八話
翌日。まあ、普段と変わらない朝。
「…………」
天気も快晴、気温も穏やか。出来れば今日だけではなく、明日もこの天気だと非常に嬉しい。隣ではまだゴーズが寝ており、今日は俺のほうが早かったらしい。
厳めしいとの評価を与えるゴーズの顔は、寝ててもまあ気難しそうだ。実際に気難しいのだが、意外といいヤツだったりする。ついでに言えば、元の顔も決してカッコいいとはいえないのだが、背も高く絞り込まれた体躯をしていて、年を重ねたからか渋い貫禄を漂わせ、さらには幾多の修羅場を潜り抜けてきたが故の鋭い眼光と、俺らよりも少し年上のおねーさまたちに地味にモテそうな外見なのだが、本人の女性嫌いと修行好きもあいまって、残念ながら浮いた話は聞いたことがない。妻子持ちだったなんて話も特に聞かない。
つくづくもったいない気もするのだが、生き方は本人次第なので、無理に女性と付き合いを持つこともないだろう。もっとも、女性との付き合いは俺のほうが今は重大事だったりするのだが。
「…………」
起き上がり、てきぱきと布団を片付ける。そのまま部屋の外に出て、用を足す。手を洗って戻ってくると、ゴーズは既に起きていた。
「おう、おはよう」
「うむ、おはよう」
挨拶は人間関係の基本である。布団をたたむゴーズを見ながら、俺は思い切り伸びをした。ゴーズは布団をたたみ終わると、刀を持って立ち上がる。
「朝の鍛錬に行ってくる」
「相変わらず精が出るね。うらやましいぜ」
「お前も一緒に来たらどうだ? お前ならば、さらに高みへと上れるはずだが」
「遠慮しとく。朝からそんなに詰めていたら、ぶっ倒れちまうしな」
「そうか」
気分が乗れば付き合うのだが、今日はそういった気分ではなかった。とりあえず、俺は依頼書を読み返す。別に、そんなに難しい依頼ではなさそうだ。この報酬金も合わせれば、次の村に行くことくらいはできるだろう。今日の目的地は薬草採取になっているので、運び屋の依頼と途中までは道のり的には同じである。
「じゃ、今日もきびきび働きますかー」
誰にともなくそう言って、俺は再び伸びをした。
確かに言った。
きびきび働こうと、確かにさっき、俺は言った。
そして、コーヒーがないとやる気に何割かの差が出てくることも知っている。
知っているのだが……
「どうしたんですか、トウヤさん? コーヒー、お好きですよね?」
「トウヤ君。今日も、がんばろうね」
「…………」
目の前には、二杯のコーヒー。さらに、満面の笑みを向けている、ミミィさんとセナちゃんがいる。綺麗な笑みと可愛い笑みを向けられているのは結構だが、なんでこんなことになってるんだ。
事の発端は、朝食の席に集まった時だった。四人がけのテーブルに、向かって右側が俺、左側にゴーズ。ゴーズの対面にはセナちゃんが座り、俺の対面にはミミィさん……というのが、いつもの定位置。特に事情があるわけでもないので、今日も定位置に座ったのだが……
「紅茶を一杯と、こちらの方にコーヒーを」
俺がコーヒーを頼む前に、ミミィさんがいきなりコーヒーを頼んでくれたのだ。見るや否や、セナちゃんが一瞬で血相を変え、対抗するようにコーヒーを注文。気がつけば俺の目の前には、二杯のコーヒーが並んでいた。
「…………」
ゴーズのほうに目線を向けると、既に奴は我関せずといった顔でスープをすすっている。代われ、ゴーズ。
というか、なんなんだこの針のむしろは。二人の女の子から好意を寄せられている、なんてことになっていれば、それこそ両手に花であり。しかもその二人――というか、好意を向けられている対象者も含めて三人で、パーティを組んでいるとなれば、それこそ血を見る三角関係の出来上がりだ。
しかしながら、現実はそう甘くない。普通はただの仲間で終わってしまうことだろうし、三角関係なんてモテない男が夢想した夢のまた夢である。俺自身、住む場所もなければ記憶もないような風来坊を好きになる女なんているはずがないと、半ば以上確信していた。そのくせ、こっちは同じ仲間の女性を好きになってしまい。告白したもののあえなく玉砕。というわけで、ミミィさんが俺に好意を寄せていることは百五十パーありえない。
でもって、こちらはまことに大変喜ばしいことに、もう片方の女の子からは先の確信を根底から覆し、好きだと告白されている。タイミングがタイミングだったので最初は随分疑ってしまったが、昨日一日の行動で実際に好かれているだろう事はなんとなく分かった。というか、あれで慰めのための演技だったら、俺は一生女性を信じなくなるだろう。
もっとも、未だに俺はミミィさんへの未練が残っているので、セナちゃんの告白を受けるにせよ蹴るにせよ、その未練を振り払った上で真摯に回答したいと思っているのだが、とりあえず三角関係はないというのはお分かりだろう。
だというのに、なんでこんなことになってるんだ。湯気を上げるコーヒーが、今はたまらなく癪である。いや、コーヒー自体に罪はないので、これは単なる八つ当たりに過ぎないのだが。
「トウヤさん。先にコーヒーを頼んだのは私です。昨日は確かに、あまりお役に立てなかったことですから、どうぞその分の埋め合わせと思ってくださいませ」
「トウヤ君トウヤ君。いつもお世話になってるから、この村を出るまではご馳走させて?」
「あら、昨日はセナさんが奢ったのですから、今日は私に奢らせてくださいな。セナさんも毎日奢っていれば、懐にもよくないことでしょう」
「とりあえずこの村を出るまでだから、今日と明日くらいでしょ? そのくらいなら問題ないよ。それにボク、あんまりお金の使い方、分からないし」
「それでしたら、今度遊びに行きましょう。そうですね、髪の手入れ用品くらい、買い求めてはいかがですか?」
「んー、どうせ冒険するならさ、結局ぼろぼろになっちゃうじゃん。あっても無駄だよ」
「必要以上に華美に飾り立てることと、最低限の身だしなみを整えることは、違いますわよ? 明日も私が奢りますから、セナさんは浮いた代金を、手入れ用品に回してくださいな」
「コーヒー一杯のお金だけで、手入れ用品が買えるとも思えないけどねー」
会話自体は和やかだ。しかし、その空気は一体何だ。なんで火花が散ってるんだ。俺が一体何をした。
「それはそうと、トウヤさん。冷めないうちに、召し上がってくださいな。手入れ用品も買えないような、貧乏な女性が頼んだコーヒーまで飲めとは言いませんから」
「トウヤ君、コーヒー大好きだよね? でも、一度に二杯も飲んじゃうと、胃もたれしちゃうかもしれないから、ボクのだけ飲んでくれればいいよ?」
「いえいえ、水かなんかで薄まっているかもしれませんから、コーヒー好きなトウヤさんは、私のほうだけお飲みください」
「ねえ、トウヤ君。二つとも飲むなんて、なしだからね?」
だから、俺が一体何をしたっ!?
そしてミミィさん、折角振り切ろうとしてるんだから、余計なことをしないでくれっ!
つーか、それで誤解して玉砕したんだから、やめてーっ!!
助けを求めるように横を見ると、ゴーズは既に食べ終わったところ。他の三人など、まだ一口も食べてないのに。つか、助けろ。助けてください。
「……おい、ゴーズ。たまには、食後のコーヒーでもどうだ?」
「む、そうか? 拙者は緑茶が好きなのだが、無料でくれるというのならば、遠慮なく頂こう」
「え?」
「え?」
「――えっ?」
藁にもすがる気持ちで勧めてみれば、ゴーズは遠慮なく片方を持って口元へ。香りを嗅いで、一口飲み、「ふむ、珈琲というものも意外と悪くないのだな」とのお言葉。しみじみした顔で頷いている。
バ、バカでよかった。
「というわけで、薬草の採取地まで歩いてきました」
一日の活力を得るためという側面も持っているはずなのだが、何故か胃痛に苛まれた朝食を摂ってから出発して、歩くこと二時間。山の麓近くの盆地に、俺らはたどり着いていた。話に聞いていたよりもそれなりに急な勾配で、思ったよりも時間がかかった。もっとも、平坦で穏やかな地に薬草があるならわざわざ依頼を出したりはしないので、大体予想通りといえば予想通りではあるのだが。
「ミミィさん、サンプルはもらってきたんだよな?」
「ええ、こちらにありますよ」
ミミィさんの手に持たれているのは、対象の薬草のサンプルだ。特徴が書かれた図面も、しっかりもらってくれたらしい。とはいえ、あまり珍しくない薬草なので、俺だったら見た目だけで判断できる自信があるが。
「四十個ほど摘んでくればいいんだっけ? じゃあ、単純計算で一組二十個。後、俺ら用にいくつか摘んでおこう」
「分かりました」
頷いたのは、ミミィさんだった。
――――――――――――――――――――――――
「…………」
一時間後。一人で行くと危ないからって、トウヤ君とミミィ、ゴーズさんとボクの二人一組で摘みに行った。だけど、探しても探しても、薬草は全然見つからない。こんな中で、本当に四十個も見つかるのかな。
「……おかしいな」
と、ゴーズさんが低い声を上げた。顔を上げると、ゴーズさんは難しい顔をしている。少しだけ、考えるようなそぶりを見せて、ボクに向かって言ってきた。
「一旦、最初の場所に戻るぞ。正直、これは不自然だ」
「え? う、うん……」
やっぱり、薬草が見つからないからなのか。戻ってみると、トウヤさんとミミィも戻ってきていた。二人とも大分難しい顔で、ゴーズさんは顔を見るなり声をかける。
「あったか?」
「いや、全然ねえ。そっちもか」
「ああ」
見せてもらうと、トウヤ君たちが見つけてきたのはたったの四個。ボクたちは三個しか見つけてない。目的の四十個にしては、あまりにも少なすぎるんだ。
「もしかして、場所とか間違ってない?」
「いや、合ってるとは思うんだが……」
トウヤ君は腕を組んで、依頼書を取り出して確認する。地図はゴーズさんが持っているので、二人で見比べる格好だ。
「……まるで、誰かが根こそぎ取って行きやがった感じがするな」
「そうだな。拙者も同意見だ」
少しだけ沈黙が流れて、トウヤ君が呟いた。ゴーズさんも、すぐに同じ意見を返す。
確かにこの採取場所には、誰かが掘り返した痕があちらこちらに残っていた。誰かが同じような依頼を受けて、薬草を取りに来たことくらいなら十分に考えられることだ。だけど、それでも少しは残るように取るんじゃないだろうか。
「……ん?」
首をかしげていると、ゴーズさんが少し声を低くした。目が少しだけ細まって、ボクたちに小さく確認してくる。
「全員、揃っているな」
「え? うん」
トウヤ君もゴーズさんも、ボクもミミィも全員いる。ゴーズさんは大きく息を吸い込むと、後ろの木々を振り返り……
「――何者だ、出て来い!!」
近くの木々に、大きな声で呼びかけた。
そして……
「……やはり、お気づきでしたか」
「――――っ!!」
――その声に。
ボクの背中に、冷や水が思いっきりかけられた。
――――――――――――――――――――――――
ゴーズのかけた誰何の声に、後ろから綺麗な声が答えた。別段逃げる様子もなく、気配の主は木陰から出てくる。
「とはいえ、私は気配を隠していたつもりもないのですが、ね」
「――――っ!!」
その声を聞いて、その姿を見て、セナちゃんがかわいそうなくらい反応した。
出てきた姿は……美声の主として相応しい、ものすごい美青年だった。
……一人は。
そいつの格好は、一言で言えば、まさに完璧。白銀の髪、色白の肌、黒子もなければ傷もなく、にきびの一つも存在しない……天は二物を与えずというが、とりあえず外見は完璧だった。
とはいえ、男の顔をまじまじ見つめる趣味はない。ついでに言えば、こそこそと隠れていた様子は気に食わない。
「……誰だ、貴様」
ゴーズも同感だったらしく、不機嫌さを隠そうともせずに問いかける。かなりの威圧感があるはずだが、男は柳に風と受け流し、優雅に一礼。
そして――
「申し遅れました。私、レイピッド・サイン・バリガディスと申します。この一帯にいるのなら、栄えあるバリガディス家の名前、まさか知らないとは申しませんよね?」