二十二話
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「…………」
宙に浮いて、吹き飛ばされた女の体が。叩きつけられる一部始終まで、俺は戦いを忘れて魅入っていた。完全に隙だらけだったが、俺も、そして俺と戦っている連中も、戦いの手を止めるほどの、醜く美しい争いだった。
二人の少女が、一人の少年を巡って争っている。叩きつけたセナの想いに、ミミィも秘めたる想いを叫んだ。彼女もまた――俺を好きでいてくれたのだと。
ミミィもまた、自分を好いてくれていた……それを素直に信じられるほど、俺はおめでたく出来てはいなかった。だけど、あの戦いを見てしまえば、それを信じざるを得なくなる。
セナの俺に対する想いも、ミミィの俺に対する想いも。醜くも美しい嫉妬が生んだ修羅場の果てに、彼女たちの胸に秘められた想いは、夜闇の倉庫に木霊した。
「……どけ」
命令すると、周囲の男たちは、素直に下がる。この場でなにを言うべきなのか――少しだけ考えたけど出てこなくて。俺は何も言うことなく、セナの唇をそっと奪った。
「んっ!?」
セナは、驚いた表情を浮かべて。しかし、やがてゆっくりと、彼女は力を抜いてくる。唇を離すと、俺はミミィに向き直った。
「ミミィさん。あんたの気持ちは、しっかりと受け取ったよ」
「…………」
セナの雷鳴に打ち据えられ、いまだ立つことすら出来ないミミィは、それでも目線だけを向けてくる。
「それでも、ごめんな。今の俺には、応えられない」
ミミィに告白をしたときに、受けてもらえなかったのは何故か――それは彼女が、立場や名誉を気にしたからだ。何も失うわけではないのに、それ以上を求めたために、その関係には、看過できないひび割れを生んだ。
身分の発覚のリスクを背負い、セナが告白してくれたのは何故か――それは彼女が、俺のことを最優先に考えていてくれたからだ。失う可能性すら背負い込んで、他には何も求めなかったために、その時には恋人にはならずとも、ひび割れの一部を消し去った。
経験が豊富なわけでもないから、俺に恋愛は語れない。駆け引きや感情も、重要なものなのかもしれない。だけど、冒険者にとって、そんなひび割れを生むような駆け引きなど、絶対に行ってはならないはずだ。そんなことをしてしまえば、文字通り、命取りにすらなりかねない。
俺は、冒険者だ。貴族じゃない。
だから、セナはミミィに勝ったんだ。ミミィという人物についてくる、さまざまな付加価値ごと圧倒して。そこだけが、妙に冷静に考えられた。
そして――
「ぐふっ……」
目線を向けると、上空に宙を舞う男の姿が飛び込んできた。さらにその近辺には、累々と倒れた別の男。そいつらは全て、ミミィが連れてきたファルメルウーナの兵だった。宙を舞ったのは、リーダー格の男。その奥で、高い鍔鳴りの音をさせて、己の刀を鞘に収めた仲間がいた。
「鍛錬が足りないから、こんなことになるんだ」
十人以上の兵士をたった一人で相手して、しかしそいつはほとんど息すら切らしていない。返り血で汚れている他は何のダメージも見受けられず、かすり傷一つ見られなかった。
「終わったぞ、トウヤ。それに、セナ」
つくづく、この男の強さをありがたいと思ったことはなかった。そいつは……ゴーズは、ゆっくりとこちらに歩いてくる。あまりの強さに、俺と戦っていた男共が怯えたように道を開けた。
「お前はまだ、終わっていなかったのか」
「いや……」
まさか、敵の前で他の戦いに見とれてましたなんて言えないし。どう返そうかちょっと悩んだ俺の前で、ゴーズはミミィに目線を向けた。
「無様なものだな。貴様、一体何を考えている」
「く……ぅ……!」
起き上がろうとしたミミィだったが、すぐに床へと倒れてしまう。そこへ、セナがゆっくりとグローブを向けた。
「トウヤ。ゴーズさん」
「なんだ?」
「バリガディスだけじゃなくて、ファルメルウーナにも追われちゃうかもしれないけど……こいつ、殺していい?」
「くっ……!」
人を人とも思わない、絶対零度の目線。セナの目から、少女の色が失われる。それに対し、俺は最早何の感慨も抱かなかった。
「好きにしな。こいつは、お前を殺そうとしたんだろ。だったらそれは、正当防衛だ」
「ふん」
ミミィとの思い出すら、既に何も巡らない。少しだけ、冒険の心得を教えたことが思い出されたが、すぐにセナのそれへと変わってしまう。ゴーズも何も言うことなく、鼻で笑って答えにした。
「ふ、ふふ……奴隷、ごときが……調子に、乗りやがって……!」
「最後までそれか。ざまぁないな」
セナが最後に浮かべたのは、失笑だ。そしてそのまま、腕に魔力を集中する。
だが……
「ふ、ふひひ、くひひひひっ……はは、あっはははははははは!!」
「…………?」
ミミィが、突然、笑い始めた。
「くひ、そうか、私はここで、殺されるわけね。きゃは、くひゃひゃ、きゃっはははははッ!!」
立つことすら出来ない体で上げるのは、常軌を逸した、狂ったような笑い声。
「奴隷風情に、殺される? きゃはは、傑作ね! 貴方ごときに、私を害する権利はないの!!」
「――――っ」
無駄だと判断したのか、セナは魔力を解き放とうとする。だがその前に、ミミィは懐から、一本の小瓶を取り出した。
「これが現だというのなら、それを全て壊してあげる! トウヤは私の、奴隷は殺す! くけけ、ついでに、忌々しい侍も消してやるうゥッ!!」
小瓶の蓋を開け、ミミィはそれを飲み干した。次の瞬間、耳を劈く高い声が、俺らの耳に突き刺さる。
「ク……キャハ、キャハグエエエェェェェンッ!!」
「なっ……!?」
思わず耳を押さえ込み、顔を伏せた俺らの前で……ミミィの体が、変貌した。生木を裂くような音と共に、華奢な肉体は醜く膨れ、内部からの圧力に着衣は千切れ――あらわになった皮膚は赤黒く変貌し、無数の鱗が吹き出した。
美しい顔はぐにゃりと曲がり、後頭部からは魔物や恐竜を思わせるような、無数の角が突き上がる。生肉同士をぶつけたような音がして、丸太のような尻尾が生えた。犬歯は鋭く突き出され、でろりと赤い舌が覗く。
人とは思えぬ絶叫と共に、ミミィは魔物と化していた。爛々と輝く赤い瞳が、ぎょろりと俺らを視界に入れる。
そこには最早、共に行動した女性の面影など、一欠片も残っていない。咄嗟に飛び退いて身構える前で、ゴーズが苦い声を出した。
「おいおい……あれは多分、魔神の苗床を飲み干したに違いねえぞ」
「……魔神の苗床? なんだそりゃ?」
「人を魔物にしてしまう薬だ。デモンズゼリーと言ったほうが、通じるか?」
「デモンズゼリー……」
確かに、聞いたことがあった。
人を魔物に変えてしまう、死霊術士や魔神使いの基本手段。
「……じゃあまさか、ミミィがそういう連中と、どこかで接触を持ってたってことか?」
「今更問うたって、拙者たちに分かるはずもあるまい。ただ、分かるのは……ああなった以上、奴はこの場で仕留めねば、想像を絶する被害が出るぞ」
服用した際の効果は、その人の精神状態によって異なる。しかし、自ら服用しようが何者かに強引に飲まされようが、大抵の場合は効果を受けずに打ち払うことが出来るという。多少気分が悪くなったり、逆にハイになるようなことこそあるといえど、所詮はその程度の力しかないのだ。そのため、これを使う術者はほとんどいない。又聞きの話だが、作るのには非常なコストがかかる上に効果が非常に不安定なため、能率が悪すぎるからだという。
だが……例外が、一つ。廃人となってしまった者に飲ませたら、ほぼ人としての原形を留めぬほど、変わり果ててしまったという。
「愛する者を奴隷に奪われた貴族としてのプライドが、膨れ上がって人すら捨てたか。……救われないな」
彼女への効果は、見ての通り。
嫉妬に駆られたミミィの心はデモンズゼリーに乗っ取られ、狂気の果てで荒れ狂う。
「グギギ……トウヤハ、わタシだけノもノ……! 奴れいも、侍モ、みんナみンな、殺してヤるーーーーーッ!」
「じょーだんじゃねえ……」
そんな気持ちを、伝えてくれるのは嬉しいんだが……まだ、あんたを好いているときに、やってほしかったものである。
「そレで……ソれデ、こノ先ずっト、家族と、トウやト……」
「っざけんな。バケモンに愛される趣味はねーよ」
愛故だろうが嫉妬故だろうが、かつての仲間におよそ女性として最低な仕打ちをした挙句、殺そうとするような愛情だったら、俺はそんなもんお断りだ。セナみたいに、純粋で甘いのを希望するぜ。
そんなセナに、ミミィは燃えるような眼光を向けて――両腕を大きく振り上げた。
「お前が……お前さエ、いナケれバアァッ!!」
両手の間から、赤黒く輝く光の玉が生まれてくる。禍々しく光るその玉は、セナをめがけてぶっ放された。
「うわぁっ!」
咄嗟に転がって避けたセナの傍をすり抜けて、その弾丸は後ろに立っていた男の一人を直撃した。爆音と共に炸裂した弾丸は、男の体を木っ端微塵に吹っ飛ばす。その隣に立っていた別の男が、無様な悲鳴を上げて尻餅をついた。
「ひ、ひぃっ……!」
「う、うわああぁぁぁっ!!」
ぎょろりと目線を向けられて、その隣の男がへっぴり腰で逃げ出していく。一人が逃げれば、後はもう早かった。先の兵士達ならともかく、烏合の衆ともいえるならず者に、そんな精神を期待するだけ無駄なのだろう。あっという間に瓦解して、我先にと逃げ出していく。
「……無様なものだな」
ゴーズの言葉は、そんな男共に向けられたものか、それともミミィに向けられたものか。ミミィの方に目線を向け、ゴーズは心底見下しきった声で言う。
「セナは、なりたくて人間以下の奴隷になったわけじゃない。過酷な生まれと労働の中で、無理矢理奪われただけの話だ」
貴族、奴隷――この女は、立場と自信を以ってして、セナのことを見下した。
それに関しては、間違っていない。
実際にセナは奴隷であり、ミミィは貴族だったから。
「だというのに、自らの意志で人を捨てた貴様など、比べるまでも無くセナ以下だ」
だけれど、決して正しくもない。
なぜならセナは冒険者であり、ミミィも冒険者だったから。
「キ、貴様ァ……平民の、侍風情が……」
妙に、人間味のある声音だった。震える手先が、奴の抑える怒りの程を表している。ゴーズはふんと鼻で笑って、刀の柄に手を当てた。
「トウヤ、セナ」
ゴーズのぴんと張った声が、この場を静かに駆け巡る。ちらりと後ろを振り返ると、既に先ほど相対していた男共は、一人残らず逃げ去っていた。全く、無駄に逃げ足だけは速い奴らだ。
「今更こいつを救うことは出来ん。この場でミミィに殺されるか、ファルメルウーナに追われる覚悟でこいつを斃すか。好きなほうを選べ」
「……けっ」
魔神の苗床を、デモンズゼリーを服用し、人を失った人間を元に戻してやる術は、いまだ確認されていない。
これが、この様か。あれほどチャンスを与えてやって、与えられた身の危険さえ、セナは一度は許したというのに。家族も俺も手に入れる――それも、完全無欠な形で。馬鹿げた夢を追い求め、現実を否定し続けた果ての、この姿。
セナとミミィの戦いで、セナが勝ったのも当然だ。
セナは、俺しか求めていなかった。ミミィは、俺も含めた全てを求めた。
何かを得るためには、何かを失わなければならない。それは、絶対の真理だろう。それなのに、何も捨てられないと思ったが故に、ミミィは人として、最も大事なものを捨ててしまったのだ。
剣を、真っ直ぐに構えなおす。今までの旅人生活を取るために、ミミィを捨てる。セナを取るために、ミミィを捨てる。それが、俺の選択だ。
「よく言うぜ。俺がこの場でミミィを説得するとか抜かしたんだったら、てめえは逃げるか単独でこいつに挑むかの二択を選んでんだろうが」
「少なくとも、貴様のパーティは抜けただろうな。貴様の夢物語に付き合って、拙者まで命を落とすつもりはない」
夢を見ないというか、こいつは本当に現実主義だ。でも、そんなこいつを、嫌っていない俺がいる。
「セナ」
「なに?」
隣でグローブを構えるセナに、俺は静かに言葉をかける。先ほど、傷者にされかけた不安も拭う、この言葉を。
「お前がいなくなって、襲われかけて。それで、分かったんだ」
「……え?」
「本当はもう少し、落ち着いた場所で言いたかったけど。……好きだ、セナ。お前のこと、好きになっちまった」
「――――っ!」
先ほど、彼女は襲われかけた。永遠に癒えない傷をつけられかけて、心に傷を負ったかもしれない。また、余計な事を考えてしまうかもしれない。
だから、はっきりと、こう言った。
さっき襲われかけたことなんて、何も影響していないと。
「次の町に行ったら、また二人でデートしよう。いろんなもの見て、おいしいもの食べて。それで、夜になったら……君を、抱きたい。セナに、してほしい。どこぞの者とも知らない男に君を無理矢理奪われかけて、その時に、絶対に誰にも奪われたくないって、誰にだって渡したくないって、そう思った。君が欲しい、独り占めしたいって、本気でな」
男性客の、性欲の処理――彼女たち奴隷の人権をもっとも残酷に踏みにじった、仕事の一つ。実際にそれが真実かどうかは分からないが、もしもそれが本当なら、もう一つ、役に立ってもらおう。
「実は俺さ。最初はその、優しく扱いてほしいななんて、汚い夢持ってたりするんだけどよ。だから、一回でいいからしてほしいかな。誰とも知らない男なんかに、奪われる前にさ。もちろん、身体目当てじゃないから、こっぴどく振って構わないぜ」
奴隷は基本、手か口で処理をさせられていたと聞いた。とはいえ、いきなり口でさせたら、妙なトラウマもえぐりかねない。もっとも、昨日のあれから考えるに、そこまでは行っていないように思えるけど、念には念を、というところだ。
それを持ち出すこと自体が汚いし、身体目当てと思われかねないような言い方だけど、それでも、利用できるものは、利用する。
「……うん。いっぱい、してあげる」
果たしてセナは、その意味を全て、汲み取ってくれた。
「こんな奴なんかに、渡さないんだから。トウヤはボクの恋人で、ボクのたった一人だけの、ご主人さまなんだから。ボクの、ボクだけのものなんだから」
「へっ」
いつ彼女のご主人様とやらになったのかは知らないが、それは後で話すとしよう。
「ゴーズ」
「なんだ」
「悪いな。俺の甘さのせいで、どんどん修行の場を縮めてしまって」
「別に構わん。修行の場を求めるためにこのようなことを見過ごすなど、本末転倒の極みだからな」
元々、俺がミミィを連れてこなければ。いや、それはまだしも、ゴーズの言う通り、あの場でミミィを切っていれば。こんなことには、ならなかった。それを謝罪した俺に、ゴーズは無骨な笑みで答えてくれる。
「……ミミィ」
「…………」
最後に、俺は……目の前の魔物に、言葉を投げる。
かつて共に旅をして、身を墜とし、破滅へ向かった女へと。
「せめてもの手向けだ。俺らで、引導を渡してやる」
「笑わセルな……」
言葉は、届かないか。
まあ、そうだろう。
大きく、息を吸い込んで――誰からともなく、哀しい決戦が、始まった。