プロローグ

少年の決意


「…………」

ぐっ、と剣を握り締めて、少年は屋敷を睨み据えた。眼前に立つ屋敷の中には、この付近を治める独裁者がいる。

門の見張りは、この時間は一人。深夜でもなく、昼間でもなく。夜が白み始めた明け方は、警備が一番薄くなる時間帯でもある。

「よし……」

手順は確認した。不確定事項は自分の恋人がどこに捕らえられているかだが、そんなものは問題となる独裁者を打ち倒してとっとと脱出すればいい。フードを目深にかぶり、黒一色の装束に身を包んだ自分は傍から見ればさぞかし怪しいことだろうが、どうせ現在の統治者へ反逆するという悪事を犯すのだから、今更怪しいもへったくれもない。

もう一度落ち着いて、手順を再び確認する。少年に味方は誰一人おらず、しかも一発で決めなければならないとあらば、何度確認してもしすぎることはない。フードとマスクを確認し、自分の面が割れない事を最後に確認。小さな気合の声を入れ、少年は音もなく行動を開始――

「あーっと、ちょっと待った」
「――――っ!?」

――する直前、大慌てで急ブレーキをかけた。油断なく反転すると、目の前には二つのシルエットがある。暗くてよく見えないが、片方の正体はなんとなく分かる。口調こそ軽薄ではあるものの、その立ち姿は一部の油断も隙もない。腰に挿さっている細長いものは、そのシルエットが自分と同じであることを何よりも雄弁に語っていた。

「…………」

おいおい、こんな奴警備兵にいたか――いきなりの想定外に舌打ちしながら剣を構えるも、シルエットは苦笑して首を振った。

「別に敵対しようってわけじゃねえよ。お前もしかしなくても、あの屋敷に用があるんだろう?」

そのシルエットが指差したのは、今しがた少年が突撃しようとした屋敷。確かにその通りなのだが、この二人が敵か味方か分からない以上、油断するのは禁物だ。

答えないでいると、やれやれと首を振ってシルエットは続けた。警戒しながら剣を構える少年に、二人は近くまで歩み寄ってくる。光源もあまりないこの夜では、相当近づかないと相手の顔も分からない。斬りかかろうと思えば出来なくもないが、少年はどうしてか動くことは出来なかった。

そうこうしているうちに、相手との距離は近くなる。やっと判別できた二つの顔は、自分とそう年も変わらないであろう一組の少年と少女だった。

少年の腰に刺さっていたものは、やはり自分と同じ『剣』。言うまでもない。少年が剣士だったからこそ、

「答えないか。ま、無理もねえわな。……そうだな、とりあえずは自己紹介と行こうか。俺はベルド。で、こっちはヒオリだ」
「なっ……!?」

二人の名前に、少年は思わず声を上げた。ベルドとヒオリの二人といえば、この付近で知らないものはいないとされるほど有名な冒険者のコンビだったからだ。

唇の端を吊り上げて、どこか楽しそうに笑う少年――ベルドの姿に、どうして少年は自分が斬りかかろうとしなかったのかを瞬間的に理解した。なんのことはない。相手と自分との実力差を、自分は本能的にどこかで察知していたのだろう。

斬りつければ、それどころか踏み込んだだけで一撃で斬り捨てられている。二人の名前や評判を噂程度でしか聞いていない少年だったが、百万言を費やすよりも雄弁に、相手の実力が分かってしまう。

そんな奴が、なんでこんなところに――想像しうる限り最悪の結果に、少年の頬に冷や汗が伝う。しかし、同時に少年はどうして彼らが自分を攻撃しないのかが疑問のまま残っていた。

相手が自分を倒す気なら、わざわざ自己紹介なんてある必要もないはずだ。こんな怪しい格好で怪しいことをしているのだから、問答無用で切り捨てるとまでは行かないまでも、峰打ちで無力化させることぐらいはしてもいいのではなかろうか。彼らほどの実力者なら、そしてベルドの“それ”が噂通りなら、自分など一撃で戦闘不能に落とし込むなど造作もないはずなのだ。

「なにが、狙いだ……?」

読めそうで読めなくて、少年は低い声で問い返す。それに対してベルドはうーんとわざとらしく考えると、小さく笑って言葉を続けた。

「まあ、無駄な特攻を止めるため?」

答えになっているような、なっていないような。いや、なってはいるのだが、自分の求めた答えではない。しかし、どうやら自分を攻撃するつもりはないらしいということは分かり、少年は頭を回転させた。

戦えば、確実にベルドの技量は自分より上。しかも、ベルドの隣には相方とされるヒオリまでいる。そして彼らは、少なくとも今現在は自分を問答無用で捕まえたりする気はないらしい。

「…………」

冷静になった自分の頭が、最良を求めて回転する。もしも彼らを引き込めれば、これ以上心強い味方もそういない。

「……頼みが、ある」
「ん?」

しかし、考えてみても有効な手段は思いつかなかった。彼らの目的が分からない以上互いの利益のために共闘を申し出るのも難しいし、実力で言うことを聞かせることなど論外だ。もしも後者を取ろうものなら、十秒後には文字通りに自分の首がすっ飛んでいることだろう。

「どうか、雇われてくれないか」
「雇う?」

多少悩むが、結局ストレートに頼むことにした。どうして自分がここにいたのか、どうしてあの屋敷に突撃しようとしていたのか、目的を手短に話していく。対するベルドはしばらく黙って聞いていたが、要するにと口火を切った。

「恋人があの屋敷に連れ込まれたから、助け出してやりたいってわけだな?」
「……ああ」

事実、その通りである。少年の恋人は因縁をつけられて屋敷に連れ込まれ、それからの姿を見た者はいない。この独裁者を打ち倒すレジスタンスもあるというが、そんなものの蜂起を待ってはいられなかった。

「金は、いくらだって払おう。今はあんたほどの有名どころを雇えるほどの金はないが、何年かかっても必ず返す」
「あんたなぁ……」

決意を込めた目で見つめるものの、ベルドの反応はなぜか逆に覚めていく。その反応に思わずたたらを踏んだ少年だったが、ベルドはため息をついて続けた。

「流れ者の冒険者を何年留めるつもりだよ。俺らの噂を聞いたことがあるなら、俺らの行動理由も知ってるだろう? 何週間かならともかくとして、お前が金を溜めるまでなんか待ってらんねーよ」
「…………っ」

そういえば、そうだ。この自治領に暮らしている自分の目線で考えていたが、そういえば彼らは流れ者の冒険者だった。だが、そうすると支払う金はどこにもない。焦った声で告げる少年に、ベルドは冷酷にもこう告げる。

「だったらもう好きにしろ。俺は見ず知らずの野郎一人がどうなろうと知ったこっちゃない」
「く……」

少年の口から、呻きが漏れる。しかし、ベルドの言っていることは正しい。目的がある少年はともかく、ベルドやヒオリが自分に協力する理由はないのだ。

どうにか、ならないか――目の前の二人をどうにかしてとどめようと模索するも、いい考えは浮かばない。焦りばかりが募る少年に、ベルドは小さく苦笑した。

「……ま、そんなにいじめんのも可愛相か」
「……え?」
「手伝ってやるよ。協力してほしいんだろ?」
「……は?」

なんか、あっさりと返事が返ってきた。話の展開が理解できず、思わず間抜けな声を上げる少年であったが、ベルドはただしと言葉を続けた。

「この自治領には独裁者に対するレジスタンスがあるな? 条件はそこに入ることだ」
「レジスタンスに?」
「ああ。というか、俺らもうレジスタンスに雇われちまったんだ。なんでも、明日の夜明けに一気に攻め込むつもりらしくてな。今まで蜂起しなかったのは単に頃合を見計らっていただけなんだとよ」
「そ、そうなのか?」
「ああ。依頼料は貰っているし、さっきも言ったが俺は野郎一人がどうなろうが知ったこっちゃねえ。つーか、本来ならお前を手の込んだスパイと疑って戦闘不能にしてるとこだぜ? それをせずして勧誘してるだけ、とりあえずはチャンスだと思うこったな」
「…………」

考えてみれば、確かにそうだ。別段、少年もレジスタンスを嫌っているわけではない。しかし、いつ蜂起するかも分からない今に、時間を食いたくなかっただけだ。明日にでも蜂起することが分かれば、すぐにだってレジスタンスに入ってやる。

それに、結果的にとはいえベルドとヒオリを雇えるのは大きい。それほどまでに、彼らの実力は名声と共に知れていた。ベルドの申し出を受けるかどうかをほんの一瞬だけ考えるも、答えは火を見るより明らかだった。

「……分かった。条件を飲もう」
「はいよ。まあ、聞く限り、お前の境遇はどこか俺にも似てるんだよな。さっきはああ言ったけど、そんな奴をみすみす行かせちまったら、どっか後味悪いんだ」

まだ未遂なんだろ? 言外でそう聞くベルドに、少年は一度だけ頷いた。それを見て、ベルドはふと真剣な表情を顔に浮かべる。

「だったら、今日のところは引き上げるぜ。何日かかるか分からないならともかくとして、一日後に確実に蜂起するなら、それくらいは待てるだろ? 第一、そっちのほうが確実だしな」

それだけ言って、ベルドはくるりと踵を返す。その隣には当たり前のようにヒオリが続き、さらには少年も屋敷を一瞥だけしてから続いた。絶対に恋人を助け出すと、その胸に誓って。

歴史の息吹は、動き始める。ベルドとヒオリという冒険者と、自治領に住む人々の手で。


 

 

 

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