五章


 
「――――はっ!?」

 がばっ、と何かを撥ね退けて、廉崎京は目を覚ました。目の前の光景に、しばし脳が追い付かない。

「…………」

 そこは、ビジネスホテルの一室だった。ついでに言うなら、自分の部屋。腕時計の日付は――二十、六日。

「んな、馬鹿な……」

 王手とはいかないまでも、何かしらの進展がつかめるとは思っていた。時計塔にかけられた術式もどうにかして、前向きな変化の一つもあると思っていた。だがしかし、気がついてみれば戻っていたのは一日目の朝。記憶の欠落がなくなったのは不幸中の幸いなのかもしれないが、仲間である神楽川奈央もそうであるという保証はない。とりあえず身支度を整えて、一応チェックアウトはしないまま京は宿屋を飛び出した。

 信号が五連続で赤だったとかいう微妙な不幸に見舞われたりしつつ、神社までの道のりを突っ走る。石段を駆け上がろうとしたところで、京は慌てて動きを止めた。石段の前に寄りかかるようにして待機する、一人の少女の存在を見て。

「な、奈央さん」
「京さん。やはり、来てくださったんですね」
「そりゃ、そう、ですよ」

 記憶の引継ぎに失敗したのでもない限り、京としても投げ出したくない事情がある。目下、奈央と違って非常に個人的な理由だが、それでなくとも受けた依頼は完遂していくべきだろう。

「騙りも多い、オカルト業界の、フリーランスほど、仕事が入ってこない、ものもないです。この世界、信頼失ったら、一巻の、終わりですよ」
「た、確かに……」

 奈央が記憶を引き継げたか否かが不明瞭であったからとはいえ、二十分近くを走り続けるという体力的にもそれなりの無茶をした京に、奈央も気圧されたように頷いた。もちろん、彼の言っていることが正しいということもある。この世界、信頼を失ったらフリーランスであろうとなかろうと終わりだろう。

 しかし、ぜいぜいと荒い息を切らしている京にまず一番最初にするべきことがあったのか、奈央は後ろを振り返りながら提案した。

「とりあえず、お上がりください。お茶を出しますので、まずは一息ついてから……」
「す、すいません……」

 石段を上がる奈央の後につき、京も再び神社へお邪魔する。この繰り返しに気付いてから一番最初に話をした離れの居間に案内され、茶を淹れてくれている横で休んで息を整える。出されたお茶を半分以上飲み干して、京は大きく息をつく。

「どうも、失礼しました」
「いいえ。大丈夫ですか?」
「まあ、まだ少し息切れてますけど、そろそろ作戦会議と行きましょう」
「そうですね」

 京の言葉に、奈央も頷く。京も同じく頷きを返すと、とりあえず現状の確認から取り掛かった。

「聞くまでも無いとは思いますけど、記憶は引き継いでいると見ていいですよね?」
「そうですね」
「で、市長の協力も得て、時計塔に施した術式をどうにかしてもらって変化を見るはずだったんですが、気がつけば二十六日に戻っていました。これもいいですよね?」
「そうですね」
「そこで今回は、原因分析とまでは行かないまでも、前回の結果をある程度踏まえた行動を取る必要が出るわけです」
「そうですね」
「という事態が確認できた所で、何か有用な情報はないかという話になり、作戦会議の本題へと入っていくわけですね」
「そうですね」
「少しは同意の表現変えてくださいよ!」

 どかんと思わず机を叩き、京は思い切り突っ込みを入れる。衝撃で先の茶が跳ねた。あわや湯飲みが倒れそうになり、京は大慌てで手を添える。ついでにひとまず息と心を落ち着かせ、京は奈央へと質問した。

「ところで、港は元に戻っているんですよね?」
「ええ。三日間が巻き戻っていますから、襲撃前の状態に戻っています」
「了解です。そうなると今日は港に行って、襲撃者を撃退する辺りが行動の候補となりますが……実際、行く意味あると思いますか?」
「どういうことですか?」

 聞き返した奈央に、京は考察を述べていく。

「同じ結果になるんじゃないかということです。先ほどの時計塔でサファイアをはめ込んだのはいいものの、光が迸ってこういう結果です。港を助ける意義は、やってくる船がサファイアを積んでいたからだという話から十分あり得るんですが、あのサファイアを使おうが港から出てきたサファイアを使おうが、結局の所結果は変わらないんじゃないですか?」
「……そうですかね?」
「ん?」

 と、京の考察に反駁が入った。入れたのは当然、奈央である。

「光が迸る直前、市長は驚愕した顔になっていました。あれが魔力のサファイアであったことを考慮すると、籠もっていた魔力が弱すぎて暴走を抑えられなかった可能性があります。となれば、あれより強い魔力であれば、違う結果になることは十分考えられると思いますが?」
「驚愕した顔って……まあ、よく見てますね」
「そんなことないですよ。たまたまです」
「いえいえ、たまたまでも凄いですよ。ですけどそれは、あくまで可能性に過ぎないのではないでしょうか? そこで手に入れたサファイアが最初のサファイアより高い魔力である保障もないし、仮に高かったとしてもああいう結果にならないとも限りません。第一、あの光の原因がサファイアの魔力に関係したものだという証拠もないんですよ?」
「そうですね。ですが、信憑性や私達の推理に対する保障は考えても仕方がありません。分かるのは市長の表情から、あの結果が市長にとっても想定外だったということだけです。今のところは他に手もない以上、試す価値は十分にあるかと思います。変な話、時間は有り余っているわけですし」
「うーん……まあ、そうか……」

 どの道他に方法がない以上、ここで議論をこねくり回しても仕方がない。まあ、試せるだけ試してみるか――大きく伸びをして、京はすっくと立ち上がった。踵を返す姿に、奈央が不思議そうに聞いてくる。

「どちらへ行かれるんですか?」
「とりあえず、宿屋のチェックアウトとキャンセルに。……ああ、やっぱり止めたほうがいいですか。あんなに叫んだわけですし」
「そんなことないです。このループだけといわず、事件が解決するまでは是非我が家へお泊まりください」
「……ありがとうございます」

 先ほどは奈央の記憶が戻っていないことも考えて、とりあえずはそのままで飛び出してきた。だが、こうなった以上放置しておく意味も無い。もちろん、ループしてしまうならチェックアウトする必要もないのだが、このループで繰り返しを突破することが出来たなら宿泊料金の無駄である。夜までは事実上暇なので、さっさとやってくることにした。

 

 


「よう、田中」
「おお、君達! 昨日はなかなか、熱かったな!」
「お前はいつも暑いけどな」

 その日の午後、チェックアウトとキャンセルを済ませ、念のためサファイアを再購入した京と奈央は、通りかかった公園でマッチョレス・田中に遭遇した。田中は二人のところに歩いてくると、毎度おなじみマッスルポーズ。さらに、白い歯をキラメかせるのも忘れない。

「さあ二人とも、僕と一緒に筋トレしないかい!?」
「……だからなんでそうなるんだよ」
「ずばり筋肉の思し召しさ!」
「筋肉はそんな思し召しはせんわい!」

 ああもう、付き合ってらんねえ。一度は一緒に筋トレをしたものの、そう何度も付き合うつもりはさらさらなく、京は行こうぜと公園を後に――

「だからなんでこうなってるんだーーーーーーーっ!?」

 気がつけば一緒に背筋をしていた。

 

 

「あの、京さん」
「なんですか?」
「この場合、積荷のほうも重要なのですから、船で外に出ていたほうがいいのではないですか?」
「それはないと思いますよ」

 日の暮れ始めた港で、奈央が京に質問をした。まだ船が来るまでには時間があり、二人は各自夕食を買って見張っている。さすがにすぐに食べられるものは商店街では買えないので、今回はコンビニで購入だ。仲間の問いに、握り飯を放り込んだ京が答えた。

「まあ、それはないというよりは、どっちで見張っても同じだってあたりが正確なところだと思いますけどね」
「ですが……」
「奈央さん」

 懸念があるのだろう。言い返そうとした奈央に、京は問う。

「奈央さんは港の襲撃と時間の巻き戻り、無関係だと思いますか?」
「……正直、どちらも考えられる話だと思います」
「でしょうね。たしかに、まったくの偶然ということもあります。……ですが、その積荷がサファイアだとしたらどう思います?」
「…………!」

 奈央の表情が、変わった。得心したような表情を浮かべる奈央に、京は言葉を続けていく。

「その通りです。市長さん曰く、時計塔は暴走している。で、それの調整としてサファイアを媒介にすることを考え付きました。この港町がサファイアの流通拠点だということは、調整にサファイアを使うことは誰にだって考え付くことです。ということは当然ながら、裏を返せばサファイアがなければ調整ができないということになりますね。つまり、時計塔の暴走が何者かによる意図的なものだと仮定すれば、サファイアが入ってこられちゃ困るわけですよ」
「なるほど」
「ですが、暴走させた人間が町の外にいるなら――つまり、勢力圏が町の外なら、わざわざこんな港で襲撃をする必要がありません。周囲に陸地がないほうが、確実に人も積荷も全滅させられるでしょうからね」
「確かに、そうですね……」

 であるならば、勢力圏は町の中。そしてこの港は、勢力圏の端っこと推察される。もちろん実際はそんなことはなく、単に襲撃を人に見せることが目的という可能性もあるが、どちらにせよこの場で襲ってくることには変わりない。しかし、海側から来たならよっぽどの敵でもない限り船員が気づかないわけはないし、それらの点を考慮するなら、その「よっぽどの敵」を警戒するよりは港で張っていたほうが可能性は高い。第一自分達は船を出せるほどの身分でもないし、水戦にも慣れていない以上足場も不安定になってしまう。その「よっぽどの敵」だったならともかく、陸地でも船上でも変わらぬ敵であったとしたら、戦闘になったときのバイアスがでかい。

 理路整然と説明する京に、奈央は納得の表情を浮かべた。それを見て、京は港のほうへと向き直る。と、次の瞬間、京の眉が跳ね上がった。

「――噂をすればなんとやらです。来ましたよ!」

 一拍遅れて、奈央も気付く。紫色の、大きな塊が三つほど。口元に火炎弾を作りつつ、上空から勢いよく襲い掛かってきた。

「やっぱ、スーミの類か!」

 当たっていた正体に、京は思わず笑みを漏らす。この状況で笑うなどまさに不遜極まりないが、想定外の大物でなかったことだけは素直に喜べる所なのだ。

 港の人々が悲鳴に近い声を上げる中、京は声を張り上げて注意を自らに向けさせた。ついでに挑発するように、京は手の平に一つの円盤を発生させて投げつける。攻撃に反応し、スーミ達は一斉に二人に照準を合わせてきた。

 だが、こんな人目につくところでの大げさな戦闘は避けたい所だ。現場の封鎖やごまかしは別の組織や人がやってくれるが、無駄な仕事は増やしたくない。

 相手が上空にいるうちに、二人は目をつけておいた路地裏へ逃げる。薄暗い路地裏へ入り込むと同時、相手が先制攻撃を仕掛けてきた。

「――――っ!」

 一撃目を屈んで躱し、二撃目を地面を転がって回避。移動と回避・防御に全神経を集中させていたとはいえ、なかなか鮮やかな回避だった。体勢を立て直すと同時、京は右手を開いて握り締める。何の事はないただそれだけの動作なのに、少年の手には透き通るような長剣が握り締められていた。その頬を、一筋の風が小さく掠める。

「……氷、ですか……?」

 確証が持てないのか、奈央が呆然と呟いた。それもまた、無理もないといえば無理もない。洋の東西を問わずして、知られている魔術体系の中では氷を扱う連中などそうそういるものではないからだ。

「珍しいですか? まあ、珍しいですよね。炎とかなら有名ですが、氷なんざそうそうありませんか」

 退魔師の中でも異端に近い存在・廉崎――その中でも珍しい力を持った京であるが、この場では実戦で役に立つかどうかが一番だ。

「――でえぇああぁ!」

 跳躍。突っ込んでくるスーミの一体に、京は逆に距離を詰める。擬似生命しか持たぬスーミが戸惑ったのが、理屈抜きに分かった。突っ込んできた相手の勢いも利用して、京は斬撃を叩き込む。抉るように放った大振りの一撃は、しかし勢いを載せてしまった相手に避ける術はない。スーミの一体をものの一撃で両断すると、京は地面に着地した。

「発っ!」

 と、そんな短い気と共に、京の横を火炎の塊が飛んでいく。それはスーミの一体にしっかりと命中し、音と共に相手を炎の中に包ませた。氷を操る京に火炎を飛ばす技能はなく、出来るのはこの場に居る味方、神楽川奈央しかありえなかった。しかし、狙われたスーミは致命傷は受けていない。最後のスーミは、一撃で仲間を葬り去った京から先に倒そうと考えたのだろう、弧を描くような軌跡で横殴りに突っ込んできた。

「ちぃっ……!」

 着地して膝を曲げている京に、それを回避する術はない。剣を額の斜め右側に握り、刃先を左下に向けさせる。剣道でいう三所避けの体制に入り、スーミの突撃を受け止めにかかった。

「づっ!」

 だが、剣越しだというのに結構な衝撃が抜けてくる。京は剣を跳ね上げるようにすると、再び剣での一撃を入れた。しかしスーミは打ち上げられた勢いを殺さぬまま、あえて必要以上に吹き飛ばされることで回避する。が、京は結果を見るや否や手の平を突き出し、スーミめがけて追撃をかけた。

 その手の平から発射された青白い閃光が、直撃したスーミを一発で遠くに吹き飛ばす。壁に叩きつけられたスーミめがけて、京は剣先をぴたりとわき腹に寄せ、大地を踏み込んで突進する。しかし、そのスーミに止めを刺すよりも早く、奈央が危ないと悲鳴を上げた。

「っ!?」

 その悲鳴が聞こえるのと、横から赤い光が見えるのはほぼ同時だった。咄嗟に地面に転がって伏せると、その上を赤い揺らめきの弾丸が駆け抜けていく。ちりちりと皮膚を焼く感覚からするに、相手が放った火炎弾か。攻撃を凌いで立ち上がりざま、京は吹き飛ばしたスーミに再び追い討ちの体勢に入った。しかし、体勢を立て直しかけた今、威力重視の大振りの一撃は当たらない。

 力任せの刺突は諦め、先ほど相手を吹き飛ばした閃光を再び放つ。この攻撃は回避されこそするものの、奈央の放ったであろう火炎弾がそのスーミに直撃した。そこへ京が剣を投げつけて駄目押しするが、そこへ最後のスーミが攻撃をかける。剣を手放してしまった京に受け止める術はなく、回避できなければ直撃は必定――

「……えっ?」

 ――その声を上げたのは、奈央だった。逆に相手に踏み込んだ京は、相手とすれ違うように駆け抜けたのだ。咄嗟に火炎弾を起動するべく道具を掴んだ奈央であったが、その心配は不要であった。バッサリと切れた相手の体が、奈央の眼前に滑り込むように墜落する。振り向いた京の右手には、いつの間にか再び剣が握られていた。

 最後に、火炎に包まれ剣を投げつけた二匹目のスーミに目線を向け、動かないことを確認し――

「……戦闘終了、ってな」

 ぱっと右手を小さく振ると、剣はまたどこへともなく消え果てていた。ふう、と小さく息をつき、奈央の方へと振り返る。

「すいません、携帯電話とか持ってます?」
「持ってますよ、通報しますか?」
「ええ、お願いします」

 質問の意味を読み取ったのか、奈央はすぐさま警察への通報を確認した。特に奈央の洞察力が優れていたわけではない。単にそれが、彼らにとっての『いつものこと』だったからだ。

 こういった、『裏』に関する戦いは、人知れず行われることが大半である。しかし、やはりこの不夜城と化した日本で完全に人目につかないことは難しい。そこで、そういった事情を知る国家権力、具体的には警察や役所などだが、そこに『裏』関連の部署があった。現場の封鎖や情報の処理などは、基本的にそちらに任せている。

 京が通報しても良かったのだが、生憎と彼は携帯電話を持っていない。そこで、奈央に通報を任せることにしたのだ。

「やれやれ、これでゲームとかだったら港を救ったお礼に最高級のサファイアとかももらえる展開があるんだけどねぇ……」

 慣れた様子で状況や現場を伝えていく奈央を見ながら、京は一人呟いた。

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