十九話


 翌日。

「えーっと、保存食よし、カンテラ油よし、アクアペーパーもよし、と。まあ、こんなもんか」

 昨日のうちに見立てをやったはいいものの、そもそも山越えのくせしてあまり魔物に遭遇しなかったということに加え、宿泊場所には都合よく山小屋があったこともあってか、大した浪費はしないですんだ。買い足したものは、せいぜい宿泊に使ったカンテラ油やアクアペーパーぐらいのものだ。

「こりゃ、次の村くらいまでなら働かなくても行けそうだな」
「行けはするだろうが宿代はどうするんだこのド阿呆。まったく貴様らしい浅薄さだな」
「うるせーなお前はいちいちよー」

 働くよ。働きますよ。だって冒険に妥協なんかしねえもん。

 ぶちぶち言いながら、一旦やることがなくなったので宿屋の近くまで戻ってみる。

 すると、宿屋の前には見覚えのある人が立っていた。漆黒の髪に、どこかで見たことのあるような顔。ミミィはきっと、母親に似ているのだろう。

「こんにちは、ミーナさん。もしかして、待たせてしまいました?」
「ああ、トウヤさんたち。いえいえ、今来たところですよ」

 まだ時間は大分早いが、もしかして待たせてしまったのか。そのことを聞くと、どうやら今来たばかりとの事。それもそうか。待たせていたら、こちらの遅刻というよりは向こうが早めに来すぎただけだ。

「まだ、夕方には少々早いですが、よろしければ私共の家へとご案内したいと思いますが。トウヤさんたちは、用事はもうお済みですか?」
「ええ。では、お言葉に甘えさせていただきます」

 折角なので、厚意に甘えることにする。ゴーズとセナにもそれぞれ異論はないようで、少々早めにお邪魔をすることにした。

 ミーナさんは微笑んで頷くと、俺らの先に立って案内していく。移動すること十数分、着いた先は一番大きな屋敷だった。入り口には番兵も立っており、村の規模から考えればなかなかの威厳を持っている。

「ただいま戻りました」
「すみません、お邪魔しますー」

 番兵の横をすり抜けて、俺らはミーナさんと一緒に屋敷の中へと入っていく。うひゃあ、使用人さんまでいるわ。

「こちらが、本日のお客様ですか?」
「ええ。まず、お部屋に案内して差し上げて。三十分ほど経ったら、大広間まで」
「かしこまりました。では、ご案内いたします」

 メイドさんに案内されて、屋敷の中を歩いていく。着いた先には、部屋の扉がいくつかあった。客人用に用意されているものなのだろう、なかなか立派な扉である。

「では、こちらがトウヤ様とゴーズ様のお泊りするお部屋となります。お部屋は同じではございますが、寝室は別々に分かれておりますゆえ、ご安心ください」
「はあ、どうも」

 受け取った鍵は、全部で三つ。一つは共用スペースのもので、残りの二つはそこから奥にある寝室のものらしい。さすが貴族。屋敷の場所が村だとしても、この辺の威厳は素晴らしい。

「こちらが、セナ様のお部屋のものです」
「……ありがとうございます」

 続いて、セナが二つの鍵を渡された。順当に見るなら、一つが共用スペースで、もう一つが寝室か。しかし、よくよく考えてみれば、セナは敵地の真っ只中だ。どうしようか、この状況。

「三十分ほど経ったら、大広間へとお呼びいたします。それでは、どうぞごゆっくり」

 頭を下げると、メイドさんは俺らの前から立ち去っていく。とりあえず、いつまでもでっかい荷物を背負っていてもアレなので、俺はゴーズと連れ立って部屋の扉を開けてみた。共用スペースに荷物を置くと、ウエストポーチだけを装着して、次に寝室を覗き見してみる。ベッドに腰掛けると、ふかふかだ。一度泊まった貴族屋敷ほどではないが、これは寝心地がよさそうである。

 ――こん、こん。

「おりょ」

 と、入り口の扉がノックされた。ゴーズが扉を開けてみると、ウエストポーチと荷物を持ったセナがいる。

「どうした、いきなり」
「あ、うん……その、お邪魔させてもらっていいかなって」
「あー、いいぜいいぜ。入って来いよ」

 ゴーズの問いかけにセナが答え、それを俺がフォローする。セナとミミィは、今現在非常に不安定な関係だ。さっきも言ったが、ミミィの家とも言えるこの場所では、セナにとっては敵地と大差はないのだろう。

 ゴーズも同感だったらしく、一つ頷いてセナを促す。

「拙者も別に構わん。なんなら、部屋を交換するか」
「え? いいの?」
「どこで寝ようが大差はあるまい。それに、一応寝室は別々だ。襲撃されても拙者なら凌げる自信はあるし、お前のほうも安心だろう。何者かが部屋に入ってくれば、トウヤも目を覚ますだろうし、二人もいれば襲撃者も撃退できるしな。ついでに言えば、そのトウヤが不埒な気持ちを起こしたとしても、立てこもってしまえばどうとでもなる」
「ちょっと待てい」

 最後の言葉はいらねーだろ。それにしても、本当に気の利く男だな。それが一定以上の実力のある人間か、あるいは努力家でないと発揮されないのは難点だが、もう少し愛想でもよくすれば、きっと人望も集まるだろうに。

 もう何度目にもなった思いを新たにしながら、俺たちはゴーズの言葉をありがたく受けることにする。互いの荷物を交換し、ゴーズも寝るとき以外は俺らの部屋にいることになった。

「これでミミィも、メンバーを離脱することになるだろう。実際、あの人の旅は、行方不明になった家族を探すことだったからな」
「そうなると、拙者とお前たちの三人旅になるわけか。ふん、まったく、拙者の修行が女連れになるとは、さすがに予想してなかったぞ」
「いーだろ別に。部屋は離す必要はないから安上がりで済むし、実力も頑張ってつけようとしてくれているし、食事のメニューも安いの頼むし……って、セナは少し遠慮しないで、欲しいものを頼もうな」
「え?」

 フォローをしていた俺だったが、ふと思い至って言葉を止める。一番安いものとなると、非常に簡素なものになる。見る限り、肉も魚もあまり食べていなかったはずだ。

「しっかりスタミナつけとかないと、いざという時倒れちまうぞ。あんま値段とか気にしなくていいから、今度からは肉系にも手ぇ出しとけ。倒れられると、戦力の損失が著しいし」
「いちじる……?」
「ああ、ひどいってこと」

 『著しい』は、まだ理解できなかったか。

「ついでに、倒れられたら俺が泣くしな」
「――えっ?」
「あたりめーだ。だからとにかく、お前は毎日しっかり食え。いいな?」
「……あ、うん……」

 戸惑ったように、少しだけ嬉しそうに。頷いたセナの前で、ゴーズも同感だと腕を組んだ。

「常識の範囲内で言えば、値段はさほど気にしなくていい。お前が倒れること自体は別にどうでも構わんが、宿屋まで庇って帰るのは面倒だ」
「おー? 庇ってくれるわけー、ゴーズちゃーん?」
「茶化すなトウヤ」

 渋い顔をしているものの、本当にイイ奴である。とはいえ、もしもこれがゴーズとミミィの二人旅だとか言おうものなら、ゴーズは遠慮なくミミィを見捨ててそのまま旅を続けるだろうが。

 ……逆もまた然りじゃないかとか言ってはいけない。

「トウヤ様、ゴーズ様。食事の準備が整いました」
「あ、どうも。セナもいますんで、一緒に出ます」

 ちょうどいいタイミングで、食事の準備が整ったようだ。ゴーズとセナの二人を連れ、俺は部屋を後にする。

「一応、施錠しときますね」
「そうですね。お願いします」

 許可を取る必要もないような気もするのだが、念のためだ。鍵はどうやら俺らが持っていていいようなので、そのまま預かることにした。

 

 

「ひえー……」

 貴族の夕食に招待されたのは、随分と久しぶりだった。あの時から数えて二回目だが、客を招く時の貴族の料理は素晴らしいといわざるを得ない。

「どうぞ、おかけください」
「失礼します」

 メイドさんに勧められ、俺は案内された料理の前に腰を下ろす。目の前にはミーナさんがいて、両隣はミミィと父親かな? が、座っていた。さらにその両隣は、多分お兄さんとお姉さんか。

 と、セナが料理の前に腰掛けた瞬間、ミーナさんたちの目が一瞬だけ細められる。セナはぴくりと肩を震わせ、ミーナさんたちに目線を向けた。しかし、彼女たちの目線は既に元に戻っていて、先ほどの色は見受けられない。

「…………」
「トウヤ君、ゴーズ殿、それにセナさんといったかな。改めて、歓迎するぞ」

 少し目を伏せた俺の前で、ミミィのお父さんの声がした。どうも、と頭を下げる前で、ミミィが手を出して促してくる。

「まずは、どうぞおあがりください」
「どうも。いただきます」

 一旦気を取り直して、俺は食前の挨拶をした。目の前の鶏肉を切り分けて、口に運ぶ。

 ……うまい。感動する俺の前で、ミーナさんが続けてくる。

「冒険のこと、ミミィからいろいろと伺っているわよ。随分と、お世話になったようね」
「はは、いえいえ。こちらこそ」

 先ほどの目線が気にかかるが、言葉に棘は含まれていない。気のせい……いや、違うな。あれを気のせいと流せるほど、俺は冒険者として今まで生き抜いてきたわけじゃなかった。軽く目線をゴーズに向けると、ゴーズも目配せを返してくる。油断するなと、ゴーズの瞳は言っている。

「それにしても、トウヤさん。テーブルマナー、上手いのですね」
「いえ、これ、実はミミィさんに教わったものでしてね。まだまだ発展途上なので、何か間違ってたら言ってください」

 冗談めかして軽く言うと、ミミィの家族から笑いが漏れる。そこへ、ミーナさんが言ってきた。

「今日、貴方たちをここへ呼んだのはね。やはり、ミミィのことなのよ」
「でしょうね。ミミィさんの旅の目的については、本人から伺っています」
「そう。それで、ミミィはこれから、私たちと一緒に行動することになったの。もちろん、ミミィは喜んで賛成したわ」

 目線を向けると、ミミィは笑みを浮かべて頷いた。どうやら言わされたわけではなく、彼女自身の本心らしい。だとするなら、こっちも安心して引き渡せる。

「かしこまりました。もちろん、ミミィさんの旅の目的が果たせたのならば、我々に引き止めることは出来ません。彼女は私たちとの旅を通して、本当に強くなったと思っています」

 冒険者パーティというものは、旅の目的を同じくする者同士が集うようなものである。目的を終えた後の行動についてなら、残りのメンバーの話は管轄外だ。回復役がいなくなるが、元々俺はゴーズと二人旅をしていたし、それ以前は一人で旅をしていた。それに今は、セナが加わった三人旅だ。完全に物理型のゴーズと、氷の魔法は使えるものの半分以上物理面で戦う俺だったが、これに魔法型のセナが加わってくれることは、非常に頼もしいものである。セナ自身も、自分の身は自分で守れる強さはあるし……ここだけの話、『冒険者』としての価値を強く見出しているのは、ミミィよりもセナだった。ミミィを旅に連れてきたのは、ぶっちゃけ惚れた弱みってやつか。

 以上のことから考えれば、痛いといえば痛いのだが、致命的というほどでもない。

「ありがとうございます。そういってくださると、私たちも安心できます」
「ええ。我々としても、惜しいですがね」

 というわけで、別に反論をすることもなく、素直にミミィを引き渡したのだが……

「それで、トウヤさん。そのことなんだけど……」
「はい?」
「貴方も是非、ファルメルウーナに引き抜きたいの。私たちやミミィと一緒に、これからは旅をしていくつもりはないかしら?」
「――――っ!!」

 セナの息を呑む声が、やけに響いた。

 

「……なんと」

 少しだけの沈黙の後、俺はミーナさんにそう返す。ミーナさんはええと頷くと、勧誘の言葉を続けてきた。

「旅はやはり危険だし、ミミィの冒険の腕を磨いてくれたのは貴方だって聞いているわ。それに、今までミミィと一緒に旅をしてくれていたなら、実力的にも安心できるし」
「その前に……また、旅に出られるのですか?」
「ええ、色々あって、この村の統治を任されることになったのだけどね。私たちにも目的があるし、この村は信頼できる右腕に任せて、再び旅に出ることにしたの。それに当たって、貴方を是非引き抜きたいのよ」
「なるほど……」

 理屈は、分かった。

「それで、ゴーズとセナに関しては……」
「…………」

 ミーナさんは、首を振った。

 冒険者のメンバー同士が、あるいは位の高い人が、有能な冒険者を引き抜こうとすることもあるという。引き抜かれる側も、元々メンバーを結成していることが大半なため、実際にはそんなに見受けられない。俺も話に聞いてはいたが、実際に自分がそういう立場になろうとは欠片ほども思ってはいなかった。一人旅の時には憧れていたが。

「そうですね……」

 ちらりと、目線を横に向ける。

 ゴーズは、冷たい目線を向けていて。

 セナの瞳は、不安げに揺れて。

 当然、答えは決まっていた。

「……申し訳ございませんが、お受けすることはできません」

 当たり前のことであるが、引き抜こうとする側は、例えば凡庸な冒険者メンバーの中にいる、いわゆる原石を狙っている。引き抜かれる側も、有力貴族や有名なメンバーのためならばと、名を売る意味でも引き抜きに応じる場合もある。

 だが、それはほんの一部分。実際には、拒むことが大半だ。受ければメンバーには穴が出るし、拒んでもお互いの空気は悪くなる。それどころか、引き抜かれそうになった側は、下手をするとメンバー内での結束にも問題が出る。妬み嫉みが、表に出てきてしまうのだ。そのため、冒険者を引き抜こうとすることは、どの冒険者たちも避ける傾向が強くあり、実際は非常に珍しいことになっていた。

 そして、俺も、また然り。頼もしい仲間と、可愛い恋人を放置して。受けるつもりは、全くなかった。

 しかし、ミーナさんは意外だったようで、驚いたような声と共に、続く言葉を投げてくる。

「受けないの? 生存率は上がるだろうし、バックアップの体制もある。衣食住も保障できるし、いい話だと思うのだけど」
「たしかに、そうかもしれません」

 仕事がなければ金はなくなり、あっという間に路頭に迷う。それが、流れ者の冒険者稼業だ。実家があればそこに戻るという選択肢もあるが、俺は実家や家族の記憶はないし、ゴーズも天涯孤独の身。セナに至っては、逃げた奴隷。安定性という面では、これ以上ないくらいに欠けているのだ。

 だけど……

「私には、今までの仲間を見捨てることは、できませんから」
「……なんで、ですか……?」

 そんな声を上げたのは、ミミィだった。今更だが、髪を梳かし、服も上等なものに着替えた彼女は、さながら気品あふれるお嬢様だ。俺らと共にいるよりは、確かに、貴族のバックアップの下で旅をしたほうがいいのだろう。

 しかし、なんで彼女が、そんな声を上げるのだろうか。

「簡単だよ。ゴーズやセナと貧乏旅をしているほうが、今の俺には合ってるからさ」
「で、でも貴方……その、数日前、私に……」
「まあ、な」

 それをこの場で言われるのは、ちょっと困るが。

「でも、ミミィさんに振られて、諦めようとして、んでまあ、頑張って諦めてさ。それから、一緒に歩もうと思ったのが、セナなんだ」
「――待ってもらっていいかな、トウヤ君」
「はい」

 ミミィのお兄さんから、声がかかった。お兄さんはセナを一瞥すると、俺のほうへと目線を向ける。

「それは、うちの娘とその奴隷を、一緒に扱ったということでいいな?」

 ……やっぱりか。セナが料理の前に腰掛けた瞬間、冷たく向けられた彼らの目線。あの色は……間違いない、侮蔑のものだ。

 セナが肩を震わせたのも、当たり前だ。貴族からそんな目を向けられるのは、彼女にとっては日常的なことだったからだ。

「冒険者に、貴族も奴隷もありません。常識的な判断であると思いますが」
「では、その奴隷と君が付き合うことになったとき、セナの身分を知っていたのか?」
「知っていました」
「なら、君が覚えているのは、同情ではないのか?」

 よく言うぜ。知らなかったと答えれば、そんな大事なことを隠していた奴と付き合うのがどうのこうのと続けるくせに。

 しかし、その言葉への反論を、俺は持ってはいなかった。返す言葉に詰まった俺に、ゴーズが言葉を投げてくる。

「ここに、拙者が見解を述べてしまうのはどうとは思うが。少々、よろしいかな?」
「なんだろうか?」
「トウヤ。確認をするが、お前がセナに告白をされたのは、ミミィに振られる前か? それとも、振られた後なのか?」
「……後だけど」

 振られたって言うなよ。そのこと自体というよりは、よりにもよって彼女の家族の前で暴露されたことが気になるわ。ゴーズは一度頷くと、ミミィの家族側に目線を向けた。

「一度、トウヤはセナのために、命を張ったことがある。トウヤの性格については存じているつもりが、少なくとも同情で命を張れる奴はいない。トウヤがセナにどのような感情を抱いているのかは知らないが、少なくとも傷を舐めるような同情という関係ではないだろう」
「…………」

 その言葉を聞いた瞬間――気がかりなことが、抜け落ちた。

 ……そっか。

 そういえば、そうだよな。

「ミミィさん。それに、ご家族の皆さん」
「…………」
「お気持ちはとてもありがたいですが……申し訳ありません。お受けすることは、できません」

 最後にもう一度、頭を下げる。しばしの間、沈黙が流れて……

「仕方が、ないわね……」

 まず、同意を示してくれたのは、ミミィのお姉さんで。次に、両親が。

「惜しい選択だと、思うんだがな」

 ちょっと苦い言葉で、お兄さんも同意する。

 ……だが。

「――なんでですかっ!?」

 まとまりかかったこの話を、ミミィの金切り声が切り裂いた。

「どうして――どうして、共に来て下さらないのですか!?」
「おい、ミミィ――」

 たしなめるような声を出したのは、ミミィのお父さんだった。だが、激昂したミミィは止まらない。

「貴方、私のことが好きなんでしょう!? たしかに、振ってしまったのには謝りますが――だといって、傷心に付け込んだ女の為に、こんな好条件を逃がすこともないじゃないですか!!」

 付け込んだわけじゃない。自分が奴隷であることをカミングアウトすることが、どれほどの覚悟がいることか、貴族の彼女に分からないのか。

「貴族の娘を捨てる気ですか!? 生きる価値もないような、たかだか奴隷一匹の為に――」
「――言葉が過ぎるぞ、ミミィ!」

 叫ぶ彼女が、ひどく白茶けて見える。こんな人に、俺は今まで惚れていたのか。

 彼女を突き動かしているのは、プライドだ。ここで引き下がってしまえば、奴隷ごときのために捨てられた「貴族」としてのメンツに傷がつくと、彼女は考えているのだろう。

 くだらないプライドだと、苦笑が漏れる。考えていたポイントは、貴族か奴隷かということではなく、冒険者としてだったというのに。

「ああ、確かに振られたな。もう一回言うけど、ミミィさんに振られて、諦めようとして、諦めて。それから一緒に歩いていこうとしたのが、セナだった。同情だろうが付け込まれようが、セナは今の俺の彼女だ。そうでなくとも、俺が全力で当たった後輩だからな。最後まで、俺が教えられることは教えたい」

 ゴーズは何年間も旅を共にしてきたし、大体、メンバーにはセナがいる。それを捨てて、今のミミィさんと歩むだろうか。答えは、ノーだ。

「億単位の金を積まれようがこの家の家督を譲られようが、俺は引き抜きには応じられない。それが――俺の、変わらない返事だ」
「――――っ!」
「もうよせ、ミミィ」

 さらに言い募ろうとしたミミィを、父親が止めた。

「前々から約束していたならば別として、それでもトウヤ君の決意が変わらんのなら、これ以上要求しても無駄だろう。引き抜きを受けるにせよ拒むにせよ、最終的には本人が決めることだしな」
「そういうことだ。気持ちはありがたいけど、ごめんな、ミミィ」

 鶏肉の最後の一かけを飲み込み、俺はミミィに微笑を返した。続いて、ミーナさんやお父上に、最終的な確認をする。

「それでは、現時点を以って、ミミィ・カリエンテ・ファルメルウーナはそちら様のパーティへ移籍し、私、トウヤ・フェザーセリオンは、現パーティにとどまるということで、よろしいですね?」

 その言葉に、ゴーズもセナも、ミミィの家族も頷いた。

 ただ、ミミィだけが、どこか暗い顔をしていた。


――――――――――――――――――――――――


「あっさり話がついちまったなぁ……一泊でよかったか」

 ぽりぽりと頭をかきながら、トウヤは部屋へと戻っていく。ボクはその斜め後ろを、上機嫌でついていた。

 宿泊する日数は二日。話し合いが長引く可能性を考えたからだそうだけど、思ったよりもあっさりと決まっちゃったらしい。確かに、ミミィ本人も家族と共にいたがったみたいだし、話し合いがこじれる要素もなかったんだけど。

 部屋の扉を開けて、トウヤはソファに腰掛けた。ゆったりとしたソファなんて、ボクは座ったことがない。そのソファにだらーんと腰掛け、トウヤは「うあー」とか言っていた。

「それにしても、さすがは貴族ん家の晩飯だ。あれを食い慣れたら大変だろうなぁ」
「ふふ、同感。あんなもの食べちゃったら、もう奴隷時代の食事なんかには戻れないよう」
「戻すつもりはねーから安心しろ」

 『ほっぺが落ちる』という味は、ああいうことを言うんだろうと、感動した。ボクらが残飯みたいな食事しか出てこなかったその横で、貴族はいっつもああいうのばかり食べてたんだろうか。複雑な気持ちになるボクの前で、ゴーズさんも刀を取り出しながら苦笑した。

「拙者にもほとんど分からんわ。というか、一定以上のものになると全て同じになるであろうな」
「分かってると思うが、本人の前では絶対に言うなよ」

 普段が銅貨何枚の夕食をとっているボクらにとって、銀貨十枚の夕食だろうと金貨百枚の夕食だろうと、違いは全然分かりそうにない。こうなると、貴族って結構大変かもね。そこだけは貧乏でよかったかも。

「それはそうと、お前がミミィの家族に引き抜かれることになるとはな。さすがの拙者も驚いたぞ」
「まあ、本来は引き抜き自体が非常に珍しいことだからな」

 目線をゴーズさんに向け、トウヤはそう返事した。

 たしかに、あれにはボクもびっくりした。やっとミミィから離れられると思ったときに、よりにもよってトウヤを連れて行こうとしたのだ。一瞬で不安が渦巻いて、思わずボクは叫びかけた。

 だけどトウヤは、それをあっさりと断ってくれた。名誉にもお金にも、身の安全にも背を向けて、ボクらを選んでくれたのだ。

「えへ、えへへ」

 嬉しくて嬉しくて、顔のにやけが止まらない。今すぐトウヤの胸に飛び込みたいけど、くつろいでいるトウヤの邪魔はしたくない。それに、明日は二人っきりでデートなんだし、そのときにいっぱい甘えよう。

 後はこの村を出てしまえば、ミミィと永遠に別れられる。それまでの間、ボクは油断せずに過ごすだけだ。

 最後に向けたミミィの目は、暗く澱んだものだった。何をしでかすか、正直ボクにも見当はつかない。手を出すなとは言ってあるし、家族の人たちはトウヤがボクらと一緒に行くことは納得してるから、大丈夫だとは思うけど……お風呂とか、無事に入れるかな。

「トウヤ。ボク、お風呂行ってくる」
「ん、ああ、分かった。行って来い」

 不安なので、早めに済ませてしまうことにする。さっきのことでミミィが暴走するのなら、行動を起こす前にそういうのは終わらせてしまいたい。お風呂に入るときは裸になるから、どうしても隙が出来ちゃうのだ。

「油断はするなよ。早めに上がってしまうことだ

 刀に白い粉(打ち粉というらしい)をはたきこんでいたゴーズさんも、目線を向けずに言ってくる。ボクは大きく頷いて、タオルと着替えを手に取った。


――――――――――――――――――――――――


「お父さん、お母さん。ちょっといい?」
「どうした、ミミィ?」

 夕食後、仕事があると書斎に入った両親を追って、私は扉をノックしました。許可を得て中に入ると、両親は右腕に渡す書類を整理していたところ。

「邪魔だったかな?」
「いやいや、ミミィとは今までずっと会えなかったのだからな。いついかなるときだとしても、邪魔だということはないぞ」
「ふふ、ありがとう。そういえば、これからの旅はどちらに向かうの?」
「行き先か? まずはここから北にある、ラード領を目指す形になるな。一週間ほどで出発するから、準備を整えておくといい」
「…………」

 そうなると、方角は別々だ。トウヤさんたちは、西を目指して旅をしている。つまり、トウヤさんとは、もう旅はできなくなる。

 嫌だった。私の家族と、トウヤさんと。一緒に旅を続けるのが、私の夢。どちらが欠けても、駄目なんだ。

 だから――

「ちょっと、頼みたいことがあるんだけど」
「なんだ?」
「……お金を、使わせてほしいの。お父さんとお母さんの裁量でいいから、できるだけ、たくさん」
「何か、ほしいものでもあるのか?」
「うん、ちょっとね」


――――――――――――――――――――――――


「ただいま、トウヤ」
「おう、おかえりー」

 ほかほかと湯気の上がりそうな体で、セナが風呂から帰ってきた。湯上りの顔がちょっとエロくて、俺は思わず目線を逸らす。湧き上がってきた雑念を振り払うべく、俺はタオルを手に取った。

「俺も風呂行ってくるわ」

 そのまま部屋を後にして、屋敷の人に風呂の場所を質問し。脱衣所で服を脱いで裸になると、即座に風呂へと飛び込んだ。まずは頭から冷水を浴び、沸いた雑念を吹っ飛ばす。危ねえ危ねえ。

 ミミィだったら、こんなになることはなかっただろう。いや、少しはむらっと来たかもしれんが、それはいつものことなので(すまんミミィ)、そのまま流して終了だった。

 そして、いつもはむらっと来ないセナの体にそう来たのは、やっぱ恋人同士になったから……って、俺ってそんなに溜まってるわけ!?

 現金な体にショックを受けつつ、俺は頭と体を洗う。時折自分の頭をぶん殴っている光景は、かなり不気味なものだろう。

「最低だ、俺……」

 うん、疲れているんだろう。とっとと今日は寝てしまおう。湯につかって温まり、手ぬぐいで軽く体を拭うと、脱衣所に戻って服を着る。

 

 ちなみにその後、発情していたのが何故かセナにバレてしまい、「いいよ、いっぱいしてあげるね」と擦り寄られ、服を脱がされ、露出したそれを握ってくれ、口を開けてくれた所まではよかったものの

「ふふ。それじゃあ、何回イってもいいからね。出したいときに、出したいだけ……だ、だし、た……ふ、ふぇ……、ふぇっ……」
「え」
「ふえ、ふえっくしょんっ!」

 

 がりっ

 

「ぐんぎゃああああぁぁああぁあぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」

 雑念は見事吹っ飛びました。ええ、吹っ飛びましたとも。

 そのときセナは「こっちも、してあげる」と、袋の部分を手に取ってくれていたわけで……当然、くしゃみと同時に、やられました。

 アレを「ぐしゃっ!」とやられる痛みは、おそらく男にしか分かるまい。

 ううう、俺は果たして子を為すことが出来るのだろうか。 

 

 

 

 
 
 
 
 
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