第一話

序章


「……よし、こんなもんか……」

アリアハン城下町南西の家、その二階で、黒髪の少年が独り言を出す。

少年の眼前には道具類を入れたバックパックが一つと、なめした革で作られた盾、そして青銅で出来た剣がある。全ての荷物の確認を終えると、少年は立ち上がり、窓の外に視線を飛ばす。

「明日から、あの外が全部、分かるんだよな……」

その先にあるのは、アリアハンの城壁。かつて、バラモスという名の魔王の脅威にさらされていたとき、この城は頑丈な城壁と訓練された騎士団で守りを固めてきた。だが、百年ほど前、ある人物の働きによってバラモスは打ち倒され、魔物の姿も消えてきた。

時刻は夜。まぶしい陽光もないのに、それでもなおまぶしそうに目を細める少年の顔には、生気というものに満ち満ちている。

彼の名前はクエルス・フォード。十四歳。世界中を旅する夢を持ち、今日まで勉学に励み、剣術を磨いてきた。この平和な世の中を旅するのに勉学はともかくとして、剣術がなんの役に立つのか――彼の幼馴染はかつて、そう言った。

「ま、男のロマンってとこだったな、あの時は」

苦笑と共に、青銅で出来た剣を見やる。魔王という存在が消えたが故か、魔物達はかつての凶暴性を見せず、下手に彼らのテリトリーを刺激してしまわない限り、襲い掛かってくることもなくなっていた。


――五年前までは。


五年前――山奥の地、ネクロゴンドに一晩で聳え立った巨大な城は、全世界を震撼させるに余りあった。そこは百年前、勇者アラン・フォードによって倒された――魔王バラモスが根城とした、悪夢の地。

呼応するように魔物たちの動きは活発となり、全世界は再び魔王の恐怖に怯える世の中へと逆戻りしてしまった。

「キメラの翼は……あるな。ちゃんと」

荷物袋の中をもう一度覗き込み、中にキメラの翼が入っていることをもう一度チェック。剣術を磨いたといえど、実戦相手は人である。対魔物戦の訓練など積んでいるわけがなく、しかも魔物と一口に言ってもその種類も千差万別だ。状況に応じ、臨機応変に戦い分けることが必要となる。当然、少年にとっては初めての領域で、その状況下で旅に出るなら命の警戒はいくらしてもしすぎることはないだろう。


「……よし」

全ての確認をもう一度終え、少年はベッドにもぐりこんだ。


クエルス・フォード――かつての勇者の血を引く事実が何を持つか、まだこのときの彼は知らなかった。

 

 

「――うむ、すがすがしい朝!」

翌朝、早朝。いつもはこんなことは言わないが、気合を込める意味でクエルスは両頬をぱしっと叩く。さらに意味無く腕立て伏せ二十回と腹筋二十回を行い、ウォーミングアップを完了させる。

旅に出るとの短い置き手紙を残し、眠っている母親を起こさないようにクエルスは家の扉を開ける。フォード家には父がおらず、数年前から兄も出奔していた。そのためか、母親はクエルスの旅立ちには非好意的で、最後まで分かりあうことは出来なかった。

家出同然で出て行くことには少々良心が痛んだが、それを首を振って振り切り、勇者の末裔は家を出る。軽く剣の位置を調整しながら歩くこと数分、城壁の出口で壁に寄りかかっていた少女に声をかける。


「……よお、シャルナ。待たせたか?」
「一応はね」

この少女――シャルナ・ラヴァーレこそが、クエルスの幼馴染であった。丈夫そうな麻の服に身を包み、吊り下げられた鞘には一本の短剣が入っている。本人曰く、二年前に落ちていたものを拾ったそうだ。

「それにしても――お前、本当についてくるんだな」
「当たり前でしょ」
「全く……何年も前の約束なんて、普通忘れてるもんだろうがな」
「今更言う?」

そんなぼやきに返った言葉に、クエルスは一つため息をつく。数年前――まだ自分達も小さかった頃、クエルスはこの広い世界を見てみたいとシャルナに向かって言ったことがあった。そのときのシャルナの返事が「だったらあたしも連れて行ってよ」であり、そのままなし崩し的に今日を迎えるのである。顔に傷でも負ったら、嫁の貰い手がいなくなるぞとでも言ってやろうかと思ったが、殴られそうなので止めておく。

「準備は」
「勿論、整ってる。もたもたしていたら親に見つかっちゃうもんね」
「だろうな」

城壁を出る前の簡単な確認。確かめるまでもないようなこのやりとりを素早く終えて、彼らは見張り番の兵士に軽く手を上げて街を出た。

 

 

目次へ

第二話・初戦闘へ

inserted by FC2 system