三章


 シャツに上着を一枚羽織り、下はジーンズという動きやすい格好に着替えた奈央と連れ立って、件の時計塔へと出発する。件の時計塔は、神社から東に数キロ行ったところにあった。塔という割には大体三階ほどの大きさで、それなりに近づかないと分からない。それでも一応はこの町のシンボルではあるらしく、紹介文が記された立て札が立っていた。

 特にこれといった名物のない港町に対し、少しでも市を発展させようと市長が私財を投げて設立したものらしい。高さ的な意味でも目立たなければ意味が無いような気もするのだが、近づけばある意味これほど目立つものもなかった。

 というのも、時計の上に超がつくほどのドデカイしゃちほこが置かれているのだ。港町だからといって魚をつければいいというものでもないだろうと市長の胸倉を掴んで小一時間ほど問いただしたいところであるが、今の問題はそこではない。

「……まあ、確かに、言われてみれば妙な違和感がしますけど……」
「上のしゃちほこを見ながら言わないでください」
「いや、分かってますよ? ただ、俺らからすれば、あっちのほうが気になるんですよ」

 言われた通り、なんというか妙な違和感があった。ただ、大分近づいた上に意識を凝らさないと分からないような違和感であり、仮に奈央と出会う前に自分がここを通ったとしても、気付く可能性は正直低い。というか、地脈や空間の類に詳しい神楽川の人が「どことなく」程度でしか違和感を覚えないのなら、廉崎の彼が気付く確率は更に低い。確かに、持っている力に統一性が全くなく、無茶苦茶に力を取り込んでいる廉崎だったら神楽川より詳しい奴もいるかもしれないが、生憎と京は直接戦闘に特化した能力の持ち主だった。

「真面目な話、多分力になれそうにないです。すいませんね」
「そうですか……」
「……とりあえず、市長にはこれは?」
「言いたいのですが……何分、まだ市長に就任して間が経っていないらしく、お忙しいみたいで……」
「あー、アポイントが取れないのか。そんなもんどうせループするなら強引にでもやっちゃえばいいのに」

 ぽりぽりと頬をかきながら適当に相槌を打った京だったが、そこまで言って、ふと気付いたことがあった。

「市長って、ここの市長ですよね?」
「勿論、ここの市長ですが?」
「なら、ご安心ください。強引に会うのが嫌だというなら、二日後に確実にお会いさせる方法が一つありますから」

 指先で『二』を作って笑う京に、奈央の顔色が少しだけ明るくなる。

「実は、前回ループしたアルバイトの時に、顔だけですけど見ていましてね。どうも明後日、市長の知り合いの方が引越しをするみたいなんですよ。そこに少しだけ休みを取って、市長が挨拶に来るんです。どうも他の日だと忙しいとかどうとか言ってましたが」
「引越し……そのお知り合いの方の引越しを担当なさったんですか?」
「ええ。確か、藤村とか言っていましたが。ご存じないですか?」
「藤村……いえ、存じないですね。多分、単なるお知り合いではないかと」
「そうですか」

 京自身も、藤村という家に術者的な知り合いはいない。ということは、その藤村という人間は市長の単なる個人的な知り合いであると見るのが妥当なところか。そう結論を出す京に、奈央はぺこっと頭を下げる。

「ありがとうございます、京さん。この時計塔について聞いてみなければ、話は進まないと思っていましたから」
「いえいえ、単なる偶然ですよ。ま、個人的にもこの妙な時計塔については聞いてみなければなりませんからね」
「ですから、上のしゃちほこを見ながら言わないでください」
「あのしゃちほこをスルーしろと!?」

 ある意味これほど目立つもの――メタリックブルーとレッドのストライプなしゃちほこを指差して、廉崎京は絶叫した。

 紹介文曰く、赤と青はオーロラを模したものらしい。確かに赤や青の色は、オーロラとして思い浮かべられる色であるが……そのセンスには巨大な疑問を覚えないではいられなかった。

 

 

 

「うぅー……疲れましたぁー……」

 両腕をだらーんとぶら下げた情けない格好で、奈央がのたのたと歩いていく。斜め後ろを歩く京も、その情けない姿にはちょっとした苦笑を禁じえない。

「それはあの男本人ですか。それとも、やらかした筋トレですか」
「両方ですぅ……」

 情けない間延びした声は、同時に彼女がどれほど疲れているのかが分かる。呻くような声を上げて、少女は再びのたのたと町を歩き始めた。

 事の発端は、二時間ほど前にさかのぼる。問題の時計塔を見終わって一旦神社に戻ろうとした矢先、公園に差し掛かったところで凄まじい掛け声に思わず足を止められたのだ。見るとその公園のど真ん中で、偉丈夫の男が凄い速さで腕立て伏せを行っており、かなりの距離が離れているはずなのにこれまた凄い音量の掛け声が響いてくる。

「……速い……」

 その姿を見て、京と奈央は同時に呟く。それは二人の目から見ても、信じられない速さだった。呆然と見つめる二人の視線に気付いたのか、男がやあと手を挙げる。

「僕の名前は、マッチョレス・田中!」
「マッチョレス!?」

 いとも怪しげかつ謎のネーミングに、京が思わず突っ込みを入れる。だが田中は気付いているのかいないのか二人に向かって歩いてくると、直後に決めるマッスルポーズ。白い歯が陽光を反射してまぶしく輝き、頬に伝う一筋の汗が無駄な爽やかさを演出する。

「さあ二人とも、僕と一緒に筋トレしないかい?」
「……奈央さん。どういう話の流れで筋トレになるのか教えてくれません?」
「知りません」

 胸の部分がはちきれそうなほど盛り上がった服を見ながら、京がぼやく。それに対して奈央はあっさりと切り捨てるが、京の言葉には続きがあった。

「……とはいえ、なんというか、匂いますね」
「汗臭いって事ですか?」
「いえ、違いますよ。違いますけど……とりあえず、この男は知っておいたほうがよさそうです」

 どうしてなのかと聞かれても、論理的な答えは用意できない。強いて言うなら、ただの勘だ。目の前の男は、もしかしたら何かを知っているのではなかろうか。全く根拠のない、想像というのも愚かしい妄想レベルの話だが、京はそういった勘には従うことにしていた。事実、それに従ったからこそ、こうして現在、ループに気付けていることもある。

「……田中とかいいましたね。筋トレに付き合いますよ」
「……あの、本気ですか?」
「おお、やってくれるか!」

 若干引き気味の奈央の前で、田中は嬉しそうに返事をする。ハイテンションな田中と連れ立って公園の真ん中まで移動する京に、奈央が小さくため息をついた。と、田中が振り向いて、爽やかな笑みで奈央も誘う。

「さあ、はずかしがらずに君も筋肉!」
「い、いえ、私はちょっと……」
「なにを言うのだ、筋肉こそが至上だろう! ほら、遠慮などせずにレッツ筋肉――」
「いやあああああああああああああああ」

 ――とまあ、大体そんな展開であった。腕立て伏せに腹筋背筋、スクワットその他もろもろに、術者としてそれなりの鍛錬はしているはずの奈央が戦闘不能になってしまった。いずれも軽く三桁を超える回数をやられ、笑っている京自身も実はちょっと辛かったり。

「うーん、着ているのがさっきの巫女服だったら、その手の方が幻滅するか逆に萌え上がるかの二択だとは思うのですが」
「知りませんー……」

 よたよたと歩いていく奈央を見て、京は再び苦笑を漏らした。腕時計を見ると、時刻は正午を回った辺り。その時計を見せながら、京は奈央に提案した。

「なら、どこかで休みますか? ちょうど昼飯時ですし、休憩がてら」
「お願いしますー……」
「了解です。えーっと、何かこの辺に……」

 ぐでーっとしたような声ながらも承諾を得た京であったが、場所柄とタイミングが悪かったのか、周囲をぐるっと見渡してもあるのは牛丼屋やらラーメン屋やら、なんかそういった店ばかり。自分ひとりだけだったら適当に入っていいのだろうが、現在の彼は女の子連れだ。

「……やべ」

 仕事上の付き合いなのだから上品な店に行く必要があるわけでもないが、さすがに牛丼屋はないだろう。しかし、さしたるプレイボーイでもない彼は、下調べもしていない町で女の子をエスコートする技術なんかがあるわけもない。

 嫌な汗が背中に浮かんだ京だったが、そこで、あ、と声が上がる。見ると、奈央が何かを思いついたように体勢を変えていた。ぐでーっとした体勢から背筋をしゃきっと元通りにし、京の方へと顔を向ける。

「な、なんかいい店でもありました?」
「いえ、その前に、忘れないうちにお聞きしておかなければならないことがあったのです」

 情けないことを聞く京であったが、奈央の返事は違っていた。しかし、背筋を元通りにした辺り、おそらくは仕事上の話であろう。京はとりあえず、仕事を優先して聞き返す。

「聞きたいこととおっしゃいますと?」
「京さんって、どこへ宿泊していらしてるんですか?」
「宿泊場所ですか? えーと、神社から大分離れた所にあるビジネスホテルです。名前はよく覚えちゃいませんが、確か新式のマットレスを導入したとか聞いてますね」
「マ、マッチョレス!?」
「マットレスです! いろんな意味でヤバイ誤解を招く聞き間違いをしないでください!」

 マッチョレスの上で寝ているとかいう想像するだに恐ろしい聞き間違いをされて、京は思わず叫び声を上げる。先の巫女服話同様、その手の趣味がある女性たちには大受けしそうだが、あいにく奈央にはそんな趣味はなかったらしい。

「あ、ああ、マットレスですか……すみません、軽く引いてしまいました……」

 本当にそうやって聞き間違えたのなら、軽くでは済まない気もするのだが、追求するのはやめておく。しかし、宿屋の名前ぐらい覚えておけばよかったか――内心で軽く舌打ちをする京の前で、奈央も本題に戻したらしい。少しだけ唸ると、こんなことを提案してきた。

「京さん。そのビジネスホテルなのですが」
「はい」
「可能ならば、その宿を引き払っていただいてよろしいですか?」
「……と、おっしゃいますと」
「一緒に行動をするのなら、なるべく近くにいたほうがいいですから。お金はいりませんし、部屋はいくつか空いています。どうかご遠慮なさらず、私の家にお泊まりください」
「は、はぁ……」

 そうは言われても、年頃の男女が一つ屋根の下というのもいかがなものだろうか。単純に倫理的な問題もあるし、そもそも彼女の親が引き受けないだろう。そう思って言い返すと、奈央は苦笑を浮かべて返す。

「それが、父は現在、別の町へと仕事で赴いていまして。母は多分、術者的な繋がりがあると言えば泊めてくれるはずです」
「……術者的な繋がりがあれば、泊めてくれる?」
「ええ。母、実は一般人なのですよ」

 話を聞くに、父親は神楽川の直系であり、母親は嫁入り婚らしい。しかし、術者とは何の係わりもない一般の家からの結婚であり、『裏』の事情にはそれなりに知ってはいるものの、書類作業や日常業務に専ら従事しているとのことである。力の源は血脈に宿るとされる術者の家で、何の関係もない一般人と結婚したということはさぞや非難等もあっただろうが、今の京には特に関係のない話なのでそこはひとまず置いておく。

 それにしても、タイミングが悪い。よりにもよって直系である父親が外出しているうちに結界を張られてしまうとは、運が悪いと言わざるを得ないだろう。奈央の父親がここにいれば、少なくとも戦力の向上は見込めるはずだったからだ。

「そう、ですか……」

 とはいえ、別の方面から考えれば、彼にとって奈央の提案は非常にありがたいものだった。というのも、支払ってしまっている宿泊料金は全額とは行かないまでも、キャンセルすればそのいくらかは返ってくる。現在金欠状態の彼にとっては、その手の心配より金の心配が先決だった。

 先決だった、のだが。

「……ごめんなさい。でも、お受けすることはできません」
「え?」

 そんな理由を抜きにしても、京は彼女の家に泊まるわけには行かなかった。理由は単純、彼女の家に迷惑をかけることになるからだ。

「どうしてですか?」
「俺、夜中に叫ぶんですよ。近所迷惑になるんじゃないかって音量で」
「叫ぶ?」
「ええ。俺、ほとんど毎日毎晩、夢を見るんです。ループ中、夜に叫んで飛び起きて、隣の部屋の人に怒鳴られたのも一度や二度じゃありません」
「だったら、なおさらです。それに、ずっと叫び続けているわけでもないんでしょう?」
「……俺も、男ですよ? もしかしたら、貴方のことを……」
「襲っちゃうんですか?」
「…………」
「なんとなくですが、分かります。京さんは、そんなことをする人じゃありません」

 そんなことをする人じゃないって、どうして彼女に分かるのか。人の皮を被った仮面を、職業柄いくつも知っているはずだ。極端な話、京も奈央も、互いが裏切ることさえもある程度想定済みでいるはずなのだ。

 なのに、この純粋な目は、そんな事を考えていない。そして、いるのだ。京の記憶の中に、こんな目をして自分を見つめる人間が、ただ一人だけ。

 ――止めろ。

 そんな目で、自分を見るな。

 だって、自分は、そんな目をしたお前のことを――

「――――っ!」

 がんっと自分の頭を殴って、京はその記憶を追い出した。こんな所で記憶に苛まれて、彼女に余計な迷惑をかけるわけにも行かない。しかし、奈央はその行動に驚いたらしく、ごめんなさいと謝ってきた。

「すみません、その、出すぎた真似を――」
「……いえ、なんでも、ないです……」

 皮膚が裂けるほど、頭に爪を突き立てる。そうまでして、やっと記憶を追い出せた。顔を上げると、やや怯えた奈央の表情。そんな顔をさせたのが申し訳なくなって、京は苦笑して首を振った。

「……奈央、さん」
「は、はい」
「その……散々余計なことを言いましたけど、お世話になってもよろしいですか」

 京の言葉に、奈央は一瞬呆気に取られたようだった。しかしそれも一瞬のこと、すぐに笑みを浮かべて歓迎の意を告げてくれる。

「はい、お邪魔されますっ! 宿泊料代わりに夜までしっかり働いてもらいますから、覚悟しておいてくださいねっ!」

 しまった、それが狙いか。はめられたと思った京だったが、その愛らしい笑みの前では、なんというか憎めない。不思議と微笑が漏れる京は、よしと頷くと次の目的地を変更する。

「そうしたら、宿屋までお付き合い願えますか。ある程度の荷物は置いてきたので、取りに行かなければなりません」
「分かりました」

 奈央から承諾の返事を受け――しかし現在地をよく把握していなかった彼は、一旦神社に戻ってもらってから荷物を取りに帰るのだった。

 ちなみに昼食は、道中のファミリーレストランで食べることになった。

 

 

 

「すいません、お待たせしました」

 チェックアウトとキャンセル作業を終えて荷物をまとめ、手元に帰ってきた五千円ほどを大事に財布にしまった京は、ホテルの外で待っていた奈央に声をかけた。特に何をするでもなく空を見上げていた奈央は、京の声に視線を戻す。

「いえ。早かったですね。荷物をまとめるっておっしゃってましたから、少しは時間がかかると思ったんですが」
「別にスーツケースが必要なほどでかい荷物を持っているわけでもありませんしね。大きめとはいえ、リュック一つで済んでます」

 中身は特に何の変哲もない、着替えや財布、洗面用具などである。着替えなどはかさばってしまうものの、そこまで重くはないのが楽だ。

「それでは、神社へ?」
「いえ。その前に、晩御飯の買い物をしていかなければなりません。先ほど母に連絡をしましたが、人数が増えるのでカレーにします」
「了解です」

 ループの操作という非日常的なことと晩御飯の買出しという超日常的なことを同時並行でやっているが、やはり日常は過ぎていくのでこういったこともしなければならない。ホテルに泊まってしまえば後はほとんどをホテルの人がやってくれるし食事は外食を取ればいいしで、その辺は大分アバウトであった京とは違い、家暮らしの奈央はやっぱりその辺も必要になってくるのだろう。

 そういえば最近、着替えをコインランドリーに出してないな……そんなことを考えつつ、京は奈央の隣を歩く。どこで買出しをするのかは知らないが、多分いきつけのスーパーの一つや二つはあるのだろう。

 二十分ほど歩き、商店街へと入っていく。曰く、スーパーマーケットでまとめて買うよりこちらのほうが安いらしい。なんかおばちゃんくさいな、との突っ込みは心の中で伏せておく。晩飯抜きとかにされたくはない。

「やあ、奈央ちゃん。今日は彼氏さん連れかい?」
「いえいえ、違いますよー」

 そんなやり取りをしながら買い物をしていく奈央に、京はどことなく古きよき時代を思い出す。最近は大型ショッピングモールや複合型雑貨店、スーパーマーケットなどの普及で商店街など消えてしまったと思っていたのだが、意外とこういったところには残っているようだ。ここはさほど田舎でもないので、割と多くの場所に残っているのではないだろうか。

 とはいえ、奈央も凄い人気である。常連さんなのだろうか。どうやら『夕方になると買い物袋をぶら下げて来る神楽川神社の巫女さんの奈央ちゃん』という認識が成り立っているらしい。

「よう、あんた。あんたは、奈央ちゃんのなんなんだい?」

 くぐった八百屋で、そんな質問が飛んでくる。なんだろう。どこかこんな空気の中、自然と受け入れられている感じがする。京も自然と笑みがこぼれ、おどけた調子で言い返す。

「仕事上の付き合いという返事とストーカーという返事とどちらがよろしいですか?」
「ストーカーという返事だな。そこをポリに通報したら、特別賞金とか出るかもしれん」
「いや、出ないと思いますよ」
「出てほしいんだよぉ。実は先月赤字でさー、調子に乗って大酒飲んだのが悪かったのかねぇ」
「だったらその赤字はアンタのせいでしょうが、俺を売らないでくださいよ」
「三割増の値段を吹っかけるから野菜を買っていってくれー」
「最低だなオイ!」

 思わず怒鳴り返した京に、八百屋の親父が豪快に笑う。そんな横で、奈央は人参とたまねぎを購入。ジャガイモとかは家にあるらしい。いくつかの店には自己紹介までして、二人は神社へと引き上げる。

「ただいまー」
「すみません、お邪魔しますー」

 大きな荷物を肩に背負い、手からは買い物袋をぶら下げて、京は奈央に続いて神社の離れの入り口をくぐった。居間では一人の女性が洗い物をやっており、お帰りなさいと声をかける。その視線は、すぐに京へと固定された。

「どうも、はじめまして。奈央さんとは仕事の関係でしばらくお世話になりますが、私、廉崎京と申します」

 人は第一印象が肝心だという。礼儀正しく丁寧な自己紹介。術者の家でやっていると、こういった礼儀作法のスキルも磨かれていく。奈央の母親はご丁寧にどうもと返してくれ、京は続いてウィットを飛ばす。

「なんの役にも立たない男ですが、三日間ほどお邪魔させていただきます」
「ふふ」

 どうやら、笑ってくれたらしい。ちょっと肩の荷が下りる京の前で、奈央の母親は軽く頭を下げてくる。

「娘からうかがっているとは思いますが、私はその手の事情にはあまり詳しくありません。その辺りのお力になることはできないと思いますが、それでもよかったらどうぞゆっくりしていってください」
「いえ、こちらこそ。ご迷惑をおかけすることになるとは存じますが、どうぞよろしくお願いします」

 京もまた、奈央の母親に頭を下げる。欧米だと握手をするのだが、その辺は文化の違いだろう。あいさつを終えると京は奈央へ促され、部屋に案内してもらった。先ほど茶を出されて話し合いをした、居間のような場所からもう少し奥に入った場所にある六畳間。収納ラックが一つと簡単な棚が二つ三つある他は、特に何もない部屋だった。使われた痕跡はあまりないが綺麗にはされているあたり、客人用の部屋らしい。

「部屋は、こちらでよろしいですか?」
「ええ、ありがとうございます」

 特によろしくない理由もないので、京は早速お邪魔する。ラックの下に担いできたリュックサックを置き、ついでに上着もそこへ置いた。行動する際に必要な荷物は別のナップザックへ入れているので、特に荷物を広げてごちゃごちゃやる必要は無いのである。

「で、どうするんですか? 宿泊料とメシ代ぐらいなら働きますよ?」
「そうですか。では、早速一つお願いします」

 夜まで働けということは、何かしら夜に起こるということだろう。その辺のニュアンスも含めた京の問いかけに正確に答え、奈央はこう発言した。

「今晩、港に行ってください」
「港?」
「ええ。実は今晩、港が何者かに襲撃をされるのです。ですので、もしよろしければ私と一緒に港に赴いて、その襲撃者を撃退して欲しいのです」
「なるほど」

 そういえば今までのループ時にも、二日目の朝に港で火災があったというニュースが流れていた。妖魔や退魔師の存在は、この国でも秘匿されている。そのため、そういった絡みの事件が起こると、必ず上から抹消されるようになってはいるのだが……あの事件は、どうやらこちら側の事件だったらしい。

「襲撃者の正体はご存知ですか?」
「すみません。私も遠くから見ただけので、なんとも……」
「そうですか……」

 いくらループするとはいえ、死んでしまった場合の保障は持てないということか。時間が巻き戻っているので生き返りそうな気もするが、そう信じて動くには確かにリスクが大きい話だ。失敗したら、それこそ全てが終わってしまう。

「了解しました。ですが……恐らく今日は、港を助けきることは出来ないと思います」
「どういうことですか?」
「敵がどういった連中か、はっきり分からないからです」

 奈央の依頼に、京は苦い返事をする。聞き返す奈央にも、京はきっぱりとそう返した。

 妖魔魔物と一口に言っても、その強さは上から下まで幅広い。この前京が撃退した、動物が妖気に当てられて変異してしまった魔物などは、妖魔の中では下層の下層、最下層に位置するほどである。戦闘能力も高くなく、発見された際は新米術者が駆り出されて練習相手にされられるほど弱い生き物なのであるが、当然ながら世の中そういった連中ばかりではない。人里離れた秘境に住む神がかった生き物や、腕利きの召還師などに呼ばれた悪魔など、京でさえも太刀打ちできない相手も当然いるのだ。

 もちろんそういった連中は極端な例であり、前者はわざわざ人里にそうほいほいと降りてくるわけもなく、後者もよほど凄腕の召喚師でない限り、人間ごときの召還に応える例もあまりないのだが、この世界は警戒してもしすぎることはない。命あっての物種なのだ。

「どうせループするのなら、敵の正体を観察するのに全神経を使いますよ。何もこのループだけで突破する必要もないわけですからね」

 場合によっては腰抜けとも取れる言葉であるが、確かに彼の言う通りどうせループするのなら無理に先走る必要も無い。変な話、時間は有り余っているのである。敵にこちらの存在が感付かれていることはまだないだろうし、無理に目立つ行動も避けたい所だ。そう自分の考えを述べ、一理あることは認めたのか、奈央も微妙な顔で頷いた。

 
 

 

 

 

 

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