四章


 そして、一夜明けた早朝。京は焼け焦げた石畳の上で、鋭く周囲を見渡していた。

「ひどいな、こりゃ……」

 周囲を見渡して、京は呟く。左隣にいる奈央も、おそらく同感だっただろう。海風による腐食を避けるために作られた石造りの港の建物が、跡形もなく崩れ焼き払われている。

 とりあえず焼け跡に片膝をついて、燃えた跡を調べていく。数秒と経たぬ内に、京は小さく眉を顰めた。昨日の夜、この付近で港を張っていた彼らは、この惨状が魔物によるものであることを知っている。

 前回のループでは、警察は確か早々に立ち入り禁止を指定し、確か火の不始末が原因と発表していたが、見る者が見れば不審な点に気付くだろう。

 まずこの港に、自然発火するものはない。仮にしたとしても、倉庫内にあったと思しき木材とかならともかく、石造りの港を全て燃やすなど難しいだろう。放火も同じ線で潰れるし、何より燃えた跡が不自然すぎる。

 それにこの事故では、船も人も全滅していた。襲撃が始まり、敵の正体を双眼鏡で確認したのはよかったが、安全策を取りすぎて距離を離しすぎてしまったのだ。結果、港を救うべく現場に辿り着いた彼らは、無残にも目の前で船が沈んでいく光景を見せ付けられることになってしまったのである。

 港と燃えている船との位置関係からして、襲われた船は停泊中のものではない。仮に襲撃者を全く見ていなかったとしても、これが自然のものとは思わなかっただろう。順当に考えて、昨日出航もしくは帰航した船が何者かに襲われたのだと、ちょっと観察眼が鋭ければ素人でも分かる。第一、船と港の両方を燃やすなど人にはリスクが大きすぎる。時間はかかるし、その間に取り押さえられるのが関の山だ。そうでなくても、特に船のほうは沈んでしまえば最悪自分の命に関わる。であるならば、人の仕業ではないと見るのが妥当だろう。

「まあ、とりあえず相手の正体は分かりました。多分、あれはスーミの一種ですね」
「スーミ、ですか」

 スーミとは、魔導術式で組み上げられた擬似生命体の一種である。簡易式の術式であるが故に、知能はいいとこ子供程度。だがそれでもその戦闘能力はなかなか高く、一般人が及ぶような所ではない。とはいえ――もちろん、この前の犬よりは強いであろうが――京にかかれば十分勝てる相手であった。

「君たち、こんなところでなにをしているんだ?」
「あ」

 と、捜査をしていた警察官に見咎められてしまった。二人は二言三言謝罪をし、港を急いで後にした。

 

 

 

 その日の調査は、特に何も進展はなかった。あの後運悪くマッチョレス・田中に遭遇してしまったことを除けば、別に大きな事件が起こるということもなく、そのまま夜を迎えていた。

「明日には、多分進展を迎えますね」

 部屋に布団を敷きながら、奈央は一人そう呟く。脳裏に思い描くのは、このループから繰り返しに気付けて、自分の協力者となった少年。

 人がよく明るい性格で、特に難しい気は遣わずに済んだ。別に奈央が人見知りをするわけではないが、相手と気兼ねなくやり取りが出来るなら、それは非常にありがたかった。もしもこれで京が寡黙でとらえどころがなかったり、気難しい性格だったなら、奈央もいきなり昨日から自分の家に泊めるなんて行動には出なかっただろう。もちろん、必要があったから泊めたわけだが。

 しかし、少しだけ気になることもある。明るい性格の裏に時折見せる、擦れた表情。宿泊を勧めたときに見せた、脆い一面。

 聞くに、彼は悪夢に苛まれているという。人に歴史ありとは言うが、彼にも何か、そんな過去があったというのか。

 答えの出ない問いを適当に頭の中で考えながら、奈央は電気を消して布団の中に入っていく。明日もまた早いだろう。余計な夜更かしはせずに、そのまま目を閉じて横になる。やがてその意識は、ゆっくりと睡魔に引き込まれていき――

「うわあああああっ!」
「――――っ!?」

 突如、近くの部屋から絶叫が響き、奈央はびっくりして飛び起きる。相当大きな声だったらしく、下のほうまで響いたらしい。下からどたどたと、階段を駆け上がる音がする。奈央も部屋を飛び出すと、下から母親がやって来ていた。

「奈央、どうかしたの!?」
「多分、あれは京さんの……!」

 この家に泊まる時、京は悪夢のことを奈央の母親にも話していた。そのことを思い出したのか、母親は急いで階段を下りる。その間、奈央は京に貸した部屋の前へ駆けつけた。

「京さん?」

 とりあえず、部屋の扉をノックする。だが、部屋の中からの返事はない。もう一度、今度はノックをしても、やっぱり返事はないままだった。

「……京さん? 開けますよ?」

 不審に思って、奈央は部屋の戸を開ける。

「きょ、京さんっ!?」

 そこには、両腕で自分の体を抱いて、汗びっしょりになって震えている京がいた。京は奈央の呼びかけにこくこくと頷くが、呼吸も荒くてどう見ても大丈夫には見えない。どうしようと慌てた奈央であったが、そこへ下へ行った母親が駆けつけてきた。その手には水が入ったコップが二つ握られている。

「あ、ありがとう!」

 母親からコップを受け取って、奈央は京へ水を渡した。京はそれを受け取ると、水の片方を一気に飲み干す。もう片方の水も同じように飲み干してしまったが、それで少しは落ち着いたのか、京は荒い息をついた。

「す、すみません、奈央さん」
「いえ……大丈夫ですか?」
「……なんとか」

 まだ大丈夫には見えなかったが、とりあえずは落ち着いてきたらしい。弱々しい笑みを浮かべて、京は告げる。

「……すみません。真夜中に」
「いえ。どうしたんですか? その……夢、ですか?」
「……ええ」

 泣きそうな笑みで、京は返す。奈央はそうですかと頷くと、母親と一緒に部屋を出る。コップ二つにもう一回水を入れて持ってくると、再び彼に差し出した。京はそれを受け取ると、頭を下げて謝ってくる。

「すみません。最初から、水を貰ってから寝るべきでしたね」
「……いえ、こちらこそ。配慮が足りませんでした」

 本当は何があったのか、聞きたかった。何がこの少年をここまで縛り付けているのか、叶うなら教えて欲しかった。だけど、今聞くのは精神的にもあまりにもつらそうな気がして。奈央は、こう言ってやることしか出来なかった。

「……何があったのか、詳しくは聞きません。お水は用意しておきますから、何かあったら落ち着くぐらいにはなるはずです」
「……すみません、本当に」
「どうせならその言葉、ありがとうで聞きたかったですね」
「…………そうですね。ありがとうございます」

 京の言葉に、奈央は頷く。京の頭に手を置いて、奈央は言った。

「何かあったら、遠慮なく言ってくださいね」
「……すみません。お世話になります」
「ほら、また」
「あ」

 間抜けそうな顔が、なんともおかしくて。奈央はくすっと笑うと、京に小さく頭を下げた。

「それじゃあ、おやすみなさい。今度は、いい夢を見ていてくださいね」
「…………ええ」

 弱い笑みで、京は返した。

 

 

 

 さすがに二連続で悪夢を見ることはなかったのか、その後は一応穏やかに過ぎ、三日目の朝を迎えていた。

 今まで奈央がアポイントを取れなかったことからもなんとなく分かるが、市長は非常に多忙である。実際、藤村という引越し先の家に祝福を述べに行ったときも、その事情から引越しすら完了していないタイミングで二言三言会話を交わして終わってしまったのだ。よって、市長が藤村の家にいるのは五分とない。そのタイミングで捕まえることが出来なければ、再び三日を待つことになる。

 前回のループにおいて、京が昼休みを取った時間に合わせて出発し、雑談者を装って待つこと二時間、やっとその男はやってきた。彼らの目の前を通り、藤村という家の主としばらく会話。そこから帰ってきたところを、京と奈央は捕まえた。

「お忙しいところすみません、少々よろしいですか」
「ん?」

 男は立ち止まったが、余裕がないのは知っている。別にやるならさっさとやれとか、そんなあからさまな空気が漂っていたりするわけではないが、時間をかけるのもまずいだろう。

「この市の、市長さんですね。私は廉崎京、こちらは神楽川奈央と申します。お忙しい事情は存じておりますゆえ、歩きながらでも構いません」
「ふむ、そうか。では、お言葉に甘えさせていただこう」

 そこまで時間がないのならそもそも祝辞を述べに来るなよと突っ込みたくなった京であったが、向こうにも向こうの事情というものがあるのだろう。例えば、職場で待つには長すぎて、出るにはちょっと厳しかった微妙な時間が余っていた、とか。

 しかし、そんな事情などどうでもいい京は、一つ頭を下げると本題に入る。

「では、単刀直入に行かせていただきます。実はこの市で『裏』にかかわる事件が起こっている可能性があります」
「……ほう?」

 『裏』にかかわる事件とは、当然京や奈央らが担当する、術者達の事件である。区長や市長といった、ある程度高い立場にいる人間は、その手の、つまり『裏』の事情を知っていることが大半なのだ。とはいえ、かじる程度に知っているだけであり、本来は詳しい情報を求めるのは難しいが、今回は市長が設立した塔にも問題があるため、可能性もないわけではなかった。

「それで、市長が設立したとお伺いした塔にも、それ関連で妙な違和感を覚えるのですよ。なので、少々あの時計塔についてお伺いしたく、声をかけさせていただきました。何か、知っていることはありませんか?」
「あの時計塔がか……」

 市長はふぅむと思慮深げに頷き、歩くペースを落として話し始めた。

「実は私も、多少その手の世界には詳しくてね。あの時計塔には、この市の発展を願って、まじない程度の軽い術式をかけているのだ。だが、君らが感じた違和感というものは、多分それではないのだろう?」
「……そうですね。あと、あの謎のしゃちほこが」
「違うでしょう!」

 横から奈央の突っ込みが入った。だって気になるんだもんと子供みたいに言い返す京に、市長は小さく笑って告げる。

「あのしゃちほこかね。実はあのしゃちほこは、オーロラを模したものなんだ」
「そういえば、紹介文にそんなことが書いてありましたね」
「うむ。私の息子は、オーロラが大好きでな。そんなオーロラの光を模して、手に入ったしゃちほこをあんな色に塗ってしまったというわけだ。議会からも、あのしゃちほこはいかがなものかとの意見が続発しているのだがね。まあ、馬鹿は承知の親心というやつだな」
「…………」

 オーロラは蒼白色や赤色、あるいは薄い白みがかかった緑色に見えるという。だから、あんなメタリックブルーやらレッドやらの怪しい色に塗ったのだろう。センスその他に多々疑問が残ったままだが、そういう事情ならそれ以上を聞くわけにもいかなかった。第一、今回の論点はそこではない。

 市長の言った、まじない程度の軽い術式は、京も物心ついてから幾度も見ている。そんな簡単な術式だったら、わざわざ違和感を覚えることもなかっただろう。話を本題に戻す京に、市長は得心したようにこう告げる。

「情けない話なのだが、私も魔術には未熟でね。もしかしたら、術式が暴走してしまったのかもしれん。私も本日の政務が片付き次第すぐに時計塔へと行くが、出来れば魔術の媒介となりそうなものを探してきてほしいのだ。もしも本当に暴走してしまったのなら、それを止めるにはどうしても補助が必要だからな」
「媒介になりそうなもの、ですか」
「ああ。色々あるだろうが、多分宝石のサファイアが入手しやすいだろうな。この市は各地からやってくるサファイアが流通する拠点でもある。サファイアの代金は私が出すから、なるべくいいものを見つけてきてくれないか?」
「かしこまりました」

 市長の言葉に、京は頷いた。

 

 

 

「サファイアか……いつもなら、今頃は商店街にあるんだろうが……」
「…………、そうですか……」

 だが。

 宝石捜索は、思わぬところで頓挫を見せた。原因は、あの港で起きた事件である。どうやら襲撃され、沈められてしまったらしい船の中には交易で使われていた品が積み込まれていたらしく、その中に多くのサファイアもあったというのだ。当然ながら船が沈められてしまった今、サファイアを手に入れる術はない。水に飛び込んで探すというのも、潮の流れがある上に実際の深さも分からない以上、自殺行為に近いだろう。

 とはいえ、手をこまねいているわけにも行かない。適当な宝石店に飛び込んで、その中でも一番高価なものを購入する。

 サファイアを含むパワーストーンの類には、不思議な力が宿るとされる。例えばガーネットには精神力を強め、勇気を与える作用があるといわれているロードライトというものがあるが、あれは術者の世界においては魔術系の一つと分類されている。長い間地中に眠っていた不純物の少ない原石が、『魔』を宿したものであるといわれているのだ。

 適当な木の枝を切り落として作った杖なんかよりもよほど効果が高いのはもちろんだが、その性質上不純物が少なく綺麗なものが強い力を秘めるとされる。当然、一般の宝石店で探すならサイズの割に高価なものは指標の一つとなるわけであり、京と奈央は市長の財布から出るということも相まって、何の遠慮もなく購入していた。

 自分達の収入に換算したらどれだけ分が吹っ飛ぶんだと苦笑半分な京であったが、とりあえず目的は果たしたので時計塔の前で待つことにする。なんとなくつかめてきた地理感を使って、早めに時計塔のほうまで移動し――

「やあ君たち、こんなところで何をやっているんだい?」
「げっ!?」

 何故か運悪く、マッチョレス・田中に遭遇してしまった。口元を引きつらせる二人にマッスルポーズを決め、田中はへいとお誘いをかける。

「まあいいや、もしも時間があるのなら、僕と一緒に筋トレしないかい?」
「……すみません。今日は時間がないもので」
「なにぃっ!? それはよくない、一日でも筋トレを欠かしたら次の日からはどんどんだらける一方だ! とにかく短い時間でもいいから、僕と一緒に筋トレを――」
「やめてくれえぇーーーーーっ!」

 二日間一緒にやったからか、妙な親近感を抱かれたらしい田中のお誘いを振りほどこうとはするものの、頭の仲まで筋肉で出来ているのかもしれない男に、説得は意味を成さなかった。結局腕立て伏せだけとはいえ三百回をやらされて――


「……何故そんなにふらふらになっているのだ?」

 やっとこさ開放された頃には、二人とも大分ふらふらであった。やった筋トレの量からいえばいつもよりも少ないのだが、その前後のやり取りが非常に疲れた。量が少なくなったという点ではまだマシであったのだろうが、やろうよ無理だのやり取りを気が遠くなるほど続けたため、体より先に心が疲れてしまったのだ。

 市長が不思議そうな顔で聞くのを、説明するのも面倒くさいのですいませんとだけ答えて終わらせる。市長も首をかしげながらもとりあえず流してくれたのか、時計塔の鍵を開けて中に入った。

 螺旋階段を登り、動力部と思しき歯車が並んだ部分へと入る。その奥には、確かに何かの術式がかけられていた。しかし、まじない程度の軽い術式ってこんなややこしいものだっただろうか……?

 首をかしげる京の前で、市長はサファイアを使って魔術の起動に取り掛かる。それに呼応するように、例のサファイアが輝きだした。微笑を浮かべる市長の前で、光はますます強くなり――

「――――っ!?」

 次の瞬間、市長の顔が驚愕に染まる。

 まばゆい光が迸り――

 ――閃光。

 
 

 

 

 

 

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