二話


――――――――――――――――――――――――


「…………」

 朝。ボクの目覚めは、最悪だった。あんな女に告白するのかと思うだけで、ボクの心はまた荒れた。ボクは、こんなに嫉妬深かったのか。自分でも驚いて、でも心に嘘はつけなくて、ボクは朝から泣きそうになる。

 横を見ると、ミミィはまだ眠っていた。トウヤ君の愛情を一身に受ける、どこかの貴族の娘さん。ボクとはあまりにも差がありすぎる、恵まれた家に育った人。

 横っ面を、張りたかった。でも、そんなことをしたらトウヤ君は怒るだろうし、旅にも置いていかれちゃう。ぐっとこらえて、布団を畳む。

「…………」

 と、隣の布団が、ごそごそ動いて。ミミィの目が少しだけ開き、ゆっくりと起き上がってくる。

「おはようございます、ミミィさん」
「……おはようございます、セナさん」

 頭を下げたボクに、ミミィも頭を下げ返す。同じく布団を畳んだ後、ミミィは冒険用具入れの中から、化粧品を取り出した。貴族がするにはあまりにも簡単なものだけど、冒険者からすればぜいたく品だ。櫛、手鏡、どちらもボクは持っていない。ミミィも毎日化粧をするわけじゃないけれど、今日はトウヤ君とのデートだからか。

 トウヤ君のこと、好きなのかな……

 知りたいけれど、どうしても聞けないことだった。はにかみながら「はい」とでも答えられてしまおうものなら、ボクは当分立ち直ることはできないだろう。

 でも、それも今夜まで。帰ってきたミミィは、トウヤ君との交際を、ボクに知らせることだろう。ボクから見ても、お似合いの二人だ。少なくとも、外見は。

 時間は……多分、かなり早い。トウヤ君から、太陽の方角で時間を知る方法を教えてもらっているけれど、難しくてなんとなくしか分からない。

 やることもないので、外を見る。化粧しているミミィなんか、見たくもなかった。

「あ……」

 と、見慣れた姿が飛び込んできて、ボクは思わず声を上げた。ミミィは化粧を中断して、ボクのほうへと振り返る。

「どうかしたのですか?」
「ううん、ゴーズさんがいてね。朝の訓練かな」
「そうですか」

 興味なさそうに、ミミィは化粧を再開する。ゴーズさんがミミィのことを嫌っているなら、ミミィもゴーズさんのことを嫌っている。事故に見せかけてどっちか殺しちゃうんじゃないだろうかと、ちょっと怖い。

 それにしても、朝から本当に頑張っている。強さを追い求めるゴーズさんは、いつでも修行を欠かさないみたい。

 ボクも、暴れまわってくればよかったかな。あ、でも、動きに無駄が多すぎるって、ゴーズさんに怒られちゃうかも。でもどうせなら、トウヤ君に一から十まで……

 ――泣きたくなった。


――――――――――――――――――――――――


「貴様という奴は……」

 食卓に出て早々、ゴーズが呻き声を上げた。二人で出かけるということも受けてか、ミミィさんは薄く化粧をしてきた。元々美人なミミィさんはさらに華やかになっていて、俺は思わず舞い上がりかける。

 ミミィさんと出かけたのは、実は今日が初めてではない。何度か出かけることもあったが、化粧をしたのは初めてだ。もっとも、あの化粧品はねだられて買ってしまったものだが……使ってくれるってことは、期待していいのか?

「トウヤ君」
「ん?」
「……鼻の下伸びてる」
「い゛!?」

 ひっくーい、声。背筋が思い切り粟立って、恐る恐る視線を向ける。そこには――声で分かったといえば分かったのだが――やや顔を伏せ気味の……うん、セナちゃん、だよな? なんかめっちゃ雰囲気違うけど、双子のお姉さんと入れ替わってたとかありえないよな?

 怖いので、そそくさと席に着く。みっともないと思われたらしい。現にゴーズもそう思っていたらしく

「……ったく、貴様も貴様でみっともない」

 自覚したから言うなっつーの。畜生、なんで俺がこんな目に遭うのだ。内心で軽く泣きながら、朝のメニューに手を伸ばす。パンとスープの簡単な朝食。これに俺はコーヒーを、ミミィさんは紅茶とスクランブルエッグをつけた。これらは別料金がかかるが(大都市とかだと無料であることも多いが)、コーヒーは断固譲らない。ここはこだわる。

「お前は金は気にするくせに、コーヒーは必ずつけるんだよな」
「ったりめーだ。特に今日は、明日はつけられねえかもしれないからな。絶対譲らん」
「明日? ほぼ毎日つけてるじゃないか、何故明日はつけられないんだ?」
「……なんでもねえ。忘れてくれ」

 ケチ臭いことを言ってしまった。

 しょーがねーだろ。デート代は大なり小なり男が持つのが基本とはいえ、財布にはかなり痛いんだからよ。いくら飛ぶのか分かりゃしねえや。

 モテる男の辛い所だ、と、次のデートからは言えればいいが。告白するのやめようかなという甘えた心を、俺はコーヒーと共に飲み下した。折角昨日セナちゃんの前で宣言したんだ、今更後戻りなんかしようものなら男が廃る。化粧してくれるということは、それなりに勝算もあるってことだしな、うん。

「食事終わったら、すぐに行くか?」
「そうですね。そうしましょうか」

 俺も、ミミィさんには敬語使ったほうがいいのかな。まあ、ゴーズが呼び捨てのタメ口だから、今更っちゃ今更なんだが。

 ……そういえば、甘えた心ってある意味飲み下しちゃまずいんじゃね?

 

 

「じゃあ、どこに行くか? 一応、目星はつけておいたけど」
「ありがとうございます。ですが、私も行きたい所がありまして」
「ああ、じゃあそっちにしよう。で、どこに?」
「服屋なのですけれど。昨日、いい服を見つけたんですよ」
「んー、服か……」

 朝食を終え、剣呑な目でゴーズとセナちゃんに見送られてから数分、町へと繰り出した俺たちは、最初の行き先を話し合っていた。一応、ノープランというのは避けたいので、昨日の内にある程度の目星はつけておいた。しかし、それはミミィさんも同じだったらしく、俺は速攻で自分の提案を取り下げる。誘ってくれたのは向こうだから、向こうの考えに合わせるのが筋だろう。

 とはいったものの、服ってあんた、大丈夫かい? セナちゃん曰く、確かミミィさん、何着も持っているんだろ?

 とはいったものの、いったものの、スッパリ告白すると決めてしまった以上、余計な減点は避けたい所だ。現金とか言うな、世の多くの男子諸兄は、非常によく分かるであろう。

「おっけ。じゃ、その服屋とやらに連れて行っていただきましょうか」
「はい、ではご案内いたします」

 ミミィさんに連れられて、その隣を歩いていく。場所を知らないからとはいえ、少しミミィさんが前に出ている格好だ。

「?」

 と、自分の右手が何かに当たった。見てみると、ミミィさんの左手である。近すぎたかなと離れて歩くと、数分としないうちにもう一度。

「…………」

 ミミィさんの方を見ると、綺麗な黒瞳と目が合った。その距離は、かなり近い。

 偶然は、二度は重ならない。わざとじゃ、ない。

「…………っ!」

 唇の端を釣り上げて、ミミィさんの手を握り締める。ピンチの時にハッタリをかます場合なんかによく使う、自分で言うのもどうかと思うが、皮肉な笑み。冗談交じりにやったように演ずるが、内心はかなりビクビクする。それに対して、ミミィさんは……くすりと、笑みを漏らしてくれた。

 ――これは、いいんだよな? 期待しても、いいんだよな!?

「……どうかしましたか?」
「え? ああ、いや、なんでもない」

 どうやら、感情が顔に出てしまったようだ。昨日のゴーズやらセナちゃんやらといい、俺は分かりやすいのか? ちょっと首をかしげつつ、路地を曲がって服屋に入る。

「こちらなんですけれども」
「こちらって……うっひゃあ、高級そうな店だなー」
「ふふ。大丈夫ですよ」
「うーん……まあ、ほら、我々庶民の眼からするとさぁ……」

 場所の空気というか、雰囲気というか、どことなく洗練されている気がする。その辺りの作法も十分なミミィさんとは違い、俺はどうも浮いている気がしてならない。紛らわすように近くの服を手に取ると、柔らかな手触りが返ってきた。

「絹か……」

 町中に出るときにミミィさんがよく着ている、絹製の服。値札を見てみると、一冒険者の金額ではかなり痛い代物だ。

 とはいえ、ミミィさんのお洒落着は、それ一着しかなかったはずだ。もう一着くらいなら、まだ持っていてもいいだろう。とはいえ、買わないことを祈ってしまう辺り、自分もまだ余裕が無い。少しくらい贅沢させてやれるほど、いい収入の仕事が出来ればいいのだが。だけど、王族とか貴族とかからの依頼だと肩が凝るし、貴族連中の中には俺らみたいな流れ者なんぞ使い捨てにしたって構わないとか思ってる連中もいるからなぁ……

「トウヤさん」
「ん?」

 どうしたものかと考えていると、ミミィさんはあるラックの前に来て、何着かの服を手に取っている。三着にまで選んだようだが、そこからが絞り込めないようだ。

「こちらの三着なんですけれども、どれが一番似合いますか?」

 服屋やアクセサリーショップにおいて、男が困るセリフベストワン。しかも、彼女の持っている服は、ふわふわしたロングスカート。

 ――って、ちょっと待てっ! このラック、スカートの隣に置いてあるの、下着類じゃねーか! そんなところで選ばせるなよっ!!

「そう、ねぇ……」

 が、提示された服装を身につけた彼女を夢想して、妄想を楽しめるのはこの場の特権。鼻の下が伸びそうになるのを全力で阻止しつつ、「彼女がどの答えを望んでいるのか」と「自分はどれを着て欲しいか」を秤にかける。彼女は確か、白系が好きだったはずだ。となると、色的には左か。デザイン的には右かもしれない。折衷案が真ん中と見えるが、普通服に折衷案は選ばない。ざっとラックを見てみると、ちょうどいいのが無かったからのようであるが、ともすれ真ん中は地雷ってことか。

「……個人的な意見だけど、左かな」
「左、ですか」

 ――ヤベッ、選択をミスったか!?

 ちょっと意外そうな彼女の声に、俺は全力で頭を回す。何か無いか。彼女を納得させられる説明は……あった!

「ほら、色は違うけどさ、デザインはなんか、似たようなものに見えるからさ。だから、色も変えたこっちのほうがいいんじゃないかと思ったんだが……」

 即興で考えた割に、中々辻褄の合う意見が飛び出した。ちょっと自分を褒めてやりたくなった俺の前で、ミミィは選んだ服を取る。

「確かに、そういう考え方もありますね。それでは、このスカートにしましょうか。後は、これと合わせる上着ですが……」

 買わないことを内心祈っていたけれど、やっぱ無理だったか……

 しっかし、どうやって持って行くかなぁ、あんなかさばるもの。無駄な荷物は邪魔になるから、避けたい所なんだけど。

 強く言えない自分が情けなかったが、ほくほく顔で探していくミミィさんを見ると、まあいいかとも思えてしまう。まったく、あばたもえくぼとは言ったものだ。苦笑する俺の前で、ミミィさんは一枚のブラウスを選んだ。財布の中身を考えて内心頭を抱える俺に、ミミィさんは甘えの色を瞳に宿す。

「トウヤさん」
「ん?」
「……これ、買ってくれませんか?」

 好きな人からそんなこと言われて断れるわけないだろうがちくしょーめ!

 

 

 昼食は、ミミィさんの予約しておいた料理店で取った。宿屋の一泊代金に匹敵するほど立派なメニューが並んでいる、この町でもトップクラスに位置している高級料亭。ミミィさんは私が払うのでと言ってくれたものの、せめて自分の分くらいは自分で払う。

 このペースで行くと前回の依頼で得た報酬金のうち、自分で自由に使える金はほとんど残らないんじゃないかと思うが、些細な問題だ。

 と、思うことにした。

「ふふ、トウヤさん。骨の剥がし方は、フォークで頭を抑えながら、ナイフを寝かせるようにして、身と骨を切り離していくのですよ」
「そ、そうなのか」

 料亭のマナーなんぞ、知れる立場には立っていない。しかし、物事なんでも知っておいて損はないだろう。この当たりに詳しいのは、さすがは貴族の娘さんだ。

 骨付きの魚は、当然のことながら骨を剥がす。ミミィさん曰く、フォークで頭を抑えながら、ナイフを寝かせるようにして身と骨を静かに切り離すのがマナーらしい。

「やっぱり、食べ方にも決まりみたいなものがあるの?」
「ええ。身と骨を切り離したら、上の身を取って食べるのです。それが終わったら、頭と尾をナイフで切り離して、お皿の向こう側……ええ、トウヤさんから見れば、私のほうですね。に、まとめて寄せて置いてください」
「えーっと……」

 我ながらぎこちない仕草である。しかし、もしも彼女と付き合えることになったなら、この辺りも学ばなければならないだろう。いろいろ世話になってしまうかもしれないが、餅は餅屋ということか。

「そういえばミミィさんは、行方不明になった家族を探してるんだっけ」
「ええ。ここから、西の地方へと旅に出たそうなのですが……」
「西か。じゃあ行き先は合ってるんだ」
「そうですね」

 俺たちのメンバーは、西を目指して旅をしている。彼女と合流してからはしばらく平原が続いていたが、ここから先は山越えだ。

「山岳地帯はきっついぞー。今の内に体力を補給しとけー?」

 笑いながら彼女に返すと、ミミィさんはふふっと笑って続けた。

「大丈夫ですよ。いざとなったら、トウヤさんに背負ってもらいます」
「うおぉ!?」

 やべえ、そりゃ大変だ! でも嬉しい! いや、マジで!

「はは、りょーかい。いざとなったら、背負って行こう」
「でも、変な所を触ったりしたら、怒りますからね?」
「そ、そんな殺生なっ!」

 それじゃ、大損じゃないか! そう叫びたいが、熱く語ってドン引きされるのもアレである。ジョークみたいに一言飛ばして、そのまま食事を再開した。

「あ、ところでミミィさん。魚を裏返す時のマナーは?」
「裏返さないのが基本です。中骨も下から剥がしとって、あとは一口ずつナイフとフォークで食べてください」
「皮ごと食べるのはOKなのかな……」

 ちなみに、食べている時に小骨が口に入った場合、口元をナプキンで隠して取るのだとか。

 なかなか気疲れしてしまったが、勉強になった俺だった。

 

 

 午後のデートは、化粧品売り場を巡った。しっかりと服装を整えた人が多くて、ミミィさんはともかく俺は場違いなんじゃないかと思う。しかし、それでも他の客に混じりながら、年相応のはしゃぎぶりを見せているミミィさんの姿を見て、ここに来たのも良かったと思う。

 ミミィさんは、俺より一つ年上だ。となると、今年で確か十八か。軽くサバを読んでいる可能性を想定しても、二十かそこら。こういうのを見ていると、やっぱり年頃の娘なのか。

「あれも欲しいんですけどね。冒険をすることを考えると、買えないままで終わっちゃいます」
「そっか。……家族、早く見つかるといいな」
「ええ」

 家族がどうして行方不明になったのかは分からないが、一緒に旅が出来たなら、そんなお洒落も出来るだろう。一度、貴族のキャラバンに遭遇したことがあったが、馬車に立派な荷物を積んで、護衛を引き連れて旅をしていた。俺たちのように、最低限の荷物だけ持って、危険な戦いを繰り返しながら旅する必要などないのだろう。

「家族が見つかったら、ミミィさんはどうするつもりだ?」
「そうですね……それは、その時に考えるつもりです」
「そうだな。それがいいか」

 俺らと旅を続けるにせよ、家族と共に行くにせよ、まずは会ってみないと始まらない。納得する俺の前で、ミミィさんは一つの化粧品を手に取った。顔の油を取るやつらしいから、化粧品というよりはエチケット用品か? てか、これは俺も持っといたほうがいいのかな?

 小首を傾げるが、財布の中身は無情である。ミミィさんと二人で遊ぶのは、楽しいのだが金銭面がネックである。一度セナちゃんと遊んだ時は、また随分と安上がりで済んだのだが。あの娘は遊び方を知らないような面もあるしなぁ。

「……ええい、仕方がねえ!」

 覚悟を決めて、その化粧品(エチケット用品?)を購入する。これから告白をするのだから、とにかくポイントは上げておくに越したことはない。

 会計を済ませると、ミミィさんも二つほど化粧品を購入していた。店を出ると、日は少しだけ傾いている。冬のこの時期、日が落ちるのは早いのだろう。

「……ちょっと、いいかな」
「はい?」

 デートプランは、これにて終了。ミミィさんの行きたい所を回った感じだが、最後に少しだけ俺のほうにも付き合ってもらおう。

「……ここでいいかな」

 お誂え向きというべきか。人気の無い路地裏は、案外すぐに見つかった。

「……ミミィさん」
「……はい」

 

 ――こちらの三着なんですけれども、どれが一番似合いますか?

 ――大丈夫ですよ。いざとなったら、トウヤさんに背負ってもらいます。

 来る途中には、手も繋いだ。

 

「…………」

 

 ……大丈夫。いける。

 

「もしかしたら、もう気付いていたかも知れないけどさ」
「はい」

 やっぱり、物凄く緊張する。きっかり一秒だけ、準備をする。

「俺……ミミィさんのこと、好きなんだ。だから――もしよかったら、付き合ってもらえないかな?」

 そして――

「……ごめんなさい。お気持ちはとても嬉しいですけど、お付き合いはできません」

 ――あまりといえば、あまりにもあっけなく。俺の恋は、敗れ去った。

 

 
 
 
 
 
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