十七話


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「うぅ……くう、ぅ……」

 ランタンの明かりを消灯してから、先ほどのことが思い出されて。気がつけば、私は自分の毛布の中で、ひたすら嗚咽を漏らしていました。

「うぅ、うっ……! うぅぅっ……!!」

 搾り出すような、憎悪の声。悔しくて悔しくて、やり場の無い憎悪と悲しみが、行き場を失って荒れ狂う。

「なんで……!? なんで、あいつなんかに……!?」

 もしも、言葉で人を殺せるのなら。私はきっと、あの女を何十回も地獄に落としていたでしょう。それとも、私自身が、地獄へと叩き落されたのか。身体ではなく、心の方が。

 悔しかった。

 妬ましかった。

 確かに、トウヤさんを振ったのは、この私です。そのことに関して、何かを言うつもりはありません。

 しかし、その隙に、あの女に……万が一にも負けることはないだろうと思っていた、圧倒的に隠しただと思っていたあの女に。トウヤさんを、横から掻っ攫われてしまったのだ。

「奴隷の、くせにっ……奴隷の、くせにいぃっ……!」

 と――

「憎いのか?」
「――――っ!?」

 自分の嗚咽だけが聞こえる私の耳に、低くしわがれた声がしました。咄嗟に布団を跳ね除けて、声のしたほうへ身構えます。

 すると、そこには一人の人影がいました。

 どうやって。いったい、どこから。

 トウヤさんはおろか、ゴーズさんの気配察知すらすり抜けて。どうして、平然と立っているのですか。

「……何者、ですか……?」

 問いかける声に、そいつは愉快そうに笑います。

「ふふ。何者、か。そんなもの、どうでも構わないであろう? 言っておくが、大声を出しても無駄であるぞ? ここは、先ほどまで君がいた山小屋の中ではないからな」
「なっ!?」

 その声に、思わず目線を動かしてみる。すると確かに、そこは山小屋の中ではなかった。自分と自分の毛布はあるのに、トウヤさんもゴーズさんも、あの奴隷の姿もない。

「どこなんですか、ここは……」
「ふむ……言葉で説明するのは、難しいのだがな。だが、ここに来たのは、半分は君の意思でもあるのだぞ?」
「……なんですって?」
「きっかけを作ったのは、こちらだがな。残りは全て、君がやった」
「……どういう、ことですか……」

 愉快そうに笑うその人影に、私は至極単純な問いかけしか出来ませんでした。人影はまた愉快そうに笑うと、ゆったりした口調で話してきます。

「精神世界、とでも言うのかな。人が、内部に溜めておく感情……憎悪、嫉妬、悲しみ、怒り。そういったものを増幅したのが、この場所だ」
「……随分、負の感情ばかりですね」
「今の君に言われるのは、心外かもしれないな。第一、正の感情……例えば、喜びなどがそうであろうが、あれは外に表すものであろう? 単純に、溜まらぬのよ」

 ああ、なるほど……と、つい納得してしまいますが。この人影が何を企んでるのか分からないのは、相変わらずで。

 さて、話を戻そうか。その人影は何かをするでもなく、距離を取るでも近づくでもなく、私に続く言葉をかけます。

「憎いのであろう? そいつのことが」
「…………」

 得体の知れない声の主に、躊躇いながらも頷きます。男性であることはかろうじて分かりますが、暗がりのせいでそれ以上は何も分かりません。そんな不気味な相手なのに、それほどまでに感情は根深かったということですか。

 自分の嫉妬深さに自分で驚く私の前で、愉快そうに笑った声の主は、音もなく歩み寄ってきました。

「ならば、力を貸してやろう」
「えっ……?」
「なに。こちらとしても、君の協力は欲しいのでね。それに、君の意趣返しもついでに出来る。一石二鳥というわけなのさ」

 くつくつと笑う男の声を、はいそうですかと信用するほど私は愚かではありません。しかしそれでも、あの奴隷への意趣返しは非常に魅力的な提案でした。歯を食いしばって、その人に聞きます。

「……いいでしょう。どういうことか、お聞かせください」

 

 

 意識が再び戻ったとき、そこは山小屋の中でした。

 先ほどの――あまりにもおぞましい――提案をしてくれたあの人影は、影も形もありません。

 まさか、あれは夢だったのか。そう思えてしまうほど、不思議な体験。

 しかし……

「……これ、は……」

 体制を変えようとした私の手に握られていたのは、先ほど男に渡された、桃色をした小瓶でした。月光に鈍く光る瓶が、先ほどのことが夢ではなかったと教えてくれます。

「…………」

 この中身を飲み干せば、誰よりも強い力が手に入る。そう、先ほどの男は言っていました。

 しかし、その代償は、人としての全てを失うこと。

 まさに、究極の選択となるでしょう。

 本来ならば、馬鹿なことだと、捨ててしまうはずでした。しかし、どうしてか、私はそれを捨てることをためらってしまいます。

「……まあ、持っているだけでは、害はないことですしね」

 誰にともなく説明し、私は自分のウエストポーチに、その小瓶を忍ばせました。

 少し、疲れているのでしょう。

 今日は休んで、明日また、考えましょう。

 毛布に戻ると、再び睡魔がやってきます。それに抵抗することなく、私はゆっくりと、自分の意識を手放しました。


――――――――――――――――――――――――


 目を覚ますと、既に朝日が出始めていた。横の三人はまだ寝ていて、起きたのはボクが一番早かったらしい。

「…………」

 今まで、夜中に何度も起きていたボクにとって、このまま朝を迎えられたのはとても珍しいことだった。そういえば、昨日であのバリガディスの領土から出れたんだっけ。それだけで随分違うなーなんて思いながら伸びをすると、首がぼきぼき音がした。

「うぅ〜……っ……」

 寝違えたのかな。そういえば、トウヤのほうを向いて寝てたんだっけ。意識が落ちてからも、ボクの首は寝返りを打たないままずーっと朝までいたらしい。起きたときもトウヤの顔を見ていたから、多分それで間違いない。

 そんなトウヤは……顔を向こうに向けている。

 ひ、ひどい。

 ちょっと拗ねたボクの前で、一つの毛布がごそっと動いた。

 ゴーズさんだ。

「…………」
「…………」

 左右を見渡して、ゴーズさんと目が合った。

「おはよう、ゴーズさん」
「うむ、おはよう」

 厳しいゴーズさんの顔は、朝起きたばかりでもかなり厳しい。でも、ボクはそんなゴーズさんが、いい人であることを知っている。武器を研ぐときもそうだったし、レイピッドとガレスに追いつかれたときも、黙って治療をしてくれた。昨日の晩も、ボクらの気持ちを考えて、ボクとミミィを離してくれた。

 ゴーズさんは起き上がると、手早く毛布を片付ける。それを見て、ボクも毛布から這い出した。四つ折りにして自分の荷物に結びつけると、ゴーズさんは刀を手に取った。

「朝の鍛錬に行ってくる」
「ん、行ってらっしゃ……あ、ゴーズさん」
「どうした?」
「その鍛錬、ボクもお邪魔させてもらっていい?」
「……む?」

 ゴーズさんが、不思議そうな顔をした。

「トウヤが言い出すのならば分かるが、お前は後衛の魔術師だろう。それがどうして、拙者の鍛錬に付き合うのだ?」
「え……えと、一応剣とか、護身術くらいは習おうと思って……」

 ほら、この前のネズミみたいに、後ろに抜けてきちゃったときとか。ゴーズさんに正面から見つめられ、少し緊張しながらも、何とか理由を考える。実際のところ、護身術くらいは身につけたいと思ったのは嘘じゃないし、理由も決して嘘ではないので、でたらめということもないんだけど。

「……そう何度も抜けてこられては、拙者たち前衛の立つ瀬がないのだがな」
「あの、別に信用してないわけじゃなくて。その、別に無理にとは言わないんだけど……」
「いや、そういうことを言いたいわけではなかったのだ。別段邪魔になるわけでもなし、よかったら一緒に来るといい。拙者は教えるのは得意ではないが、向上心のある人間は決して嫌いではないのでな」
「あ、うん。じゃあ、そうする」

 とはいったものの、どうすればいいのかよく分からなかったので、荷物の中から剥ぎ取りナイフと鉈を出して、ゴーズさんの後を追いかける。ゴーズさんは一つ苦笑して、ボクの方へと向き直った。

「すまないな。拙者は生来の武辺者で、あまり口が達者ではないゆえ、気の利いた言葉の一つも吐けんのだ」
「ううん、十分利いてるよ」

 言葉じゃなくても、行動がね。

 

 

 びょうっ、と、刃が空を裂くいい音がした。横、縦、横と、ゴーズさんの刀が疾る。続いてゴーズさんは刀を握る手を素早く回し、真上から刀を振り下ろした。

「ふう」

 息を吐いて、ゴーズさんは続いて体制を変える。ボクらも何度も見たことがある、瞑想の体制だ。控えめとはいえ朝にあれだけ動き回れば、少しは息が切れると思うんだけど。それを落ち着けるために、あんなことをやっているのかな。

「……七十五、七十六……」

 対するボクは、腕立て伏せを百回。体力をつけるための、基本稽古なのだとか。これが終わると、瞑想だ。元々精神修行の一つにもなる瞑想は、魔術師の力を高める上でも有効だ。護身術じゃなくなってきている気もするけど、腕立て伏せは身体の能力に関わることだし、一応実力アップにはなるから、これはこれでよしとしよう。

 それにしても、なかなかきつい。あまり体力を使いすぎるわけにも行かないから、今日はこの一本だけかな。どうにか百回を終わらせると、ゴーズさんと同じく瞑想の体制。

「…………」

 こ、こんな感じでいいのかな?

 よく分からないけど、間違っていたら後からゴーズさんに教えてもらおう。そう思うボクの前で、またゴーズさんの刀が振るわれる音がした。


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 目を覚ますと、隣の毛布は空だった。枕元の刀がないことから察すると、既にゴーズは朝の鍛錬に出たらしい。その奥にはミミィが眠っていて、首を返すと、セナの毛布も空いていた。

 伸びをしてから毛布をたたみ、ミミィを起こさないように外を見る。と、そこにはゴーズとセナが、二人で何かをやっていた。

 ゴーズはまあ、朝の鍛錬なんだろうけど……セナの方は、いったい何をやってるんだ? もしかして、ゴーズに付き合って朝の鍛錬とかやってるのか?

 ったく、つくづく大した女。誰だよあいつを奴隷身分に産み落としたやつ。いや、むしろ奴隷だから頑張り屋になってるのか? その辺の理屈はよく分からん。

「……おはようございます」
「おう、おはよう」

 目線を向けると、ミミィが体を起こしてきた。どうやら目が覚めたらしい。朝っぱらから難しい顔をしているけど、昨日のことを気にしてるのか?

 ミミィは毛布から出てくると、ウエストポーチの中身を見る。そのまま、はあと小さなため息をついた。

「何かあるのか?」
「あ、いえ。なんでもありません」
「そうか。……疑いたくないんだけど、何か隠しているんじゃないだろうな」
「なんでもありませんって」
「そっか。それは、失礼した。今日中にはロンデ村にたどり着けるはずだから、よほど致命的に何かが不足しているなんてこともなけりゃ、たぶん大丈夫だと思うからさ。不安要素があるんだったら、遠慮なく言ってくれよ。下手すりゃ命取りになるからな」
「ありがとうございます。ですが、大丈夫ですよ」

 ご心配をおかけしました、と、頭を下げてくるミミィだが、本当に何かあるんだろうか。昨日が昨日だったから、どうも疑いの目で見てしまう。しかし、それで答えが出るわけでもないので、ここはひとまず信用しておくことにする。命取りになるほどのものを、黙っているとも思えないし。仮にミミィのウエストポーチを見たところで、化粧品が足りないとかだったら俺にはどうすることもできん。スキンケア? 知るか。

「ゴーズとセナは外にいるから、俺らは出発の準備をしよう」

 出発時刻は、早ければ早いほど望ましい。とっとと毛布を片付けて、自分の背嚢にくくりつける。ウエストポーチを腰に装着したところで、ミミィが話しかけてきた。

「トウヤさん。その、昨日はすみませんでした」
「気にするな。しっかり反省してくれりゃ、それでいい」

 口じゃなくて、行動で表せということだ。ミミィはそうですねと頷くと、さらに話を深くしてきた。

「それで、トウヤさん。昨日、お伺いしましたけど……本当に、セナさんと付き合っているのですか?」
「ああ、まあな。……ミミィからすれば、不誠実に見えるかもしれないけどさ」
「……そう、ですか……」

 難しい顔だ。色々と思い当たる節はあるが、無理もない。軽薄野郎の蔑称は、謹んで受けてやるとしよう。そりゃ、四日前にミミィに好きだと告白しておきながら、その二日後には別の娘とくっついてるようじゃ、見境なしだと思われたって仕方がない。ミミィもそのことには何かがあるのか、難しい顔で続けてきた。

「その、トウヤさんは……セナさんのこと、好きなのですか?」
「……難しいところだな」

 好きか嫌いかの二択で言えば、間違いなく好きなのだろう。だがそれが、異性としての好きなのかと聞かれると、正直自分でも分からない。

「だからといって、余計な火種を起こすんじゃないぞ。もう分かってると思うけど」
「ええ、それは分かってます。……あと、もう一つお伺いしたいのですが」
「なんだ?」
「今、その……先日の告白の返事を変更したならば、トウヤさんはどうなさるおつもりですか?」
「……それは、この前断ったあの返事を、受け入れるに変更したらってことか?」
「はい。その場合だったら、いかがなさるおつもりなのかと。いえ、火種を起こすとか、そういう意味ではないのですが」

 そういうつもりであろうがなかろうが、火種を起こしかねない問いだ。これをセナにでも聞かれたら、また一波乱起こりかねん。

「あの時だったら、多分大喜びしてただろうな。当然今も、十中八九あんたとは恋人だったろう。ただ、今この場で撤回されても……悪いけど、こっちから辞退する形になるんじゃないかな」
「それは、やはり……セナさんの、ためですか……?」
「うーん、『ため』っていう表現だと、ちょっと違うけどな。あの娘、すっごくいい娘だしさ。どうあれ、俺はあの娘のこと、すっげえ気に入ってるんだよな。異性として好きかどうかはまだ分からないところもあるけど、付き合っててかなり楽しいんだ」
「……そう、ですか」
「ま、少なくとも、今んとこ別れるつもりはねえな」

 最低な奴だと、言わば言え。男ってのはたとえあまり好きじゃなくても、スタイル抜群で美人さんから言い寄られでもしようものなら、大体OKしちまうんだよ。

 ――なに、年下? ぺったんこ? 黙れ。

「正直、自分でも、変わり身早いと思ってるけどな」
「……そう、ですか……」

 ミミィは、同じ言葉しか言わなかった。

 そして彼女は、ウエストポーチに目線を飛ばして――何故か一度、首を激しく横に振った。

「どうかしたのか?」
「いえ、なんでもありません」

 あんまり、なんでもないって感じじゃなさそうだけどな。


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 部屋に戻ると、トウヤとミミィが出発の準備を整えていた。後片付けをしなくて済むよう、朝食は保存食を使う。

 

 保存食も、高いものから安いものまであるけれど、基本的には味なんかより値段の安さと保存性だ。一日分が銀貨一枚で買えるわけで、娯楽性なんかあるはずもない。

 そういえば、この保存食代もミミィのせいで高くなってるんじゃなかったっけ。

 ミミィを嫌った、最初の理由――金銭感覚にため息を吐いて、ボクは保存食を飲み込んだ。続いて水も飲み干すと、軽く落ちた食べかすを払う。

 後の冒険者のために軽く掃除を済ませてから、忘れ物をチェックして出発する。今日もボクらは三人で、草を掻き分けて枝を払いながら移動する。その後ろから、ミミィがついてくる格好だ。ミミィのために三人がかりで草を払っているような気がして、なんかむかつく。でも、トウヤの役に立っているのはゴーズさんと自分なんだと思うと、ちょっと嬉しい。

「そういえばセナさあ、さっきゴーズとなにやってたんだ?」
「んー? 朝の修行に付き合ってたんだよー? だって、護身術とかも覚えておかないと、もしものときに大変だからねー」
「ひえー、その努力熱心な性格は俺以上かもしれねえなー」

 間延びした口調で返すと、トウヤの苦笑いが帰ってきた。そうなの? とゴーズさんに聞き返すと、枝葉を払いながら返してくる。

「まったくもってその通りだ。努力心だけなら、トウヤよりも上かもしれないな」
「あはは、ボクなんてまだまだだよ」
「それはないな。奴に鍛錬を持ちかけたところ、朝からそんなに詰めていたら倒れてしまうとか抜かしていた。そのくせやたらと強いんだから、どうにも拙者には腹立たしいのだが……」
「いーだろ別に、本気出したらお前のほうが強いんだから」
「全力を出したら貴様のほうが強いだろうが。まったく、拙者は己の限界を嘆き続ける毎日だぞ」

 え? ちょ、ちょっと待って?

「結局トウヤとゴーズさんって、どっちのほうが強いの?」
「まあ、普通だと大体同じくらいかな。本気出すとゴーズのほうが強い。ただ、全力を出してフルパワーでやると、俺のほうが強くなる」
「……本気と全力って違うの?」
「難しいニュアンスだけどな。違うと思うぜ?」

 ……短期決戦だとトウヤのほうが強くって、長期戦になるとゴーズさんのほうが強いってことだろうか。っていうか、ガレスだってあんなに怖かったのに。もしかして二人とも、ものすっごく強いんじゃ……

「ま、お前らごときに追いつかれるようなトウヤ様ではないってことだな。精進したまえ、かっかっか」
「調子に乗るな、トウヤ」

 ……もしかしてボク、すっごい優良物件を彼氏にしちゃったんじゃないだろうか。

 うん、これからも頑張ろう。

 朝の鍛錬にも付き合って、レベルを上げて。

 冒険に関する知識なんかも一生懸命勉強して、できるだけ早く、トウヤに相応しい女になろう。

 当分の一大目標が、決まってしまった。

 

 

 

 

 
 
 
 
 
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