十二話


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「セナ! おいセナ、大丈夫か!」
「……っ、つ、ぅ……」

 ミミィが消えていった直後、トウヤが慌てた声で呼んでくる。

 ふふ、こんな、奴隷ごときに焦っちゃって――って、いけないいけない。ボクが奴隷でも、価値はちゃんとあるって言ってくれたんだ。「ごとき」なんて言ったら怒られちゃう。

 とはいえ、すっごく痛い。後ろに誰か立ったような気配がしたけど、まさか突き落とされるとは思わなかった。

 それにしても、なんでミミィが。少しだけそう思うけど、そういえばあの時、ボクをあの家に突き返したがってた。確かに、ミミィが貴族なら、ボクをあの家に突き返すことが正しいことであることぐらいは分かってたはずだ。

 でも、なにもこの場で突き落とさなくても。ため息もつきたい状況だが、痛すぎてそんなことをする余裕もない。

「セナ! セナ!」
「……だい……じょぶ」

 だけど、トウヤに心配はかけさせたくなくて、ボクはとりあえず左手を振った。大丈夫だと、伝わるように。

 体はまだ痛くって、声もあんまり上げられない。だけど、実はダメージは意外と少なく抑えられた。

 幸運なことに、この階段、向きを変える場所がない。あれは……そうそう、踊り場だ。トウヤではなく、ゴーズさんに教わった言葉だったけど。おかげさまで、なんとか受身を取る時間は稼げたのだ。もっとも、その代わりに丸々一階分落っこちていく羽目になったけど。

 ボクら奴隷は、酷い場合は持ち主の貴族の気まぐれ一つで殺されてしまうことがなる。ダストシュートの掃除をしていた奴隷が、たまたま苛立っていた持ち主の子供にストレス解消に突き落とされて死んだなんて話は普通に聞くし、奴隷同士でも時々殺し合いが起こったりする。特に借りられた先でこれが起こると、元の持ち主に対していろんな手続きがあるらしく、借りた貴族はそれに追われて、当の奴隷は仕事が少しだけストップするのだ。

 おかげさまで、いつどこで殺されてもおかしくない生活を送っていたわけであり。あのくらいの時間があれば、受身の一つぐらいは取れるようになっていたのだ。さすがに、踊り場があったら危なかった。間に合わなくて、思いっきり顔を打っていたかもしれない。鼻の骨が潰れていたっておかしくなかった。

「……っ、たぁ……」

 ようやく、喋れるくらいには回復する。骨が折れたとかそういうよりは、物凄い衝撃で喋れなくなっていたというのが近いからだ。

「セナ!? 大丈夫か!?」
「ごめん、だい、じょぶ。ちょ、ちょっと、痛み、引く、まで、待って……」
「あ、ああ、分かった」

 力を抜いて、大きく呼吸して、体の回復に全力を注ぐ。しばらくすると、痛みは段々引いてきた。いつまでも寝そべっていても格好悪いので、座りなおしてから打ちつけた場所を軽く叩いた。

「っ……!」

 打撲が二箇所。骨は折れていないみたい。一階分落っこちたんだから、こんなもんか。

「ううぅ、ひどい目に遭った……」
「あったりめーだ、このバカッ」

 呟いたら、トウヤにきつめの口調で言われてしまった。

「お前、死んだかと思ってかなりびびったんだぞ。せめて足元は確認しろ」
「……ごめん。でも、違うんだ」
「あん? 違うって、何が」

 眉を顰めて、こちらのほうを向いてくる。信じてくれるかな。仮にも、好きだった人が、こんなことをしたなんて。

「あのね。転んだわけじゃ、ないんだ」
「じゃあ、なんなんだよ」
「……あいつが、やったの」
「――は?」
「……ミミィに、突き落とされたの。上から、思いっきり」
「……なんだと?」

 背中を押された感覚は、はっきりと覚えている。

 だけど、ちゃんと説明できなければ、ボクの評価は下がるだけだ。下手をすれば、言いがかりをつけて責任を押し付けたように見えてしまう。その代わり、しっかり説明できれば、ミミィへの評価はガタ落ちだ。

「だから、あいつはここから逃げたんだと思う。多分、当分帰ってこない」
「おいおい、根拠がねえんだったら、そんなこと言うなよ」
「……あるから、言ってるの」
「背中を押された覚えがある……とかいうだけだったら、ちょっと不十分だけど?」

 もうちょっと彼女を信用してよ、と思うけど、頭ごなしに怒られなかっただけマシだと思おう。大丈夫。ちゃんと、根拠はある。

「だって、あいつは医術士なんだよ。もしもボクに対してやましいところがないのなら、回復魔法を使ってくれればすぐにでも回復できたじゃない」
「……ん?」

 その言葉に、トウヤの眉がしかめられた。あの時は慌てていたけれど、よく考えれば不自然なことに気付いたのだろう。

「魔力切れ……は、ないな」

 一応、ミミィを弁護はしたが、その言葉は途中で終わってしまう。

 お昼の時、ボクを治してくれたのは、ゴーズさんだ。それは仕方がないとはいえ、あそこで治療をしていないのなら、ここで回復魔法を使う魔力が残っていないはずがない。

「それに、本当に人を呼ぶ気があるんだったら、とっくに戻ってきてるはずだよ。見つからないにしたって、遅すぎる」
「…………」

 正確には数えていないけど、ミミィが駆け去ってから三、四分は経っている。この宿は、二階建てで屋上付きの、あまり大きくないものだ。いくらなんでも、誰も見つからないのはおかしすぎる。

 人を見つけて、治療のための準備をしている? ありえない。それこそ、ミミィは自分が回復魔術を使えるのを思い出すはずだ。

「うー、むむむ……」

 ボクの言葉を聞いたトウヤは、難しい顔で考える。少しだけ、沈黙が流れた。

「……言われてみれば、ミミィさんは帰ってこねーし、そもそもこの屋上に繋がる階段に都合よくいたのも気になるな……」
「あいつ、貴族だから。他の家に、敵対したくなかったんだと思う。だから、突き落としたんじゃないかな」
「確かに、動機もあるんだよなぁ……」

 そう言って、トウヤは腕組みをして難しい顔。

 そして……

「ちょっとゴーズにも相談してみよう。立てるか?」
「うん、もう大丈夫」

 ボクは、ゆっくりと立ち上がった。

 まだちょっと痛いけど、トウヤがミミィを信用しなくなりはじめたのは、嬉しかった。

 


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「……ということがあったんだが」
「なるほどな……」

 とりあえず男性部屋に場所を変え、一応セナの様態を打診で確認し、念のために手当てを行った後。瞑想していたゴーズを呼んで、俺たちは先ほどのことを相談していた。

 セナの説明は、階段で俺に話したことと概ね同じ内容である。ゴーズは目つきを鋭くして(元からかなり鋭いが)、セナの話を聞いていた。聞き終えると、ふうむと大きく息をつく。

「確かに、拙者がミミィのことを嫌っているという感情的問題は別にしても、奴の行動は怪しいな……」
「なんだよなぁ……。認めたくねえんだけど」
「状況を冷静に把握しろ、馬鹿が」

 こういうときに、ゴーズの現実主義はありがたい。徹底的にビジネスライクな奴というか、淡白というか。そのくせ、昼間にセナの身分が発覚したときは、俺と共に彼女のことをかばってくれた。曰く「努力をしている奴は嫌いではない」のだそうで。誰が三十過ぎのいい年こいた侍(男)にツンデレになれと。

「動機はある、タイミングはよすぎる、その後の対処はお粗末過ぎる。この状況でミミィを信用できるほど、拙者はお人良しとなった覚えはない」
「そりゃ、動機もなければタイミングも運が悪かっただけで、然るべき手当てをしていれば誰だって奴を信用するわな……」
「そうなったらただの事故だ阿呆。最も、今回も質の悪い偶然だという可能性も無きにしも非ずだが、普通そうは考えん。今回は、故意であったという可能性を考慮したほうがいいだろう」
「だろうな」
「そうなると、最低でもバリガディスの領土を出るまでは、セナとミミィを同じ部屋にしておくわけにもいかないな。セナを突き落としたのが故意であったなら、何をしでかすか分からん」
「…………」

 その言葉に、俺は思わずセナと顔を見合わせた。セナが甘えて提案してきた内容は、期せずして現実的な対策へと変わってしまったのだ。

「……それなら、ちょっといいかな」
「なんだ?」

 ゴーズの懸念には、答えがある。手を挙げて、俺はゴーズに発言した。

「こいつを言う前に、ちょっと報告があるのだが」
「報告?」
「ああ」

 そういえば、三日ほど前にも精神のたるみを起こすとか何とかで、女性との付き合いは反対していたが。どうせ、勘のいいゴーズのことだ。包み隠さず、きっぱりと報告してしまおう。

「実は、セナと付き合うことになった」
「……なんだと?」
「……うん。トウヤと、付き合うことになったんだ」

 姿勢を正して座り直し、セナもそれを肯定する。目線の温度を低くして、ゴーズは俺に言ってきた。

「男女交際というものに対し、拙者がどういう考えを持っているのか、お前が知らないわけでもなかろう」
「分かっている。知った上で、報告したんだ」
「…………」

 その温度を低くしたまま、ゴーズはセナにも目線を向ける。対するセナは、それを正面から見つめ返した。しばしそのままの沈黙が流れて、ゴーズは俺に目線を戻す。

「……先日、貴様はミミィに告白をしたそうだな」
「ああ」
「正直、その告白が成功したら、拙者は貴様らと袂を分かつつもりでいた。ミミィと男女の関係になり、堕落していく貴様に最早用はないからだ。ミミィなど言わずもがななのは、お前とて分かっているだろう」

 せめて堕落が始まってから袂を分けて欲しいものだが。ifの話をしたところで仕方がないが、そこまであっさり見切りをつけることもなかろうに。妙な所を考える俺だが、ゴーズは気にせず続きを話した。

「今日の昼、セナがトウヤを想っていたことを知った。セナは我々の仲間になったとき、ミミィ同様、何も出来ない女だったな」
「……そう、だね」

 この返事は、セナのものだ。本人にも、自覚があったのだろう。素直に認められるのは、彼女のいいところだ。

「だが、セナはトウヤに食らいついた。最初の実力は見れたものではなかったが、腕を上げるための努力振りには、賞賛に値するものがあった。敬意すら払えるといってもいいかもしれん」
「……敬意を払ってくださるのは結構だが、その上から目線はなんだ?」
「最初に手ほどきをしたときはともかく、その後のセナの努力振りが、トウヤに対する恋慕の情から来たものだとするならば、恋愛というものにあながち反対は出来なくなる」
「…………」
「よって、この段階で結論を下すことは出来ん。できるなら、今後とも行動を共にして、トウヤやセナの変化振りを見てみたいところだ」

 随分とムカつく言い方な上に随分と上から目線なことだが、元々ゴーズは恋愛を毛嫌いしていたから、仕方がないといえば仕方がない部分もあるのかもしれない。思ったよりもかなりあっさりと通ってくれたものであるが、これもセナが頑張って俺等が教えた冒険技術を吸収する努力をしてくれていたからということだろう。

「で、それがどうかしたのか。まさか交際の報告をするためだけに、拙者にそれを話したわけではないのだろう」
「ああ。で、本題はここからなんだ」

 さて、どう伝えたものか。一緒の部屋で寝ますなんて言えば、それこそ堕落以外の何者でもない。しかし物事言い方というのはあるもので、今回はその辺のカードがしっかりと用意されていた。

「さっきもゴーズが言ってくれた通り、今のミミィさんをセナと一緒の部屋にしておくのは危険だ。そこで、あの二人の部屋を離したい」
「ふむ」
「それで、部屋をもう一つ取りたいんだ。これはセナとさっき話したことなんだが、その料金はひとまずセナと俺の個人財産から支払いをする。まあ、セナは全額払ってくれるなんて言ったけど、それはさすがに悪いしな」

 上手く嘘を通すには、真実の中にちょっとだけ嘘を混ぜること。真実の比率が多ければ多いだけ、その嘘は上手く通していける。

 え、と言いかけたセナを目線で黙らせ、話を続ける。

「で、ここからは俺の個人的な提案なんだが、次の村に着いてからは、三人部屋と一人部屋に分けたらどうかと思ってるんだ。いくら別の領土に入ったとはいっても、バリガディスの領土がまだ近くにあるんだったら、あんまり気は抜けないからな。とはいえ、女の子だと色々入用なこととかあるかもしれんし、そもそも男二人と一緒に寝ていいのかどうかって疑問もあるから、あくまでこれは個人的な意見にとどめてほしいとこなんだが」
「ふむ……」

 俺はセナと節度あるお付き合いをするつもりだし、ゴーズはたとえ全裸の美女に囲まれても熟睡できる男なので、野郎連中に関しては物理的には問題ない。しかし、ゴーズがそれを認めるかどうかは全く別の話だし、セナも男二人と四六時中一緒っていうのはなかなか辛いところだろう。そう思ったので、あくまで個人的な意見に留めたのだが……

「……ボクは、それでいいよ」

 拍子抜けするほどあっさりと、セナから承諾の返事が返ってきて。

「迷惑がかからないのなら、拙者も特に問題ない」

 これまたあっさりと、ゴーズらしいといえばゴーズらしい返事が返ってきた。

「……いや、いいの?」
「うん。ボクはいいよ」
「少なくとも、今日のところは仕方があるまい。問題が生じたら、またその時に考えよう」

 ビジネスライクな答えを返すと、ゴーズは荷物を整理する。別段散らかしているわけでもないので、数分もしないうちに終了した。

「そうと決まれば、さっさと一部屋を予約して来い。二人部屋よりも一人部屋のほうが安いだろうから、そっちで構わん」
「……へ? 確かに、一人部屋のほうが安いけど……なんで?」
「この部屋をトウヤとセナが使えば、後は拙者の一人部屋だけで済むだろう。二人部屋を頼むよりも一人部屋を頼んだほうが、金銭の消耗も少ないからな」

 意外な言葉に、俺は思わずセナと顔を見合わせた。確かにゴーズの言う通り、二人部屋よりも一人部屋のほうが安上がりで済む。しかし、ゴーズにかかる迷惑は大きくなってしまうだろう。礼を言う俺たちに、ゴーズはふんと笑って続けた。

「勘違いするな。そちらのほうが効率的なだけの話だ」

 だから、誰が三十過ぎのおっさん侍にツンデレ要素を持って来いと言ったんだ。

 いや、確かにめちゃくちゃありがたいんだけどさ。

 

「……そうだ、トウヤ。ちょっといいか」
「え?」


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 場の空気上、喜びを爆発させるわけには行かなかったけど。

 ボクは正直、飛び上がりたいほど嬉しかった。

 状況が状況だったからか、トウヤもゴーズさんも信じてくれて。話し合いの末、なんとボクは今後男性部屋に宿泊することが決定した。

 さっき屋上で、トウヤに甘えてみたのはいいけれど、最大の問題はゴーズさんだった。女嫌いで気難しく、恋愛も嫌いなゴーズさんを、いったいどうやって説得しよう。ボクのわがままだと言って、トウヤにはなるべく迷惑をかけないつもりだったんだけど……都合よくミミィが階段から突き落としてくれたせいで、あっさりとゴーズさんを説得することに成功した。

 痛かったけど、トウヤと一緒にいられるなら、あの程度は安いもの。しかも、今日一日だけでなく、しばらくはずっと一緒にいられるのだ。できればトウヤと二人っきりがよかったんだけど、あんまり完璧なものを求めすぎて逆に自爆してしまったら意味がない。「二人っきり」という条件には目をつぶって、「トウヤと当分一緒にいられる」という結果だけで折れておく。それに今日は二人っきりだ。今のうちに、しっかりマーキングしておくんだ。

「じゃあとりあえず、セナは荷物を整理整頓して持って来い」
「ん、分かった」
「トウヤ、お前も入り口で待機しておけ。念には念を入れておくに越したことはない」
「了解。ゴーズは?」
「拙者は部屋を取ってこよう。費用は後から請求する」
「わりいな、お前にまで迷惑かけて」
「ふん」

 鼻で笑って、ゴーズさんは立ち去っていく。ゴーズさんの気遣いは、とてもありがたかった。今の女子部屋に戻ったら、何をされるか分からない。大怪我を負ったと思ってるだろうから、ほとんど無傷で帰ってくるなんて思ってないかもしれないけど、階段の踊り場にボクの姿がないことを知って、何かの対策を打っていてもおかしくない。

 ……と、警戒しながら扉を開けてみたものの、ミミィはまだ帰ってきてはいなかった。女性部屋を大開きにして、自分の荷物をてきぱき纏める。ミミィの荷物に比べると、悲しいくらいに少ない量だ。だけど、こういうときだけはちょっと便利。

「お、おいおいセナ、ドアぐらい閉めろって!」

 だって、どっかに隠れているかもしれないじゃん。それに、人を階段から突き落とすようなやつに気を配ってやる必要もない。

 荷物全部を纏めると、ボクは部屋を後にする。

 トウヤは半分苦笑して、片手で額を抑えてた。

 

 

 

 
 
 
 
 
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