最終

彼らが戦いに挑むとき


 
終末は突如としてやってきた。それは夜八時、リビングで晩御飯を食べているところだった。父親が会社から珍しく早く帰ってきたと思ったら、一人の人物を連れていたのだ。

「桐夜、お客さんだ」

「え?」
 
その人物は、見たことも無い紳士だった。オールバックの髪に、ぴしっと着こなしたスーツ。ご丁寧にシルクハットまでついている。だがその眼光だけはとても鋭く、氷のような印象を与えさせた。

突如走った既視感の正体を見抜いて、雪沙に伝えていなかったことを心の中で舌打ちするも、いまさらどうしようもない。

「食事中申し訳ない。少々、よろしいかな?」
「ええ。しばらくお待ちください。一旦、部屋に戻ってもいいですか?」
「ああ、かまわんよ」

言葉遣いもおかしなところは無い。非常に厄介な話だ。桐夜は階段を上って、自分の部屋に入り込んだ。
 
「……塚本、さん……」
「……ああ」

雪沙も分かっているようだ。彼女は既に立ち上がり、持っていたコンビニ弁当は傍に置かれていた。任務が任務なため、黄泉の住人の気配を察知するなどお手の物だろう。それでもこの部屋を出ないでいてくれたのは正直ありがたかった。
 
余談だがこのコンビニ弁当、桐夜が自腹を切って買ってきたものである。
 
 
「お前は窓から下りろ。親に見つかったらまずいからな。俺も外に出るから、見失うなよ」
「はい」
 
その言葉を残して、雪沙は窓を開けて外へと消えた。おそらくは屋根に上ったのだろう。
 
「……冷静に、な」
 
ぽつりと呟いた一言は、おそらく雪沙には届いていない。桐夜は意識を切り替えて、階段を下りてリビングに戻る。

「すみませんね。それで、何でしょうか」
「いえ、ここだと話しにくいことでしてね。少し付き合ってもらえないだろうか?」
「はい」

返答は予想通り。こんなところでやらかすわけには行かないだろう。
 
外出の旨を両親に告げて、彼らはそのまま外へ出た。
 
 
 
 

幾本もの裏道を抜けて、薄暗い路地裏へ。そこまで案内され、紳士は桐夜へ振り返った。
 
「こんな薄暗いところで申し訳ない。少々人には聞かれたくない話でしてな」
「……ついでに言うと、見られたくない話でもあるんだろ?」

にやりと笑って言うと、俺はジーンズの後ろポケットに手を伸ばした。

「……なあ、酒呑童子?」
「……ほう、知っておったか」

次の瞬間、紳士は姿を変えた。スーツやシルクハットも変身の一部だったらしく、破けたり落ちたりということは無い。見上げるほどの巨体、丸太のような腕、着物に袴、そして鉄の杖。それは間違いなく、昨日の夜に対峙した酒呑童子だった。

「……ということは、俺を殺しに来たのか?」
「無論だ」
「……黙ってるから見逃してくんない?」
「……人間は、信用ならん」
「だったらどうして、昨日は見逃した?」
「貴様の勇気に敬意を表して、だ」

意外とこいつはいいヤツなのかもしれないと、桐夜は場を忘れてそう思った。敵味方に分かれているのが残念なぐらいだ。確かに人間は信頼できないというのは分かる。この時代人は欺き欺かれ、信じていた相手から裏切られる。そもそもそういうのを商売としている詐欺師という連中もいる。そりゃ信用できなくなるのも道理だろう。

「……何故、俺を殺そうとする?」
「姿を、見られたからだ」
「……?」
「……私は、自由が欲しかった。ろくな休みも無く毎日毎日職務に追われ、ここに来る者たちを裁き続ける日々だった」

疑惑のまなざしを向けた桐夜に、酒呑童子は何を考えたのかいきなり身の上話を始める。

「昔はよかった。我々達の存在は畏敬の対象であり、拝んだり崇めたりしていた。だが今は違う。科学とやらが進歩し、かつてはこちらの祟りだと言われていた物も正体を解明され、あまつさえ我々の存在すら否定するようになった」

それを聞いて、桐夜は分かった。こいつだって悪意でやっているわけではないのだろう。同時に、何故こいつが桐夜を殺そうとしたのかも分かった気がした。
 
それを確証に変えるために、桐夜はさらに話を引き伸ばす。
 
「だから……お前らの存在を世に示そうというのか?」
「違う。人の世は、昔と比べてはるかに住み易くなった。だから、人間社会で生活しようと思っているだけの話だ」
「それは、黄泉醜女に追われるリスクを負っても、か?」
「ああ」

予想通りだった。人は鬼が怖い。同様に、鬼も科学の力を身につけた人間は怖いのだ。力が権威を振るっていた時代は終わり、頭脳を使う種族が勝者となる時代がやってきた。だから鬼も鬼ではなく、人として生きていこうとした。となると鬼としての姿を知られてしまったら困るという寸法だ。
 
「ところで、さっきの話を聞いて思ったんだけどさ、黄泉国ってのは生活しにくいのか?」
「科学の恩恵にどっぷり使った人間共にとっては、はるかに住み難いだろうな」
「そうか。じゃあ、行くのはやめとくか。――ま、元々行く気も無かったけどな」

鬼が訝しげな目を向けたとき、桐夜は息を吸い込んだ。

「雪沙!」

叫ぶと同時、近くの民家の屋根から黒い影が躍り出た。それは桐夜と酒呑童子をつないだ延長線上に着地。コンマ一秒の差すらつけずに前方に疾駆、跳躍して電光石火の勢いで酒呑童子に襲い掛かり、音速の勢いで攻撃を仕掛ける。

「っぐ!」

酒呑童子はあわてて回避行動に移るが、いかんせん不意を突かれており完全な回避は不可能。身をひねったものの左の脇の下を切られた。雪沙はすぐに距離をとると、桐夜と酒呑童子の線を断つように着地する。

これが昨日の夜練った対酒呑童子作戦のひとつだった。相手との実力差がある以上は不意打ちで叩くしかない。

……が、その作戦は失敗に終わった。回避されなければ心臓に入ったはずだ。

「あの黄泉醜女か。しかし、まだ本調子ではないのではないか?」

そう、原因はそれだ。昨日の夜雪沙は「二日もすれば治る」と言った。余裕を見積もって二日と言ったのだろうが、さすがに一日では回復しきってはいなかった。

……それでも、あれだけの重傷を負って何もしていないのに一日でこれだけ治るってのもまた常識外れなのだろうが。
 
ともあれ、敵に心配されてしまった(嫌味だろうが)雪沙だが――その言葉を聞いて、叩きつけるように怒鳴って返した。
 
「……だから、どうしたというんですか!?」
「……なに?」
「だったら、本調子になるまで休んでろと!? 知りませんよ、あなたがいるのに、のうのうと休んで逃げるわけには行かないんです!」
「なぜだ?」
「分かりませんか!? あなたが殺した黄泉醜女は、私の姉だからですよ!」
「なるほど、要するに仇討ちか」

もう言葉は必要ない――雪沙の態度が、それを物語っていた。酒呑童子を完全に敵とみなし、両手に握った得物を構る。月光に照らされ、鋭銀の光を放つのは……

「小太刀……二刀流?」

思わず漏れたその声は、桐夜のものだ。小太刀とは刃渡りが五十五センチ前後の、通常のものより短い刃渡りを持つ刀である。刃渡りが短く軽い反面、当然ながらリーチは短い。そのため牽制したり相手の攻撃を受け流したりと、主に防御用として使用するのが一般的だ。

二刀流は片方が普通の太刀、もう片方が小太刀というのが基本形だ。二刀とも小太刀というのも珍しいパターンである。

「まあ、よい。本調子で無くば叩くのは容易。そこの人間もろとも消し去ってくれる!」

二刀の小太刀を向けられた酒呑童子も腰を落として鉄の杖を構え――戦いは、始まった。
 
 
 
 
 
 
 
「塚本さん、下がっていてください」

その言葉と共に先手を打ったのは雪沙のほうだった。接近、次いで刺突。対格差があるため相手の足の付け根を狙う。その足とて一メートル半は越える代物だ。小柄な雪沙が狙うのであればちょうどいい位置である。

酒呑童子はその攻撃を後ろに飛び退いて躱すと、杖を持ち上げ、刺突の要領で上から突き出した。雪沙はその攻撃を横跳びに回避し、さらに距離を詰めていく。

「――なにっ!?」

だが次の瞬間、桐夜は驚くべき光景を目にした。酒呑童子が雪沙に近づいたのだ。雪沙の得物は二刀小太刀。小太刀に限らず、刀剣を扱う者にとっての適正な間合いは一足一刀の近距離(ショートレンジ)。一歩踏み込めば相手に攻撃が届く、必殺の距離だ。

対する酒呑童子は鉄の杖。通常、杖や棒は中〜遠距離での戦いを想定されて作られている。特にこの酒呑童子が持っている鉄の杖は、酒呑童子自身より長い。酒呑童子の身長が確か六メートルだったから、低く見積もっても七メートル以上はある。そんな杖を得物にしていたらもっぱら遠距離で戦おうとするだろう。だが酒呑童子は逆に、雪沙との距離を縮めたのだ。

雪沙が戸惑ったのが遠くからでも分かった。だがその一瞬の逡巡は命取りとなる。

踏み込みから放たれる強烈な一撃。蹴飛ばされた雪沙の体はそれこそサッカーボールのように吹っ飛ばされ、激しく地面に叩きつけられた。
 
簡単な話だ。一直線に距離を詰めてくる雪沙に対し、酒呑童子は杖に頼らない格闘戦を挑んだのだ。そもそも人目につきにくい裏路地に、六メートルを超えるような杖を縦横無尽に振り回せるようなスペースは無い。逆に邪魔になるだけだ。ならばいっそ、得物を捨てて格闘戦を挑んでしまったほうがいい。

「雪沙!?」

桐夜の叫びも耳に入っているのかいないのか、雪沙はすぐに起き上がり再び踏み込んで行った。酒呑童子は今度は杖を上から振り下ろす。確かに遮蔽物がない縦方向なら杖も使える。

雪沙は攻撃を小太刀の柄で受け止めると、反発力と体のばねを使って思いっきり跳ね上げた。跳ね上げられた杖は、酒呑童子の――剣道で言うなら「面」の部分を――がら空きにさせる。そのまま、雪沙は思い切り飛び込んでいった。飛び上がっている時間も惜しいのか、踏み込みのエネルギーを全て前方に打ち込むように、二本の小太刀を殺傷力の高い刺突の体制にして飛び込んでいく。

だが、その雪沙の前に、再び杖が迫っていた。

「雪沙、下だ!」

桐夜の声が届くより早く、雪沙が思い切り吹き飛ばされる。酒呑童子の跳ね上げられた杖は弧を描き、反対側から戻ってきたのだ。結果、下から上方に押し上げるように雪沙の体は上空に向かって打ち上げられた。

酒呑童子はすぐさま杖を持ち替え、刀で言うなら逆袈裟に殴りつけた。雪沙は桐夜に向かって飛ばされて来るが、小太刀はまだ手放していない。
 

その時――
 

塚本桐夜は、動いた。弾かれたように走り出し、雪沙の吹っ飛ぶ延長線上に立つ。そして飛んできた彼女をしっかりと抱きとめる。一般人の彼からすれば、奇跡とも言うべき行動だろう。

「つ、塚本さん?」
「大丈夫か!?」
「……下ろしてください!」

現状を把握した雪沙が暴れだす。だが、桐夜としても、ここで下ろすわけにはいかない。
 

――正義感がどうとかいうより、単に雪沙が敗北したら速攻自分が殺されるからだが。
 

「下ろしてください、早く!」
「断る!」
「なんでですか!」

傍から見たら、かなり滑稽なやり取りだろう。事実酒呑童子はにやにやしながら二人を見ている。
 
「ここで俺が手を離したら、お前は絶対突っ込むだろうが!」
「あたりまえでしょう、あの鬼を捕まえなくちゃいけないんですから!」
「突っ込むだけで勝てんのかよ!」
「それは……っ!」

雪沙の動きが、一瞬止まった。

「そんなの、分かってますよ!」
「いいや、分かってねえ!」

言い返すと雪沙はますます暴れる。その動きを押さえつけながら、桐夜はそれを叩きつけた。

「酒呑童子なんてな、お前ら黄泉醜女だったら勝てる相手なんだよ!」
「なに!?」

桐夜の言葉に反応したのは酒呑童子の方だった。顔に焦りが生まれるのが見えるが、桐夜は無視して話を続ける。

「お前が負けるのは、怒りで我を忘れるからだ! 仮に勝ったとしても、隙を突かれて更沙さんの二の舞になったらどうするんだよ!」

雪沙の動きが、止まった。

「黙れ!」

代わりに響いたのは天そのものを揺るがすような、鬼の声。いつもの桐夜だったら裸足で逃げ出すところだが、恐怖感の出番は当分保留だ!

「どうして、姉の名前を……」
「会ったからだよ!」

疑問の声を投げかけた雪沙に、桐夜は叫んだ。

「俺は今日一沙さんに会って、彼女から伝言をもらってきた! 信じる信じないはともかく、まずはその伝言を聞きやがれ!」

本当は大した伝言なんて貰っていない。たった一言冷静になれというだけだ。

「深呼吸でもして頭を冷やせ! いつものお前みたいな冷静な戦いを見せてやれ! 冷静になれば、捕らえられない相手では――」

そこから先は、出なかった。踏み込んできた酒呑童子が、桐夜の胸を蹴飛ばしたらしい。ちょうど胸の位置に抱いていた雪沙は放り出され、地面を何度も転がった。桐夜は何メートルも吹っ飛び、ブロック塀に打ち付けられる。

頭を打ちつけ、脳震盪にでもなったのか目の焦点がぜんぜん合わない。体にも力が入らず、はっきり言って動けそうに無かった。

――ああ、最後まで言えなかったな。

それでも、そう後悔できるだけの余裕があったことに桐夜は内心で苦笑する。
 
揺らぐ視界の中、灰色の女の子がすくっと立ち上がったのだけが分かった。
 
 
 
 
 
 

――いつものあなたみたいな、冷静な戦いをしてみなさい。

それはかつての記憶の中で、幾度も言われたことだった。

憎くて憎くて仕方なかった。敬愛する姉が、その赤黒い右手で殺されたことを思うと、居ても立ってもいられなかった。
 
だが――それは、更沙の望んだことではなかった。
 
無念を討ってくれることを、望むかどうかは分からない。だがそのために、更沙の教えを破っていた。更沙が望むと信じたことをするために、更紗の教えを破ってしまう。本末転倒の極みというほかないだろう。

気付けば、簡単なことだった。酒呑童子との距離を詰めると、一方の小太刀を素早く振るう。対する酒呑童子は左足一本で踏み切り、後方に跳躍、回避。着地と同時に、右足を蹴り出した。

雪沙は身を捻って躱し、深追いはせずに得物を静かに構えなおす。酒呑童子はその間に距離をとった。

雪沙は再び酒呑童子に向かって駆け出す。かなりの距離が離れているからか、酒呑童子は格闘戦ではなく棒を下から振り上げた。唸りを上げる銀の風を、雪沙は片方の小太刀で迎え撃った。

刀は元々、速さと技で以って勝負する剣術の武器として発展してきたものだ。頑丈さに任せて膂力を競い合うような打ち合いには向いておらず、そんなことをやらかせば(いたずら)に刃を傷付ける。そのため、雪沙は迂闊な押し合いはせずに、手首を返して受け流した。

ベクトルを狂わされ、剣道で言うなら今度は胴が、がら空きになる。だが雪沙はそのがら空きの体に攻撃を加えることはせずに、跳躍した。同時、押し戻した棒の逆の先端が弧を描いて雪沙に襲い来る。酒呑童子はそれを狙っていたのだろう、まともに食らえば頭に入る。

だが、雪沙はそれを見越していた。振り下ろされた棒を反対の小太刀でそれを受け止めると、斜め下に勢い変換、物凄い速度で酒呑童子の胸元へと飛び込んだ。
 
音速――酒呑童子の絶叫と、人間で言うなら心臓の部分に突き刺さった小太刀の刃。一刹那の内に起こった動きは、それが全てだった。酒呑童子はそのまま仰向けに倒れ、雪沙はなおも小太刀で威嚇しながら用心深く酒呑童子を後ろ手に縛り上げる。
 
荒縄で幾重にも巻き締めて、雪沙は大きく息をつく。受け止めた小太刀は曲がってしまったが、折れなければ……一度でも受け止められれば、それで良かった。

 
 
 
 
 
「塚本さん!」
 
戦いが終わり、雪沙は初めて桐夜のほうに意識を向けた。ぱたぱたと近くまで走ってくる。
 
「塚本さん、やりましたよ……塚本さん?」
「あぁ。大丈夫だ。ちょっと、体に力が入らないだけだ。だから、喋らせるな」
「良かった……」
 
心細げな声を聞いて、桐夜は自分が大丈夫である旨を伝える。実際は全然大丈夫じゃないが、それでも雪沙を安心させるだけの効果はあったらしい。
 
雪沙が桐夜の頭を抱き上げる。だが、桐夜に雪沙の手の感触はなく、代わりにしたのはぬるりとした滑るような感覚だけ。ああ、血が出てるな、と脳が認識するまで数秒。見ると雪沙はまた不安げな顔に戻っていた。
 
「大丈夫じゃないじゃないですか!」
 
――お前が言うか、それを。
 
「まあ、喋れるんなら、大丈夫じゃねえの? 派手に血は出てるけど、実際大したことはない」
 
雪沙は疑わしげな目で桐夜を見ている。気まずくなった桐夜は、急遽話題を変更した。
 
「終わったのか?」
「……ごまかさないでください」
 
その返事は戦いが終わったことを証明していて、桐夜は安堵の吐息を漏らした。とにかく、死なせないですんだ。もう、稲垣みたいなあんな目をしたやつは見たくなかった。
 
「……塚本、さん?」
 
安堵したせいか、どっと疲れが出た。寝る、とだけ言い残して目を閉じる。気が遠くなっていく中、戸惑う雪沙の声がいやにはっきりと聞こえた。
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