十三話


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「そろそろ、いいですね」

 こういうときの時間の経ち方は、いやに短く感じます。

 あの奴隷の排除において、必要なのは時間だけ。しかし、あまりにも長くあの場を後にし続けていれば、そろそろ不信感を抱かれてしまうかもしれません。

 最初はゆっくりと、あの階段に近付くにつれて早足に。あせった声と、少し息を切らせた声。急いだように見せるコツは完璧です。

「――トウヤさん、セナさん! どうしましょう、人が見つかり……っ、え……っ?」

 走りこんで、意気込んだ声が。

 途中で、止まりました。

 ……どうして?

 どうして、ここにいるのが――

「遅かったな、ミミィ。救護を探していたにしては、ずいぶんと時間のかかったことだ」

 トウヤさんでもセナでもなく、この侍なのですか?

 言葉を詰まらせてしまう私に、ゴーズさんはふっと笑って続けてきます。

「どうした? ここにいるのが拙者なのが疑問か?」
「それは、そうですよ。お二人は、どちらへ……?」
「部屋で傷の手当をしている。少々、二人に確認をしたいことがあってな。しかし、ここに来てみれば、落下したセナが呻いていた。まったく、話もできなかったわ」

 ため息をついたゴーズさんに、私は思わぬ横槍に地団駄を踏みたい気分でした。

 そういえば、トウヤさんはよくこの時間は夜風に当たっていたと聞きます。となれば、一番簡単な場所は、宿屋の屋上になるでしょう。ゴーズさんがトウヤさんに何か話がある場合、彼を尋ねて屋上に行くのは十分ありえる選択肢です。

「それで、セナさんは?」
「処置が早かったせいか、大事には至らないようだ。まあ、こんなところであっけなく死なれても、庇い損になってしまうがな」

 考えもしなかった盲点に、はらわたが煮えくり返りそうです。ゴーズさんが尋ねて来たせいで、セナは助かってしまったわけで。無駄に運だけはいい奴隷です。

 それにこの侍も、つくづく私の邪魔をしてくれる……!

「――いやに怖い顔をしているな。死んだほうがよかったとでも思っているのか?」
「――――ッ!?」

 と。

 投げられた言葉が、私の背筋を凍らせました。

 ――馬鹿な。

 自慢ではありませんが、ポーカーフェイスには自信があります。なのに、一発で見抜かれてしまった?

「まさか、そんなわけがないじゃないですか。仲間の死を願う人が、どこにいるというのですか?」
「それもそうか。だが、仲間を貴族に売り渡そうとした人間なら、つい昼方に見たばかりでな」
「…………!!」

 ゴーズさんは、笑っていました。

 見透かすようなその笑みに、今更ながらに恐怖が這い上がってくるのが分かります。

「それは、あの場にいたなら仕方のないことです。あなた方、貴族を敵に回したのですよ? あなた方の土地も、家も、家族にさえも迷惑をかけて、それでも助ける価値がセナさんにあったというのですか?」
「拙者もトウヤも、天涯孤独の身の上でな。拙者は修行ができれば土地も家も要らないし、トウヤも事情があるとはいえ似たようなものだ」
「事情?」
「本人に聞いてみればいいさ。もっとも、教えてくれるかどうかは別物だがな」

 人を食ったような言い方が、どうにも癇に障ります。この人たち、貴族をなんとも思っていないということですか?

「ところで、こちらからもひとつ聞きたいことがあるのだが」
「……なんでしょう?」
「宿屋の従業員が、落下の瞬間を見ていたそうでな。お前がセナの背中を押したようにも見えたとか言っていたが、そのようなことはないだろうな?」

 ――背筋が、再び凍りました。

 見られていた?

 どこで?

 人がいないのは確認済みです。あの時、私の他には、あの奴隷しかいませんでした。角度から考えて、トウヤさんにも現場は見えなかったことでしょう。なのに、誰かに見られていた?

「そんなわけ、ないじゃないですか。その従業員の、見間違いなんじゃないですか?」
「失礼」

 そう言葉を返して――ゴーズさんは、いきなり目の前まで踏み込んできました。いつの間にやら、両の頬を抑えられて。まっすぐに見つめてくる、ゴーズさんの漆黒の瞳――

「な、なにやってるんですかっ! セクハラですよ、それ!!」

 慌てて彼を振り払うと、ゴーズさんは抵抗することもなく払われます。失礼したと大きく頭を下げますが、私の気持ちは晴れません。

「確かに、今の行為はセクハラだったな。申し訳ない」
「……誠意が足りてませんよ、その言い方」
「もっとも、その従業員も、一瞬だったから見間違いかもしれないとは言っていた。確かに、仲間を突き落とそうとするやつなど、早々考えられないことだな。……売り渡す対象となった貴族は、すでに撃退されていることだし」
「…………」
「女性に安易に触ったことを、改めて謝罪させてほしい。用件も終わったことだし、拙者もこれにて失礼しよう。一応、セナの様子を見ておかなければならないのでな」

 それだけ言うと、私の傍をすり抜けて、ゴーズさんは階段を後にします。

 嘘だ。

 女性にあんな風に触ることがマナー違反であることくらい、いくらゴーズさんといえど、知っているはずです。ですから、あれは何らかの目的を持って、意図的に行ったものでしょう。

 もしかしてあの男、勘付いているのでは……

「――――ッ」

 あの男も、消しますか?

 しかし、悔しいが実力は高くて、隙もないような男を一体どうやって。

 考えれば考えるほど、泥沼にはまっていく気がします。

 何か。

 何か、手はないか――


――――――――――――――――――――――――


「トウヤ、セナ。戻ったぞ」
「部屋を取ってきただけの割には、ずいぶん遅かったな。階段で足でも踏み外して落下したのかと思ってたぜ」

 笑えない。冗談が冗談になっていないというか、そのチョイスは失敗だよ。

「少々、事情があったものでな。部屋はここから三部屋離れた、一人部屋を取ってきた」
「あそこか、了解」

 建物の中身くらいは、一応しっかり覚えておく。当然トウヤもそれは同じで、一発で場所は分かったようだ。

「ミミィに会ってな。少し、話をしていたんだ」

 ああ、だからなんだ。遅くなった理由は分かったけど、今度は別の疑問が出てくる。そのことについて問いかけると、ゴーズさんは難しい顔で答えた。

「はっきり言って、かなり怪しい。あれもやってみたのだが、どうも不自然さが拭えんな」
「あれ? あれって?」

 聞き返したボクに、ゴーズさんは目線を向ける。そしてそのまま、低い声で問いかけた。

「セナ。お前は本当に、ミミィに突き落とされたのか?」
「え? うん、多分……っ!?」

 気がつけば、ゴーズさんが目の前にいた。いつの間にやら、両の頬を抑えられて。ゴーズさんの黒い瞳が、まっすぐにこちらを射抜いてくる。

「な、なにするんだよっ!」

 思わず振り払おうとすると、抵抗することなくゴーズさんは手を離す。失礼と一言だけ謝ると、そのままくるりと向きを変えて――

「まあ、実際に突き落とされたのだろうから、お前の気も晴れないだろうが、護衛にトウヤをつけている。安心して、眠ることだな」

 ――わけの分からないまま、別れの挨拶だけを告げると、さっさと部屋を出て行ってしまった。

「…………」

 わけが分からなくて、ボクはトウヤのほうを見る。トウヤは小さく笑っていて、ああなるほどなと頷いていた。

「……どういうこと?」
「んー、言っていいのかどうか微妙なんだけどな、あれは簡単な嘘発見法なんだ。真偽についての問いかけをして、んで至近距離から相手を見つめる。で、嘘をついている直後だと、瞳が揺れる」
「…………」

 あの迫力で見られたら、嘘をついていなくても揺れたような気もするんだけど。ちょっとそんなことを思うけど、でもゴーズさんは「実際に突き落とされたのだろう」といっていたから、嘘じゃないことを見破ったっていうことだ。ってことは、揺れてなかったってことなのかな?

「まあ、あの調子からするとミミィさんにもやったな。んで、さぞや怪しい結果が出たんだろうよ」
「そうなの?」
「ゴーズってやつはそんな男だ。気難しいが、根っこは悪い奴じゃねえ。単に不器用なだけなんだ。面倒かもしれないけど、仲良くしてやってくれ」
「……仲良くしてやってくれって、ゴーズさん、女の人嫌いじゃん」
「あー、実力つけりゃ男とか女とかいう前に冒険者として判断するから。仮に俺が女でも、ああいう付き合いになったかもしれんぜ」

 微妙に違うかもしれないけどなー、なんて付け加えるトウヤだけど、なんとなく納得してしまった。

 でも、ゴーズさんを味方につけられるのは大きい。元からゴーズさんはミミィを毛嫌いしているから、あいつの味方ということはないだろうけど。どうせなら、こっち側に引っ張り込んじゃおう。ボクとトウヤの恋人関係は、まだまだとても不安定だ。味方にできるものは味方にしといて損はない。

 じゃあ、どうやって味方につけようかな……あれこれ考えるボクの前で、トウヤは大きく伸びをする。

「んじゃ、俺らはそろそろ寝るかー。明日は山越えだし、今日は今日でいろいろあって疲れちまったわ」
「あはは、そうだね」

 嫌だ。反射的に、そう思った。せっかく二人きりで一晩一緒にいられるんだから、もっとお話なんかもしたいし、トウヤに抱きついて頭とかいっぱい撫でてほしい。だけど、言われてみれば実際明日は山越えだし、今日もトウヤはガレスと戦って体力を使ってしまっている。挙句、ボクの告白にOKを出してくれたりと、いろいろ疲れているんだろう。

 ということから考えれば、ここでわがままを言うのは逆効果だ。せっかく恋人になれたんだ、できる人間であるってことは、しっかりアピールしておかなきゃね。

 ……と。

「げっ……!」

 布団を出そうとしたトウヤは、その布団を前にしていきなり凍りついた。どうかしたのと問いかけると、トウヤは微妙な顔をしてボクのほうへと向き直る。

「すまんセナ、お前の布団、俺かゴーズの中古になりそうだ」
「え?」
「いや、ほら、この部屋、前までゴーズが泊まってたせいでさ、おかげさまでこの部屋にある布団、俺とゴーズがそれぞれ寝た後のやつだ」
「ふふ、そんなこと? 大丈夫大丈夫、奴隷だった頃、普通に男も女も雑魚寝だったから」

 布団があるということ自体、ボクにとっては贅沢なのだ。誰が寝た後かなんて、そんなもの大した問題じゃない。

「わりい。そう言ってくれると助かる。……せめて、選択肢は渡すわ。俺の寝た後かゴーズの寝た後か、どっちかマシだと思う方を選んでくれ。いや、大して変わらないと思うけどさ」
「…………」

 ……大した問題じゃ、ないんだけど……

「じゃあ……トウヤの、お布団……」

 ……トウヤのものなら、話は別だった。

 


「えへ、えへへ」

 明かりを消して、トウヤの布団にくるまって。ボクは今、ものすっごく幸せだった。

 布団の中が、すっごくすっごくあったかい。入ったときにはちょっと冷たかったから、実際は気のせいなんだろうけど、トウヤが昨日まで寝てた布団なんだと思うと、すごくぬくもりが残ってる気がする。

 やばい。明かりがあったら、ボクの顔は、きっと人に見せられないくらい緩みきっていることだろう。それくらい、好きな人の布団の中は幸せだった。布団の中で両手両足をもそもそ動かすのが止められない。

「トウヤぁ」
「んー?」
「えへへぇ。おやすみぃ……」
「おう、おやすみー」

 逃げ出してから、夜の闇にまぎれて、誰かがボクのことを取り返しに来るんじゃないかと、怖くて怖くて仕方がなかった。夜が怖くて、いつも震えながら朝を待った。当然、あまり眠れるわけがなくて、寝てもすぐに目を覚ましてしまうことを繰り返した。

 なのに、なんだろう。トウヤの布団にくるまれてるだけで、ものすっごく安心できる。ここがボクの居場所みたいに、ぽかぽかしていてあったかい。

 ああ、だめだ。幸せすぎて、まともに頭が回らない。

 そういえば、ミミィが突き飛ばしてくれなければ、トウヤのお布団というオプションはついてこなかったんだっけ。

 えへへ、そこだけは感謝するよ、ミミィさん。突き飛ばしてくれたお礼は後からたーっぷりしてあげるから、首を洗って待っててね?

 

 

 

 

 
 
 
 
 
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