第四

彼女の理由を知ったとき


 
「あー、疲れたー」

ぶつくさ呟きながら、桐夜は帰宅路を歩いていた。時刻は午後四時半。冬も終わり、日もだんだん高くなってきている。
 
だが、ここは駅の裏手。日は高くなってきているとはいえ、廃ビルにさえぎられて昼もなお薄暗い。
 
ぼんやりと雪沙のことを考えてみる。鬼に襲われた、あの少女。飛び込んだのはいいが状況が好転するわけでもなく、ついでに飛び込んだ自分まで命を狙われるようになってしまった。
 
「まあ、死ぬのが確定だった奴を助けられたのは不幸中の幸い……ッ!?」
 
独り言を漏らす中、びくりと体が震えたのが自分でも分かった。何度も何度も体験してきたこの感覚。次の瞬間、持っていた憶測は確信に変わった。歩く足を止めて、桐夜はその場に停止する。
 
「……何度も何度も人の後ろに来るのは悪趣味だとは思わないか、黄泉醜女?」
「申し訳ありません、そのようなつもりはございませんでした」
 
そう。初めて雪沙と出会ってからたまに感じるようになったこの気配。敵の鬼のものでないとすれば、次に考えられるのは彼女達、黄泉醜女だ。そういえば、気配を感じたときは決まって黄泉の世界について考えていたり、雪沙のことを考えていたりしていたときだった。
 
桐夜はゆっくりと後ろを振り向く。日光が差さない物陰の闇が、急速に質量を得るのが分かる。やがてその闇は、一人の少女へと形を変えた。
 
雪沙と同じ、白い肌。漆黒の髪は一片の癖も無く、腰まで流れるように伸びている。単でも着せようものなら『大和撫子』という言葉がぴったり合うだろう。
 
彼女は桐夜の前に歩み寄ると、両手を前に合わせて丁寧に一礼した。
 
「あなたが、雪沙と共に行動していらっしゃる――塚本、桐夜様ですね?」
「え、あ、はい」
 
実に洗練されている動作と言葉遣い。何度も後ろに立たれて気味の悪い思いをさせられたことも忘れて、ついつい恐縮してしまう。
 
「ええと、あなたも、雪沙さんと同じ?」
「はい。わたくしは、一沙と申します」
 
以後、お見知りおきを、との一言で、再度一礼。物静かな微笑と相まって、同じ敬語なのに雪沙とはまた違って見える。
 
「塚本様。少々、お時間を頂いてもよろしいでしょうか?」
 
こうも丁寧に聞かれると否定なんぞ出来ず。ペースを乱されるまま、桐夜は答えた。
 
「あ、はい。えーと、場所、変えます?」

 
 
 
 
気の利いたところが無かったので、とりあえず近くの廃ビルに入って適当なところに腰掛ける。
 
「塚本様。妹の不手際を、心から謝罪申し上げます」
 
口火を切ったのは一沙のほうだった。雪沙同様、いきなり謝罪。しかも頭の位置は先刻の挨拶よりはるかに低い。どうやら事態は、桐夜が思っている以上に深刻のようだ。
 
「えっと、特にそのことに関しては気にしてないんで、えっと、頭を上げてください」
 
不意を突かれて、しどろもどろに桐夜は答える。つーかなんでこんな短期間に二人も女の子に謝罪させてんだ。しかも一人は土下座してきたし。
 
「申し訳、ございません」
 
苦々しい顔で、一沙はゆっくりと頭を上げる。
 
「いや、気にしないでください。――ところで、妹?」
「はい。雪沙は、わたくしの妹です」
「……いい妹さんじゃないですか」
 
言っておくが、社交辞令ではない。はずだ。
 
「ありがとうございます」
 
また、一礼。その後しばらく沈黙が続く。

「えーっと、なんだ。その、とりあえず、用件は? ほら、雪沙さんが一沙さんの妹であるってことをわざわざ伝えに来たってわけでもないんでしょうし」
「はい。あの……」
 
ばつが悪そうに答えて、目線を泳がせる。何か言いにくそうにしていたので、代わりに桐夜が口を開いた。
 
「あー、迷惑なんじゃないかとか考えてくれなくていいんで。もうあそこまで巻き込まれた以上最後まで付き合いますから、何なりと言ってください」

一沙はまた、申し訳ございません、と一言言ってから、次の言葉を紡ぎ出す。
 
 
――ってか、なんでこうも腰が低い。
 

「……あの子に、伝言をお願いしてもよろしいでしょうか?」
「伝言?」
「はい。塚本様の方から、冷静になってくれ、とお伝え願えないでしょうか?」
「……というと?」

言いたいことが分からず、桐夜はそう聞き返す。

「雪沙は、あの子は酒呑童子を討とうとして失敗いたしました」
「ええ、そうでしたね」
「本来、酒呑童子を討つのはあの子ではなく、わたくしの姉――更沙の任務だったのです」
「そうだったんですか?」

だったらどうして雪沙がぼろぼろになってるんだ? それに桐夜は、その『更沙』という人とは一回も会っていない。

「酒呑童子を倒すのは、本来はあまり難しくはないのです。戦闘能力も、わたくしたちのほうが高いのですよ」
「え?」

それは初耳だ。ということは、雪沙でも勝てるのか?

「それなら、どうして?」
「……姉は、黄泉比良坂の出口で酒呑童子と対峙しました。交渉を試みたのですが力及ばず、致し方なく戦闘になりました」
「はぁ」
「結論から申しますと、姉は勝利いたしました」
「……ならなんで、酒呑童子はこの世にいるんですか?」
「…………この国には、手負いの獣ほど怖いものはないという言葉がありましたね」
「…………」

なるほど、そういうことか。この世の中に(あの世だが)万能も絶対も存在しない。コインを放り投げたって、表か裏になるわけじゃないのだ。落ちてこないことだってある。強者と弱者が戦ったときも同様で、必ずしも強者が勝つわけではない。あくまで、強者が勝つ可能性が『圧倒的に高い』というだけだ。
 
と、なると。
 
雪沙が勝てなかった理由。無様に負け続けた理由。通常ならば勝てる相手に、更沙という黄泉醜女が殺されている。そして、更沙は雪沙の姉で……
 
「……復讐、か」
「おそらく、そうでしょう」

復讐。悲しみと憎しみの感情から生まれる、殺意。抱くと怒りのために直情的になり、周りの様子を考えられなくなる。だから――

「分かりました。冷静になるよう伝えておきます」

戦闘というのは体を激しく動かす反面、相手がどう攻撃してくるか、どう反撃すべきかということも考える、頭脳の要素も多いと聞く。つまり直情的になってしまえば、勝てる相手にも勝てなくなってしまうだろう。一沙の話が事実とすると、昨日の結果がいい例だ。
 
だが、その前に。桐夜は抱いた疑問を投げる。

「でも、なんで直接雪沙さんに言いに行かないんですか?」
 
そう、問題はそこだ。雪沙と一沙、面識があるどころの付き合いでもないんだから直接言って伝えればいい。なのになんで、わざわざ数日かけて接触して、自分に伝言を頼むなんて回りくどい手法を使うのか――
 
――その疑問に、一沙は首を振って答えた。

「私たちは……時として、冷徹になりきらねばなりません」
「…………?」
「脱走者が無二の親友だったとしても、たとえ同じ黄泉醜女で、それが親兄弟だったとしても、冷徹になって追い捕らえなければならないのです。見逃してはならず、しかるべきところで裁きを行うため、殺そうとしてもなりません」
 
ですが、と一沙は話を続けていく。
 
「あの子は……雪沙はまだまだ、未熟です。そして、私たちは、常に冷静になり続けるよう、指導をしてきたつもりです。ですが、今現在、このような状況下になっております。ですから……」
「別角度から物を言える、俺ってことになるわけですか……」
「……はい。お願いできますでしょうか?」
「分かりました。私に任せてください」

強い意志を込めて、桐夜は頷く。だが、それを頼んできたはずの一沙が、今度は微妙な表情を浮かべた。

「……どうかしましたか?」

その表情に疑問を覚え、桐夜はそう聞き返す。対する一沙は、微笑と共に首を振った。

「いえ……もっと、渋られるかと思いましたから」
「渋る?」
「はい。雪沙は今、酒呑童子と戦っております。そして、その近くにいる貴方は、酒呑童子に命を狙われているはずなのです」
「……ああ、なるほど」

昨日の雪沙の話を思い、桐夜は納得した。
 
雪沙に言わせると、本来黄泉の住人は、葦原中国(あしはらのなかつくに)――いわゆる人間界の人々に、その実在を知らせてはならないとされている。だが、単純な不手際で巻き込んでしまった上に、巻き込んだそいつに手を貸せというのはどういう了見だということだろう。
 
そのことを思い、桐夜はひとつ、話を始めた。

「……俺の友人に、稲垣壮太という人物がいるんです」
「ご友人、ですか……?」

突拍子もない話に驚かされたのか、一沙はそう聞き返す。だが、関係のあることは察してくれたらしい。止めはしないで聞いてくれる。

「……あいつには、自慢の妹がいました。俺も何度か会ったことはあるんですけど、本当にしっかりした妹さんだったんです」
「……あの、大変差し出がましい質問なのですが、その妹さんは……」
「はい。二年前に、お亡くなりになりました」

過去形で話していたらさすがに感付くだろう。桐夜は隠しもせず、頷く。

「交通事故だったと聞きますが、そこは話に関係ないから割愛します」
「はい」
「で……妹を失ったあいつは、しばらく学校にすら来ませんでした。久しぶりに学校に来ても、誰とも話そうとはしなかったんです」

そこで桐夜は言葉を切る。

「雪沙さんの目は――あのときの稲垣の目と同じなんです。だから、誰か近しい者を失ったのでは――と思っていたんですけど」
「そうだったんですか……」

頷く一沙の前で、桐夜は再び首を振る。

「俺と稲垣は、凄く仲が良かったんですけど……妹を失って、打ちひしがれていたあいつに、俺は何もしてやれなかったんです」

それは、かつて自分が抱いた無力。だが、今度は自分は力になれる。そんな目をした知り合いに、手を差し伸べてやることが出来る。だから――

「――お願いします」

ただの自己満足なのかもしれない。でも、それでいいじゃないか。それが役に立つ自己満足なら、それはそれで価値がある。

「雪沙を説得する役を――俺に、回してください」

頼まれることじゃない。自らが飛び込み、選ぶ道だ。

その声を聞いた一沙は、頭を下げた桐夜にしばし驚いたそぶりを見せる。だが、次の瞬間には、安心したように笑みを浮かべた。

「頭を上げてください。ご迷惑をおかけしているのは、こちらなのですから」
「…………」

桐夜は黙って頭を上げる。対する一沙は、入れ替わるように一礼すると、ゆっくりと物陰に歩いていく。そして、すうっと消えていった。
 

「……黄泉醜女ってやつは、暗がりから暗がりへなら瞬間移動できるのか?」

一沙の行動が、答えだった。そういえば、雪沙が出てきた物置もけっこう暗かったような気がする。
 
 
――しかし、便利だな、その能力。

 

inserted by FC2 system