第三

彼の日常が崩れたとき


 
「ん……」
「おう、起きたか」

布団がもそりと動いて、女の子は目を覚ました。忙しなさげにあちこち目を動かして、やっと桐夜に気付いたらしい。
 
「……ここは?」
「俺の家だ。安心しろ、医療施設じゃないから」
「そう、ですか」
 
ほっとしたような表情を浮かべるその子を見て、桐夜は内心頭を抱える。医者その他は本当に嫌だったらしいが、それに関しては聞かなきゃならない。
 
「で、本当に大丈夫なのか?」
「ええ。これくらいなら二日もすれば治りますから」
「あーそーかい」

もう何か突っ込む気にもなれず、桐夜は投げやりな相槌を打った。
こいつの鬼の話が本当だったのだから怪我も本当に二日もすれば治るのかもしれない。ってゆーかもう、全部本当でいいじゃん。
 
――と、思考を放棄しかけた桐夜に、女の子が口を開いた。
 
「あなたは……何日か前にも会いましたよね?」
「ああ。ついでに言うと鬼に襲われてるところに飛び込んだのも俺」

出来ることなら、カッコよく『鬼に襲われているところを助けた』と言いたかったが、あいにくそんな表現は使えない。何の気まぐれを起こしたのかは知らないがあの鬼は自分達を見逃した。そうでなければ二人揃ってあの世行きだ。
 
苦笑している場合ではない。この子には聞きたいことが山とある。
 
が、その前に。
 
「桐夜」
「はい?」
「塚本桐夜。俺の名前だ」
 
女の子は虚を突かれたような顔になったが、すぐに得心したような顔になった。
 
「私は……こういう者です」
 
女の子は自己紹介をする代わりに、名刺代わりの紙切れを差し出してきた。『黄泉国不法入出国者取締役・雪沙』とだけ書かれている。しかも手書き。
 
「雪沙?」
「はい」
 
女の子――雪沙は、こっくりと頷く。
 
そして。
 
「あの、塚本、さん」
「ん?」
「――申し訳ありませんでした!」
「は? お、おい!?」
 
いきなり土下座。土下座されたら少し優越感味わえないか――稲垣の言葉が脳裏をよぎる。馬鹿野郎、少なくとも俺はいい気はしねえよ。
 
ため息をつきつつ、桐夜は返す。
 
「謝るんだったら事情と状況を説明してくれたほうがありがたいんだがな」
「……そうですね……あなたは、知って≠オまいました」

そこで一旦言葉を切る。
 
「分かりました。全てをお話します」
 
それは、塚本桐夜の日常が……音を立てて、崩れ落ちた瞬間だった。
 
 
 
 
 
「私の名前は、雪沙といいます。私の仕事は、黄泉国から逃げ出した脱走者を追い捕らえることです」
「ええっと、要するにあんた、黄泉醜女?」
「話が早くて助かります」

桐夜の疑問を、雪沙は肯定してみせた。どうでもいいが黄泉国とか黄泉醜女とかって仮の名前かと思っていたけど本名だったんだな。
 
「話を続けますね。それで、私がここにいるのはお分かりでしょうが、あの鬼が逃げ出したからです」
「『しゅてんどうじ』のことか?」
「はい」
「話の腰を折るようで悪いけど、あれって漢字でどう書くの?」
「酒呑童子、です」
 
源頼光が鬼退治のとき神様にお参りをしたら、その神様はお神酒を授けてくださったんです。これを鬼たちに飲ませて、酔わせて眠らせたところを討ち取ったという伝説から酒呑童子って書かれるようになったんですよ、と雪沙は付け足した。
 
……この鬼に限らず基本的に鬼って生き物は酒が好きらしい。これは先ほど読んだ本に書いてあった。フムフムと頷いてノートを持ってきてメモし、話の先を促していく。
 
「酒呑童子は――いえ、なんでもないです」
「あ?」
「酒呑童子は、今までも何度かここ、葦原中国に来たいと言っていました。別に言うだけで実行に移す気はあまり無かったようですが……」
「とうとう実行に移されてしまった、と」
「はい。それを追って私はここに来ました」
「……なるほどね」
「……ところが、想定外のことが起こりました。あなたに……一般の人間に、見つかってしまったことです」
「想定していないわけじゃないが……なんか、まずいのか?」
「はい。本来葦原中国の人間は、黄泉国――つまり、こちら側≠知ってはなりません。それは、太古の昔からそうでした」
 
日本神話にそんな記述あったっけかと、桐夜は仕入れたばかりの知識と記憶をフル稼動。
 
――そういえば、伊邪那岐神は死んだ妻、伊邪那美神を黄泉国まで迎えに行った際、彼女の「姿を見てはいけない」という言いつけを破ったため、彼女の手下に追われたことがあった。伊邪那岐神は必死に逃げ、桃を投げつけて黄泉国から無事に逃げ延びることに成功した。で、その後桃に対して単純に言えば「私だけでなく他の人も救ってくれ」という願いをかけたとかなんとかという記述があった。
 
記述はそれだけだったが、どうやら現実はもっと厳しい話だったらしい。接点を消してしまうのみならず、触れることすら禁忌となってしまったのだから。
 

ちなみにこの伊邪那美神の手下として出てきたのが一般的に言
黄泉軍(よもついくさ)身に纏っていた八柱の雷神、そして黄泉醜女である。
 
雪沙は話を続ける。先ほどより申し訳なさそうな顔で。
 
「ですから……こちら側≠知ってしまったあなたは黄泉軍や、場合によっては私達黄泉醜女に消されることになってしまうんです」
「げっ」
「それに、そうでなくても、あの鬼から狙われます。本当の姿を見た人物として」
 
ああ、と合点がいく。だからこいつはさっき土下座して謝ったのか。
 
「そういえば最後に人の姿に代わってやがったな……」
 
なるほど、あれで人間社会に溶け込もうという算段か。たしかに、鬼は最も人間に近い妖怪種だ。人に変身できたって何の不思議もありゃしない。
 
ところで。
 
「黄泉の連中はお前に状況説明してもらって特例として認めてもらえないか? お前もピンチだったってことを強調して」
 
別に嘘をついているわけではないが、自分のやった行動を責任転嫁しているのが我ながら情けなかった。そんな桐夜に、雪沙は眉を顰めて返す。
 
「……難しいでしょうね。それに、鬼のほうが……」
 
いまいち実感が沸かないが、どうやら自分は大ピンチらしい。しかも命の。
 
「……そういえば、さ」
「はい?」
 
答えてもらってももらわなくても、結果は出てしまっている。それでも聞くのは、恐らく現実逃避だろう。
 
「鬼……酒呑童子とお前って、どっちが強いんだ? 黄泉醜女って任務の都合上戦闘能力は他の使者を凌駕してるんだろ?」
「……あの、鬼のほうみたいです。私では、勝てませんでした」
「……歯が立たないってレベル?」
「いえ、そこまででは無いのですが……」
「じゃあ、お前より強い黄泉醜女に協力を頼むとかは出来ないのか?」
「戦闘能力は皆私と同じくらいだと思います」
 
集団戦で向かうにしろ、チームワークが無ければ話にならない。1+1は2であるが、1×1は1のままなのと同じ理屈だ。
 
 
「――ってことは、もしかして万事休すかよ?」
 
 
はあ、と本日何度目かのため息をついて、桐夜はその場に突っ伏した。
 
 
おい昨日の俺、黄泉国の話は本当だったが全然面白くなかったぞ。
 
 
 
 
 

翌朝、六時。気持ちよさそうな顔でぐっすり眠っている雪沙の横で、桐夜が恨めしげな目線を向けていた。
 
あの後対酒呑童子戦の大雑把な作戦を練り上げると、いつまでも話していても仕方ないし、負傷している体に無理は禁物だという判断によりすぐに雪沙を休ませた。ところがどっこい彼女は桐夜の布団で寝てしまったため、桐夜は床で寝ることになってしまった。ただでさえ固い床は寝にくいのに、女の子と二人っきりというこの環境。当然眠れるはずもなく、頭は睡眠を求めているくせに目は冴えっぱなしであった。
 
……ぐっすり眠っているこいつは信頼してくれているのか単に無防備なだけなのか。年頃の男と二人で寝ていたら身の危険を感じないのか?
 
「ったく」
 
置き手紙を残して、桐夜は階段を下りてリビングに行く。リビングにはすでに母親が起きていて、桐夜の弁当を作っていた。桐夜の学校――裁可高校はなぜか学食というものが存在しておらず、コンビニとかで買うか弁当を持っていくかの二者択一だ。母親はなぜか外で買うのを良しとせず、したがって桐夜は弁当をほぼ毎日持っていた。
 
「桐夜、ひどい顔だよ? 調子悪い?」
 
――と、下りた桐夜を出迎えたのは、母親の――額面どおりに受け取ればある意味ではムカつく――言葉だった。一睡もしてないからそりゃあひどい顔だろうが、その言い方ってどうなのよ?
 
「……俺、そんなひどい顔してる?」
「元がひどい分余計にね」
 
アンタのその言葉が一番ひどいだろと思いつつ、桐夜は食パン二枚をトーストの中にセットする。今日はトーストだが桐夜は基本的に和食派だ。ご飯と味噌汁という組み合わせが大好きだったりする。
 
「あれ、今日はパンなの?」
 
いつも和食だからか、母親に変な声を上げられる。まあなと適当な返事を残して再び階上に取って返し、自分の部屋に駆け上がる。扉を開けると、雪沙が置き手紙を読んでいた。
 
「塚本さん、おはようございます」

雪沙がぺこりと頭を下げる。結構早起きなんだなと思いつつ、おう、と返事を残して着替え。
 
「昨日と同じ服なんですか?」
「制服だよ」
「せいふく?」
「ああ。置き手紙に書いただろ? 今日学校行くって。その学校に行くためにはこの服じゃないといけないんだよ」
「そうなんですか?」
「そうなんです」
 
なんでですかという雪沙の声を無視して階段を下りる。学生にとって朝ってのは忙しい時間帯なんだ、特に自分の場合学校遠いし。

そのまま韋駄天のごとき勢いでトーストから二枚のパンを取り出し、それぞれにバターを塗りたくる。そして一枚を持って階段を上り、そのパンを雪沙に手渡した。
 
「なんですか、これ?」
「トーストだ。両手で持ってそのまま食べるんだぞ」
 
机の下に置いてあった鞄を掴み、戸惑う雪沙をこれまた無視して階段を下りる。さっきも言ったが朝は忙しいんだ、相手している暇は無い。そのままパンを胃の中にかっ込んで、歯を磨いて顔を洗って弁当受け取りはい出発。
 
悲しい話、学校に着くまで鬼の死刑宣告忘れてました。

 
 
 
 
 
「なんだ塚本。眠そうな顔してるぞ」
「眠れなかったんだからしょうがねえだろ……」
 
登校一番、稲垣壮太に声をかけられ、桐夜はぼやいて投げやりに答える。
 
「まあ、学年末試験が近いから勉強とかで疲れるのは分かるが、ほどほどにな」
「お前は俺がろくに勉強しないの知ってるだろうが」
「だから勉強しろっつってんだよ」
「…………」
 
実に立派な忠告に対し、返す言葉が見つからない。というか命を狙われてますという非現実的な問題と学年末試験という超現実的な問題が同時に迫ってきてしまった。くそー、なんでよりにもよってこんな時期に来るんだよ。怪現象は夏って相場が決まっているだろうが。
 
……その非現実的な問題に飛び込んだのは自分自身なんだが。
 
「……つーわけで眠いから寝る。一時限目の授業は何だ?」
「体育だ」
 
またか。
 
「……予鈴鳴ったら起こしてくれ」
「了解」
 
稲垣の返事を聞くと、桐夜は机に突っ伏して、その一秒後にはレム睡眠に突入していた。
 
 
ちなみに稲垣は起こしてくれず、目が覚めたのは二時限目の終盤。その後体育の教師にこってり油を絞られたのは言うまでも無い。畜生、それが友人のやることか。

 

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