくれ。自分の気持ちばっかり押し付けて、俺のほうこそ、ごめん……」

謝り合うのは、この前以来だ。自分が自分でなくなりかけたあの頃も、お互いに自分の気持ちばかり押し付けあって。形は違えど、これもあの時と同じなのに。

「ヒオリ。責任、取るよ。ずっと、一緒にいよう」
「うん……うん……!」

また、泣かせてしまって。こんなに愛してくれているのに、自分はまだ、逃げていた。

「抱いて、くれるんだよね? やっと、抱いてくれるんだよね?」
「ああ。ごめんな、怖がりで」

軽口を叩いて、彼女から逃げたこともある。ヒオリは何度も首を振って、体を密着させてくる。

「こんな、こんなボロボロの女の子でも、ベルド、お嫁さんに、してくれるんだよねっ、いっしょうっ、ボクだけっ、みてて、くれるんだよねっ……!」
「ああ。ヒオリのこと、お嫁さんにしてあげるからな」

素直になりきれなくて、どうしてか上から目線で言ってしまって。


それでも、ヒオリは。ぼろぼろ泣いて、ベルドを思い切り、抱き締めてくれた――

 

 

 

 

 

「ん……」

もぞっ、と体を動かして、ベルド・エルビウムは目を覚ました。体にはそれなりの重みがかかり、顔をずらすと、自分の上で幸せそうな顔で眠りについているヒオリがいる。頭を撫でようと腕を伸ばすと、自分が裸だったことに気付く。次いで昨晩、何があったのかも思い出す。

心を重ねて、肌を合わせて。目を覚ますと、不安も躊躇も、消えていた。柔らかな銀髪に手を伸ばし、ベルドはそっと頭を撫でる。しばらく撫でていてやると、ヒオリの頭が持ち上がった。ぽやっと開かれているだけの目は、ほとんど寝ぼけているのだろう。しばらく撫でられていたヒオリだったが、やがて裸の体を絡め直すと、ベルドに甘い口付けをした。

「えへへ……おはよう」
「……ああ、おはよう」

昨日と同じで、どこか変わってしまった朝。もう後戻りは出来なくなって、後戻りする気もなくなった朝。ヒオリの体を抱き締めてやると、ヒオリは嬉しそうに喉を鳴らして、ベルドの首筋に顔を埋めた。しばらく、穏やかな時間が流れて――ヒオリは、ベルドに聞いてくる。

「ね……ボク、ずっとベルドと一緒にいて、いいんだよね?」
「……ああ。当たり前だろ?」

ヒオリはまた、はにかむような笑みを漏らす。そんな姿が可愛くて可愛くて、ベルドはぎゅぅっと強めに抱くと、頭を何度も撫でてやった。ヒオリは顔を上げると、ベルドに向かって微笑んでくる。

「ね、ベルド……」
「うん?」

「ボク……幸せだよ?」
「ああ……」

それは、自分もだ。そんなことを考えて、ベルドはヒオリに囁いた。

「……俺もだ」

 

 

 

 

 

 

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